10

 すべてが終わった後、世間はこの事件でまた騒ぎ出した。マスコミ側から見れば祭り上げる人間が見つかったのだ、在ること無いこと出鱈目でたらめに報道している。学校側もまた混乱に陥っている最中と言えよう。何しろ被害者の娘が犯人だったのだ、マスコミ、生徒・父兄ふけいらの対応に追われている。余談であるが、今確実に言える事は今年の新入生は人数が少ないという事ぐらいだろう。そんな事態から目を逸らすように私は屋上でぼんやりとしていた。今は何も考えたくない、というのが現状だ。相変わらず今日も空は快晴、太陽がさんさんと降り注いでいる。詩音が逮捕されてから一週間、私はクラスメイトからは勿論、マスコミ各種からも囲まれた事は記憶に新しい。聞かれることは大体同じ。彼女はどんな人物でしたか、なぜ彼女は実の父親を殺害したと思われますか。そんな事私に聞かないでくれ、本人から聞いてくれ。毎日の様に囲み取材をされ疲れ切っていた私は朝早くに家を出て誰も近付かない私と詩音の秘密基地_屋上に逃げ込んだ。

「どうしてこん事になっちゃたんだろう・・・」いや、こんな事を考える資格は私にはない。私があんな事を言わなければ詩音は行動に出なかったはずだ。私が彼女を追いつめたも同然だ、裁かれる人間は私なのだ、そんな考えが頭をよぎる。行き場のない思いを抱えこんでいた私に一本の電話が鳴り響いた。碌に名前も確認せず電話に出る。

「はい、不知火です。どちら様ですか?」

「朝早くにすみません、呉乃です。いま、お時間宜しいですか」相手が呉乃さんだった事に驚き、慌てて姿勢を正す。と言っても、電話越しだからあまり意味はないが。

「は、はい。大丈夫です。いきなりだったので吃驚しました。どうかなさったんですか?」呉乃さんは少し言いにくそうに、言葉を溜めながら目的を話す。

「不知火さん、東雲詩音に会っていただけますか?」思わず、「はっ?」と言葉が漏れる。会うって、詩音は警察署にいるはずだ。合えるはずがない、そんな事を思っていると呉乃さんが続きを始めた。

「実は、連行した日から彼女、一切口を開かないんです。此方が尋問しても沈黙を貫いています。未成年なので私達も手荒な事は出来ない。困り果てていた時、東雲詩音が貴女になら話してもいいと言ったんです。不知火さん、辛いことを頼んでいるのは百も承知です。彼女と会っていただけませんか」頭の中で呉乃さんの声が木霊する。詩音が私に会って何を話したいかは分からない。もしかしたら自分を警察に売った友人に罵声を浴びせたいのかもしれない。様々な感情が私を支配していく。正直、会うのは怖い。何しろ私は詩音を警察に渡し、挙句に頬を叩いたのだから。それでも詩音が会いたがっているなら私がすべき事は一つだけ。

「判りました。今からそちらにお伺いします」

今年に入って2回目の自主休校である。


 電話を貰った後、すぐに学校を出た。朝早く登校していた為マスコミ群もまばらであったのが良かったのだろう。誰にも見つかることなく学校を抜け出し永禮署に辿り着いた。署の前にいる警官に入れてもらおうと声をかけようとしたら私に気付いた蒼井さんが中に入れてくれた。

「わざわざ来て頂きありがとうございます。来るときマスコミとかに追いかけられませんでしたか?」安否を聞かれ私は微笑む。

「朝早めに学校に来ていたのが幸いだったのか今日は追われませんでした」そう伝えると蒼井さんは安堵の息を漏らす。

「それは良かった。最近のマスコミは関係者のプライバシーなんてお構いなしに騒ぎ立てる。自分たちの行為がどれだけ人を傷つけているかまるで分かっちゃいない」軽蔑の目を向けながらここには居ないマスコミ群の愚痴を溢す蒼井さんの言葉に私も同意の意を示すように首を縦に振る。その後は沈黙を続けながら廊下を歩く。すると、蒼井さんが立ち止まる。体を前に出すとそこには一枚の扉が存在を表す。

「この中に東雲さんと呉乃さんが居ます。もう一回確認します。不知火さん彼女と話す勇気はありますか?無理そうなら言って下さい。これは強制じゃありません」蒼井さんは不安そうに私を見つめている。多分、今の私の顔色は相当悪いのだろう、鏡を見なくても分かる。手は汗で濡れている。手を制服で拭いながら目を閉じて大きく深呼吸をする。何回か繰り返し私は目を開ける。よし、大丈夫。

「蒼井さん、心配してくれてありがとうございます。大丈夫です。何を言われても受け入れる覚悟は出来ています」私の覚悟が伝わったのか蒼井さんはゆっくり扉を開く。見えたのは白い服をきた詩音。不意に夏休みの事を思い出す。あの時も白い服だった、詩音には白が似合う。入ると中にいた呉乃さんが声を掛けた。

「我々は隣の部屋で待機しています。何かあったらすぐに駆けつけますので」呉乃さんは部屋を出ていく。この空間にいるのは私と詩音だけ。緊張しながらも椅子に座り詩音と顔を合わせる。

「久しぶりね尊、元気にしてた?」

「あんまり元気じゃないかな。毎日いろんな人に囲み取材されて大変。詩音こそ疲れてるんじゃない、少し痩せた?」滑り出しは上々、いつも通りと言えよう。

「流石に何日もいると疲れるわね。でもダイエットには最適な場所よ」茶化しながら言う姿はいつもの詩音、そのもの。つい先日まで隣にあって手が届いたものがもう無い。机を挟んだ数cmの距離が何mにも感じる。私は感情を押し殺して今回呼ばれた目的を尋ねる。「なんで私を呼んだの?自分を裏切った私を罵りたいの」緊張して上手く声が出ない。いや、緊張ではなく恐れから声が震えていた。

「罵るだなんてとんでもない。尊、私は貴女に謝らなければいけないの、私は貴女に嘘を付いていた」

「嘘?」何のことだろう、考えてみるが思い浮かばない。

「そう、ウソをついた。私、恋人なんて最初から居なかったの」詩音の言葉に思わず目が点になる。それ、今言う事か?今回の事件に何の関係がある。考えている事がダダ漏れしていたらしく詩音は私に指摘する。

「この際だから伝えとくけど、尊ってポーカーフェイスっていう割には顔に考えていることすぐに出てるわよ。これからは気を付けなさい」呆れも含んだ笑みを見せながら話を続ける。

「関係ないって思っているんだろうけど、結構大事よ。さて、尊も来てくれた事だしそろそろ話そうか。隣の部屋から監視のオマケ付きだけど」詩音は足を組み直す。私も姿勢を正し聞く体制に入る。もう緊張は解れていた。


 「文化祭の準備の時、私の過去を話したよね。小さい頃からみんな私を通して母を見ていたってこと」私は頷く。

「それに関しては確かに淋しかったけど、だからと言ってどうする事も出来ない。私は幼かったし、お祖母ちゃん達も娘の若すぎる死に対応しきれていなかった。私を『詩音』として見てくれていたのは父だけだった」過去を懐かしむ様に目を細める。

「父は次第に親戚と距離を置き始めた。多分、私がこれ以上、傷付かないで済むようにと考えての配慮だと思う。それから10年、私は父と2人きりで生きてきた。大変な事もあったけど楽しかったし、幸せに満ちていた」

「うん。お父さんの事をしゃべる時の詩音の顔、いつも楽しそうだった。でも、だったらどうして・・・」殺したの。その言葉は口の中で消えた。出来ることなら言いたくないワードだ。察したのか、詩音が私の言葉の続きを引き受ける。

「どうして殺したの?って。父が壊したからよ、私のたった一つの拠り所を」絞るように出した声には確かな怒りが伝わってきた。

「尊、さっき恋人は居ないって言ったわよね。それは事実よ。だって父親を恋人とは言えないもの」詩音の爆弾発言に鈍器で頭を殴られた衝撃が私に伝わってくる。しかしそれと同時にやっぱり、という考えも浮かぶ。父親を恋人には出来ない、と彼女は言った。つまりそれは、世間的には恋人とは言わないって事を示すのだろうか。唐突に振ってきた文章に頭が混乱してきた。一回深呼吸をして落ち着こう、息を吸って吐き出す。少し冷静になってきた。「間違っていたら訂正してね。つまり、世間的に見たら親子だけど詩音的には恋人感覚だったって事?」パチパチと拍手が返ってくる。

「正解よ尊。これなら私が居なくても現代文は大丈夫ね」二コリと笑みを送られたが残念な事に今の私にはそれを返す術を知らない。だが、思い返せば恋人の事を語るとき詩音は名前を言っていたのだ。『ハルさん』と。ハルさんは詩音の父親、春仁さんの事を指していたのだ。何故、いまの今まで気付かなかった。私はどうしようもない大馬鹿者だ。

「気付かなくて当たり前よ。そんな雰囲気は一切出さなかったし、一般的に考えて父親と娘が恋人、だなんて誰も思わない。先に伝えとくけど、キスはしてたけどSEXはしていないからね」涼しげな表情で言われこっちが逆に赤面する。

「セッ、SEXって!」

「16にもなって何恥ずかしがっているの、中学生じゃあるまいし。私的にはシテも良かったけれど、父が頑なに反対したの」娘と交際する時点で世間の輪から外れている気はするが、シていない事に関してだけは詩音のお父さんにはまだ常識が残っていたのだろう。「高校生になってからは一緒に居られる時間が少なくなって淋しかった。だから、久しぶりに出かけた花火大会は本当に嬉しかった。堂々と隣を歩けることがこんなに幸せなのかって初めて知ったわ」その時の事は私もよく憶えている。遠目からでも分かる程詩音の顔は嬉しさで溢れていた。

「父も私と同じ気持ちだと思っていた。でも違った。父が恋愛という意味で本当に愛していたのは今も昔も母、雪乃だけだった。だから殺した」言い切ったその顔は恐ろしいほど冷たかった。


 部屋に静寂が満ちる。これが空気が一変するというものなのか。先ほどまで思い出を語っていた詩音の顔が、表情が、空気がガラっと変わった。私は一瞬ビビったが何とか声を出さず机にあったお茶を啜る。冷めきっていてとてもじゃないが飲めたモノじゃない。だがカラカラに乾いた喉では声も出やしない。飲み切って私は言葉を発する。

「動機はつまり嫉妬って事?既に亡くなっている人、しかも母親に嫉妬したの」私の声は自分でも驚くほど低かった。

「嫉妬、なのかな多分。自分でもよく解らない。死んでも尚、愛されている母に嫉妬したのか、父に娘としか見られていない自分に腹が立ったのか」詩音も手元にあったお茶を啜る。

「あの日、私は父を迎えにあの公園にまで出向いた。あそこは電灯もそんなに無いし夜になると誰も通らない、私たちの逢引き場所だった。父の姿が見えていつも通り公園で少し会話をして抱きしめ合ってキスをして帰るはずだった。父があんなセリフを言わなければ」思い出すのも嫌なのか苦々しい顔で言葉を吐き捨てる。

「『雪乃』って言った。私を見つめながら愛しそうに大事そうに、母の名前を呼んだのよ、父は」今まで平常の声で話していた詩音の声が段々大きくなっていく。

「父もお祖母ちゃん達と同じだった。父が愛していたのは私じゃない、私を通して母、雪乃を愛していた。誰よりも、何よりも私に母の面影を探していた。父が親戚と距離を置いたのは私の為じゃなかった、自分の為だったのよ。誰かに捕られないように私を檻に入れた。雪乃という檻に」私は黙って聞くことしか出来ない。詩音の声がヒートアップしていく。

「それを腕の中で悟ったとき、どうしても許せなかった。私は一度だって父を、父として愛したことはなかった。春仁という1人の男を愛していた。父も私と同じ気持ちだと思っていた、思い込んでいた。でも、違った!父は私の事なんて見ていない、愛してもいない。だから、刺した。刺してしばらくした後、私はなんて事をしたのだろうと思った」最後の一言を聞いて私も隣で聞いているであろう呉乃さんと蒼井さんも自分の犯した行為を悔やんでいるんだと思った。しかし、私達はとんだ勘違いをしていたと思い知らされる。

「私は結局父を、春仁さんを彼が最も愛した母の許に送っただけだと気付いたのよ。生きてさえいれば、父は母の面影を探して私をずっと見てくれていたはずなのに私は自分でその道を塞いだ。でもね、後悔はしていない。だって父が最後に写した人は母ではなく、私なんだから」全て言い切った詩音の顔は驚くほど穏やかだ。本当に後悔なんてしていないのだろう。彼女が紡いだ話は余りにも重い。きっと彼女自信にも重しになる日が必ずやってくる。しかし、それでも彼女は背負った。犯した罪の重みすらも愛しいと。この罪は私だけのものだ、重みであり、想いなのだと。彼女という全てが物語っている。私は今頃になって呉乃さんの言葉を理解した。『彼女が一番の被害者かもしれない。』本当だ、関係者で一番傷を負ったのは詩音ではないか。私は何とも云えない気持ちになりながらも尋ねる。「凶器のナイフは何処から持ってきたの?始めは殺すつもりなんてなかったんでしょう」

「ナイフは自衛のために持ち歩いているの。あんな時間だし、何より子どもの頃、誘拐されかけた事があるから出来るだけ自分の身は自分で守るようにしている。屋上の鍵を借りられたのもその経緯があるから借りれたの」そんな事があったとは初耳だ。しかしお蔭で屋上の件は解けた。沈黙が私達を包む。どのくらい経っただろう、生憎この部屋には時計がないので分からないが恐らく5分は経過しただろう。先に沈黙を破ったのは私だった。

「詩音の言い分は分かった。もしかしたら東雲さんは詩音に雪乃さんを重ねていたのかもしれない。実際に重ねていたと思う。でも、詩音を愛していなかったって所には賛同出来ない。愛していなかった?そんな訳ないでしょう!」今度は私が声を上げる番だ。

「詩音も知っていると思うけど東雲さんの体内から指輪が見つかった。イニシャルはS&H、この指輪は詩音と東雲さんのペアの指輪なんでしょう」

「そうよ、私が高校生になった時に買ってくれたの。それが?」詩音は意味が分からないという表情をしている。どうして分からないのだろう、分からないなら私が教えてやる。

「指輪のイニシャルがいつも嵌めているものと違えば当然警察はその出所を調べる。どこで買って誰に渡したのか。きっとすぐに詩音に辿り着いたと思う。東雲さんは薄れる意識の中で必死に考えたと思う、どうしたら娘を守れるか。行き着いた考えは指輪を飲み込む事だった。まさか解剖されるなんて夢にも思ってなかったはず。東雲さんは最後の力を振り絞って飲み込んだんだよ、詩音を守るために!」渾身の思いで詩音にぶつけた。どうか分かって欲しい、自分は父親に愛されていたことを。しかしそんな思いを詩音は切り捨てる。

「どうしてそんな事が尊に分かるの?その場にいたわけじゃないのに。いまの話、尊の想像でしょう。それとも父が飲み込んだ証拠でもあるの」

「それがあるんだよ、証拠が」私は先ほど蒼井さんが廊下で教えてくれた話を詩音にそのまま説明する。


廊下を歩いていると、蒼井さんはいきなり「アッ‼」と叫び出した。

「どうしたんですか蒼井さん、急に叫んで。吃驚させないでください」

「すみません。急に思い出した事があったのでつい」頭を下げながらしゅんとなる。その仕草が可愛かったので思わず笑いが零れる。それを見て蒼井さんが慌てふためく。

「今の出来事は呉乃さんには内緒でお願いします。僕、ただでさえ呉乃さんにいじられているのにこれ以上、いじられるなネタが増えるのはちょっと・・・」顔を見ると本当に困っている表情だったので了解の旨を伝える。

「分かりました。呉乃さんには言いません。私達だけの秘密ってことで。それで、何を思い出したんですか?」もしかしたら詩音の事かとお思い、言葉の先を促す。

「お願いします。はい、さっきまで忘れていたんですが被害者の東雲さん、亡くなる直前何回か嘔吐を繰り返していた形跡があったんです。多分、指輪を飲み込んだものの上手く嚥下出来なくてそれで吐いたものと思われます」何でもないことの様に説明するがそれって中々重要な事ではないのか、と思ったが敢えて口にしないのは私の優しさだと受け取って欲しい。それにしても嘔吐を繰り返していたとは・・・。確かに指輪は噛み砕くことは出来ないが飲み込む事態は容易い、健康体なら。しかし東雲さんは瀕死の重体だったはず、指輪を飲み込むのは大変だったに違いない。死んでもなお、守ろうとしたもの、それは娘に疑いが掛からないようにすること只それだけ。彼女は知っているのであろうか、自分がどれだけ父親に愛されていたか。私は蒼井さんとの会話を詩音に伝えた。隣の部屋で今頃、呉乃さんに叱られている蒼井さんが居るであろう、ごめんなさい蒼井さん、後で飲み物奢るから許してください。心の中で謝罪をしていると詩音がゆっくり口を開いた。

「何よそれ、なんで今頃になってそんな事するのよ。私は信じない。私に容疑をかからないようにするならもっと簡単な方法があったはずよ。例えば噴水の中に捨てるとか、飲み込んだ所でいずれはばれる。父がしたことはただの時間稼ぎよ。私はやっぱり父には愛されていなかった。所詮、私は母の代用品だったの」半ばやけくそに言う詩音に私は次第に腹が立ち、椅子から立ち上がり詩音の肩を勢いよく掴む。詩音は少し顔を歪めたが、今の私にはそんな事に気を回す余裕はない。

「どうしてそんなに天邪鬼なの!どうして素直に愛情を受け取らない⁉詩音の悪い癖だよそれ!以前、私に夏休みの課題を教えてくれたとき言っていたよね、答えは案外シンプルだって。それと同じだよ、詩音、答えはいつだってシンプルで近くにあるんだよ」私の言葉をおうむ返しの様に呟く。

「答えはいつだってシンプル・・・」

「うん。難しく考えなくていい。詩音、貴女と貴女のお父さんは親子の線を越えていたのかもしれない。でも、一緒に過ごしてきた16年の中に親子の愛情が、絆があったでしょう、よく思い出して」諭すように背中をさすってあげるとゆっくりと語り始めた。

「7歳の頃、初めて遊園地に連れて行ってもらったの。親戚と距離をとり始めた時期だった。それまでずっと私の面倒はお祖母ちゃんが見ていたの。毎日、毎日家の中に居て外のことをあまり知らなかった私にとって、遊園地は夢の国に見えた。服も母のお下がりじゃなく新しい物を買ってくれて1日中父と遊び回った。初めてのことだらけで興奮したの今でも憶えている。父は私の手をずっと握っていてくれた。『詩音は俺に似て危なっかしいから』って」思い出という花の蕾が開花するかのように詩音はしゃべり出す。

「10歳の時、小学校の授業参観があったの。土曜日だったからお父さんも最初は来る予定だったんだけど、急に仕事が入って行けなくなって必死に謝るお父さんに私は仕事だから仕方ない、いってらっしゃい。って言って見送ったけど、本当は淋しくてたまらなかった。他の子の親はみんな来ているのに私だけ居ない。その事実に泣きそうになった。そしてたら教室の後ろのドアが勢いよく開いたの。何事かと思って振り返ったら、お父さんが居た。走ってきて汗をすごくかいていた。スーツも少し皺になってネクタイも緩んでいた。周りの親と比べたらみっともない恰好だったけど、急いで来てくれた事がすごく伝わって嬉しかった。それから、それから・・・・」一気に語り出す詩音の姿は満開の桜みたいだった。しかし開花した桜は散るのが早い、それと同じように詩音の声も次第に儚くなっていく。

「楽しかった、嬉しかった。沢山、たくさん思い出があったのに私は自分が大きくなる度に鏡を見るのが怖くなった。鏡の中にいるのは私じゃなくて母がいる感じがしたの。そんな風に思ったら父の愛情も偽物じゃないかって。考えだしたら止まらなくて、だから私は父に言った。好きだと、子としてではなく女として好きだと。馬鹿ね、そんな事言わなくたって父は愛情を注いでいてくれたのに。私は自分に、いや鏡に写った幻の母に負けたの」散った桜の結末は何だと思う?ひらひらと宙を舞い下に落ちていく。詩音は泣き崩れた。

「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・。お父さんの事、信じてあげられなくてごめんなさい。・・・・・・うわぁぁぁぁぁ!」ボロボロ涙を溢しながら叫び始めた詩音を今度こそ私はしっかりと腕の中で抱きしめる。この部屋に入ってからどのくらいの時間が経ったのだろう。太陽の位置から察するに、お昼ぐらいか。詩音が泣き止んで顔を上げるとその顔は真っ赤になってぐちゃぐちゃだ。これで3回目だな、と思いながら私はハンカチで詩音の顔を拭いていく。

「2勝1敗で私の勝ちね、詩音」何のことか分からず詩音はされるがままである。

「私が詩音の前で泣いたのは1回だけ、詩音は私の前では2回。だから2勝1敗で私の勝ちってこと」意味を伝えると『っぷ』と笑いだす。

「なに、その勝敗の付け方。泣き言を入れたら私の圧勝じゃない。何回現代文の件で泣きついてきたと思っているの」それを言われると反論の仕様がない。黙々と手を動かしていると詩音が口を開いた。

「本当は、すぐに自首するつもりだったの。どんな理由だとしても私は人を1人殺してしまったから、罪を償わなければいけない。でも出来なかった、どうしてだと思う?」

「捕まりたくなかったからじゃないの?」詩音は首を横に振り私を見つめる。

「自首をしようと思った時、頭に浮かんだのは尊の事だった。尊と学校生活を送りたい、あと少しだけ尊と高校生活をしたかったって言ったら怒る、尊?」最後の辺りは泣きそうな、でも笑っている詩音の表情に今度は私の方が泣き出した。

「そんな事言われたら怒るに怒れないじゃないか馬鹿詩音。・・・早く帰ってこい、ずっと待っていてあげるから」

「尊って本当に馬鹿ね。でも、ありがとう」区切りが着いたと感じたのか呉乃さん達が部屋に現れた。蒼井さんが詩音を連れていくらしい。彼女の方に向かうと詩音は立ち上がり部屋を出ていく。私は咄嗟に声を出す。

「詩音!・・・・・・また会えるよね?」願いでもあり、祈りでもあった。詩音は静かに笑いその場を後にした。残ったのは私と呉乃さんの2人だけ。

「お二人のお話は隣から聞かせて頂きました。不知火さん、大丈夫ですか?」未だに座り込んでいる私を心配してか、訪ねてくる。

「呉乃さん。私いま、とても後悔しています。なんで真実を暴いてしまったのかって。詩音のした行為は決して許されない、それは解っています。でも、最後にあんな事言われたら私のした事は間違っていたんじゃないかって思わずにはいられない。呉乃さん、私は正しかったんでしょうか?」私の頭の中は走馬燈の如く詩音との高校生活が流れている。入学式、文化祭、期末考査、何気ない日常。詩音のささやかな幸せを私は壊したのだ、真実という大義名分をぶら下げて。俯いている私に呉乃さんは諭すように語る。

「何が正しくて、何が間違っているかなんて誰にも分かりません。解らないからこそ、私達は自分がこうだと信じた道を進むしかない。不知火さん、貴女は貴女の信じた道を進んだだけです。それが真実を知りたいという道だった、ただそれだけです」私は立ち上がり呉乃さんの言葉を繰り返す。

「進むべき道・・・。詩音の進んだ道は一体何だったんでしょうか」

「少なくとも、茨の道だったのは確かです。彼女も東雲春仁も『霜月雪乃』とう亡霊に道を惑わされた、面影を追いすぎたんでしょう」面影を追いすぎた、その言葉が私の中で響く。「私は詩音のいない学校生活をどう送ればいいんでしょうか。私も詩音の面影を誰かに探すのかな」正直、自信がない。私は詩音という沼に浸かりきっている。果たして底無し沼から抜け出せるのだろうか。浮かない顔をしていた私に呉乃さんがバンッ!と背中を叩く。ちょっと痛い。

「もし、辛いことがあったらいつでも電話をかけなさい。ここまで引っ張り込んだんだ、最後まで面倒見ますよ。私に言いにくかったら蒼井でもいい。あいつも不知火さんの事、心配しまくっていたから頼って下さい。はっきり言ってあいつの顔、タイプでしょう、不知火さん」最後の方はニヤニヤしながら言われた。なぜ分かったのだ、私のタイプが蒼井さんという事を。(今更だが、蒼井さんもそこそこ顔が整っている。)思わず呉乃さんを凝視するとまたも二ヤついた顔でこう言い放った。

「そりゃあ、刑事の勘ってやつですな」はっきり言おう、解せぬ。

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