第8話 天使のスープ事件(捜査編)
1
夜になるとすずしい風が吹く。その風に
家の前まで着くと、シュン兄にさよならを言って、ヒロトは
家の中に入っていくと、もうお父さんが帰って来ていた。
「ヒロト、遅かったな!」
「うん、ちょっと友達の家に忘れ物を取りに行っていたんだよ。ねえ、お母さんは?」
「チカがすごい熱を出しているから、その看病をしてるよ」
「まだ熱が下がらないの?」
「ああ、酷いみたいだ。母さんはチカの世話をするので忙しいから、今日はお父さんと一緒に
「うん」
ヒロトはお父さんと二人でもくもくとご飯を食べた。それから、二人でお風呂に入り、テレビを見た。
お父さんはもしもチカを病院に連れて行くことになった時に車を運転できるようにと、大好きなビールを飲まずに部屋に戻っていった。
テレビアニメが終わると、夜のニュースが始まった。今日のスポーツニュースが始まり、ヒロトはサッカーのニュースを食い入るように見た。人気のサッカー選手が外国のクラブチームに移せきするというニュースだった。最近は外国でプレーしている選手が多い。ヒロトはJリーグが好きなので、強い選手がいなくなってしまうのはちょっと寂しい気もするけど、日本人選手が外国で
スポーツニュースが終わると、この辺りで起こった犯罪のニュースが数本放送された。女子中学生が本屋さんで本を大量に盗んで、それを売ってかせいでいたというニュース。百貨店の宝石売り場で、またしても盗難事件があったというニュース。その時に盗まれていたブランド品類の内の数点が、大型のリサイクルショップで見つかったというニュース。
なんだか、町全体が犯罪という暗くて分厚い雲におおわれてしまっているみたいだった。
ヒロトはテレビを消して、二階に上がり、自分の部屋でベッドに入った。
明日にはチカが元気になっていると良いけど!
ヒロトは祈るような気持ちで、眠りについた。
翌朝になってもチカの熱は続いていた。熱は少し下がったらしいけど、一晩中ずっと高熱を出していたせいで、体力的にはかなり弱ってしまっているそうだ。
「ごめんね、ヒロト。お母さんは今日も仕事なの。夕方には帰るけど、それまではヒロトがチカの面倒を見てあげて。熱が落ち着いてきたから、もう大丈夫だと思うけど、万が一何かあったら、すぐに携帯に電話してちょうだいね!」
お父さんとヒロトの分の食器と、チカのおかゆの器を洗って片付けながら、お母さんはヒロトにそう言った。
ヒロトは土曜で学校が休みだった。
けれども、お父さんとお母さんの仕事は休めないらしい。
ヒロトは玄関でお母さんを見送ってから、チカの部屋に行った。
チカはまだとろんとした目をして、ぐったりとベッドに倒れていた。
「チカ、大丈夫なの?」
ヒロトが声をかけると、チカは無理をして笑って見せた。
「うん、大丈夫だよ! それより兄ちゃん、お母さんはもう出かけたの?」
「今さっき出て行ったよ」
「そう、じゃあ早速! タクヤ君とお兄さんのことを考えてみようよ」
チカは重たそうに体を起こした。「はあ、はあ」と、息も苦しそうだ。
「ダメだよ、寝てないと!」
ヒロトはあわててチカを寝かそうとした。しかし、チカは「大丈夫だから」と言って聞かなかった。
ヒロトは仕方なく、チカにタクヤの家から持ち帰ってきた物を見せた。チカはレジ袋の中から雑誌や
ヒロトはその様子をじっと見つめていた。
2
チカは全部に目を通し終わると、むずかしい顔をしてうんうんうなずいた。
「兄ちゃん。後で調べに行きたいところがあるんだ!」
チカがそう言うので、ヒロトはうなずいた。
「それはどこ? 僕が調べてきてあげるよ!」
「ううん、僕も一緒に行く! 自分の目でたしかめてみないといけないんだ!」
チカは熱でふらふらなのに、自分も出かけると言い出した。ヒロトは「絶対にダメだよ」と何度も言ったが、チカはヒロトの言うことを聞こうとしなかった。
いつもは
「じゃあ、体温計を持って出かけるからね! いい? もし、ちょっとでも熱が上がってきたらすぐに帰ってくるからね!」
「うん、うん。分かってるよ!」
チカは火照ったほっぺを柔らかく動かして、うれしそうにうなずいた。
やっぱり、チカは特別だ。チカの様子を見て、ヒロトはそう思った。
普通の子なら高熱を出したら苦しくて、何も出来なくなるはずだ。泣き出してしまう子もいるかも知れない。それなのにチカは、どんなに苦しくても負けない。目の前に問題があれば、どんなにボロボロでも起き上がる。ヒロトよりも二歳も年下なのに、まだ四年生なのに、すごく頼もしい。
ヒロトたちはお昼ご飯を食べ終わると、出かける準備を始めた。
「僕が準備をするから、チカは少しでも休んでて!」
「うん、そうする」
チカは今度は素直に言うことを聞いてくれた。
ヒロトはベッドにチカを寝かせて、チカに指示された通りにいくつかの道具をカバンにつめ込んだ。それから、体温計と、冷たい麦茶を入れた水筒もカバンに突っ込んだ。
「準備ができたけど、本当に出かけるの?」
「うん、もちろんだよ!」
チカは弱弱しい声ながらも、はっきりと答えた。
しょうがない。寝ているように言っても聞きそうにない。
ヒロトとチカは家を出て、学校のある方向へ真っ直ぐ歩いた。
ふらりふらり。チカの足取りはゆっくりだった。数歩歩いては、「はあ、はあ」と息を切らしていた。だから、学校の辺りに着くまでに十五分もかかった。
「チカ、大丈夫?」
「うん、平気だよ!」
「無理をせずに家に帰ったほうがいいんじゃない?」
「ううん、せっかくここまできたんだから、ちゃんと調べに行かなくちゃ!」
チカはそう言って、池のある公園の方に向かって歩き始めた。
しばらく歩くと、「天使の食卓」が見えてきた。
この前のキノコのスープのときに、店長とはじっくりと話をしたので、ヒロトはもう店長を
本当なら天使の食卓の前はかけ足で通り過ぎたかった。だが、チカを置いていくわけにもいかない。店長に見つからないように静かに通り過ぎるしかない。
ヒロトはぬき足差し足歩いた。天使の食卓はキノコ料理を止めたとたんに今まで通りに、お客のいない店に戻ってしまったようだ。店長はヒマそうにイスに座って店の外をながめていた。そして、店の前を通り過ぎようとするヒロトたちに気づいて、急ぎ足で店から飛び出してきた。
「やあ、君たち!」
店長に声をかけられて、ヒロトはビクリと背筋を伸ばした。
チカは苦しそうに笑った。
店長はチカの様子がこの前と違うことに気づいて、
「君、弟くんが元気ないみたいだけど、どうしたんだい?」
「いえ、熱があって。チカは、弟は、体が弱いんです」
「それなのに、こんな風に出歩かせちゃダメじゃないか!」
店長はヒロトを叱った。すると、チカがあわてて事情を話した。
時計とかの話はしなかったけど、友達のお兄ちゃんが
「それは今日じゃないとダメなのかい?」
「うん、だってそのリョウさんっていう人を早く助けないと」
「そうか、友達のお兄ちゃんを探すために。君たちは友達思いなんだね!」
店長は目を細めて、優しく笑った。「ちょっとだけ、中に来なさい」。店長は店内に二人を招き入れた。
3
店の中はごま油の匂いがした。クーラーが効いていてすずしかった。
熱い中を歩いてきて疲れ切っていたチカはフラフラとイスに座った。
ヒロトはチカのとなりに座った。
「ちょっとだから、そこで待っているんだよ」
店長は
「まだかな、店長。何してるんだろう?」
「うん、来ないね。どうしたんだろうね」
チカはおでこに汗を浮かべながら、苦しそうに顔をゆがめていた。
「ごめんよ、お待たせしたね!」
ずいぶんたってから、店長はおぼんを持って戻ってきた。
「さあ、お兄ちゃんはオレンジジュースをどうぞ。あと、弟くんは、この冷たいスープを飲んでごらん!」
店長はオレンジジュースの入ったコップとうす桃色の液が入った小さなお椀を二人の目の前に置いた。
ヒロトはのどが渇いていたので、勧められるままにオレンジジュースを飲んだ。弟は少し戸惑いながら、お
「なにこれ?
熱のせいで
「どうだい、美味しかっただろう!
「魔法のスープって?」
「ああ、それはね。星空の下でしか
店長はよく分からない説明をすると、
けれど、スープは美味しかったみたいで、チカは器に口を当てて、底に残ったスープの一滴まで熱心に吸い取った。そして、それから水をがぶがぶと勢いよく飲んだ。
ヒロトはカバンから体温計を取り出した。
「店長は熱が下がるって言ったけど。反対に熱が上がっていたら大変だから、一回測ってみてよ!」
「ああ、そうすると良い! そろそろ熱が下がり始めるころだから」
ヒロトと店長に指示されて、チカは体温計をわきにはさんだ。
ピピピピピッ。
一分ほどで体温計が鳴った。体温計の表示板には、三十六度六分と表示されていた。
「うそだろ、熱が下がってる!」
「本当だ! それに、体も楽になった」
チカはイスから下りると、元気に飛びはねた。
「すごい、元気になった!」
チカは嬉しそうにジャンプした。
「ほうら、言った通りだったろう。これでもう大丈夫だ! だから君たちは、君たちの仕事に行ってきなさい!」
店長はヒロトたちを店の出口まで送り、さよならと手を振った。
「いってきまーす!」
チカはにこにこ元気に笑いながら、店長に手を振り返した。店長はヒロトとチカが見えなくなるまでずっと後ろで手を振ってくれていた。
4
ヒロトとチカはかけ足で川沿いの道を進んだ。チカの熱はすっかり下がって、チカはビックリするほど元気になっていた。
空は晴れ渡っていて、川には
「ねえ、兄ちゃん。あの飛び石を渡っていこうよ!」
チカは、川のこちら側にある
チカは大喜びで堤防の階段を走り下りた。ヒロトはチカの後をついて階段を降りた。
「気をつけるんだぞ!」
チカの事が心配なヒロトは、チカの手をにぎった。チカはおどるような足取りで、軽やかに飛び石に飛び乗った。チカのジャンプは少し低くて、ヒロトはヒヤッとしたが、チカはちゃんと無事に一つ目の石に飛び移ることができた。
チカがわくわくしながら飛び石を渡り、ヒロトはヒヤヒヤしながらチカを追いかけた。
大丈夫かな? 落ちないかな?
ヒロトの心配をよそに、チカはピョンピョンと楽しそうに飛び石を進んでいった。
二人は数分で飛び石を渡り終え、対岸の河川じきに上った。
「ねえ、チカ。となり町には来たけど、どこに行くの?」
ヒロトがたずねると、チカは右の方を指差した。
「あそこでしょ。この前にお化けが出たって言うお寺?」
「うん、そうだけど」
チカが指差したのはコージが火の玉を見たお寺だった。
でも、あの
ヒロトはチカの行動の意味が分からなかった。しかし、チカは一人でつかつかとお寺の方に向かって歩き出した。
お寺に入ると、チカはだまって裏手に回って、お墓のあるしき地に進んでいった。
「ねえ、ここがそうだよね。このお墓の中に幽霊がいたんだよね?」
「うん、そうだけどさ。幽霊の正体は店長だったんだよ」
「違うよ。だって、もう一人、犯人がいたでしょ!」
そういえばそうだ。
ヒロトはチカの推理を思い出した。
店長はキノコを盗んだだけだから、お墓で穴をほる必要が無い。だから、犯人はもう一人いる。その犯人はきっと、お墓に埋まっている骨つぼから金歯を盗んだ。それがチカの推理だった。だけど……。
「だけどさ、もう一人の犯人が分かったってしょうがないじゃないか。今は金歯を盗んだ犯人よりも、タクヤのお兄ちゃんを探さないと?」
「うん、そうだよ! だからここに来たんだよ。あとね」
チカはそこまで言って少しだけだまった。「あのさ、この前の推理なんだけど。
5
前の事件で、お墓の中から盗むものと考えたとき、チカは何も思いつかなかった。人の骨なんて盗む理由が分からなかったし、だからと言って骨つぼそのものを盗んでも、何のやくにもたたないはずだ。
そこで、チカはインターネットでお墓泥棒について調べた。
そして、「墓荒らし」という言葉があるらしいことが分かった。
昔のえらい人。たとえば、王様とかのお墓には、骨だけではなくて、たくさんの宝物も一緒に埋められたそうだ。だから、それを盗む為にお墓を掘り返す泥棒もいたらしい。でも、今のお墓には宝物は埋めない。だから、宝物の代わりになるものは何か、と、チカは考えた。
連想ゲームみたいなものだった。宝石。指輪。キキンゾク。つまり、金、銀、銅。そして、思いついたのが金歯だった。亡くなった人をお墓に入れるとき、その人が身につけていた宝石とかは外されてしまったとしても、歯を抜いたりはしないはずだ。だから、金歯とか銀歯があった人の骨には、それがくっついたまま残っているはずだ。そう考えて、前の事件の推理をした。
一つの推理、キノコ泥棒は正解だった。
しかし、二つ目の推理、金歯泥棒は不正解だったみたいだ。
考えてみれば当たり前だ。
金歯に使う金がそんなに高い物だったら、普通の人は金歯なんてしないはずだ。と言うことは、金歯の金はそんなに高くないか、あるいは高くても量がうんと少ないかだろう。ケーキとかに金箔が乗っているのを見たことがある。あれくらいの金なら、数百円のケーキに乗せられるくらい安いのだろう。だとすると、わざわざお墓の下を掘ってまで盗んでもしょうがない。
じゃあ、お墓を荒らした犯人は何を盗んだのだろう?
予想はいくつかあった。でも、どれが正解かは調べてみないと分からない。
6
チカはお墓の辺りを調べ始めた。
お墓はきれいに掃除されていた。花が供えられているお墓もある。
「ほり返されてたお墓って、このどれかだよね?」
「うん、そうだと思う」
チカは一つ一つのお墓の前に立ち、墓石やその下の地面に触りながら、ふんふんとうなずいた。
寺のしき地内には至る所に青いコケが生えているのに、お墓の周りだけなぜかきれいだった。墓石もピカピカにみがかれていて、泥がはねた汚れすらついていなかった。墓石の周辺には白い
チカはそんなことにもお構いなしでお墓を調べて、地面に手をついたり、墓石を押してみたりした。
「こら、何をしとるか!」
突然に雷のような怒鳴り声が聞こえた。
ヒロトは大声におどろいて、石のように体をがちがちにした。
チカもおどろいて、墓のところから飛びのいた。
「何をしとるのかと聞いておるんじゃ!」
怒鳴り声を上げていたのは、このお寺の
ヒロトは和尚さんの迫力に、何も言えなくなってしまった。しかし、チカは声の主が誰か分かるなり、ケロッとして、平気そうな声で和尚さんに近寄って行った。
「ごめんなさい。あのね、僕の友達がね、夜中にお母さんとお散歩している時にね、このお墓で幽霊を見たって言うんだ。それでね、そこの竹のかべのすき間から中を見たらね、お墓に穴が開いていたって言うんだ」
「なんじゃと。友達って言うのは誰じゃ?」
「えっと、学校の友達なんだけど。四の五のコウスケくん」
「そうか、じゃが、きっとそのコウスケくんの見間違いじゃよ!」
「でも、でも、本当にお墓には何も無かったの?」
「ああ、知らんな。土がほり起こされていたり、おかしなことがあれば気づくと思うんじゃが。まあ、幽霊の仕業なら、朝になれば元通りなのかも知れんがな!」
和尚さんは、あはははと笑った。
「そっか。じゃあ、コウスケくんのかん違いかな?」
「そうじゃよ。それよりも、勝手に人のお墓に入ってはいかんぞ!」
和尚さんはきびしく二人に注意した。チカはペコペコと何度も頭を下げてしっかり謝った。和尚さんが許してくれると、チカはヒロトのところに戻ってきた。
「ねえ、兄ちゃん。もう帰ろうよ! 和尚さんにも怒られちゃったし」
「えっ、ああ、うん」
ヒロトは言われるがままにお墓を出た。
お墓を出ると、チカは走り出した。体の小さいチカの走りはそんなに速くは無かったけれど、ヒロトが小走りになるくらいの速さはあった。
チカはときどき後ろを振り返りながら、家に向かって走った。
家に着くと、チカは玄関にカギをかけた。そして、だまってヒロトの手をにぎり、すたすたと自分の部屋へと歩いて行った。ヒロトはチカに引っ張られながらチカの部屋に付いて行った。
「ねえ、兄ちゃん。ちょっと大変なことになってるのかも!」
チカは部屋に入るなり真剣な顔でそう言った。
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