第7話 天使のスープ事件(思考編)
1
ヒロトとユウキとミユの三人はがっくりと肩を落としながら、タクヤの家を出た。シュン兄は、泣き出してしまったタクヤをなぐさめるために、タクヤの家に残った。
空は夕日で赤むらさき色に染まっている。もうすぐ夜だ。カラスの鳴き声が聞こえて、
ユウキが先頭を歩き、その後ろにヒロトとミユが並んで歩いた。みんな元気がなくて、足取りが重い。ゆっくり、ゆっくりと、川沿いの道を歩き進んだ。
遠目にいつもの公園が見えてきた。すると、ミユちゃんが立ち止まって、「あっ、そうだ!」と言った。
「どうしたの、ミユちゃん?」
ヒロトはとなりにいるミユちゃんの顔を見た。
「ねえ、私ね、いいこと思いついちゃった!」
「なになに?」
ミユちゃんが明るい声で言うので、ヒロトもつられて元気になった。
「あのね、タクヤ君のお兄ちゃんの話をね、トモノリ君に相談してみたらどうかしら?」
ミユちゃんの
「そうだ。そうだよ! トモノリなら、何か分かるかも知れないだろ!」
「うん、そうかも! 帰ったら話してみるよ!」
チカなら、あのチカなら、何か分かるかも知れない。
ヒロトもユウキと
トモノリという名前は、チカの本名だ。
家族がみんなして、「トモノリ」ではなく、「チカ」と呼ぶのには理由がある。それは、お母さんの
なんでも、男の子を女の子のように育てると、健康に育つという言い
でも、一生ずっと女の名前だとかわいそうだから、大きく丈夫になったら男の名前に戻せるようにと、「智賀」と名づけ、いつもは「チカ」と、なんとなく女っぽい名前で呼んで、正式な書類には「トモノリ」という男の子らしい名前を登録してあるのだそうだ。
その話をお母さんから聞かされたとき、ヒロトは
まだ小学校に入る前からチカはかしこくて、いろんなところで
誰よりも頼りになるのはチカなんだ!
きっとチカなら大丈夫だ!
チカなら何か良い考えを出してくれる!
きっと今度の事件も
ヒロトは心からそう思った。
「じゃあ、帰ったら弟に相談してみるよ!」
ヒロトは元気な声でさけんだ。そして、ユウキとミユちゃんに向かって手をぶんぶん振りながら、家に向かってかけ出した。
早くチカに話したい。
チカはどんな推理をしてくれるだろう?
早く、早く。チカの意見を聞きたい。
ヒロトは心なしか、わくわくしていた。
2
ヒロトが家に帰ると、
ヒロトは急なできごとにびっくりして、口をぱっくり開けたままお母さんの後ろ姿を見送った。お母さんの姿が見えなくなると、ヒロトは首をかしげながら家の中に入った。まず最初に
チカは部屋のベッドの上に横たわっていた。とろんとした目で天井を見上げながら、ぐったりとして、力無くしおれている。頭の下には
「チカ、どうしたの!
「あっ、兄ちゃん。おかえり……」
チカは息も
「熱があるの?」
ヒロトがたずねると、チカは苦しそうにうなずいた。ヒロトはチカのおでこに手を伸ばした。チカのおでこはホッカイロみたいに熱くなっていた。
チカは苦しみに耐えて歯を食いしばりながら、ヒロトの顔を見た。
「ねえ、兄ちゃん」
「なに? どうした?」
「兄ちゃん、今日も何かあったでしょ!」
「うん、まあ」
「何があったの? 教えてよ」
「熱が下がってから話すよ」
「ううん、ダメだよ。急いでるって顔に書いてあるもん!」
チカはかすれた声で、もう一度「教えてよ」と言った。
「分かったよ。でもその前に。ちょっと待ってて」
ヒロトはチカの部屋を出て、階段をかけ下りた。台所に行き
「ほら、チカ。いっぱい汗をかいてるから、お茶を飲んどけよ!」
「うん。ありがと、兄ちゃん」
チカはふらふらの
3
ヒロトは今日あったできごとをチカに話した。タクヤからの相談と、シュン兄の話、リョウが高価な腕時計を大量に持っていたこと。そして、ヒロトたちだけでは
お茶を飲んだおかげで少しだけ体が冷えたのか、ほんのちょっぴりだけど頭がスッキリした様子で、チカはヒロトを見た。
「ええと、まずは何をたしかめれば良いんだっけ?」
ぼうっとする頭を集中させているようだ。
「ねえ、その腕時計はそんなに高い物なの?」
「うん。そうらしいよ。一つが二万円くらいだって」
「全部でいくつあるの?」
「はっきりとは分からないけど、値段はだいたい五十万円分くらいにはなるって!」
シュン兄の
「そっか。じゃあ、そのリョウ君って人は、どこかでその時計を盗んだんだね!」
「うん。それか、お金を盗んだのかも知れないけど」
「ううん、お金は盗んでないと思うな。きっと盗んだのは時計そのものだよ!」
「何でそんな事が分かるの?」
「だって、お金を持ってるんだったら、友達にプレゼントするのは時計じゃなくてもいいはずでしょ。時計が欲しい子には時計を、ゲーム機が欲しい子にはゲームをって、あげる物を変えられるでしょ。それに、いくら大金を盗んだとしても一度に五十万円も、それも友達へのプレゼントに使うのは変じゃないかな?」
チカはかすれた声をしぼり出しながら、ていねいに説明をしてくれた。
ヒロトはそれを聞いてハッとした。
たしかにそうだ。大金を手に入れたら、時計を買う以外にも、いくらでも使い道があるはずだ!
これで、タクヤの兄のリョウが盗んだのは時計という事ははっきりした。
「それじゃあさ、チカは、何でタクヤのお兄さんがいなくなったんだと思う?」
ヒロトの問いに、チカは首をひねりながら、麦茶をぐびぐび飲んだ。
「うーん。たぶん、何かで怖くなったんだと思う」
「怖くなるようなことって何だろう? 何があったんだろう? もしかして、盗んでるところを、お
「その可能性もあると思うけど。それだったら、タクヤ君にメールをするヒマも無いんじゃないかな。それに、もし逃げ切れたのなら、一度は家に帰って来てもいいはずだし」
「じゃあ、何があったんだろう?」
考えてみても分からないので、ヒロトはチカを見た。
チカは人差し指を立てた。
「きっと、何か怖いものを見つけちゃったんだよ」
「何かって、何だ?」
「たとえばさ、道で百円を拾ったら、兄ちゃんはどうする?」
「お巡りさんとか、先生にとどけるよ」
「でも、きっと、そのまま使っちゃう人もいるよね」
「まあ、そのくらいなら、使っちゃう人もいるだろうな」
「じゃあ、道で一
「それは、さすがにみんな、お巡りさんに届けるんじゃないか!」
「どうして?」
「だって、何かの
「だよね。それと同じだよ」
「どう同じなんだ?」
「あんまりすごい大金を拾ったら、普通の人は怖くてそのまま盗めなくなるでしょ」
「そうだな」
「それと同じで、きっとリョウ君は、時計を盗んでいるときに、そういうすごい物を見つけちゃったんだよ」
「すごい物って何だ?」
「わからない。時計よりもすごい宝物とか、
チカはそこまで言ってから、「だから、きっとリョウ君は今も
「助けるって、どうすれば良いんだよ?」
ヒロトがたずねると、チカは困ったようにまゆ毛を曲げた。
「それは、まだ、分からない! 情報が足りないんだもん。だからさ、兄ちゃん。今からもう一回だけタクヤ君の家に言って、調べてきて
チカに頼まれて、ヒロトはすぐに了解した。今はチカを信じるしかない。チカが言うことだったら、きっと正しいんだ!
4
近ごろ、町で起こっているという、宝石やブランド品が大量に盗まれるという事件。それが、リョウ君がいなくなったこの事件に関係しているかも知れない。
チカはそんな気がして、ベッドを起き上がり、パソコンの前に行った。
たとえば、リョウ君が、その
大量に盗んだものの一部を、リョウ君は分け前としてもらっていたのかも知れない。
でも、そんな悪の組織が、ただの高校生に何十万円分もの時計をあげるだろうか?
いろいろ気になることがあって、調べ物をしようとした。しかし、熱があるせいで、体が思うように動かなかった。パソコンのマウスを持つのも重たく感じる。キーボードがゆがんで見えて、思うように入力できない。パソコンの前に座っている数分の間に、熱が上がっていっているのが、自分でも分かった。
どうしよう。調べなきゃいけないのに。
フラフラして思うように動けない。
頭もぼうっとして、考えがまとまらない。
そんなことをしていると、部屋のドアがバンッと開いた。
「こらっ、チカ、寝てないとダメじゃない!」
薬を買いに行っていたお母さんが戻ってきていた。
「でも、ちょっと調べ物が」
「熱が下がってからにしなさい!」
お母さんはパソコンデスクの前に座っているチカを抱きかかえて、ベッドの上に戻した。
「ほら、この薬を飲んで、大人しくしてなさい!」
「うん、分かった」
「飲み物は、このスポーツドリンクでいいわね?」
お母さんはコップにスポーツドリンクを注いでくれた。
チカはベッドに座ったじょうたいで、薬とスポーツドリンクを飲んだ。
「今日はパソコンなんてしないで、ちゃんと寝てなさいよ!」
お母さんはもう一度そう注意してから、部屋を出て行った。
チカはお母さんがいなくなったすきに、もう一度パソコンに向かおうとベッドを立った。けれど、さっきまでよりも熱が上がっているせいで、そんな元気は出なかった。
しかたなくベッドに戻り、横になり、頭の中だけで、リョウ君がいなくなった事件を
リョウ君に何が起こったのだろう?
リョウ君は今どこにいるのだろう?
チカはうとうとしながらも、その二つを一生懸命に考えた。
5
ヒロトが家を出ようとしたとき、買い物に行っていたお母さんが帰ってきた。
「あら、ヒロト! どこかへ行くの? もう暗くなってきたわよ!」
お母さんはヒロトを呼び止めた。
「友達の家。すぐに帰るから、行ってきます!」
「何しに行くのよ?」
「ごめん、ちょっと忘れ物をしたから、取りに行ってくる!」
ヒロトは早口で説明すると、「明日にしたらどうなの?」と言いかけたお母さんから逃げるようにかけ出した。
道がうす暗くなってきたので、ヒロトは明るい大通りに出た。それから、
急がないと、夜になっちゃう!
ヒロトは全速力で走って、タクヤの家に向かった。
ヒロトはマンションのエレベータに乗り、最上階のボタンを押した。三十秒ほどでエレベータはタクヤの家のある階に着いた。カーンと音がして、ドアが開いた。
開いたドアの向こうには、シュン兄が立っていた。
「あれっ、ヒロト君! どうしたんだ?」
「あ、シュン兄さん。僕、ちょっと探し物があって!」
ヒロトは
ヒロトはタクヤの家のインターホンを押した。シュン兄を送り出したところだったため、すぐにタクヤが出てきた。タクヤはずっと泣いていたようで、目の下を赤くはらしていた。
「シュンさん、何か忘れ物ですか? あれっ、ヒロト! どうしたんだ?」
タクヤはおどろきの声を上げた。
ひとしきり泣いた後なので、タクヤの声はしわがれていた。
「タクヤくん。ちょっとさ、調べたいことがあるんだ。お兄さんの部屋を見せてもらっても良いかな?」
ヒロトが首をかしげると、タクヤは
ヒロトはタクヤに案内されてリョウの部屋に行った。タクヤの兄の部屋だけあって、ちょっと
勉強机は鉄製の白っぽい机で、メタルカラーのスタンドライトがそえられている。勉強机の下にはサイコロ型の小さなイスがあり、その向こう側にはベッドが置かれていた。ベッドの枕元にも雑誌が転がっている。その雑誌はファッションブランドの雑誌で、表紙には問題の時計の写真も載っている。
どこをどう調べれば良いんだろう?
ヒロトは部屋を見渡しながら考え込んでしまった。
「シュン兄さん。
「え、ああ、そりゃあ、あるけど。それがどうした?」
「ちょっとだけ貸してもらえますか?」
ヒロトはシュン兄から携帯電話を借りた。平べったいスマートフォンだった。使い方をシュン兄に教わりながら、ヒロトは家に電話をした。電話は四コールでつながり、お母さんが出た。
「ヒロトなの? どうしたのよ?」
「お母さん、ちょっとでいいからチカに代わって!」
「ダメよ! チカは今、すごい熱で起き上がれないわよ」
「お願い! 大切な用事なんだ」
ヒロトが何度も頼んでも、お母さんはチカに代わってはくれなかった。
ヒロトがあきらめかけたとき、お母さんが高い声を出した。「あっ、チカ! 起きてきたの? 電話? お兄ちゃんからよ! でも寝てなさい。えっ、話すの? 大丈夫なの? そう。じゃあ、少しだけよ。早くベッドに戻るのよ!」。電話の向こうからお母さんの声が聞こえてきた。どうやら、チカが電話に気づいて自分から出てきてくれたようだ。
「兄ちゃん、どうしたの?」
チカのか細い声が聞こえた。電話口にチカの
6
ヒロトはチカに部屋の様子を説明して、どこを調べれば良いのかをたずねた。チカはしばらく考え込んだ。部屋の様子を思い浮かべているのかもしれない。一分くらいの間、チカの息の音だけがゴーゴーと聞こえた。
「じゃあね、勉強机の引き出しと、ベッドの上と、それから小さいイスを調べてよ!」
チカに指示された順番で、ヒロトはリョウの部屋を調べた。勉強机の引き出しには、
最後に、ヒロトは小さいサイコロ型のイスを調べた。持ち上げると予想していたよりもずっと軽くて、軽く振ってみると中からガラガラという音がした。
「もしかして、これって!」
ヒロトはイスの座る面に手をかけて、上に引っ張った。すると、その部分がするりと取れた。イスの中は
箱の中には、問題の時計がさらに五本と、赤くサビたような汚れのついた
「何か見つかった?」
電話の向こうから、チカの声がする。ヒロトは見つけたものを説明した。
「じゃあさ、そのイスの中にあったものを持って帰ってきて」
「うん、分かった」
「それと、リョウ君の友達っていうお兄さんはそこにいるの?」
「うん、いるけど」
「じゃあ、たのんでほしいことがあるんだ」
「何をたのめばいいの?」
「あのね……」
「ねえ、タクヤくん。このイスの中の時計と懐中電灯を
「えっ、何でそんなもんがいるんだよ?」
「いいからさ、貸してやれって!」
戸惑っているタクヤをシュン兄が説得した。ヒロトはタクヤにスーパーのレジ袋をもらって、その中に時計と懐中電灯を入れた。
ヒロトはさらに参考になりそうな雑誌を数冊借りて、シュン兄と一緒にタクヤの家を出た。シュン兄はマンションの一階まで下りると、駐輪場からバイクを押してきた。
シュン兄はヘルメットを手に持ったまま、バイクにまたがらずに、ヒロトのとなりに立った。
「もう暗くなったからさ、送ってやるよ!」
シュン兄は優しく笑った。ヒロトはこっくりとうなずいた。
ヒロトとシュン兄は二人で並んで歩いた。シュン兄はバイクを押しているので、歩くスピードはそれほど速くなかった。けれど、それでもヒロトは小走りしないと遅れてしまうくらいだった。
「ねえ、シュン兄さん。リョウさんのことでちょっと調べて欲しいことがあるんだけど!」
「調べて欲しいこと? 良いぜ。何だよ?」
ヒロトはチカに言われていた通りに説明をした。チカの
ヒロトが説明すると、シュン兄は「分かった」と言ってうなずいた。
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