第2話 驕れる女神
もとより自分の望むまま
その理由は久瀬マリアだった。
降って湧いたように現れた研修生、マリアは不思議な少女だ。
キルスティンの生徒ではなく研修生だからと本来在籍している学校の制服のまま通っているのだが、その制服というのがいったいどこのお嬢様なのかと思うほど個性的なのだ。全体的に暗めの落ち着いた色合いでシックにまとめられているが、ひざ下まで伸びるスカートの裾や姫袖風に広がった袖の先には、白いレースがあしらわれていた。
マリア自身はショートヘアでボーイッシュなスタイルを好むようなのだが、容姿は可憐そのものなので、この制服がよく似合っていた。
尤も、これらに関しては単に彼女の外見や制服の話でしかない。
マリアが不思議なのは、何よりもあの火煉が気を許していることだろう。
火煉派と呼ばれる
愛理や茉莉花とは真逆の火煉が、マリアには気を許し、時折やわらかい笑みさえ向けるのだ。寮ではルームメイトとして共同生活を送っている。
聞けば火煉が学園都市の公営演習場でマリアを見つけ、才能を見出し、一般の高校に通っているという彼女を研修生としてキルスティンに引っ張ってきたのだそうだ。そこまで世話を焼くくらいなのだから、よほど気が合ったのだろう。
茉莉花はそんな不思議なマリアに心惹かれ、
(わたくしだってマリアとは縁がありましたのに……)
ちょっとだけヤキモチを焼く。
彼女にもマリアとは少なからず縁があった。今はこうしてクラスメイトであるし、あの夜、キルスティンの
マリアの騎士乗りとしての実力は申し分のないものだった。公式のルールに則って戦った火煉は辛勝だったと言っているし、茉莉花が模擬戦で勝利したときもやはり辛うじてだった。はっきり言って、何の研修をしにきたのか疑問に思うほど強い。
三女神に匹敵する実力をもつマリアだが、学園内での位階は
生徒の中にはその判定に不満を抱いているものも少なくはなく、彼女たちは女王級にはなれなかったものの学園三強に比肩し得るマリアを評して、
また、彼女の駆る
果ては、『MARiA CLUB』という名のファンクラブもあるのだとか。
そのマリアの研修期間は、今のところいつまでとは決まっていない。これも不思議な話だった。
研修生など過去一度も招いたことのないキルスティン女学園に突如として現れた研修生。
しかし、その実力は三女神に肩を並べるほど。
そして、極めつけは未定の研修期間。
茉莉花は漠然とマリアには何かがあると感じていた――が、今のこの色鮮やかな毎日の前ではそれも些細なことだった。
§§§
さて、昼休み。
茉莉花はクラスメイトである
マリアが学園にきたばかりのころは、外部生という立場もあり、昼休みには最も気の休まる相手であろう火煉のところに行くことが多かった。しかし、最近ではこの環境にも慣れてきたようで、ほぼ毎日こうして一緒に昼食を食べている。
「あ、そろそろ校内大会があるんじゃ?」
他愛ない話に花を咲かせている
「え、そうなのかい?」
マリアが茉莉花を見る。
茉莉花は火煉から直々にマリアの世話役を任されているため、こうしてキルスティンのことでわからないことがあれば説明を求められるのが常となっていた。
「ええ、毎年この時期には大会がひとつありますわ」
茉莉花はマリアに微笑みかけながら答える。
「年によって順番は変わりますが――
中世の馬上槍試合には、
また、機槍戦において団体戦は四騎一組で行われるため、『カルテット』と呼ばれている。
こうなると一騎打ちもその命名基準に従って『ソロ』と呼ばれそうなものだが、そこはやはり機槍戦の花形、中世からの名称である『ジョスト』が変わらず用いられているのだった。
ただ、その一方で、
「久瀬さんも参加できるのかなぁ?」
「え? あ、それはどうだろうね。今度、南郷先生に聞いてみるよ」
校内大会があることすら知らなかったマリアは、当然自分の参加が許されるかどうかも知らない。朝霞の何気ない疑問に、曖昧に答えるのみだった。
「《
「やめてほしいんだけどなぁ、その名前」
マリアは居心地悪そうに苦笑する。こんなケレン味あふれる異名をつけられては、本人も笑うしかないだろう。
「あら、わたくしは好きですわよ。マリアにぴったり」
そう話に加わりながらも、茉莉花はすでに次の段階を考えていた。
実は過去二年の
現二年生である茉莉花は一昨年のことは人伝にしか知らないが、愛理・六花ペアが初年次にして上級生を蹴散らして優勝したのだそうだ。そして、去年も同様だ。茉莉花は準決勝で彼女らとあたり、敗れた。連覇を阻めなかったのだ。
今年も愛理と六花がペアを組むのなら、キルスティン女学園はじまって以来の三連覇の偉業を成し遂げるだろうと言われている。
だけど、ここにマリアが参加したら?
それも自分がマリアと組むことができたらどうだろうか?
少々接近戦に偏ったペアになるが、それも戦い方次第だろう。うまく二対一で各個撃破できれば十分に勝算はある。キルスティン最強のペアの三連覇を阻止できるのではないだろうか。
だが、ここで問題になるのが火煉の存在だ。
当初、茉莉花は前回、前々回の双槍戦大会不参加の火煉を誘うつもりでいた。しかし、マリアにも参加の権利があるとなれば、火煉は彼女を誘って大会に臨むことだろう。
何としてもマリアを火煉よりも先に獲得しなければ……。
放課後。
この日は茉莉花もマリアも放課後の自主練習の予定はなかったので、素直に下校することになった。茉莉花はマリアと一緒に下駄箱のある昇降口に降りる。
尤も、マリアは寮生活で、茉莉花自身は
「マリアは寮に帰ったら何をしていますの?」
上履きからローファーに履き替えながら、茉莉花は尋ねる。
「今、新しい
恥ずかしそうに苦笑しながら答えるマリアは、爪先で床を蹴りながらローファーに足を突っ込んでいた。こういうところはどうにも少年っぽい。そして、声質はボーイソプラノ。話し方もまるで男の子のようだ。
茉莉花は三人兄妹の末っ子である。しかも、お嬢様のように見えて、確かにいいところのお嬢様なのだが、家でははねっ返りの末っ子だった。お淑やかな性格ながらも、家でただひとり
末っ子だからよく弟や妹がほしいと思ったし、マリアを見ているとついつい頬が緩んでしまうのだった。
「新しいコンセプトの、ですか?」
「うん。"小太刀"をベースにね、徒手空拳の――」
と、そこでマリアの言葉が途切れる。
火煉だった。
マリアと茉莉花が昇降口から外へ踏み出したのと同じタイミングで、火煉も出てきたのだ。
「マリアも今帰り?」
「だね」
「そう。じゃあ、一緒に帰りましょうか」
やはり火煉のマリアを見る目は優しい。案外自分と同じく、彼女を妹のように思っているのかもしれない。
その火煉が茉莉花へと向き直った。
「茉莉花、いつもありがとう。貴女がマリアのことを見てくれるから、とても助かってるわ」
「いえ、わたくしはたいしたことはしてませんわ」
火煉が茉莉花にこういう言葉をかけるようになったのは、マリアが現れてからだった。
互いにいつのころからか《
「マリアは、後はこちらで引き取るわ」
「いえ、わたくしもそこまでご一緒させてください」
「そう」
火煉は言葉は短いながらも、茉莉花の同道に異を唱えなかった。
ひとり増えて、三人で歩き出す。
「おや、これは面白い組み合わせだ。私も一緒にいいだろうか?」
と、今度は愛理だった。
言葉通り面白いものを見つけて楽しげに笑う彼女の目の下には、トレードマークのタトゥーシールが貼られていた。今日は十字架だ。もちろん、明確な校則違反なのだが、最近のタトゥーシールは肌に優しい素材でできていて、手軽に貼ったり外したりができるので、先生が注意してもその場だけ外して、また後でつけてしまうのだ。おかげで言うだけ無駄と思ったのか、程なくして黙認されるようになったのだった。愛理派の生徒の中には、愛理ほど堂々とではないものの、手首などの目立たない場所にタトゥーシールを貼っているものもいたりするようだ。
「勝手になさい」
「ああ、そうさせてもらおう」
道連れはついに四人になった。
《
「な、なんかすごいメンバーが歩いてるんだけど……」
「でも、なんていうか、お姫様と騎士って感じ?」
「あ、それわかる! ぴったりかもー」
囁き声のいくつかはこちらまで届いてくる。
そして、それに対する四人の反応はそれぞれだった。茉莉花は自分たちを過度に美化しようとする彼女たちに困ったものだと呆れ、火煉はまったく気にした様子はない。マリアは恥ずかしそうに俯いてしまい、
「なるほど。マリアが姫で、私たちはそれにつき従う
愛理は面白がって笑っていた。
「では、僭越ながら私が筆頭騎士を務めさせてもらおうか」
「待ちなさい、愛理。それはどういう意味?」
ぴたりと足を止め、火煉が問う。
遅れて愛理、そして、残りのふたりも立ち止まった。愛理は火煉に向き合う。
周囲の下校する生徒たちは、立ち話がはじまったくらいにしか思っていないのか、四人を横目で見つつ通り過ぎていく。
「何かな、火煉。私たちは確かに実力は拮抗している。普段の模擬戦や演習でも勝ったり負けたりだ。だが、校内の
そうだ。双槍戦で連覇しているのは先に述べた通り。そして、
「ええ、そこに文句はないわ。でも、互いに切磋琢磨する関係だとも思っているの。違って?」
「違わないな。私もそう思ってる。だが、私たちは
愛理は言い切る。
私が最強だと。
そして、火煉はその愛理の姿を見て、悲しげにため息を吐いた。
茉莉花は――、
愛理の気持ちはよくわかる。騎士乗りである以上、常に強さを渇望している。校内の大会で成績を残し、それを自信に校外の大会に挑み――そうして得たランカー騎士乗りという地位は、例え末席であっても誇りだ。強さを欲して己を鍛え、その結果を求めるのはすべての騎士乗りの
だが、今はそれ以上に火煉と同じ気持ちだった。
自分たちはキルスティン女学園の三強の一角を担う、
故に、今の愛理の姿が悲しかった。
「……貴女のその驕りを叩く必要がありそうね」
「火煉がか?」
「いえ、私以上に適役がいるわ」
火煉は首を横に振り――そうしてから次の言葉を紡いだ。
「マリアよ」
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