第2章 Lachesis

第1話 《運命の三女神の過去(ラケシス)》

 書籍館学院高等部。


 その学生寮の一階談話室に、ひとりの少年とふたりの少女――否、ふたりの少年とひとりの少女がいた。


 少女の恰好をしているのがふたり。

 にも拘らず、実際には少女がひとり。


 その差異は久瀬昴流によるものだ。久しぶりに帰ってきた書籍館の学生寮で、彼は今日も今日とて自分の趣味を忠実に実現して少女の恰好をしていた。レースやフリルのあしらわれた、ロリータ系のロング丈ワンピースである。


 一緒にいるのは、ひとりは鴉城優斗あじろ・ゆうと

 昴流とは違って背が高く、物静かな大人びた雰囲気を備えた少年だ。


 そして、もうひとりは美那森桃華みなもり・とうか

 ふわふわしたショートボブの髪がよく似合う、穏やかな感じの少女だった。


 どちらも一年生のころからのクラスメイトである。


 ここは女子禁制の男子寮なのだが、常識的な時間で、一階のエントランスすぐのところにある談話室までなら女子生徒も入っていいことになっていた。その逆もまた同様で、昴流はよく奏音に呼ばれて女子寮に足を運んでいる。


 昴流と優斗、桃華はこの談話室でテーブルを囲み、久しぶりのおしゃべりに花を咲かせていた。テーブルの上にはエントランスの自販機で買った飲みものが三人分、置いてある。


「でも、驚いたー。昴流君が急に研修になんていっちゃうから」


 仲のよい男友達ボーイフレンド、昴流の顔が見れて嬉しいのか、桃華はにこにこと笑みを浮かべている。


機槍戦トーナメントの学校なんでしょ?」

「そうだね」

「好きだもんね、昴流君。でも、よく学校が許可したよね」


 桃華が不思議に思うのも当然である。

 霊國・日本での魔術の徒の育成は、国策として旧世紀からずっと国費で行われている。昴流たち書籍館学院の生徒は皆、無償で最高レベルの教育を受けている身だ。それが魔術とは対極にあると言っても過言ではない騎士乗りナイトヘッドの養成機関に研修に行くなど前代未聞だ。


「どういう流れだったの?」

「向こうの生徒ですごく力のある人とたまたま知り合ってね。それで僕を誘ってくれたんだ」


 この場合、"力がある"とは強引と同義である。


「それにアンナ先生も賛成してくれたしね」

「あ、学院長もなんだ」


 それなら仕方がない、といった調子の桃華。


 久瀬兄妹の父親がこの学院の卒業生である上、一昨年までここで非常勤講師として論理科目を担当していて、久瀬家とアンナ=バルバラ・ローゼンハイン学院長が家族ぐるみのつき合いをしていることはわりと知られた事実である。もちろん、目に見えて贔屓はしないが、昴流や奏音の意向を汲んで多少の融通は利かせるのだろうとは誰しもが思うことである。


「向こうでもその恰好?」

「まさか」


 と言ったものの、キルスティン女学園では女子生徒を装っているので、学校にいる間は女子の制服だ。『その恰好』ではないが、それに近い。そして、その反動なのか、プライベートでは『その恰好』をあまりしなくなっていた。


「ねね、どんな学校? 騎士乗りナイトヘッドの学校っていうくらいだから、機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトが闊歩してたり?」

「そんなわけないじゃないか……」


 呆れる昴流。

 テーブルの上に置いてあったスポーツドリンクをひと口飲み、続ける。


「普通だよ。僕らだってそこらじゅうで魔術を使ってるわけじゃないだろ? 座学があって演習科目があって、放課後には自主的に練習して。一緒だよ、書籍館とさ」

「うーん……」


 しかし、桃華は難しい顔をしてしまう。魔術と機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトを並べて一緒と言われてもピンとこないようだ。


 やがて彼女はぱっと顔を明るくし、


「見にいきたい!」

「い、いや、それは……」


 昴流は思わず口ごもる。


 機槍戦トーナメントとファッション、どちらの趣味も隠さない昴流だが、それでもまさか女子生徒として女子校に通っているとは言えなかった。


「優斗君も見にいきたいと思わない?」

「そうだな」


 優翔が同意する。


 久々に口を開いた彼だが、別に無口というわけではない。積極的に言葉を交わす昴流と桃華を眺め、必要なときに口をはさむ。それが優斗の立ち位置だ。見るものが見れば、その表情が弟妹を見守る兄のそれに見えることだろう。


「いやいやいやいやいや」


 昴流が猛烈な勢いで拒絶する。このままでは多数決で押し切られかねない。基本的におっとりしている桃華だが、この三人の中だけなら時々強引になることがあるのだ。


「いや、やっぱりやめておこう」


 しかし、昴流の反応を存分に楽しんだ優斗は、一転して意見を翻した。


「昴流は研修生の身なんだ。友達をぞろぞろつれてはいけないだろう」

「ま、まーね」


 ほっと胸を撫で下ろす昴流の横で、桃華が「それもそっか……」と残念そうにつぶやいていた。


「ところで、その力のある人というのは、昨日一緒に歩いていた女の人のことか?」

「ぶっ!?」


 これまた不意打ち気味のひと言だった。


「な、何それ、わたし知らないっ」


 そして、思わず腰を浮かせる桃華。


「ゆ、優斗、見てたの!?」

「ちょっと用があって校舎に入ったときにな」

「……」


 昨日、科学アカデミーとの戦闘の事後処理が終わった後、昴流は魔術の徒の学校を見てみたいという火煉をつれて、書籍館学院の構内を一緒に回ったのだった。どうやらそのときに見られてしまったようだ。


「うん、まぁ、その通り。優斗が見たその人が、僕を向こうの学校に引っ張ってくれた人だ。すごくいい先輩だよ」


 繰り返すようだが、強引に、である。


 桃華はどこか不満げな様子で浮かせていた腰をおろし、聞いた。


「奏音ちゃん、怒ってたでしょ。勝手に研修なんて」

「……怒ってた」


 昨日の夜、奏音にこってりしぼられたのを思い出し、昴流は顔を歪める。


 しかし、勝手にと言っても、自分のことを自分で決めただけなので、怒られる謂れはないはずである。そして、それを奏音もわかっているし、そこにはアンナの判断や昴流が科学アカデミーに狙われているという事情もあるから、「国費で教育を受けてる身で……」と、そういう部分で責めてくるのだった。


「その人のことって、奏音ちゃんも知ってるの?」

「知ってる。昨日会わせたからね」

「……美人?」


 桃華は、くりん、と今度は優斗へと顔を向け、聞いた。


「間違いなく美人の部類だろうな」

「それは怒るんじゃないかなぁ」


 逡巡なくそう言う桃華。


「奏音はそこまでお兄ちゃんっ子ではないと思うけどね。一時はかなり嫌われてたし」

「でも、今はそうじゃないでしょ? 仲のいい友達を取られるような感じなんじゃないかなぁ。うん、絶対にそう」


 桃華は確信したようにうなずいた。


 そう言われると、そうなのかなと思わなくもない。確かに今は兄妹というよりも友達感覚でつき合っている。今のことしか知らない人間には、仲のいい兄妹と目を細められることもしばしばだった。


「奏音にはテキトーにご機嫌とっとくかな……」


 と、ふと談話室の壁掛け時計を見ると、針は午後四時を回ろうとしていた。


「ああ、もうこんな時間か。……さて、じゃあ、僕はそろそろ行くとするよ」

「昴流君、次はいつ帰ってくるの?」

「正直わからない。書籍館でもそうだけどさ、放課後や週末は自主的に練習してることが多いからね」


 仮に時間があったとしても、気軽に帰ってきていいかどうかはまた別問題である。


「研修はいつまでなの?」

「今のところ未定」

「何それ、変なの」


 桃華は不貞腐れたように背もたれに身を預け、とても率直な感想を口にした。


 そこに優斗が双方に対して助け舟を出す。


「昴流にもいろいろ事情があるんだろう」

「まぁ、そんなところ」


 別に優斗はその事情を知っていてそう言ったわけではないだろうが、しかし、図らずも的を射た言葉となった。


 研修という名目の裏には、昴流が身を隠すためという本当の目的がある。だが、書籍館学院に戻ってきた途端に襲ってきた昨日のことを振り返るに、たかだか数週間姿をくらましただけでは、科学アカデミーは諦めなかったようだ(先ほど気軽には帰ってこれないといった理由がこれだ)。まだまだ身を潜めている必要がありそうだし、自壊回避プログラムのことを知られてしまった今では、巨大人工島学園都市メガフロートキャンパスから出ないほうがいいのかもしれない。


 昴流は改めて優斗と桃華の顔を眺め、このふたりともしばらくは会えなくなるなと思った。





 そうして夕刻の巨大人工島学園都市メガフロートキャンパス――


 昴流は一日ぶりにここに戻ってきた。


 キルスティン女学園の最寄駅に降り立った彼は、書籍館学院の学生寮にいたときのまま少女の恰好だった。理由はいたってシンプル。このほうが寮に入りやすいからだ。いいかげん慣れてきたとは言え、やはり男である昴流が女子寮に入るのは多少の抵抗がある。その抵抗値や、そのほかの危険に遭遇する確率を少しでも低くしたいのだ。


 ふと、昴流は昨日のことを思い出した。出かける際に明らかに男ものの服で固めていたにも拘らず「今日は一段とボーイッシュね」と言われた件だ。


「……」


 今こうして女の子の服を着ていてもあまり変わらないのかもしれない。


 まぁ、すき好んでこんな恰好をしておきながら「僕は女じゃない」と主張するのは理不尽、且つ、身勝手というもので、特に今は性別を詐称しているのだ。間違われても文句を言えた筋合いではない。


「にしても、『駅に着いたら連絡しなさい』、か……」


 それは今朝一番で入った火煉からのメールだった。最初は駅まで迎えにきてくれるのかと思ったけど、それならば『洋上リニアに乗る前に』となるのが妥当だろう。


 いちおうリニアから降りる直前にメールで連絡は入れておいた。でも、特に返信はない。鳥海火煉という少女は、昴流の前ではそうでもないが、学校ではクールビューティな最上級生として通っている。案外メールを受け取っても、納得するだけで終わってるのかもしれない。もしくは、単に届いたメールにすぐに気がつかない状況なのか。


 キルスティン女学園は最寄りの駅からそう遠くない。駅前と言っていいほどの徒歩圏内だ。そこから学生寮へと回っても、時間にして十分前後だろう。昴流がいま送ったメールの意義に首を傾げているうちに寮へと着いてしまった。


 もう夕食の時間なので正面玄関を出入りしている生徒の姿はない。そのことに安堵しつつ、その一方でやや緊張の面持ちで、昴流は中へと這入った。


 自分に割り当てられた下駄箱からスリッパを取り出し、代わりに履いていたスニーカを放り込む。


 と、そのときだった。


「おや、ずいぶんとかわいらしい不審者だね」


 不意に、声。


 顔を上げて声のしたほうを見ると、そこには中性的な雰囲気の女子生徒が立っていた。ショートヘアで、アイボリーホワイトのゆったりとしたロングパンツに黒のTシャツという男っぽい部屋着姿も、中性的に見せている要因だろう。


 特徴的なのは右目の目尻の下にある、縦長い菱形のタトゥーだ。学校が認めているとも思えないのでシールかもしれない。


「少年、ここはいわゆる女子寮。男子禁制の場所だよ」

「い、いえ、ボクは……」


 言い訳をしようにもうまく言葉が出てこなかった。


 実のところ、昴流は自分から己が女だと主張したことは少ない。自己欺瞞ではあるが、そう言っていないことで「少なくとも嘘は言っていない」と罪悪感を軽減しているのだ。だから、このような状況でも咄嗟の嘘が出てこなかった。それに加えて、少女の恰好をしているにも拘らず男だと見抜かれてしまったこと、最も恐れていた事態が起きてしまったことが昴流の焦燥を駆りたて、言葉を詰まらせていた。


「愛理?」


 そこにまた別の声。今度は昴流もよく知る人物――火煉だった。


「愛理、何をやっているの?」

「ああ、火煉か。いやなに、正面から堂々と男子が入ってこようとしていたから、問い質していたところだよ」


 火煉に愛理と呼ばれた少女は、昴流のことを完全に男だと思っているようだ。間違ってはいないのだが、これまで出会ったキルスティンの生徒とはまったく反対の反応で、これはこれで予想外の事態だった。


「その子は久瀬マリア。研修生がきていると連絡しておいたはずよ」

「なんと、研修生とは男子だったのか?」


 目を丸くして驚く愛理。


「何を言っているの。女子校なんだから女子に決まっているでしょ」

「火煉こそ何を言ってるんだ。そこにいるのはまぎれもなく男じゃないか。確かに少々線の細い相貌だが――」


 そして、彼女は改めて真っ直ぐに昴流を見つめ、うん、とひとつ満足げにうなずいた。


「そのへんの男どもよりよっぽど男らしいな。意志の強さが窺える。まぁ、その意志の強さがこういうかたちで発揮されたのは残念でならないがね」

「……」


 男だと認識された上でそう言われると、けっこうぐさぐさ刺さる。女子寮に正面から入っていくとか、変質者にもほどがある。


「よく見なさい。女の子の服を着ているでしょうが」

「うん?」


 愛理は今度は昴流の全身に目をやった。


「確かにそうだな。もしかして本当に女子なのか?」

「最初からそう言ってるわ」


 火煉は呆れたようにため息を吐いた。


「そうか。どうやら見間違いだったようだ。おかしいな、この私が男と女を見誤るなんて。居心地の悪い実家に長くいたせいで疲れているのかもしれないな」


 自嘲気味にそう言ってから、愛理は昴流の前に進み出た。手を差し出してくる。


碓氷愛理うすひ・あいりだ。《運命の三女神の過去ラケシス》なんて呼ばれることもある」


 ああ、と昴流はようやく納得した。


 彼女がこのキルスティン女学園三強の最後の一角、碓氷愛理なのだ。数少ない女王級クラス・クィーンのひとりにして、唯一無二の《運命の三女神の過去ラケシス》の称号をもつ少女――


「ここしばらく所用で実家に戻っていて、昨日こっちに帰ってきたところなんだ。挨拶が遅くなったことは赦してほしい」

「いえ、そんな……。ボクは久瀬マリアです。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」


 昴流は愛理の手を取り、ふたりは握手を交わした。


「噂は六花から聞いてるよ。ぜひ一度私とも戦ってもらいたいな」

「機会があれば」


 人好きのする笑顔を見せつつ物騒なことを言う愛理に対し、昴流は社交辞令のように表情を崩さず応えた。


 このところ火煉、茉莉花と立て続けに戦って、ふたりの実力は文字通り体で知っている。その彼女らと同格であろう愛理と戦っても勝てるかは甚だ疑問である。だが、それでも――と昴流は思う。


「じゃあ、行きましょうか、す――」


 と、そこで火煉は言いかけた言葉を途切れさせ、何かを躊躇うような様子を見せた後――再び口を開いた。


「マリア」

「あ、はい。……では、失礼します」


 昴流は愛理に向かって頭を下げると、火煉と一緒に階段を上りはじめる。


「今のが碓氷先輩?」

「ええ、そう」


 火煉は短く答える。そして、そう言ったきり、人となりや騎士乗りナイトヘッドとしての実力、火煉から見ての印象など、特に情報をつけ足そうとはしなかった。漏れ聞こえる噂では火煉と愛理は仲が悪いとのことだ。何も言わないのはそのせいかもしれない。


「強いんだろうね」

「いずれ彼女とも戦うことになると思うわ。愛理は強い騎士乗りナイトヘッドと戦うのが好きだから。あなたに興味をもってるはずよ」

「そっか」


 これまた聞いたところによると、彼女と実力が拮抗するのは同じ三女神モイライである火煉と茉莉花、それに女王級クラス・クィーンの中の六花=ヴァシュタールをはじめとする数人くらいだという。そんな力関係のもと、そのような性格ならば、火煉、茉莉花と戦って善戦したという昴流――マリアに興味を示すのは当然のことだろう。


 思わず好戦的な笑みが浮かぶ。


 昴流とて強い敵と戦うのは好きなのだ。その点では昴流と愛理の精神性には近いものがあるだろう。そして、昴流の場合、その欲求の前では勝てる勝てないは些末な問題となるのだった。


 程なくして昴流と火煉の部屋のある三階へと辿り着いた。廊下を見、またここに帰ってきてしまったことを実感する。いつまでこの生活が続くかはわからない。それならば魔術の徒ではなく騎士乗りナイトヘッドとして、ここで得るすべてを己の血肉とするべきだろう。実力のある騎士乗りナイトヘッドと戦えることもそのひとつだ。


「ごめんなさい」


 不意に火煉が謝った。


「寮の前で出迎えてあげるつもりだったのに、メールに気づくのが遅れたわ」

「出迎える? どうして?」


 それがどういう意図なのかわからず、昴流は問い返した。


「やっぱり寮には入りにくいかと思ったの」

「それは、今さらだなぁ……」


 思わず苦笑する。

 今まで幾度となくひとりで出入りしているのだ。その心配は遅きに失したと言わざるを得ないだろう。だから、気持ちだけありがたく受け取っておくことにする。


「大丈夫さ、そこまで心配してくれなくても。そろそろ慣れつつあるからね」

「そう。それならよかったわ」


 そこでちょうど部屋の前まできた。


 火煉が昴流へと振り返る。


「改めて、おかえりなさい。その――」


 また、言葉が途切れた。


 昴流は何ごとかと首を傾げて火煉の次の言葉を待つ。


 が、結局。


「いえ、何でもないわ」

「あ、うん。そう?」


 火煉は言葉通り何もなかったかのようにくるり体の向きを変え、部屋のドアを開けて中へと這入っていった。


 そして、昴流は目をぱちくりと二、三度瞬かせ――「ただいま」を言い損ねたのだった。

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