継章 #2 シャドウランナーズ
ひと組の男女が、まるで隠れ家のような喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
「昴流さんが『ハイペリオン』を起動させたようです」
そう告げた女のほうは、名を
二十代と言われても素直に納得してしまうような瑞々しい容姿で、特に桜色の唇の横にある艶ぼくろが目を惹くが、これで高校生になるふたりの子の親である。
彼女はコーヒーを傍らに、端末を操作しながら
向かいの席で同じようにコーヒーを飲んでいた男――
ふたりとも姓は久瀬。
言うまでもなく久瀬昴流、久瀬奏音の父母である。
「相手は"クファンジャル"八騎……」
「わかるのか?」
「わかりますよ」
「どれどれ」
「伊織君が見てもわからないでしょう」
向かいから空間ウィンドウを覗き込もうとする伊織を、梨音は苦笑しつつあしらう。
久瀬伊織はいちおう魔術の徒である。第一区分は『
梨音は伊織と出会ったころから未だに彼のことを君づけで呼ぶ。その一方で、ふたりの子どもは「昴流さん」「奏音さん」だった。
「それにしてもなぜ、たかだか"クファンジャル"八騎に『ハイペリオン』を使ったのでしょう? 昴流さんならそんなものを持ち出さなくてもよかったでしょうに。そばには奏音さんもいたみたいだし。……『巴御前』を持っていなかった?」
昴流の
「男だからだろ」
しかし、不思議そうに首を傾げる梨音に対し、伊織はあっさりと答えを口にしてみせた。
「どういう意味ですか?」
「あいつは男だからな。大きな『力』を使ってみたかったんだろうさ」
力があれば使いたいと思うのが男だ。伊織はそう言いたいのだ。
梨音は呆れたようにため息を吐いた。
「昴流さんは伊織君に似てますからね」
「似てないよ」
伊織は思う。昴流は自分よりもよっぽど『男』で、見た目からは想像もつかないほど好戦的な性格をしている、と。
自分は明日の平和を守りたくて力を身につけた。結局は自ら戦いに首を突っ込み、今もこうして見えない敵を追っているが、その部分はずっと変わっていない。だが、昴流は純粋に強くなりたくて力を求めた。そして、その力をどこかで使ってみたいとも思っているのだ。……今回はその好機だっただけのことだ。
「私には伊織君の真似ばかりしているように見えますが」
「確かにな」
昴流は伊織の背を追って成長したようなものだ。幼い昴流にとって父親は力の象徴であり、憧れだったのだろう。拳法を身につけたのも伊織の影響だ。そこは親として嬉しく思う。
ただ、八極拳は小柄な昴流にはあまり向いておらず、伊織としてはよくジークンドーを薦めたものだった。
ジークンドーは、かのブルース・リーの哲学であり、彼を創始者とする武術だ。
ボクシングやサバット、フェンシングなど様々な格闘技を取り込み、型にとらわれない自由な戦術が武術としてのジークンドーの根幹だ。好きだからといって女ものの服を着てしまう昴流の柔軟な在り方に似ている。それに昴流は目がいい。相手の動きがよく見えている。敵の攻撃を截って、或いは、先制して、的確で効果的な打撃をもって素早く倒すジークンドーは昴流向きだと言えた。
「しかし、『ハイペリオン』の起動に呼応するかたちで、ほかの《エクス・マキナ》シリーズまで目覚める可能性があります」
「……」
《エクス・マキナシリーズ》――『ハイペリオン』を含む高性能タクティカルトルーパーの総称だ。
これらにはすべて自壊回避プログラムが組み込まれていると予想され、
なお、いったい何の皮肉か、『ハイペリオン』のコードネームが《ナイト》――ナイト・エクス・マキナだった。まるで今世界中で熱狂している
伊織はコーヒーで喉を潤し、カップを置いてから口を開いた。
「いいさ。どうせ手詰まってたんだ。これで事態が動くかもしれない」
「……だといいのですが」
ただ、どうしても手放しで喜べない要素でもあった。
おそらく《エクス・マキナシリーズ》は互いに潰し合う。そうなれば狙われるのは昴流だろう。もちろん、密かに破壊するためにこうして伊織と梨音が陰で動いているわけだが、それでも息子を囮にするようで心苦しかった。
「にしても、アンナ先生もむちゃな方法を取ったな」
その不安を振り払うように、伊織が努めて明るく言う。
梨音が昴流に『ハイペリオン』を預けたのは、自分の身に何かあったとき、どこかの秘密結社の手にそれが渡ってしまうことを避けるためだった。その上で自分がそれを持っているように装っていたのだが、いっこうにそれを使う様子がなかったからだろうか、科学アカデミーは梨音の息子であり、現役の
そのため身を隠す場所として伊織の恩師、アンナ=バルバラ・ローゼンハインが選んだのが
「それについてですが……」
梨音が不安げな顔で言葉を紡ぎ、しかし、言い淀んだ。
「梨音?」
「……あそこには良子さんがいます」
伊織が促して、ようやく彼女は次句を継ぐ。
「良子? 誰だ?」
彼には聞き覚えのない名だった。
「南郷良子。南郷の娘さんです」
「……」
答えを聞いて、伊織は黙した。瞑目する。
南郷。
梨音はかつて科学アカデミーのアクションサービスに所属していた。南郷はその当時の彼女の部下であり、伊織が初めて戦った相手でもある。彼は伊織に敗北し、追いつめられて自決した。伊織はその場面を見ていないし、ましてや自身で手を下したわけでもない。だが、それでも後味の悪さは残ったし、その名にいい思い出はない。梨音が言い淀んだのも伊織の心情を慮ってのことだったのだろう。
「その娘はやっぱりアカデミーの一員なのか?」
伊織のその問いに、梨音は首を横に振った。
「わかりません。南郷が生きていたころはまた幼い子どもでしたから。いま
「そうか」
現時点では判断のつかないことのようだ。
敵かもしれない、或いは、伊織のことを親の仇と思って憎んでいるかもしれない女が、昴流の担任教師だというのだ。さすがの『魔術師』、アンナ=バルバラ・ローゼンハインもそこまでは予想できなかったようだ。
「兎に角、自壊回避プログラム搭載型の所在を確かめて、『ハイペリオン』も含めてとっとと全部破壊する。それが親である俺たちができる唯一最大のことだ」
「そうですね」
不安に表情を硬くしていた梨音は、伊織の言葉で少しだけ頬を緩めて笑みを見せた。
「そろそろ出るか。どうもキナ臭くなってきた」
「ええ」
梨音が二重の意味で肯定する。
伊織が伝票を手に取り、梨音は端末を片づけはじめた。
「アカデミーか?」
「『プリンキピア』ではないでしょうか」
『プリンキピア』も科学アカデミー同様、秘密結社のひとつだ。
どうやら遅かったらしい。少し前に入ってきた二人組の男が席を立って、こちらに歩み寄ってきた。よかったら一緒に話でもしませんか、といった和やかな雰囲気ではない。
伊織は先手必勝とばかりにテーブルをひっくり返した。
「ふっ」
さらに、宙に浮いた卓を呼気とともに蹴飛ばす。ふたりの男はテーブルを叩きつけられるかたちで、いくつかの調度品を巻き込んで吹き飛んだ。客が少なかったことが幸いして、人的被害はない。もちろん、男ふたりは計算外だ。
「騒がせて悪いな、マスター。これで勘弁してくれ」
伊織は何枚かの紙幣をカウンターに置くと、梨音とともに店を飛び出した。
「梨音!」
「はい!」
梨音はうなずくと、左手の薬指にはめた指輪に触れた。
「『ユリシーズ』!」
その名を呼ぶと同時、リングから光の粒子があふれ、梨音の体を包み込む。そうして実体化したのは、いま梨音が使っている
梨音は伊織を抱えると、すぐ近くの高層ビルの屋上を目指して飛翔した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます