第9話 #3 白銀の機体

 書籍館学院へと歩く。


 が、しかし、最寄駅を出てからというもの、昴流はずっと黙り込んでいた。


「マリア?」

「あ、いや、ちょっと、ね……」


 そんな昴流の様子を不審に思った火煉が声をかけるが、彼は具体的なことは何も言わなかった。


 魔術の徒の学び舎である書籍館学院は、文京区の閑静な住宅地の中にひっそりと佇んでいる。そのため土曜日の午後であってもその道程には人気ひとけが少ない。


(でも、妙な気配があるんだよね……)


 確かに今も見る限り周囲に人影はない。だが、敵意ある気配は感じるのだった。たぶん、気のせいではない。


 昴流はポケットから携帯端末を取り出すと、メモリィから奏音のアドレスを呼び出し、音声通話でコールした。


『もしもし?』


 そう待つことなく彼女は出た。


『帰れなくなった、なんて愉快な話なら却下よ』

「言わないよ。今そっちに向かってるところ。……ところで、今どこにいるのかな?」

『ん? 寮だけど?』


 訝しげな妹の声。


「そう。じゃあさ、悪いけど大演習場、開けておいてくれる?」


 昴流がそう頼むと、今度は返事すらなくなった。さすが兄妹。何か察したようだ。


 やがて、


『……何かいるの?』

「ぽいね」


 昴流は短く答える。


『わかった。待ってる』

「よろしく」


 そうして通話を切り、再び端末をポケットに戻す。


 とりあえず、これで場所は確保できた。問題はそばに火煉がいることか――と、ちらと隣を見れば、彼女は昴流の視線を受けて首を傾げた。彼の心配げな視線の、それが意味するところがわからなかったのだ。





「あれがそうなの?」


 程なくして書籍館学院が見えてきた。


 書籍館学院の創立は二十世前半。当時は斬新でモダンだった洋館風の外観は、増改築を繰り返しす際にも踏襲されていて、今では古臭いを通り越してレトロですらある。見るものに歴史と程よい味わいを感じさせる佇まいだ。


 書籍館学院では部活動というものが盛んではない。何せ生徒たちは皆、魔術の徒。類稀な魔術という才能を磨くために通っているので、そういう方面に興味が向かないのである。いちおう趣味や息抜き程度に活動はしているが、所詮はその程度なので土日は休み。今も学校は静まり返っていた。


「……」


 そして、昴流はその静けさにこの上ない不安を感じはじめていた。……こちらの思惑通りにいくだろうか。もっと早くに仕掛けてくるかもしれない。


 普段の登下校には使わない正門から敷地内に入る。


「学生寮も学校の中?」

「いや、隣なんだ」


 位置関係としてはキルスティン女学園と同じだ。学生寮はすぐそばにあるが、学校と同じ敷地内ではない。両親が諸事情により姿をくらましているため、昴流も奏音も寮暮らし。今日の奏音との約束も、昴流が女子寮に直接訪ねていくことになっている。


 では、なぜ用のない学校のほうにきたのかというと……


「火煉さん、正面のピロティを抜けたらグラウンドに出るから」

「そうなの?」


 突然はじまった説明に、火煉は疑問形の相づちで返す。


「そこを突っ切ると大演習場がある。……僕が合図したら、そこに向かって走って」

「え? それはどういう……」


 昴流の言葉の意味がわからず、戸惑いの表情を見せる火煉。


 と、そのときだった。


 いったいどこに潜んでいたのか、数人の男がふたりを取り囲んだ。彼らは一様に黒い戦闘服に身を包んでいる。……秘密結社『科学アカデミー』のアクションサービスだ。


 何が起こっているのか理解できずにきょろきょろしているのは火煉だけ。昴流は薄々この事態を予想していた。


「ふっ」


 昴流は正面に立つ男のひとりへ躊躇なく間合いを詰めると、弾勁による中段蹴り――弾腿を腹に叩き込み、吹き飛ばす。


 科学アカデミーの目的はとあるものを昴流から奪う、或いは、その所在や所有者を聞き出すことにある。故に、荒事を専門とするアクションサービスであってもいきなり襲いかかってくることはない。そこを逆手に取り、昴流は基本いつも逃げの一手を打っている。だが、今回ばかりは先制攻撃を選んだ。そばに火煉がいるからだ。彼女に危害が及ぶようなことだけはあってはならない。


 この瞬間、戦端が開かれた。


 ふたりめの男がコンバットナイフを突き込んでくる。が、それを身を沈めて避けた。そのまま掌を地面につき、その手一本を支えにして体を跳ね上げて、右と左の二連蹴撃――穿弓腿で蹴り飛ばす。


 これで正面の道が開けた。


「火煉さん、走って!」


 昴流は火煉にそう指示を出しつつ、背後に迫っていた男の足を振り向きざまの後掃腿で刈る。


「え、ええ……」


 そうは答えるものの、彼女は棒立ちのままだ。


 火煉は若き騎士乗りナイトヘッドとして機槍戦トーナメントという戦いの場に身を投じているが、それはあくまでもルールのある競技の上での話。生身でのこのような襲撃の場面に遭遇するのは初めてのことだろう。身が竦むのも無理からぬことだ。


「逃がすか!」

「相手は僕だろうがっ」


 男のひとりが火煉に向かってくるが、その前に昴流が立ち塞がる。


 彼は男の攻撃を螳螂手でからめ取るようにして捌き、体勢が崩れたところに拳打を撃ち込んだ。


「早く! 行くんだ!」

「っ!? わ、わかったわ……!」


 ようやく火煉が走り出す。昴流も数秒男たちを牽制してから、その後に続いた。


 そして、その昴流を男たちが追う。


 だが、昴流にとって今最も優先しなければならないのが、火煉を守ることだ。そのために彼は時折足を止めて振り返ると、追っ手に立ちはだかるようにして身構え、応戦した。火煉さえ大演習場に辿り着けば……。


 やがてグラウンドに出た。


「よし、ここなら!」


 男のひとりが左腕のブレスレットに触れる。機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトを展開するつもりなのだ。


「こんなところで!」


 昴流は地を蹴った。箭疾歩で瞬時に懐に飛び込む。


「ッ!?」


 男の目が驚愕に見開かれた。


 その腹に肘打ち――盤肘。そこから流れるような動作で、旋風腿から掛統腿の飛び回し蹴り二連を喰らわせた。こんなところで機械仕掛けの騎士を起動されてはたまったものではない。……そう、場所はちゃんと用意してあるのだ。


 しかし、おかげで昴流は自ら敵の只中に飛び込んだかたちとなってしまった。


 腰を落として蟷螂手で構える昴流と、それを半包囲する男たち。


 昴流の拳法は父から習ったものだ。主として使っている八極拳は、拳打を防がれたら肘、肘も防がれたら体当たり、と近い間合いで戦うことを想定している。その一方で遠間は不得手だ。そこを補完するために修得したのが螳螂拳で、そのスタイルも父と同じだった。


 緊迫した空気があたりを包む。


 男たちはこれまでのように思い思いに襲いかかるのではなく、歩調を合わせるようにじりじりと距離を詰めてきた。この数分の攻防で昴流が生身でも只者ではないことを思い知ったのだ。妥当な攻め方だろう。


「……」


 我知らず、昴流の口許に笑みが浮かぶ。


 好戦的な笑みだ。


 我ながら困った性格だと思った。強い敵を前にしたり窮地に陥るほど心が躍る。騎士乗りには向いているのだろうが、おそらく魔術の徒にはあるまじき性質だろう。


 その昴流の重心が、すっ、と前に移る。


 瞬間、男たちに緊張が走った。……どこにくる? 何をする?


 だが、それはフェイクだった。戦闘訓練を積んだもののみに通用するフェイク。彼らは昴流のわずかな重心の移動を攻撃の予備動作と見たのだ。


 その直後、昴流は身を翻し、駆け出していた。

 隙を突いて包囲を脱すれば、大演習場はもう目の前だった。


 大演習場は規模の大きな魔術の訓練などに使われる施設だ。キルスティン女学園とはじめとする騎士乗りの養成学校にある演習場や闘技場アリーナのようなバカげた広さはないものの、ドーム球場がすっぽり収まるくらいはある。昴流の父は若かりしころここで、当時指導教員だったアンナ=バルバラ・ローゼンハインに連日厳しい指導を受けたのだそうだ。今でも彼は当時を振り返り、「思い出したくない……」と言っている。非建設的な行為だ。


 その大演習場と、その入り口に立つふたりの少女が見えてきた。


 ひとりは言うまでもなく火煉だ。無事辿り着いたことにほっとする。


 そして、もうひとりは、その火煉に勝るとも劣らない美貌を誇る歌姫ディーヴァ"カノン"――昴流の妹、久瀬奏音だ。デニムのロングパンツにブラウスというシンプルな服装ながら、妙に様になっていた。彼女は火煉を守るようにして立っている。


 昴流もふたりのもとに駆けつけると、今度は自分が彼女たちの前に立った。正面には追ってきた科学アカデミーのアクションサービス。改めて数えれば、その数八人。黒い戦闘服の耐衝撃性能がいいのか、あれだけ手加減なしで蹴ったり殴ったりしたにも拘らず、ひとりも脱落していないようだ。


 もし彼ら全員が機械仕掛けの騎士を持ち出してきたとしたら、『巴御前』一騎では厳しいかもしれない……。


 昴流は背中越しに奏音に声をかける。


「悪いね、奏音。いきなり変なこと頼んで」

「それはかまいませんが、ずいぶんと大勢連れて帰ってきましたね」


 火煉がそばにいるせいか、奏音はよそ行きの話し方だった。落ち着いた丁寧な声音。でも、今はその中に皮肉が混じっている。


「途中で予定外に増えたんだ」

「まぁ、私としては最初のひとりがいちばん気になりますが」

「……」


 火煉のことだろうか。だとしたら、最も素性がはっきりしている。気にするところなど何もないはずなのだが……。昴流は内心首を傾げた。


「火煉さん、後ろの扉を開けてくれるかな?」


 と、前方の敵を睨んだまま、昴流。


 火煉は白昼の暴漢たちに背を向けるのに躊躇いを覚えたものの、彼に言われた通りに扉を開けた。

 中には広大な空間が広がっていた。室内競技場の類だろうか? いや、確かマリアは大演習場と表現していたはず。


「入って」

「逃がすな。追え!」


 男たちは昴流たちが中に逃げ込んで内側から鍵をかけるとでも思ったのだろう、慌てて追ってきた。……昴流たち一行と男たちがいっせいに雪崩れ込んだ。


 場所を演習場内に移して、再び対峙する。


「さぁ、ここまでだ。もう逃げ場はないぞ」


 リーダー格らしき男が勝ち誇ったように告げる。


「……バカな男たち。追い詰めたと誘い込まれたの違いもわからないなんて」


 火煉の横でカノンが小声で冷たくつぶやいた。

 火煉も多少はポピュラー音楽に興味はあるので、少なからずカノンのことは知っていた。弱冠十六才の歌姫。若もののカリスマ、などなど。まさかマリアの妹で、実物を目の当たりにするとは思わなかったが。


 芸能人に関し、テレビや写真のほうが何割か見栄えがいいとか、実物はグラビアほどではなかった、なんて話はよく聞く。だが、カノンは間近で見るほうがずっと美しかった。きっとテレビカメラや写真では彼女の美貌を正しく捉えきれないのだろう。


 そして、中身もまた違っていた。最近見たのは音楽雑誌の表紙だっただろうか。そこに写っていたカノンは優雅に微笑んでいた。音楽番組でのトークのときも物腰はやわらかい。だが、ここにいる彼女はどうだろう。兄に皮肉を言ったり、暴漢どもに冷たい視線を向けている。これが本当のカノン、いや、久瀬奏音なのかもしれない。


「あれの在り処をおしえてもらおうか。あれはどこにある? お前が持っているのか?」


 男はまるで何かを要求するように、上に向けた掌を差し出し、言う。


「……おしえる気はない、と言ったら?」

「状況を見てものを言ってもらおうか」


 リーダーの男が、戦闘服の袖を鳴らして腕を真横に伸ばした。それが合図だったのだろう、男たちは統率された動きで、それぞれの腕につけられたブレスレットに触れる。


 次の瞬間、光の粒子があふれ出した。


「奏音、離れて」


 奏音は黙ってうなずくと、火煉を抱えて跳躍。一気に二、三十メートルほど離れた場所に軽やかに着地した。


「……す、すごいのね」


 悲鳴を上げる間もなく、火煉はただただ驚嘆するばかりだった。


「重力を少しばかり操作しました。私の得意分野ですから」

「そう。でも、戻って。マリアが」


 もといた場所を見れば、そこでは昴流は八騎の陸戦騎"クファンジャル"に取り囲まれていた。自分も行かねば。例え『巴御前』が魔術騎であっても、あのテロリスト御用達の騎体八騎が相手では分が悪すぎる。


「それとも――これでも同じことが言えるか」


 自らも機械仕掛けの騎士をまとったリーダー格の男は、仲間の"クファンジャル"七騎を従え、最後通牒のように告げた。


「やっぱりこうなったか……」


 昴流はため息を吐く。


 だが――もしかしたら、と思わなくもない。


 もしかしたら自分はこの状況を望んでいたのかもしれない。"巴御前"ではどうにもできない事態。そうなればあれを使わざるを得ない。いや、使ってみることができる……。困った性格の究極だ。


「おしえる気はない。でも……これを見せてやるよ」


 昴流は小指のピンキーリングに触れた。


「"code:hyper"。……さぁ、おいで」


 リングから光の粒子があふれる。量子化して圧縮格納していた情報が解放されようとしているのだ。光は瞬く間に昴流の体を覆い――、


 そして、


 その粒子がすべて実体化したとき、そこに白銀の『機体』が顕現していた。

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