第9話 #2 歌姫(ディーヴァ)

 空間フロートウィンドウに映し出された歌姫"カノン"の姿に、談話室サロンが騒然となる。


 当然だ。十代、二十代の若もので彼女のことを知らないものいないと言われるくらいのカリスマアーティストなのだから。


「えっと、ボクの妹でね……?」


 驚愕と困惑が入り混じる寮生たちに、昴流がそう説明する。


 途端、


「うそぉ!?」

「あのカノンが妹!?」

「何この姉妹、素敵!」


 カノンの影響直撃世代の少女たちは上を下への大騒ぎだ。これが明日には学校中に広がるのだと思うと、今から頭が痛くなる。


(書籍館でもこんなだったなぁ……)


 昴流はこの春に奏音が書籍館学院に入学してきたときも、こんな感じに騒ぎになったのを思い出した。ただ、高等部の魔術の徒というのは悪く言えば選民思想が強いので、サブカルチャのブームを冷めた目で見ていることが多い。そのせいか今のこの騒ぎよりも静かだったし、あまり長続きしなかった。そういう意味では騎士乗りナイトヘッド志望ではあっても、キルスティンの生徒たちの感覚は平均値よりなのだろう。


『後ろにいる人たちが今のご学友ですか? マリアお姉さま』

「あ、うん。そう、だね……」


 少しばかり過去を懐かしんでいた昴流は、奏音の声で現実に引き戻された。慌てて答える彼の顔がかすかに引き攣る。自分のことを『マリアお姉様』と呼ぶところを見るに、彼女は学院長か理事長あたりからある程度の事情を聞いているのだろう。


 そして、その上で奏音は怒っていた。


 自分が不在の間に、研修の名目で黙って書籍館を離れてしまった昴流に。おかげで『お姉様』の発音がいちいち怖い。


『皆さん、妹の奏音かのんです。お姉様をよろしくお願いしますね』


 そう言ってカノンがにっこり笑うと、再び歓声が上がった。


「今さら自己紹介の必要はないと思うけどね」


 よく見るとこの談話室の盛り上がりに、自室にいた生徒たちもなんだなんだと部屋から出てきて集まりつつある。


『マリアお姉様。少しゆっくり話がしたいのですが?』

「う、うん。わかった」


 "少し"とか"ゆっくり"ってどれくらいだろうな……。昴流はため息を吐きたい気分だった。


 勉強会に集まった少女たちに断ってその場を離れる。


「もっと話したい!」

「う、後ろで見てるだけでいいからっ」


 背中にはそんな言葉が投げかけられるが、無視。後ろで会話を聞かれるとか、正直冗談ではない。


 さて、どこに行こうか――昴流は悩む。部屋には火煉がいるし、廊下で話せば人に聞かれてしまうし、そもそも迷惑だ。迷った末、一階にある応接室を借りることにした。


 一階へと降りる間、昴流は音声通話にしたい衝動に駆られたが、よけい奏音が怒りそうな気がしたのでやめておく。


 部屋に這入ると、中にはその名の通り応接セットがあった。応接室は書籍館学院の学生寮にもあった部屋で、やはり来訪した保護者や教師との面会や面談に使われるのだろう。保護者を安心させる目的なのか、調度品は書籍館のよりも一段立派かもしれない。


 勝手に借りる身なので扉には鍵をかけなかったが、代わりに音を遮断する魔術をかけておいた。これで外から聞き耳を立てられたとしても話を聞かれる心配はない。


 昴流は改めて空間ウィンドウに向き合う。


「帰ってたんだね、奏音」

『ええ。帰ってたわ。帰ってきたら昴流が研修なんてものに行ってて吃驚びっくり


 奏音は先ほどまでの笑顔はどこへやら、一転して半眼で睨んできた。口調も変わっている。普段の彼女は、昴流のことを『お姉様』と呼ばないのは当然のこと、『お兄様』とも呼ばず名前の呼び捨てだった。


「僕だってびっくりしてるよ。こんなことになるなんてさ。世の中強引な人が多いよね」


 言うまでもなく、鳥海火煉とアンナ=バルバラ・ローゼンハイン学院長のことである。


『大丈夫なの? まだバレてない……んでしょうね、その調子だと』

「その通りだよ。……ははは。笑いたければ笑うがいい……」


 思わず自虐的になって乾いた笑いがもれる。


『いや、昴流はもうそういう生きものだと思ってるから』


 対する奏音は実にあっさりしたものだった。


 しかし、前はこうではなかった。男なのに少女のような容姿で、その上女の子の服が好きで実際に着てしまう兄が嫌いだった。やめてくれ、どうにかしろと何度怒ったことか。それでも昴流は直そうとしなかった。


 結局、あるときを境に奏音は諦めた。それこそ兄をそういう生きものだと思うことにしたのだ。


 だが、そのおかげで見えてきたものもあった。


 兄は見た目はこんなでも、別に女の子になりたいわけではない。そのせいかなよなよしたところはなく、意外に男らしい。達人であった父から拳法を習い、機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトに入れ込むあたり、無害そうな外見とは裏腹にむしろ好戦的であるのかもしれない。


 父と昴流を知るものは「外見以外はよく似ている」と言う。だけど、奏音から見ればぜんぜん違っていた。父は"明日の平和を守るために今日戦う力"を欲したが、決して好戦的な性格ではなかった。争いも、身につけた力を振るう機会も、そんなものはないにこしたことはない。それが父の考えだ。一方の昴流はというと、前述の通り好戦的で、力は振るうことを前提に身につけている節があった。まったく正反対だ。


 容姿に関して言えば、奏音のほうが父親似である。なかなかに整った相貌をしていた父の遺伝子がいい感じに作用して、奏音は絶世とも言える大人びた美貌の持ち主へと成長した。反対に昴流は母親似だ。父親の遺伝子は完膚なきまでに駆逐され、まるっきり少女である。


 奏音がそんな昴流を受け入れるようになって以来、仕事がオフの日にはよく一緒に出掛けるようになった。そのときに彼が例の如く女の子の服を着ていると、しばしば姉妹に間違えられる。しかも、奏音が姉で、昴流が妹だ。「ごめんなさい。僕、男なんです」「……あ、ああ、姉弟ね」「いえ、僕が兄です」 二度驚かれる。そんなシーンが日常茶飯事で、それが奏音はそれほど嫌ではなかった。


 だけど、カラオケ。あれはダメだ。昴流は高音系男子を通り越して、完全の女の子の声だ。反対に奏音は話すときは普通だが、歌声はややハスキーで、曲調によっては力強くもなる。そのせいだろうか、昴流の歌を聞いていると曰く言い難い屈辱を味わうのだ。デュエットして男女パート逆のほうがしっくりくるとか、何の冗談かと。


「女と思われてるのをいいことに、変なことしてないでしょうね?」


 奏音は再び目を半眼にして問う。


「僕にそんなことできると思うかい?」

「……ないわね」


 が、昴流の返答にあっさりと納得した。そういう悪い意味での男らしさは持ち合わせていないのだ。


「昴流、私の裸を見たり胸に手が当たっただけでも、ひっくり返るくらい慌てるものね」

「……」


 なぜそんなふうに呆れた感じに言われなくてはならないのか理解できず、昴流は思わず黙り込む。兄妹とは言え、その手のアクシデントに遭遇して堂々としているのもどうかと思うのだが。


『ところで昴流、私、今回は週末までオフなんだけど』

「あ、そうなんだ。それはゆっくりできていいね」

『そうでもない。学校の課題たんまりだもの』


 奏音はうんざりした顔で返した。

 才能の選択はしない――それがアーティストと魔術の徒の二足のわらじを履く久瀬奏音の主義だ。おかげでアーティストとして活動する傍ら、オフの日にはきちんと学校に通い、たまっている課題をこなすという生活を続けているのだった。


『昴流は? 忙しい?』

「今週は――」


 どうだったっけな、と昴流は頭の中の予定表を繰る。


 この週末は、演習場の利用申請をしたものの人数オーバーであぶれてしまったため、特に予定は入っていなかった。火煉と学園都市内の演習場に繰り出すという話も出ていない。


「何もないかな」

『じゃあ、久しぶりに会える?』


 それは兄にというよりは、友達と遊ぶ約束をする感覚に近い。


「いいよ。僕もバタバタしてこっちにきたからね。持ってきておきたいものもいくつかあるんだ。土曜日には一度帰るよ」

『わかった。待ってる。……じゃあね、昴流』


 そうして通話は切れた。





 ただでさえ注目されるのに、あのカノンの兄、もとい姉ということを知られてしまい、最近ようやく落ち着いてきたキルスティン女学園での学校生活が、案の定、また騒がしくなってしまった。


 そんな怒涛のウィークディを経て――土曜日、昴流は昼食を食べてから学生寮を出た。


 隣には鳥海火煉の姿もある。先日、週末に一度書籍館学院の学生寮に帰ると告げたら、自分も一緒についていくと言い出したのだった。演習場の利用申請は、昴流と火煉はいつも一緒に出している。よって、彼女も昴流同様この週末は人数制限で弾かれてしまった身だ。少々時間を持て余しているのだろう。


 そう言えば、と昴流は思い出した。火煉はよく放課後や休日に巨大人工島学園都市メガフロートキャンパスの繁華街に繰り出している。今日はもう少し足を延ばしてみよう、くらいの感覚なのかもしれない。


 本日の昴流は普通に男ものの服を着ていた。ジーンズにTシャツ、ヨットパーカーというスタイル。にも拘らず、出かける前、寮の廊下で会った女子生徒には「今日は一段とボーイッシュね。似合う!」と感激されてしまった。男ではないかという疑問すら抱かれないのはどういうわけか。きっと久瀬マリア=女、という先入観のせいに違いない。そう納得することにした。


 一方、隣を歩く火煉が着ているのはキルスティンの制服。彼女の私服姿が見れなくて、少し残念に思う昴流だった。


 最寄りの駅から東京港湾地区ベイエリア行きのリニア鉄道――通称、洋上リニアに乗る。


 昴流と火煉は、空いていた二人掛けのシートに並んで腰を下ろした。昴流が窓側で、火煉が通路側だ。洋上リニアは、やがて機槍戦トーナメント特区の巨大人工島学園都市メガフロートキャンパスを出て、東京湾上に架かる高架線路を走りはじめる。右も左も窓の外に見えるのは海だ。そして、そこからは早い。学園都市内では駅があるからスピードは出ないが、海に出てしまえばリニアの本領発揮である。あっという間に本土に運んでくれる。


 と、そのあたりから火煉の様子がおかしくなってきた。なぜかそわそわしはじめたのだ。いつも落ち着いている彼女には珍しい姿だった。


「どうかした?」

「私、本土のほうにはあまり行ったことがないの。騎士乗りナイトヘッドになるために出てきて、そのまま学園都市が生活圏になったから……」


 なるほど、納得した。つまりあまり足を踏み入れない土地に不安を感じているのだ。


 今日みたいに週末に友達同士遊びに出たりはしないのだろうか、と昴流は疑問に思ったが、孤高とも評される火煉のそのような場面は想像ができなかった。


 程なくして洋上リニアは港湾地区の駅に到着した。


 そして、いよいよ火煉がおかしくなった。ホームに降り立った瞬間、彼女は固まってしまったのだ。


「えっと、大丈夫なのかい……?」

「だ、大丈夫よ」

「……」


 ぜんぜんそうは見えなかった。顔を正面に固定したまま、一歩も踏み出せずにホームに立ち尽くしている。


「いや、でも、かなり緊張しているみたいだし」

「……緊張?」


 火煉は首だけを動かして昴流を見ると、言葉の意味がわからないといった様子で鸚鵡返しに発音した。


「……そう見えるね」

「そ、そうね。私、あまりこっちにはこないから……」


 昴流はさらに納得した。どうやら火煉は自分の生活圏から外れた行動を取ると、途端に緊張するようだ。よくそれでついてくる気になったなと思うが、案外そんな自分の性質に自分でも気づいていなかったのかもしれない。実際、緊張していると指摘されても、よくわかっていないふうでもあった。普段の落ち着いた態度は、自分の生活圏の中に限ってのことらしい。昴流は彼女の意外な一面を見た気がした。


(ん? でも、この前、書籍館にきてなかったっけ?)


 そう、あれはアンナ=バルバラ・ローゼンハイン学院長に直訴にきたときだ。あのときはどうしたのだろうか。もうすんだことながら気になる。やはり今と同じように緊張しながら書籍館学院に辿り着いたのか、ただ目的に向かって一直線だったのか。今となっては謎である。


「大丈夫。本土も学園都市とたいして変わらないよ」


 うんうんとうなずく火煉。


 本当に大丈夫だろうか。ついに言葉もなくなってしまったのだが。


「じゃあ、行こうか」


 うんうん。


「……」


 どうにも不安が拭えない。こんな調子でよく書籍館に辿り着けたものだとつくづく思う。とは言え、こうしていてもはじまらない。さっさと学院なり寮なりに行ってしまうのが吉か。


 ようやくふたりは歩き出した。


 ここは洋上リニアの終着駅にして始発駅。ここからまた別の電車に乗り換えである。まずは改札口を出た。


 昴流は隣を歩く火煉をちらと見やってから口を開く。


「まぁ、僕がついてるから」


 それはついこの間まで本土を生活基盤としていた自分がしっかりしないと、と思って出た言葉だったのだが、


「マリアが……?」


 なぜか火煉にきょとんとされてしまった。足が止まる。……そこまでおかしなことを言ったつもりはないのだが、果たして自分はそんなに頼りないのだろうか。確かに見た目はお世辞にも男らしいとは言えないが。思わず自信を失くしそうになる。


 と、そのときだった。


「ねー、そこのおふたりさん」


 声の聞こえたほうを見れば、そこにいたのは大学生くらいの二人組。


「リニアからきたってことは、もしかして騎士乗りナイトヘッド?」

「女の子の騎士乗りナイトヘッドって珍しいよね。よかったら話きかせてよ」


 それぞれタイプの違う色男イケメンたちは軽いノリでそんなこと言い、親しみやすそうな笑みを浮かべている。


「……」


 学園都市と変わらないと言ったそばからこれか。昴流は内心で頭を抱えた。


 が。


「悪いけど私たち、これから行くところがあるの」


 そう言ったのは火煉。彼女はまるで追い払うように片手を振ってあしらうと、止めていた足を踏み出し、男たちの横をすり抜けた。


 昴流はそのあまりに慣れた手並に「はー」と感心してしまう。が、すぐに慌てて後を追った。後ろを振り返れば、二人組はナンパに失敗するのも想定内なのか、顔を見合わせて肩をすくめていた。潔い態度だ。


 そのふたりに向けて、昴流はひと言。


「あ、因みに僕は男なんで。残念。ゴメンね」

「なん……だと……!?」


 苦笑を一転して戦慄に変える男たち。


 にしても、出かける前の学生寮でもそうだったが、やっぱり女の子に見られるらしい。女ものの服が板につきすぎて、いよいよ男ものを着ていても男に見られなくなったか?


 と、昴流が首を傾げていると、横からくすくすとかすかに笑い声が聞こえてきた。火煉だ。


「火煉さん?」


 いったいどうしたのだろうか。


「本当に学園都市と変わらないのね」

「……」


 今ので納得したらしい。つまり普段からナンパは日常茶飯事ということか。さすがはキルスティン女学園が誇る三女神モイライのひとり、《運命の三女神の未来アトロポス》鳥海火煉である。


 何にせよ火煉の調子が戻って、ほっとする昴流だった。

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