双子、融ける (5)

 山を登るにつれて、物が焦げる臭いがきつくなっていく。


 山火やまびのように生木が燃えた後というよりは、からからに乾いたものを燃やし尽くした後のような、野焼きの後に似ていた。


 道はばがしだいに広くなり、真っ黒に焦げた門が見えてくる。


 門の向こう側にはまだ火が残っていた。


 二十以上の小さな家が点在する集落で、奥には、焼け残った大きな館も見えている。


 屋根や柱にちらちらと火を灯す黒焦げの家々の前に、百人くらい人がいた。なにかから身を庇うように集まって――。


 矢が刺さっている者もいたが、ほんの十人程度だ。


 そのほかは怪我も、血を流すこともなく、じっとうずくまっている。誰一人、ぴくりとも動かない。


「これは――」


 麁鹿火あらかびは、似た状況に心当たりがあった。


 たった一人の娘が吹いた雲に触れて、気を失った。しばらく経って目覚めた時、麁鹿火たちは、その場で積み重なって眠っていたのだった。


 でも、目の前にいる人たちは、眠っているにしては静か過ぎる。


 じっとりと充ちる気配にも心当たりがあった。途方もない虚無感に背筋が凍る。

 集落には、死の気配が充ちていた。


「……死んでる?」


 人の世界からすでに切り離された幽冥かくりよに迷いこんでしまったような脅えが、麁鹿火に込みあげた。


 土が掘り起こされ、盛り土がされている場所があった。埋葬の痕のようだが、一人分だ。


 金村がぽつりという。


「この里を攻めた側の犠牲者ですかね。つまり、雄日子様側の」


「ああ。まるで、皆殺しにされた後だ。だが、どうやって――」


 里には火がついていたが、焼け死んでいるわけでもない。矢がそこら中に散らばっていたが、死んだ者らのうちで矢傷を負った者はごくわずかだ。そのうえ矢は、その者らではない別の誰かに向かって放たれていた。


 百人近くの人が命を落とした瞬間を見つめているようで、ぞくりとする。


「いったい何が起きたのだ。生きたまま石になる呪いのようだ」


「見たか、麁鹿火。雄日子様はとっくに、土雲を滅ぼしてしまわれたのだ。やまとが手も足も出せずにいるあいだに……!」


 はっはっはっは――と、金村が大声で笑いだす。金村は背中をまるめて、ひきつけを起こしたように、身体中を震えさせて笑った。


「やるねえ、雄日子様は。大王に仇をなす異賊を滅ぼすのは、天の御子の宿命。はっはっはっ――笑いが、笑いが止まらない……」


 ひい、ひい――金村は目尻に涙を浮かべ、喉を鳴らしている。


「もうだめだよ、麁鹿火。稚鷺王わかさぎおうに勝ち目はないよ」


 いったいなにがおかしいのか、麁鹿火にはわからない。訝しんで金村を睨んだ。


「土雲というのを滅ぼすのが、そんなに大事なことなのか?」


「滅ぼすというか、従えるというか? なにかしら新しい御代がはじまる時には、異賊がかかわるからねえ。長脛彦ながすねひこしかり、蝦夷えみししかり、熊襲くまそしかり、出雲いずもしかり……それはそうだろう。世の中に混乱が充ちている時、王がすべきは、異賊を従えて領内くにを一新するか、もしくは、異賊の地を奪って領土くにを広げるかだ。あなたのほうこそ、もうすこし歴史を学びなさいな」


「歴史を学んでいるかどうか? そんなもので片づけられる問題なのか、これが!」


 麁鹿火は大声を出し、目の前に積み重なる屍の山を指さした。


 金村は、ひい――と、息を切らしつつまだ笑っている。


「――待てよ? 雄日子様にとってはやまとすら異族という扱いになるのか? 雄日子様が倭を滅ぼすか、従わせれば、この世は恐ろしく変わる。いやあ、まいった。雄日子様はすごい方のようだね。なんといえばいい、鋼の意思? 冷酷無残? 一意専心? やろうと思えばここまでする方なのに、飛鳥が素通りされたのはなぜだ? ……わかるさ……いまの飛鳥が取るに足らないと判断されたからだ。樟葉くずはを手中におさめて、この山も焼いたが、いまの飛鳥は、樟葉よりもこの山よりも下だったからだ。――私も同じ意見だ。難波津なにわつを生かしきれていないあの都は、いまや死んでいる――あぁ、可笑しい」


「わけがわからん。勝手にしろ」


 一人で興奮してぶつぶつ言う金村に麁鹿火は呆れたが、金村は麁鹿火を振り返り、冷笑した。


「さて、山をおりましょう。計画どおりに窺見の役目を果たしにいきましょうか」


「そうだよ。さっさといこう」


「私は雄日子様のもとに留まって、飛鳥に戻らないかもしれませんけれど」


「飛鳥に戻らないだと? 金村……」


「だって、そうでしょう。負けが決まっている戦に身を投じる奴がどこにいますか。雄日子様のほうがよほど賢い、飛鳥は敵わないと判断したら、窺見なんてものをやる必要はないでしょう? これでも大伴の嗣子です。軍備をはじめ、飛鳥のことはよく知っていますし、名のある豪族とのつながりも持っています。つまり、私とあなたは、雄日子様と稚鷺王のどちらにつけばいいのかを、これから調べにいくんですよ」


「話が違うじゃないか!」


 飛鳥によい窺見がいないという話になったから、父にも言わず館を出て、湖国まできたのだ。


「冗談ですよ。窺見になりにいくんでしたよね? 大王や父上によい知らせをするために」


 金村は目を合わせてにやっと笑ってみせるが、いつ覆るかもわからない軽口を、これ以上信じる気にはならなかった。


(こんな奴――信じた俺が馬鹿だった)


 思い返してみれば、金村はもともと油断のならない男だった。もっと警戒すべきだったのだ。


「いきましょう。ここにはもうなにもありません。屍だけです」


「ここに俺を連れてきたのはおまえだろうが」


 先に歩きだした金村を追いかけて、麁鹿火もいらいらと数歩進んだが、足を止める。


 弔いの盛り土をされた場所のそばで、地面が真っ黒になっていた。


 真っ黒な煤とやにが土にこびりついていて、なぜここだけ――と、不気味さが募った。


 はじめは「黒いな」と思っただけだった。しかし、しだいに青ざめる。


(これは、人の形をしていないか?)


 気づいてしまえば、地面にできた黒い染みは、おぞましい形をしていた。背の高い男が力尽きて地面に倒れ、煤とやにに形を変えて溶けたような――。何百年ものあいだ建つ稀有な炊き屋があったとして、その竈の上で長年かけて何層にも重なった煤のようで、黒の深さに瞳が怯える。


(なんだ、これは)


 息をのんで、うつむいた。人の形のちょうど胸あたりに、小さな石がぽつんと置かれている。


 親指と人さし指でつまめるほどの胡桃大の石で、でこぼこと細かく膨らみ、いびつな形をしている。あちこちに孔があいていて、火の山の近くにある石に似ていた。


 腰を落としてつまみあげ、麁鹿火は目を見張った。


「これは……」


 脳裏に蘇るものがある。


 小さな石を笛のように口元にあてて、馬上からまっすぐ睨みつけてくる娘だった。


 百人の武人を従えた麁鹿火の真正面へとみずから馬を駆って戻ってきたその娘が、その石にふうっと息を吹きいれるなり、雲が生まれて、その雲を浴びた瞬間を境に記憶が途切れた。


(あの石と似ていないか? もしかして――)


 金村の話がまことなら、この山はあの娘の故郷だ。


 あの娘が持っていた石も、恐らくこの山の石だ。なら、この指でつまんだものも――?


「麁鹿火、おいていきますよ。さっさといきましょう」


 金村はもう門をくぐって山道に戻っている。


 ここへこようといったのはおまえだろう?と、さっきだったら声高に文句をいっていた。だが――。


「あ、ああ」


 麁鹿火はぼんやりこたえつつ、その石を腰にさげた小袋にしまったのだった。



◇ ◇



 夜が更け、彼方から聞こえていた太鼓の打音が途絶えた。


 宴が終わったのだ。それに気づいた時、麁鹿火はまだ石を手にしたままだった。


 そこらにころがっていそうな石でもあるが、力を秘めていそうな異様さもある。


 麁鹿火が、土雲の一族が暮らすという山でその石を拾ったのも、異様さに引きつけられたからだ。


(まるで、人が凝り固まって、煤とやにに変えられたようだった。その胸にあった石なら――考えすぎか。しかし、あの娘の手にあったものと似ているな)


 夜風が木々を揺らす音と、虫の声。


 そばで眠る金村の汗の臭い。男の寝息が、湿った暗がりに染みている。


 岩室いわむろの外から差しこむ火明かりが揺れた。番をする兵が厠にいったのか、二つあった火明かりのうちのひとつが遠ざかっていった。


(これを吹いたら、どうなるんだろう。あの娘のように口に当てて吹いたら――。試すなら、見張りがいなくなったいまだ)


 金村の寝姿を慎重にたしかめて、麁鹿火は指と指でつまんだその石を口元に寄せていった。


 あの娘がやったように、人を眠らせる雲が吹きでるのだろうか。


 いいや、やめたほうがいい。妙なことが起きたらどうするのだ――。


 未知のことに脅える胸と、やってみろとけしかける胸の争いをききながら、ついに麁鹿火は石に唇をつけて、ふうっと息を吹きいれた。


 しかし、なにも起きなかった。


(あれ、たしかこんなじゃ――)


 妙なことが起きたらまずいと焦っていたくせに、なにも起きないのは、それはそれで悔しいものだ。


 ふうー、ふーっと何度も息を吹きいれてみる。でも、なにも起きない。


(なぜだ。なぜなにも起きんのだ)


 最後には、渾身の力をつかって大きく息を吹きいれた。


 ぜえ……と息が切れた時。うしろから、呆れ口調の金村の声がきこえる。


「なにをしてるんですか」


 びくりと震えて、麁鹿火は手にもっていた石を腿の影に隠した。


「なんでも――」


「なにか隠しましたね。それはなんですか。見せてください」


 金村はすでに起き上がって、麁鹿火の腿に覆いかぶさるようにして手を覗き込んでくる。


(あぁ、なぜこんなことに――)


 一番見せたくない奴に見つかってしまった――。


 金村はあっさりと麁鹿火の握り拳をみつけて、指をひらこうとした。


 手の中から石を見つけると、金村は「ほう」と息をついた。


「これは、なんです。どこで手に入れたんです」


 仕方がなかった。生半可な嘘をいっても、どうせばれる。黙るのも癪だ。


 土雲の里とやらでの出来事を渋々と話すと、金村は目を細めて笑った。


「へえ」


 ちょうど、話がいち段落した時だ。


 岩屋の外から鐘の音がきこえる。


 コーン、コーン、コーンと三回鳴って、余韻を残しながら夜の静寂と混じった。


 はじめて聞く音ではなかった。きまって夜中に、同じように三回鳴るのだ。


「なあ、金村。毎晩きくが、なんの音だろうな」


 金村の態度が、急にそっけなくなった。


「想像くらいつくでしょう」


「おまえはわかるのかよ。俺も石のことを教えたんだ。おまえも知っているなら教えろよ」


「知っているわけではありませんよ。想像がつくだけです。――あぁ、眠い」


「金村――おまえって、ほんとに嫌な奴だよな」


 心の底から嫌味をいって睨んだが、金村は知らんぷりをしてむしろの上に戻っていく。


 金村の背中越しに、呟き声が聞こえた。


「高嶋の若王、雄日子様、か」


 一言だけだが、やけに闇に染みる。毒蛇の牙から垂れたしずくのように夜を痺れさせる、奇妙な声だ。――聞き間違いだろうか。


「なにかいったか?」


 麁鹿火が尋ねると、金村は寝返りを打ち、壁を向いた。


「いいえ」


 それ以上問うなと、麁鹿火を遠ざけるようだった。

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