双子、融ける (4)
食事は朝晩運ばれていたし、一人ずつであれば水浴びも許された。
用を足したいと番兵にいえば、その
金村が眠ってから、
許されるとはいえ、一人になることはない。用を足しているあいだも、裸になって水浴びをするあいだも、絶えず見張られる。
しかし、それを
誇りを傷つけられる暮らしは悔しいが、厠代わりにしている岩陰に向かうあいだに風に吹かれるのは、実に心地よかった。夜風がこんなにも涼しく、清らかなものか。
夜空を見上げた。星の隙間に細い月が出ている。
(十日経ったなら、もうすこしで朔の月――飛鳥には、戻れないだろうなぁ)
夜天から月が消える新月の晩には、列柵宮の庭でとある儀式がおこなわれる。
あらたな力を注ぎ直すための儀式が新月のもとでおこなわれるのだが、物部氏と
聖なる庭に下りる大王の御身を守るためだが、それはたいへん名誉なことだった。
麁鹿火も、参上を許されて以来、ほとんど欠かすことなく馳せ参じていたが、このままでは、その儀式に参ずることはおろか、飛鳥に戻ることもかなわない。
(みんな、金村のせいだ。あいつの口車に乗ってしまったから)
飛鳥を出て高嶋に向かったことを、麁鹿火は悔むようになっていた。
金村の誘いを断っておけば、名も知らない番兵から罪人扱いをされることはなかったし、湿った岩室で何日も過ごすこともなかった。
なにより、武具を奪われていたのがつらかった。武家の裔である麁鹿火にとって、父から譲り受けた剣は一族の誇りそのものだ。
(
飛鳥には、部下を残している。「大王をお守りするために
飛鳥のためにと都を出たものの、窺見らしいことは、まだなにひとつできていなかった。囚われて、辱めを受けただけだ。
それどころか、もしもなにかが起きて、命を奪われたら――。
さらに厄介なことに、飛鳥を脅す人質にさせられたら――。
麁鹿火も金村も、物部氏と大伴氏という
脅すための手駒に使われても、なんらおかしくない立場である。
(金村は父君にどう伝えてきたんだろうか。訊こうか――いいや。あいつのことなんか、知るか)
番兵に矛先を突きつけられながら岩室に戻ってくると、天井の低い暗がりの中で、金村はむしろの上に伏してすうすうと寝息を立てていた。
のどかな寝息をきいていると、腹が立つ。
(こんな奴を信じた愚かな息子をお許しください、父上)
まずは父の幻に詫び、もういい、寝直してやると、自分も寝転ぼうとした。
ふと、腹が痛んだ。麁鹿火の胴をぐるりと留める
(寝てるな?)
なんとなく、金村に見せたくなかった。
慎重に背中を向けて手元を隠しながら、帯飾りの端を手で探る。
中にあったものを取り出したが、暗がりの中は真っ黒に見えている。さわると、表面がごつごつとしていた。
無数の
(これはいったい、なんだ)
手にしているのは、まつろわぬ民という一族の里で見つけた石飾りだった。
その里は念入りに火がつけられて、どの家も焼け焦げていた。
生きている者も一人としていなかった。心音がとだえた焦げ臭い里の隅にぽつんと石飾りが落ちていて、麁鹿火はそれをこっそり拾ってきたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「どうせ、行き先は高嶋の宮ですよ。それより、この上を見にいきましょう。奴らがいったいこの山でなにをしていたのか。必ずなにかあります」
「そりゃ、なにかはあるだろうが――」
雄日子の軍勢をひそかに追い、土雲の一族という娘を見つけた後だ。
金村は、雄日子の軍勢が火をつけた山の頂を見にいこうといいだした。
湖国の若王、雄日子を守る兵の群れが過ぎ去った後の山道を、麁鹿火と金村は登ることになったが、我先にと山道を進んでいく金村のようには、麁鹿火は目を輝かせられなかった。
(この山は、いったい――?)
登っていくごとに、妙な山だと感じた。道は人の足が踏んだ跡が重なっただけの素朴な造りで、慎重に目で追わないとすぐに見失ってしまう。道の端にこぶし大の石が並んでいたり、彫りがほどこされた木の人形が置かれていたり、風習も、彫られた模様も、はじめて見るものばかりだ。――この山に住む者が異族だからだ。
「なあ、金村。まつろわぬ民というのはなんだ。さっき『つちぐも』といったな。
倭の大王として君臨した偉大な王は、かつて土蜘蛛という一族の長を斬り殺したという。
倭だけでなく、吉野の山やほかの地域にも似た一族がいた。
たとえば、
見慣れぬ衣服を身にまとい、争いが起きれば、使う武具も戦術も倭とは異なり、思わぬ痛い目を見ることもある。
だから、よく伝え聞いていた。異族に近づくならば心せよ、と。
「ええ、そうです。湖国の山に奇妙な一族がいるときいたことがあったのです。霊山に棲む大地の神の
「雲……?」
「ええ、雲です。あなたは、その雲を見たんでしょう? あの娘が石を口にかまえた後に吹き出てきた、雲です。その雲に襲われた後、あなたの身体が動かなくなった、雲です」
山道を早足で歩きながら、麁鹿火は金村を凝視した。
「あの娘が、その土雲の一族――そういうことか?」
「きっとね。わが父やあなたの父上に、その雲の話はしましたか?」
「もちろんだ。話したとも」
「なら、誰かが土雲の話をしましたか? その場で気づいた人はいましたか」
「いや、いない。いれば俺だって知っているさ」
「誰一人? 一人すら、土雲という異族を知る者がいなかったというのか? ――愚かな。そのような場で何を話し、どんな策を得るというのだ。あの方々の目が向くのは飛鳥ばかりなのだ。あまりにも狭い」
はあっと、金村が唸るように息を吐く。
「あなたもあなたですよ。つまりあなたは、娘にやられたと嘆きつつ、相手が何者かも突き止めずに嘆いていたのですか? いったい誰に挑んで憂さを晴らすつもりなのですか。いま私は、はじめてあなたのことを馬鹿だと思いましたよ。剣の稽古だけでなく、頭のほうもすこしは鍛えられたらよいのだ」
「なに――」
「いえ、実をいうと、今はじめて思ったわけではなく、時おり感じていたのですよ。だいたいですね、いくら武家の裔だからと、武術の稽古だけをしていては、力勝負しかできないただの馬鹿になるだけです。そんな者が戦の指揮をとれば、国家の転覆をまねきかねないわけで、実際に
「そこまでいっておいて、なかったことにする気かよ。あぁあぁ、おまえは賢いよ。俺は力勝負しかできない馬鹿だよ。どうもすみませんねえ!」
麁鹿火はすねて舌打ちをしたが、金村は気にするそぶりもなく、さらに皮肉をいった。
「いいえ、いい過ぎました。相手を愚かだと見下し過ぎては、あとで痛い目を見ます。きっと父たちは、霊し宮なり賢者連中なりに探りをいれて、見澄ましていることでしょう。あの方々は大伴一門を率いる
「なあ、それで、まつろわぬ民というのは、いったいなんなのだ?」
金村は呆れつつ、嫌味まじりに説明した。
「大王となる者は、まつろわぬ民を従えていくのですよ。麁鹿火、あなたの
「俺の?
「ええ、そう。私が知っている名は
山道を進む早足と同じく、金村は気がせいたふうに早口で話した。
「つまり――この山に住んでいるのが、あの娘……土雲に関わりのある場所だとしたら、雄日子様の狙いは、まつろわぬ民を滅ぼすか、従えることでしょう。飛鳥の愚か者どもが駄々をこねているあいだに、雄日子様は大王となる者の道を着々と歩んでおられるのだ。淀の川筋をおさえ、まつろわぬ民に迫り――とっくに大差がついているのだ。一刻も早く目を覚まさないと、飛鳥は滅びますよ」
くくっと、金村は言葉をのみ込むついでのように笑いをこぼした。
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