双子、融ける (3)


  ◆  ◇    ◆  ◇ 


 昨日、雨が降ったからか。岩筋に雫が残っているようで、暗闇には苔の匂いが漂っていた。


 土の裂け目を利用した岩室いわむろで、虜囚を留めおくのに使われている場所だ。


 連れてこられた先がここなら、自分たちがどういう立場に置かれているかを察するのは、たやすかった。


(虜囚か)


 手縄は外され、猿ぐつわをかまされることもなかったが、岩室の入り口には柵が設けられ、番兵も立っている。抜け出すのはおろか、立ったり座ったりすることすら難しい堅牢だ。


 閉じ込められてからというもの、麁鹿火あらかび金村かなむらはほとんどずっと座って過ごした。


 どん……どん――と、軽やかな音が響いている。太鼓の打音だろうか。地面越しに、時おり振動も伝わった。


 耳を澄ましてみると、遠くからかすかに聞こえる小気味の良い音色もあった。


「にぎやかだな。――なあ、金村。何日経った」


 麁鹿火とともに岩室に籠められた金村は、土壁に石で傷をつけて日を数えていた。


 隣で背中を預ける金村が、ちらりと壁へ目を向ける。


「十日ですね」


「まだ十日か。いや、もう十日か? どちらでもいい、頭がおかしくなりそうだ」


 雄日子の軍を追って山を登った後、麁鹿火と金村は、ふたたび軍を追った。


 軍勢がいきついた先は、高嶋の宮――雄日子という、湖国を統べる若王の居館だった。


 辿り着くなり、金村は真正面から宮の門をくぐろうとした。


 おいおいおい――と、隣で息をのむ麁鹿火のことなど、お構いなしだ。


 案の定、番兵に囲まれ、矛先で脅されることになったが、金村は堂々と名乗った。


『我が名は、大伴金村おおとものかなむら。ここにいるのは、物部麁鹿火もののべのあらかび。ともに飛鳥の大王おおきみを守る役をおおせつかった大伴おおとも氏、物部もののべ氏の嫡男なり』


 ここは湖国だ。飛鳥の大王に叛逆の疑いありと、討伐軍を送られている若王の宮で、「飛鳥の大王」やら、「大伴氏」やら「物部氏」やらと大声で叫べば、ただでは済まない。


『おい、金村……おい、おい――!』


 隣で麁鹿火が青ざめても、金村に気にする素振りはない。


 こいつ、正気か?――と顔を覗きこんでも、無視である。


『飛鳥だと? とらえよ!』


 たちまち四方から兵が集まるが、金村は動じなかった。


『高嶋の若王、雄日子様にお伝えいただきたい。飛鳥からはるばるやってきた者がいると。お目通りを願いたい!』


 飛鳥を出る前から、金村はこういっていた。


窺見うかみになるのも同じで、堂々と宮門をくぐって、あなたの味方です、お世話になりますといってやればよいのです』


 金村はたぶん、それをやった。


 しかし結局、雄日子への目通りはかなわず、それどころか堅牢に籠められることになった。


 湖国の味方として宮に忍びこむのだとはきいていたが、門前で騒いで捕らわれるなど、あまりに無策だ。


「なあ、金村。どうするんだ。おれたちはここから出られるのか?」


「殺す気はないでしょう。食事は運ばれていますから」


「殺されたらどうする」


「殺される時には必ず殺す相手がいますから、交渉時ですかね」


「――おまえがこんなに前向きな奴だったとは知らなかった」


「思っていたよりもいい待遇だったのでね」


「いい待遇? これがか?」


「異国の虜囚の扱いはもっとひどいですよ。頭から袋をかぶせて、音と光をさえぎるんです。たったそれだけのことですが、二日も経てば幻を見はじめるらしいですよ。大陸や韓国からくにでも、かなり惨い扱いをされると――話せば、あなたはしばらく飯を食えなくなるでしょうから、いいませんが。閉じ込められた先でこうしてあなたと話せるだけ、十分ありがたいことです」


 金村の目元にも肌にも疲れが見えていたが、横顔はまだ凛としている。


 麁鹿火は讃えた。


「おまえ、意外にたくましいんだな」


「時間ができたおかげで、考えることもできましたから。湖国はよほど飛鳥に叛逆したいようです。大伴、物部の名を出してもこのように扱うのは、よほど中央のことを知らないか、よく知っていて警戒しているかのどちらか。もしくは、荒籠あらこがいないのではないでしょうか」


「荒籠が?」


「ええ。私はね、ここに着いたら荒籠と話すことになると考えていたんですよ。私たちをまず吟味する相手は、あいつになるだろう、とね。でも、その時はまだ来ない。一日や二日でなく、十日も置いておかれるということは、おそらく荒籠が高嶋におらず、どこかに出かけているのでしょうね。それなら、場所はどこか――」


「どこだ」


 謎かけをするような金村に、麁鹿火は食らいついた。


 金村は、はんと笑った。


河内かわちの牧を捨ててここにいるのだから、馬を育てる牧となる場所を探すはずです。馬を育てるには塩が要る。だから、牧を新たにつくるなら海の近くか、塩を運んでこれる道の要所でしょうね。樟葉くずはにも秦君はたのきみの都にも牧はすでにあるのだから、今後増やしていくとすれば北側でしょうか。新しい道を拓くなら、美濃みの。これまであった道を太くするなら、高向たかむく、もしくは、手を出すなと牽制しておきたい丹波たんば――荒籠が出かけたなら、そのあたりじゃないでしょうかね」


「美濃か、高向、丹波?」


 金村は吐き捨てるようにいった。


「やれやれ、ぽかんとして。これだから、やれ大王おおきみがとか、守りの軍がとか、たいそうなことをいっているくせに頭がぼけてる口だけの奴は嫌いなんですよ。私はね、飛鳥の連中が嫌いなんですよ。稚鷺王わかさぎおうのことも嫌いだし、さきの大王のことも正直好きじゃなかったんです」


「おいおい――」


「だいたいですよ、稚猛武王わかたけるぶおうの後の大王おおきみがやってくださったことはなんです? なにもありませんよ。稚猛武王が亡き者にした一族の恨みを果たすのに、武王の墓を掘り起こして、屍を相手に憂さを晴らしただけだ。あとは、遠ざけられていた一族を呼び寄せたことくらいか。――笑えるじゃないか。大王とはなんだ。同じ血をひいた者同士の喧嘩の域を出ないじゃないか。ただの内輪もめなら、よそでやればよいのだ!」


「おい、金村――」


 麁鹿火が宥めようとしても、金村の大声はどんどん猛っていく。


「嫌いですよ。私は飛鳥も、稚鷺武王もさきの大王も嫌いです。大臣おとどのことはもっと嫌いですが、あんな男をのさばらせておく大王の力の無さ、それに、無力さに気づいているくせにかしずこうとする我が父のことも嫌いです。大王も大臣も、最もよい都は飛鳥で、最も賢い男は大王だと言えと無理強いしているにすぎない。そんなことがあるか――! 高嶋の都を見ろ、丹波の都を見ろ! 飛鳥の賑わいなど及びもしないじゃないか。稚鷺武王の時代には、大王の手ははるか韓国からくに、東国まで及んでいたというのに、いまはどうだ。筑紫つくしの海にいる賊をのさばらせて、褒美を渡さないと行き来もできない。なにが大王だ!」


 麁鹿火は頭がかっとなった。


 言い過ぎだ。いくらここが敵国で、飛鳥の者の耳に入らない場所だとしても。


「金村、口を閉じろ! 大王を悪くいうな。父のこともだ!」


「なんだと」


 金村も声高に言い返す。


 怒鳴り声のわりに、麁鹿火を向く金村の目は冷えていた。「しいっ」と、口元に人差し指を立てている。


「ばかですか、あなたは。ここは敵陣ですよ? わざと聞かせたんです」


 金村は眉をひそめて、ちらりと外へ目を向けた。


 牢屋ひとやがわりの岩室の出入り口になった穴からは、火明かりがほのかに漏れている。閉じ込められた麁鹿火と金村を見張る番兵のものだ。


 麁鹿火は、我に返った。


「すまない。いまのは本心じゃなかったんだな」


 金村はゆるゆると岩壁に背を戻して、くすりと笑う。表情も口調も、麁鹿火をばかにするようだった。


「いやぁ、どうでしょうね」


「なんだと」


 麁鹿火は金村を睨んだが、金村はまぶたをとじて腕組みをする。眠る姿勢をつくった。


「もう寝ましょうよ。あなたの相手は面白いが、疲れるんです」

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