双子、融ける (2)

「わざとこういうあなをあけて、耳飾りを垂らす風習があるのだ。位の高い者や、巫女や侍女も、たまにする」


「耳に、孔――?」


「ふしぎか? 昔は多くの民も、耳飾りのための孔をあけていたそうだ」


 雄日子の指が、またセイレンの耳たぶに触れる。


 温もりが馴染んだのか、はじめほど冷たさは気にならなかったが、指の腹で耳たぶをたしかめるような手つきは妙なくすぐったさがあって、すぐに慣れるものでもない。


「あのう、なにしてるの……?」


「針を刺す場所を探しているのだ。孔をあけずに挟んで飾る方法もあるが、さほど痛みのない場所だから、孔をあけてしまうほうが、僕は都合がよいと思う。――このあたりが厚みがなくてよさそうだ」


 耳に触れていた指が離れていき、かわりに、ちくりと硬いものが添えられた。針だろうか。


「その孔を、あなたがあけるの?」


「本当は、そのような飾り孔などをおまえがあけなくてもいいと思っている。でも――」


 そこで、声が途切れる。


「でも、なに」


 顔を見上げて続きをせがむと、雄日子は目を細めて品良く笑った。


「きっと、あけたほうがよいのだろうな。右の孔はもうあるのだし。それに、おまえは侍女に化けたいのだろう? おまえの薬入れに痺れ薬はあるか。あるなら使うが」


「あるけど、使わなくていいよ。あなたも耐えた痛みだろ? なら、耐えるよ」


 耳たぶが痛いのは針を通したから。


 それは、王族や侍女がする風習のため。


 知らなかったことであっても、物事の理由が理解できれば、なんだ、そういうことか――と落ち着くものだ。


 セイレンは唇の端をあげて、雄日子と目を合わせた。


「じゃあ、わたしはあなたと同じになるんだね」


「僕と同じ?」


「その耳飾りをつけられるようになったら、またすこしあなたのいるところに近づくんでしょう?」


 雄日子は苦笑した。


「刺すよ」


 耳たぶの端に、雄日子の親指と人さし指の腹が当たっている。


 肌に針の先が当たっているのも、硬さと鋭さでわかる。


「顔はそのまま前に」


 一呼吸置いて、すぐのこと。鈍い衝撃と痛みを感じて、奥歯を噛んだ。


「……」


 耳たぶを針が貫いて、飾り孔というものがあいたのだ。


 痛いのはそのせいだ。当たり前だ。針が刺さったのだから。


 じん……と耳たぶが疼いたが、耐えられる程度だ。


 止めていた息をはあ――と吐いて、あぐらをかく雄日子に笑いかける。衣と衣が触れ合うくらい近い場所にいたので、わずかに顔が傾いた身動きで衣が擦れて鳴った。


「ありがとう。さっきより痛くなかった」


 雄日子はぼんやりしていたが、つられたように笑った。


「あっ」とセイレンは我に返った。


「痛くてうっかりしていた。ありがとうございます、雄日子様――だね。言葉づかいも直さなきゃならないんだった。あの女にばれたら、また怒られちまう。もうしわけありませんでした」


「いいや」


 雄日子は目を逸らして、床を見下ろした。


「あれを隠しもつのか」


 雄日子が「あれ」と呼んだのは、セイレンが肌身離さず持ち歩いている武具だ。


 吹き矢筒と、木矢や薬を持ち運ぶ武具帯に、小刀。


 侍女の姿に化けたとしても手放すわけにはいかないと、手が届くところに置いていた。


「ああ。袖の内側にしまうよ」


 着せられた上衣には、広袖がついている。風が吹けばひらひらなびくほどで、武具帯や小刀を隠すには都合がよかった。


「ほら、このあたりに」


 袖の内側を見せると、雄日子はまた品良く微笑んだ。


「きれいになった。三日もたてば腫れも引くだろうし、その姿でいることにもきっと慣れる。いまの姿になじむ仕草や話し方も覚えていくだろうし、もっときれいになれば――」


 雄日子の唇は、そこで閉じる。


 言いかけた言葉のかわりにふふっと笑んで、セイレンの頬に手を伸ばした。


 冷えた手のひらで片頬をひと撫でして、立ちあがった。


「傷がふさがるまで、膿まないように気をつけなさい」






 雄日子に遠慮してか、侍女たちはまだ戻ってこない。


 その雄日子も去ってしまうと、館にいるのはセイレンただ一人になった。


 しんと静まり返る。


(きれいになった?)


 声が耳に残っている。


 そう言った時の雄日子が、困っているように見えたからだ。


(きれいってなんだろう。よくないことなんだろうか)


 セイレンが侍女の恰好をするようになったのは、そうしたいと雄日子に頼んだからだ。


『雄日子、お願いがあるんだ。わたしに服をもらえないかな』


『服?』


『土雲の恰好だと、あなたのもとでは目立つから。ちゃんとあなたのそばに馴染む身なりをしたいと思うんだ。髪も結いなおすし、藍十あいとお赤大あかおおみたいに、剣や弓矢の稽古をしたいと思う。――つまり、わたしはこれから、土雲じゃなくて、あなたの守り人として生きようと思うから、それにふさわしい身なりになりたいんだ』


 雄日子はセイレンの声にじっと耳を傾けるだけで、笑いもしなかった。


 だから、ふしぎだった。


(いつも笑っている男なのに)


 どうすればこの男に役に立てるのか。


「ここに居てくれ」と言い続けてもらうためには、どうすればいいのか?


 自分なりに真剣に考えた末に、その男にとって悪くない話をもちかけたつもりだった。


 結局、セイレンのほうが先に笑いかけた。


『侍女の恰好をしてあなたを守れるようになれって、いっていたよね? あなたが望む身なりをして、あなたが望むように仕えるよ。フナツを助けてくれたら、ずっとあなたのもとであなたを守るって約束したものね。約束は守るよ』


『約束?』


 雄日子の眉山が寄った。


『あの約束はなかったことにしてくれていい。僕は、おまえの大切な女を助け出すためだけにおまえの里にいったわけではないから――』


 セイレンはぷっと噴きだした。


『気を遣ってくれてるなら、気にしないで。わたしもいろいろ考えたし、なにがどんなふうに動いているかをすこしはわかったつもりでいるんだ。つまり……わたしにはもう帰る場所がないから、あなたのところに置いてほしいんだ。わたしだけじゃなくて、フナツとツツもここに置いてもらって、あなたの力で守ってあげてほしいんだ。だから、あなたが気に入るように仕えたいと思った。邪術を使わなくても、わたしはあなたを主だと思って命を賭けて守るよ。なにもかも、あなたがいうとおりにする。――あぁ、またやってしまった。こんなんじゃ駄目だね』


 セイレンは雄日子の真正面で背筋をのばし、床に手をついて頭をさげた。


 荒籠あらこや赤大や、藍十や、雄日子に仕える男たちの姿を思いだして、真似をした。


『あなたの力を借りたいんだ。お願いばかりするのは虫がよすぎるから、ちゃんと働くし、あなたの思いどおりにするよ――ううん、いたします、雄日子様』


 しばらく、沈黙が流れてからだ。


 気難しい真顔をしていた雄日子は、ようやく目を細めて笑った。大勢の人を従える若王にふさわしい、穏やかな笑顔を浮かべた。


『そうか、これが僕の望んでいたものか。これが……』


 床には、化粧や着付けの道具が置かれたままだった。


 領巾ひれや髪を飾る染紐の陰に見え隠れする円鏡を見つけて、手を伸ばしてみると、鏡面に見覚えのない娘が映った。


 その娘の黒髪は、宮に出入りする姫君のように結いあげられ、くくられた髪の根元には花飾りのついた櫛がある。


 眉が整えられ、唇と目尻には朱の彩りがあり、まるで絵に描かれた娘か、もしくは幻か――すくなくとも、自分の顔だとは思えない娘が、そこにいた。


(石媛みたい)


 双子の姉のことを想うと、胸がすっと楽になった。


 見慣れぬこの顔は、きっと石媛の残りなのだ。


 息をしなくなった石媛の亡骸は高嶋の土に葬られ、殯も済んでいた。


 でも、セイレンは、石媛がまだこの世のどこかにいるような気がしていた。


 同じ母親の腹から同じ日に産まれた双子とはいえ、石媛は一族の長の土雲媛の館で、セイレンは育ての親となったフナツのもとで、二人は別々に育った。


 でも、セイレンにとっての石媛は、離れていても身体のどこかにお互いが宿っているようで、なにかにつけて思いだす相手だった。


 ふしぎとよく出くわしてしまう相手でもあった。どうやらセイレンと石媛は、同じ時に同じようなことを考えて、同じように出歩いてしまうようで、会いたいと願おうがそうでなかろうが、相手を気にすると、近くに居合わせてしまうのだ。


 いまも二人は、雄日子のもとと、土の中――別々の場所にいるが、きっとまだ石媛がすこしセイレンの中に残っている――そんな気がした。


(石媛。あんたはきっと、こんな姿になりたかったんだよね)


 石媛は、いずれ土雲媛と呼ばれる女長となるはずだった。でも、長となって導いていくはずだった里人を裏切ってまで、石媛は雄日子のそばに来た。


 いま鏡に映っている娘はきっと、石媛が望んだ姿だ。


 セイレンは、ため息をついた。


(仕方ないから、あんたの代わりに望みを叶えてやるよ。まだここに――わたしの中にいるんだろ? これが、あの男のそばに堂々と寄れる女の恰好なんだって。嬉しい?)


「それに」と、いなくなった人たちのことを想って、心がさっと凍えた。


 土雲媛もハルフも、母親のはずの土媛も、みんな嫌いだった。でも――。


(みんな、もういないのか。あの里の人たちも、わたしじゃなくてあんたが生き残ってるって思ったほうが、ましだろう――)


 鼻の奥がつんと痛くなって、涙がこみあげそうになる。


 でも、円鏡に映った顔を見つめていると、涙は引いていった。


 涙を流せば化粧が崩れてしまう。泣いていたのが見つかってしまう。そんなのは、いやだ。


 ゆっくり笑ってみた。すると、円鏡に美しい笑顔が映った。


 絵筆で描かれたお面のような、妙にしらじらしい笑顔だ。ふふふっと声が漏れた。


(雄日子の笑顔みたい)


 その男は、会えばたいてい笑っている。でも、その笑顔は腹にあるものを隠す蓑のようなものだ。


 雄日子は、優しい笑顔を浮かべながらとんでもないことをしかねない、嘘つきな人だった。


 雄日子の笑顔がセイレンは苦手だったが、手の中にある円鏡に写る笑顔は、その男の笑顔と似ていた。本音を隠す、蓑のような笑顔だと思った。


(そっか。あの男は、こういう暮らしをしているんだ。なら、これはきっと、石媛がしたかった暮らしだ)


 石媛がしたがっていたことなら、やってやればいい。自分の中に石媛が残っているなら、きっと喜ぶはずだ。


 鏡の中の娘は、まだ品よく笑っていた。


 笑みをたたえたまま、セイレンは円鏡を床に置いた。


(これは、わたしじゃない)






*****************************

耳飾り(耳環)は、ピアス式か、耳たぶを挟んで着けるイヤリング式で身に着けたはずですが、イヤリング式だっただろうという解釈のほうが主流のようです。大きいサイズのものはそうするしかなかったと思いますが、長い時間着ける人たちはピアス式もありかな…との解釈でのストーリーです。

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