双子、融ける (1)

 高嶋の宮。セイレンは、大勢の侍女にかこまれて、されるままになっていた。


 目を閉じたり、うつむいたり上を向いたりしているうちに、頬や額にふわふわした筆先が走り、唇にとろりとしたものがつく。


 眉にちくりと痛みが走ることもあれば、腫れがひかないうちからひんやり冷たいものが塗られたりもした。


「目を開けてみなさい」


 若い侍女にいわれるので、まぶたをあげてみる。


 すると、しげしげと覗き込んでくる女たちの顔が五つ六つと連なって見えた。その向こうには、晩夏の強い日差しが降りそそぐ奥庭。


「おやまあ、あの小娘がよく化けたこと……」


「猿のように目も口も大きいから、運よく化粧映えしたのでしょう。まったく、若王様の気まぐれには困ったことです。――櫛をこちらへ」


 セイレンの真正面を陣取ったのは、しばらく行儀作法を教えていた古参の侍女だった。齢は四十近く、「侍女のつかさ」として、宮殿に仕える女たちをまとめる役にあるとかで、侍女たちはみな、この女に遠慮をしていた。


 そこは高嶋の宮の一画にある館で、侍女が身支度をするのに使われている。


 部屋の壁に沿って渡された木の棒に、薄紅色や紫色、濃青こいあおなど、染料がふんだんに使われた色とりどりの着物や帯が、重なり合いながら掛かっていた。


「なんと美しい――花菱の文様でございますね」


 侍女たちの口から、ため息が漏れる。


 侍女たちの目が追ったのは、侍女の司の手に渡りゆく木彫りの櫛だった。


 品のよい丸みを帯びた品で、花飾りが彫られていた。


「ええ、そうです。今宵は湖国中の長がつどう大きな宴がひらかれます。この娘を、雄日子様をおそばで飾る極上の宝に仕上げねばなりません。いいこと? 動かずにいなさい」


 その櫛を、侍女の司はセイレンの額の上あたりに挿した。


 髪は、さな葛の汁からつくった髪油をなでつけて結いあげられていたが、紐できつく結ばれた髪の根元にさらに櫛を押し込まれるので、かなり痛い。


 髪結いなのか、折檻なのかもわからない痛みで、セイレンは悲鳴を漏れるのをぐっとこらえた。


 こういう時に「やめてくれ」といってはいけないことを、しばらく侍女として暮らすうちにセイレンは覚えていたからだ。


「まぁ、美しい……」


 侍女の司の手さばきを見つめる若い侍女たちが、うらやましそうに息をつく。


「耳飾りを」


 侍女の司はべつの木箱をもってくるようにいいつけたが、侍女のひとりがセイレンの耳元を覗き込む。


「耳飾り? でも、司様。この娘の耳にはあながないようですが」


「ああ――この娘は、山から下りたばかりの猿娘でしたね。では、針をもってきなさい」


 惚れ惚れとため息をついたり、まさかと驚いたり――自分を覗き込む侍女たちの顔色がくるくる変わっていくのを、セイレンはじっと見ていた。


 でも、すこし怖くなった。侍女の司も、そばにいた侍女たちも、仕返しをするように笑ったからだ。


「暴れないように押さえなさい」


「なにするんだ」


 両肩を押さえつけられるので文句をいったが、みんな笑うだけできかない。


 そのうち、うしろに回った侍女の手で顔も思い切り押さえつけられる。


 首が動かせなくなるので、懸命に瞳を動かして侍女の司の手もとを見やると、きらりと光る針がある。


 そうかと思えば、その手で右の耳たぶの端が力強くつままれて、次の瞬間、痛みが走った。


「いった……! 放せ!」


 耳になにかされたのだ。思い切り暴れると手がすこしゆるんだが、侍女たちはみんな笑っていた。


「まあ、獣のように暴れて、みっともない」


「ちょっと待って、なにをしてるのかくらい教えてよ」


 よってたかって身体を押さえつけられるのも、身体を好き勝手にされるのも、突然痛い思いをさせられるのも、我慢がならないのだ。


「次は左の耳です。押さえなさい」


 侍女たちが肩や頬をふたたび押さえつけようとするので、力づくで跳ねのけた。


「離れろ!」


 とうとう立ち上がって威嚇するが、侍女の司も同じように立ちあがって叱りつけてくる。


「いい加減におし! 雄日子おひこ様のおそばに仕える侍女のくせに、これくらい耐えられない馬鹿がおりますか」


 大勢の女を従えるだけあって、なかなかの気迫だった。


 気合負けしてやる気はまったくないが、「雄日子様の侍女のくせに」は、いまのセイレンには殺し文句だ。


 セイレンが侍女として暮らしはじめたのは、みずから望んでのことだ。そうさせてほしいと雄日子に頼んだのも、自分だった。


『雄日子、お願いがあるんだ。わたしに服をもらえないかな』


『服?』


『土雲の格好をしてあなたのもとにいると目立つから、ちゃんと馴染むような身なりをしたいと思うんだ。髪も結いなおすし、武具も、藍十あいとお赤大あかおおみたいに、剣や弓矢も使えるように稽古をしたいと思う。――つまり、わたしはこれから、土雲じゃなくて、あなたの守り人として生きようと思うから、それにふさわしい身なりになりたいと思うんだ。ううん、こんな頼み方じゃだめだよね。――お願いします。雄日子様』


 床に手をついて頭をさげると、雄日子はばつの悪そうな真顔をした。


 でも、すべて許してくれた。


 この男のもとで、この男が望む姿になって、この男を守る。


 そのためにはまず、侍女の振舞い方を覚えなくてはいけなかった。


 そう心に決めてここにいたので、雄日子の侍女としてすべきことなら、納得がいかなくても従うべきだった。


「――」


 セイレンがおとなしくなると、侍女の司が勝ち誇ったように笑う。


「わかったなら、さっさと座りなさい。二度とこのような手間をかけさせてはいけませんよ。針を」


(全然わかってないね。なにをしてるのかくらい、ちゃんと説明しろよ)


 腹は立ったが、口答えをすればかえってきつい仕打ちがくるということも、この女のもとでしばらく過ごすうちに覚えた。


 土雲の里にいる時の扱いに戻った気もするが、これでも、あのころよりはましだ。まだ耐えられる。


 あの男と交わした誓いを果たすためだ。仕方ない――。


 ゆっくりと膝をついてやりながら、セイレンはその女の言葉に従った。


 森で出くわした獣と獣が睨み合うように、侍女の司とのにらみ合いは続いたが。


「あの、わたしの耳になにをしたのですか」


 その女が「やれ」という美しい言葉づかいで、尋ねた。


 セイレンを見下ろす侍女の司の目が、ばかにするように細まった。


「まずおまえは、無言で耐えるということを学びなさい」


「はあ? ちゃんと訊いたんだから、答えろよ」


 頭でわかったとしても、かっとなるのは止められないものだ。


 もう一度膝を立てようとした、その時だ。鈴の音に似た涼しい音色が、館の入り口のあたりからしゃんと響く。


「僕がやろうか。男のほうが力もある」


 その男の帯についた飾りにも剣にも、きらびやかな金具が施されていた。その男が足を止めたせいで、腰にさがっていた飾りが擦れて鳴ったのだ。


 侍女の司がはっと振り返り、腰を低くして膝をつく。ほかの侍女たちも、壁際ぎりぎりのところまで下がって膝をつき、深く頭を下げた。


 館の中にいたすべての者が、きざはしを登ってやってくるその男に場所を譲った。


 その男が、この宮で働くすべての者の主、湖国という名のもとで手をたずさえる国々を、宗主として束ねる若王だったからだ。名を雄日子という。


 侍女たちが隅に寄ってぽっかりと広く空いた隙間に、その男は一歩、二歩と、ゆったり進み、セイレンのそばまでやってくると、腰を下ろしてあぐらをかいた。


 雄日子の耳や首周りには、魚や花を模した細工がほどこされた金色の飾りが垂れていた。


 ふだんよりも華やかな盛装という姿で、濃い深緑色の上衣を身にまとい、金の帯金具で留めている。


 袴はいつもと同じく白だが、膝下で袴を留める足結あゆい飾りは、こちらも金細工をあしらった豪奢なものだった。


 そばに寄ると、洗い立ての布の清らかな香りが、ふわりと立ちのぼった。


「ぴかぴかだね……」


 セイレンは目をまるくした。


 その男がまばゆいくらいの立派な衣装を身にまとっているのは、きっと大きな宴があるからだ。セイレンが化粧をほどこされることになったのも、その宴のせいだと、侍女の司が話していたのを覚えていた。


「大きな宴があるから?」


「ああ、そうだ」


 雄日子はうなずいたけれど、返事はうつろだ。


 雄日子の目は、べつのものを気にしていた。ちょうど真上から、右の耳たぶを覗き込んでいた。


「かなり腫れたな」


「――痛いよ。赤くなってない? 熱いんだけど」


「うん――。腫れ止めはどこだ? あなを穿ったばかりでこんなに重い飾りをつけさせる気か。小ぶりなのを探してやれ」


 雄日子が手を伸ばすと、侍女の司はセイレンにしたのとはまるで違う、捧げたてまつるような仕草で木箱を手渡す。


「針はどこだ?」


 雄日子が振り返ってなにかをいうたびに物が集まり、侍女は一人、また一人と場を離れていった。ついには誰もいなくなった。


 人の気配が去って、しんとなってからだ。雄日子が、ぽつりとつぶやいた。


「悪かった」


 雄日子は詫びたが、詫びるようなことをこの男がしただろうか。


 むしろ、侍女連中から押さえつけられて、折檻まがいをされていたところを、助けてもらったようなものだった。


「うん?」


「様子を見にきたが、遅かった。あの者たちは、おまえに嫉妬したのだろうな。こうなる前に気づいてやるべきだった。痛かったろう」


 見上げると、雄日子はまだ深刻そうな顔をしている。


 セイレンは目をしばかたかせた。


「偶然とおりかかったんじゃなくて、わざわざここに来てくれたの?」


 雄日子はため息をついた。


「藍十たちの目も、ここには届かない。それをいいことに、無理やり刺されたのだろうな」


「刺す? わたしの耳、刺されたの?」


 なるほど。刺されたのなら痛いはずだ。


 でも、セイレンが知っている「刺される」はもっと痛い。


 耳たぶがちくりとして、今もズキズキと疼いていたが、どうしても耐えがたい痛みでもなかった。


 ぽかんとしているうちに両肩に手のひらが添えられて、向きを変えさせられる。


「僕に左の耳が向くように、座りなおしなさい」


「肩はそのまま」と、右の肩にも手のひらが乗って、やんわり押さえつけられた。


 そのうち、ぞくりとした。


 雄日子の指が耳に触れたのだが、その指がとても冷えていた。


 指の腹で何度か耳を挟まれたが、そんなふうに耳をさわられるのも初めてのことで、違和感に耐える。


「あの、耳飾りって? わたしの右耳はなにをされたの?」


「耳飾りを留めるための孔をあけられたのだ。僕にもある」


 雄日子は、「ほら」と耳元で結った自分の髪をずらして見せた。


 黒髪に隠れていた耳たぶに、ほんの小さな孔があいていた。

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