序、土雲の山 (4)


 ◆  ◇



 湖国までは二日ほどの道のりだ。


 夜のあいだに都を抜け、山裾に点在する里をつないで続く山のの道を北上し、朝を待って山道に分け入って、さらに北へ。


 青空を映した水をたたえる淡海のほとりに辿り着けば、湖を右手にしてさらに半日かけて北上する。高嶋の都を目指した。


 物部もののべ大伴おおともという氏族の嗣子、麁鹿火あらかび金村かなむらの二人旅だが、軍を連れているわけでもないので、気楽なものだ。


 旅人に身をやつしたが、是が非でも正体を隠してたどり着かなければいけないわけでもなかった。


 すでに湖国に入っているのだから、怪しい者がいると捕らわれたところで、連れていかれる先はおそらく雄日子おひこのもとだ。いきたいところへ案内してもらえるはずだ。


 風光明媚と名高い淡海あわうみの眺めは、美しかった。


 白い砂浜越しに、対岸で稜線をつくる瑠璃色の山々を眺めながら歩き、やしろで宿をかりて最後の休みをとる。


 翌朝、朝もやが残るうちに旅立ち、高嶋の宮をめざした。


 途中で道を尋ねた老人の話によると、高嶋の宮は、山から湖へと流れる川沿いにあるという。


 水海に背を向けて、話にきいた川に沿って山手を目指すが、大屋根をもつ宮殿をゆくてに見つけ、「あれですかね」とちょうど目星をつけた時、その宮殿の門から兵の列がぞろぞろと出てくる。


「なんだ、戦か?」


 兵の列が向かう先は山側だった。


 雄日子という若王が睨みを利かせている飛鳥や、先日攻め込んだという樟葉くずはの側へいこうとするなら、まずは淡海へと出るはずだが、逆方向だ。


内戦うちいくさだろうか。湖国の中のならず者の討伐か?」


「後を追いましょう」


 麁鹿火と金村は旅人のふりを続けて、高嶋の宮を通りすぎることにした。


 湖国の軍が向かった先は、小さな山だった。


「こんなところに、なんの用があるのだ。山賊の根城か?」


 なおさら不思議に思い、ひそかに後をつける。


 山に入ったあたりで金村にぐいっと引かれ、茂みに引きずり込まれることになった。


「隠れましょう」


「どうして――」


「うしろにも兵がいます。どういうことだ? 高嶋中の兵がすべて集められているようです」


「なに?」


 先に山へと向かった兵は百人足らずだった。


 樟葉を襲った雄日子の護衛軍とほぼ同じ規模だ。


 しかし、十倍、いやもっと、千人近い数の兵が背後で列をつくっている。その山を囲むように陣をつくったところで、揃って足をとめた。


「なんと、挟み撃ちか」


 青くなった麁鹿火を、金村は冷静に宥めた。


「連中の狙いは私たちじゃありませんよ。――この山の上です。どういうことだ?」


「山の上だと? しかし、尋常じゃないぞ。この山の上になにがあるのだ」


 大軍の動きに目を光らせつつ、二人で茂みに隠れていると、山の頂に近い場所で火の手が上がる。


「山火事?」


 火ははじめ山の頂きからあがったが、それが合図になったように、山裾からも火があがる。


 千人近い兵たちの足元で火が焚かれて、あたりに煙が立ち込める。


 火と煙でその山を覆うようで、賊を追いたてる火攻めや、山焼きのような、二人が知る火の付け方ではなかった。


 まるで、呪術だ。火の力を上へ上へと届けるような。


「まずいぞ、金村。逃げるか」


「待ちましょう。さっきの兵がまだ山の上にいます。山を焼く気ではないはずです。この道にも火が回らないようにするでしょう」


「しかし」


 麁鹿火は慌てたが、金村に諭され、火の手と煙の広がりに目を光らせながら、さらにしばらく待った。


 山を登っていた武人の群れが、同じ道をくだって戻ってくる。


 火の勢いはおさまり、山裾で火を焚いていた大軍も帰り支度をはじめた。


「用が済んだのか? しかし、なにをしていたのだ」


 茂みから、じっと目を凝らした。


 頂の方角から山を下りてくる武人たちは、身体中に灰を浴びていた。


 汗ばんだ額や頬は黒と白の灰にまみれて、髪も衣服も白くなっている。


 武人の群れの先頭近くに、ひときわ豪奢な身なりをする若い男がいる。


 その男の顔を知らないなりに、二人で目配せを交わした。


「たぶん、あれが雄日子様だ」


「――ああ。なおさら不思議だ。湖国の若王みずからが山を登り、火を焚いて、いったいなにを――?」


 雄日子が連れていた兵は、数こそ多くないが、戦慣れした精兵に違いなかった。


 いずれも長身で、身体つきは剛健。腰にさげた剣も、背負ったゆげや手にした梓弓も手が込んでいる。ほどよく修繕もされていて、戦に慣れた者が好んで携える品だろうと、使い勝手の良さが見てとれる。


 兵の列には女が三人交じっていた。長身の男ばかりの群れの中では、背の低さも、身体の細さもよく目立った。


 若い娘が二人と、三十路の女が一人で、若いほうの二人は顔も身体つきもよく似ている。


 二人のうち一人を見つけると、麁鹿火は金村の袖をにぎりしめた。


「あの恰好! あの娘だ! 俺の軍をひと息で倒した――!」


「静かに」


「わかってる! じゃまだ」


 金村の手が口を塞ごうと伸びるが、麁鹿火はその手をよかして、草の陰から目を凝らした。


 その娘は、齢が十五くらいだ。身体は細いが、乙女らしいたおやかな雰囲気はない。


 森で生きる小さな獣のように、近づけばふっと飛び跳ねて威嚇をするような、妙に気の荒い印象がある。衣装が独特で、腕には木の串に似た物が仕込まれた革道具を巻きつけ、首からは四角い箱の形をした石飾りをさげている。


「石の箱――」と、金村の唇から吐息が漏れる。


「雄日子様の軍とやり合った時、娘が笛のようなものを吹いたといっていましたね。もしかして、あれですか」


「ああ。あの娘があれを口にかまえて吹いた後に、真っ白な雲が飛び出てきた。その雲に襲われた後、俺たちは身体が動かなくなったのだ」


「雲――なら、あれは」


 金村の声が震えた。


「あれは、土雲だ」


「土雲?」


「まつろわぬ民ですよ。知りませんか。湖国に、そういう連中がいるという話を耳にしたことがあります。天の御子の支配を拒んで、山のほこらの奥で暮らす土着の民です。まつろわぬ民ですよ? 本当に知らないのですか? 本当に?」


 金村は口早にいった。


 百人の兵がすべて通りすぎるのを待って、二人はひそかに茂みから出た。


 山を囲んでいた大軍も、すでに撤退を始めている。


「いってしまうぞ。後を追おう」


 麁鹿火は兵の動きを気にしたが、金村は山を登ろうと言った。


「どうせ、連中の行き先は高嶋の宮ですよ。それより、この上を見にいきましょう。奴らはいったいこの山でなにをしていたのか――必ずなにかあります」

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