序、土雲の山 (3)

 倭国からの御使いとして、海を隔てた先にある異国、百済くだらへ出かけていた金村かなむらが、列柵宮なみきのみやに戻ったらしい――。


 噂はそこかしこで耳にしたが、麁鹿火あらかびは「ふうん、だから?」としか思わない。


 もともと興味がない男がなにをしようが、どうでもよかった。


 どうせ金村とは、生まれた時からの腐れ縁だ。なにか起きれば是が非でも顔を合わせる。


 わざわざ会いに出向く気はさらさらなかった。


 でも、金村はそうでなかったようで、帰還から数日経つと、麁鹿火のもとを訪れた。


 ちょうど麁鹿火あらかびが兵舎にいる時で、配下の兵にいつもよりも重い武具を持たせ、「音を上げるな!」ときつい稽古をさせていたところだった。


「金村様がお着きです」と知らせを受けても、「いまかよ!」と苛立ちがつのる。


 再会を懐かしむどころではなかった。


「この忙しい時に。あいつは間が悪いんだよ。身勝手きわまりない」


 とはいえ、相手は大伴おおとも氏の嫡男だ。


「お待たせするわけには――」と火輪ひのわが渋い顔をするので、着崩していた衣を渋々と整えていると、金村は自分から麁鹿火を探してやってきた。


 金村は麁鹿火より一つ年上で、背恰好に特徴があるわけではなかったが、身なりを見れば遠くからでも目立つ。


 髪にも首にも、手元にも腰にも、飾り物が多い。しかも、ほとんどが異国製だ。


 大陸で造られる細工は、飛鳥の周辺で暮らす匠がつくるものよりも細かく、陽の光を浴びると、ぎらぎら輝いた。


 金村は、慣れ慣れしく手を振ってくる。その都度、反射した光がちかちか瞬いた。


「あぁ、我が友、麁鹿火。お久しぶりです」


 しかも、金村は上半身の肌を晒して鍛錬にはげむ武人たちの隙間をわざわざ抜けて、庭を横切ってくる。


 麁鹿火は毒づいた。


「そこに人がいるのが見えんのか? 稽古中なんだが。隅を通れ、隅を」


 庭の端へ行けと指で示しつつ、麁鹿火は辟易と息をついた。


(誰が友だ。ただの腐れ縁だ。この、大陸かぶれが)






 金村は調子よく笑って、女のようにお喋りに興じた。


「麁鹿火、あなたは相変わらず武芸に熱心ですねえ。武家の嫡子として采配をふるっておられるようで、精が出ますねえ。いやあ、物部もののべの一族は勇ましいですね。今日は天気もいいし、稽古をするにもうってつけの日和で……」


 武家の嫡男が戦の指南をするのは当然のことだし、天気がよかろうが悪かろうが、稽古はする。


 話のネタまで女みたいだな――。麁鹿火は舌打ちをした。


暢気のんきなものだな。飛鳥はいまや――」


「雄日子様でしょう? 聞きましたよ。高嶋の若王が、騎馬軍を引きつれて恐れ多くも列柵宮なみきのみやの近くまでやってきて、ぶしつけにも騎馬を並べて様子を窺ったとか――ふうん。まあ、座りましょうよ」


 金村は笑い、兵舎の脇に立つ木々のもとへと麁鹿火を連れていこうとした。


 だが、ここは物部邸だ。


 幼馴染同士で、両家の行き来も多いとはいえ――。


「客のくせに図々しいなぁ。慎ましくしろよ」


 咎めても、金村は「いいじゃないですか」と笑うだけだ。


 金村は勝手知ったふうに、大庭に立つ中で一番大きな桂の木の下に麁鹿火を誘った。


 この宮が建つ前からある古い大樹で、よく茂った枝は遠いところまで伸びている。


 木陰も広く、夏の日差しに晒された庭と比べると、打って変わって涼しい風がそよいで通り抜けていた。


「いい場所です」


 金村は、幹を背にして早速腰をおろしている。


 麁鹿火は「俺の家だよ」と文句をいった。


 仕方なく隣に寄りかかってやると、金村は麁鹿火の顔を覗き込んで、にやっと笑う。


 金村の細い目は、麁鹿火に謀を持ちかけるようだった。


 ――じつは、あなたに内緒の相談があるんです。


「――」


 麁鹿火は、軽くにらんだ。


 金村が誘った桂の木の陰は広く、麁鹿火の部下も、金村についてきた大伴氏の武人も、誰も近づこうとはしなかった。


 地面に落ちた影は、ここから中に立ち入ってはならぬと無言で示す目印に見えた。


 麁鹿火は気づいた。


 この木の下につれてこられたのは、人払いをするためだ。


「いま、父たちは窺見うかみ探しに躍起になっているようですね」


 異国に遣わされることもある金村は異国の言葉にも長けていて、そのせいか、飛鳥人あすかびとならではの訛りがすくない。


 癖がない、という癖があって、異質な喋り方をする男だった。


 麁鹿火は警戒しつつ、「ああ」とこたえた。


「翻弄されてばかりでは大王の威信にかかわる。湖国をきつく罰せねばならないが、これ以上の手落ちは許されない。次は総力をあげて潰しにいくことになる。入念に進めるためにも、下調べをせねばならないからな」


「実は、その話をきいて、高嶋の若王というのに私も興味が湧いたのですよ。ですから、私がその窺見になろうかと思ったのです。それで、あなたにもご一報しようかと」


「――は? 窺見? おまえが?」


 麁鹿火は、しかめっ面をした。


 この忙しい時に冗談に付き合う暇などないと、怒りも込みあげた。


「いや、きっと聞き間違えたのだな。よりによって大王の威信にかかわる一大事において虚言そらごとをいうなど、とんでもない無礼だ。そんな大それた真似を、大伴の嗣子がするはずはないよな。もう一回いってくれるか?」


 嫌味をいうと、金村は肩をすくめてみせる。


「きこえてたくせに。本気ですよ」


 しかし、納得がいくわけがない。


「本気だと? おまえが窺見になる? 武術の稽古もさぼりがちのくせに?」


「おや酷い。腕を疑うなら、ここで剣技を披露しましょうか」


 金村はにやっと笑って、自分の剣の柄に手をかけるふりをした。


 金村の腰にさがったその剣も、金村が身にまとう数多くのものと同じく異国づくりだ。


 剣の鞘は金色で、細かなうろこ模様をかさねる細工がほどこされ、陽光を浴びればぎらぎら輝く。飛鳥の匠がつくる物ではないと一目でわかる、華美な品だ。


「この、大陸かぶれが」


 新しいと聞けばその都度手を伸ばす金村のことを、麁鹿火は、八方美人や尻軽女のように感じていた。


 ちゃらちゃらと軽々しい姿をしやがって――。


 眉をひそめて睨むと、金村は微笑んで、麁鹿火の苛立ちをなだめようとする。


「なにをいってるんです。雄日子様もそうで、大陸かぶれですよ。知りませんか? 湖国には大勢の異国者が住みついているそうですよ。高嶋の都はいまや、難波よりも大陸の都に近いでしょう。飛鳥なんて、くらべようもない」


「なんだと? おまえ、飛鳥を愚弄する気か」


「なぜ怒るんですか。私は『高嶋が大陸の都に近い』といっただけです。いにしえの風情あふれる飛鳥の都に、大陸らしさなどは不要のもの、そうでしょう? あなたこそ、飛鳥が大陸に劣っていると考えているのではないですか?」


 くっ――と、麁鹿火は言葉を飲み込んだ。


 金村のことが苦手なのは、この男にはこういうところがあるからだ。


 とぼけたふりをして、いざ話をすると人を食ったように切り返してくる。


 ああいえばこういう――と、口ごたえがかなわない類の男なのだ。


 金村は、なにも起きなかったように平然と笑っていた。


「昨晩、父とすこし話したんですが、あの人はどうにも頭がかたくてね。腕のいい窺見を探すのだとばかり繰り返すのですが、話をききながら私は、なにも窺見にこだわらずともいいのになあと、思ったわけなんですよ。でも、父は私の話をきこうともしない。だから、自分でやろうかなあと思ったわけなんです」


「――なんの話だ」


「つまり、なにも、これまでどおりのような、潜むのがうまい窺見を探さずともよいのではないかなぁと思うのですよ。真っ向から勝負を挑まなくてもいいんです。雄日子様と同じことをすればいいんです」


「――」


「無理に隠れずとも、逃げ切ればいいのです。先日、騎馬で飛鳥に入りこまれた時はそうだったのでしょう? 雄日子様は百頭以上もの馬を連れて、隠れもせずに街道をとおってやってきて、同じ街道をとおって逃げのびた。つまり、逃げる算段が先にあれば、人の目につこうが、逃げられるのです。窺見になるのも同じで、堂々と宮門をくぐって、あなたの味方です、お世話になりますといってやればよいのです」


「なんだと?」


 そこまで話が進んで、ようやく金村の本意が見えてくる。


 つまり、相手を欺いて内側へ入り込もうというのだ。


「しかし――」


 あまりにことが大きい。


 大伴一族の嫡男の金村が、みずから敵陣に忍び込むなど――。


 大きくひらかれていく麁鹿火の目を見やって、金村はくすりと笑う。


「騙し合いは戦の常、そうでしょう? そういうわけで、私は高嶋に向かいます。ここにきたのは、我が友へのお別れの挨拶と、念のための、お誘いに」


「お誘い?」


 なんの話か、わからない。


 いや、もちろんわかるが――ことが大きすぎる。


 黙り込んだ麁鹿火に、金村が真正面から向かい合う。


 ひょうひょうとした笑顔の奥で、金村の目は麁鹿火をまっすぐに睨みつけた。


「麁鹿火、あなたも私といきますか」


 つまり、一緒に高嶋へいき、敵陣に乗り込むかと、尋ねられているのだ。


 思わず、唇がとじる。


 麁鹿火の目の裏にふっと浮かんだ男の顔があった。


 長年の友人――荒籠あらこという男だ。


 荒籠は河内かわちという地で馬の牧を営む馬飼うまかいで、幼いころからの付き合いになる。


 大王のおそば近くで政を支える物部氏の力は大きく、馬飼と比べると身分に大きな隔たりがあったが、騎馬に憧れた麁鹿火にとっては、馬飼の一族を率いる嗣子として数々の馬術を受け継ぐ荒籠は、憧れの師のようなものだ。身分の差など、考えたことはなかった。


 しかし、荒籠は河内から去ってしまった。


 荒籠が去った集落からは、行方知れずになっていた飛鳥の役人が土の中から見つかった。


 湖国の雄日子に馬を貸したのも、荒籠だった。荒籠が預かるのは、倭国の馬、大王の馬だ。つまり、荒籠は大王の馬を盗み、叛逆者に渡した大逆人となった。


 いまも荒籠は、雄日子とともに湖国にいるはずだ。もしかしたら、高嶋に。


「しかし――」


「嫌なら、いいのです。あなたのほうが私より腕がたつだろうから、一応誘いにきただけです。べつに私は一人でもかまわないし、数が少ないほうが身軽で良さそうですからね」


 金村に無理に誘う様子はなかった。


 麁鹿火の口から「ちょっと待ってくれ」と小声が出た。


 頭の中が急にせわしくなり、ここ数日の間に思いめぐらした数々が、入れ替わり立ち替わり流れては渦を巻く。


 たった一人で街道に立ちふさがり、飛鳥の兵を殲滅しようとしたあの武人――。


 あの男が仕える、雄日子という男――。高嶋に都をもち、湖国から北の海までの一帯を手中におさめる若王とは、いったいどれほどの男なのか。


 荒籠すら、その若王のもとへ向かった。大王に仕える男を殺して埋め、これまで馬飼の一族を引き立ててきた自分や物部一族を裏切ってまで――。


 金村は軽く会釈をして、桂の木陰から出ていこうとした。


「それでは、お元気で。無事に帰ってこられたらまた会いましょう。さっきの話は、くれぐれも内密に――」


「待て、金村」


 つい、引きとめていた。


「俺もいく」


 金村は笑った。


「そうこなくては。では、旅立ちは今夜、日が暮れてからにしましょう。それまでに旅の支度をしてください」


「父に許しは――」


「信頼できる者を一人残して、明日知らせさせなさい。私もそうします。いえば、私とあなたの父は必ず止めますから」

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