草辺の宴 (1)

セイレンと雄日子の物語です。

二人の関係性は、ストーリーが進むごとに少しずつ変わっていきますが、2巻の後、または、カクヨム版の2話が終わった後くらいの設定になります。

そのあたりまでのネタバレを含みますので、気になる方は本編を読んでいただいてからお読みになることをオススメします。


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 荒籠あらこが、激怒した。


「馬を逃がした、とは」



 ◆  ◇    ◆  ◇ 



 はるか彼方まで続く草原。遠く、大地の果てのように見える海の方角からそよいでくる、草の香りが乗った風――。雄日子の護衛軍が集まった草原の景色は、爽やかだ。


 でもいま、雄大な景色も風も、凍りついていくような不穏な気配が満ちていた。


 知らせを受けて草原にやってきた荒籠は、微笑を浮かべていた。でも、誰がどう見ても不機嫌な笑顔だ。顔の左半分がぴくりとひきつっている。


「その、替え馬というすべを使って遠乗りの稽古をしようと、馬をつれて走ったのですが、従わせることができず、すぐに行方を追いきれなくなり――」


 荒籠の前で平伏したのは、雄日子を守る武人の二人組。


「なるほど、そうですか」


 荒籠の口調は穏やかだった。けれど、騒ぎをきいて駆けつけたセイレンから見ても、「とんでもないことが起きているぞ……」と思わず近づくのをためらってしまうくらい、荒籠は虫の居所が悪かった。


「いいですか。馬は飼うのがとても難しい獣です。まして、人を乗せない馬を走らせるのは至難の業で、俺の部下にも、それができる者は数人しかいません。よほどふだんから馬たちそれぞれの性根を熟知し、心を通じ合わせていなければ成し得ないのです。俺にとっても難しいことです。あなた方には無論、できるはずのないことなのですが――教えていただきたいものです。いったいなにをもって、ご自分にもできるとお思いになったのでしょうか?」


「申し訳ありません、荒籠様! しかし、馬飼の皆様があまりにも簡単そうに馬を走らせていらっしゃったので、つい――」


「わが馬飼は獣を扱うまじない師のようなものです。簡単そうに見えるのは、技と経験があるからです。――すこし考えればおわかりになりませんか? 雄日子様のお付きなのですから。あなたがたも簡単に人を殺めているわけではないでしょう? 技と信念がおありなのでしょう?」


 口調はゆっくりで落ち着いているのだが、声が発せられるたびに、ズズン……ドオン……と稲妻が走り、轟くようだ。しかも、狙いよく急所に落ちていく。


 騒動に気づいて集まった武人たちも、ひそひそと耳打ちをしあった。


「荒籠様が怒ってる……激怒しておられる……」


 セイレンも思った。


(この人はこんなふうに怒るのか……怖――)


 なんというか、「もう二度としません」と許しを請ったところで、怒りがおさまるまでは蹂躙し尽くす大嵐まがい、というか。


 こうなった後のこの人に逆らえる人なんかいるのかな――。


 こわごわ様子を見守っていると、館の方角から人が駆けてきた。馬を数頭率いていて、近づいてくると、荒籠に手綱をさしだした。


「お頭、逃げた馬を追いましょう」


 馬飼の千樹ちきだ。時には荒籠の代わりの役を務めることもある、賢いと評判の若者だった。


 荒籠の部下のその男は、機嫌を損ねた荒籠のあしらい方もよく知っているようだ。


 荒籠から叱られた武人たちに苦笑して、なぐさめる余裕も見せた。


「賢い方ですから、お怒りはすぐにおさまりますよ。しかし、皆様。お頭がいったことは、ぜひ頭に入れておいてくださいね。馬は扱うのがとても難しい獣なのです。――いきましょう、お頭」




 


 馬飼たちの支度は早い。


 すばやく馬具を整えていくさまは、セイレンたちには目で追いかけるのが難しいくらい手際が良い。あっというまに隊列が仕上がり、馬上から、荒籠は馬を逃がしたという武人に声をかけた。


「馬が逃げた方角はいずれでしょうか」


「あの……西です」


「何頭でしょうか」


「二頭です」


「わかりました。――いこう」


 すぐさま、馬飼が乗った馬が駆けだしていく。


 集まった全員が馬の巧みな使い手だ。駆けだした時の姿勢も、馬の駆けだし方にも無駄ひとつなく、見事に揃っていた。


 草原に駆けでていった馬飼は五騎。勢いよく走っているはずなのに、鞍の上の半身は、ゆったり乗っているだけに見える。


 馬たちは激走と呼ぶべき速さで駆けていくのだが、馬飼たちがあまりにも当然のように鞍に乗っているので、思わず、セイレンは目をしばたかせた。


 神の使いの姿を見たような、錯覚をした。まるで、馬と人の身体をあわせもったふしぎな一族が、草原に駆けだしていくような――。


 同じように思った人もいたようだ。


「人馬一体というのか――すごいなぁ。荒籠様たちが本気で馬に乗ったらああなるのか。これまでは、我々に合わせてくださってたんだなぁ」


 草原にため息が充ちる。


 セイレンのため息も、そこにまじった。






 知らせは、雄日子のもとへも届いたようだ。


「僕の部下の不手際でそうなったのなら、のうのうと館で休んでいるわけにはいかないだろう。手伝ってやろう」


 そこで、武人たちも馬にまたがり、草原に駆けだすことになった。


「みな、頼んだぞ。しかし、荒籠たち馬飼に従うように。馬のことならあの者たちがおさだ」


 馬の支度が整った者から、つぎつぎに草原へと駆けでていく。


 セイレンも、鞍にまたがった。


 馬に乗ると一気に目の高さがあがる。馬の胴のぶんだけ腿をひらくことになるので、地の上に立っている時とは姿勢も変わる。


 なによりも、揺れだ。


「さ、いこう」


 馬の腹をちょんと蹴って合図を送ると、馬はゆっくり歩きだしてくれる。歩いている時はゆらゆらと揺られる横揺れだが、「走って」と合図を送ると、揺れが一気に上向きに変わる。


 馬も生き物だ。のんびり屋だったり、真面目だったり、勝気だったりと、馬ごとに性格が違うものだが、揺れにも一頭ごとに癖がある。その癖に合わせて乗ってやらないと、馬は機嫌を損ねてしまって、乗り手がなにをいっても知らんぷり――という羽目になる。


 セイレンが乗ったのは、はじめてまたがる馬だった。乗り慣れた馬がいなくなってしまったからだ。


(まずは揺れの癖を掴んで――ちゃんと操れるようにならないと)


 乗り手が馬の揺れに合わせてやれば、馬は邪魔をされないので気持ちよく走ってくれる。つまり、より速く、より長い時間走ってくれる――と、そう教えてくれたのは、荒籠。


 こつは掴んでいたけれど、わかったのと、できるのとは別ものだ。


 走っていた馬の速さが、きゅうにゆるんでいった。


 しまった――と思った時にはもう馬がへそを曲げていて、走るのをやめて歩きはじめてしまう。ついには、足もとの草を食べはじめた。またがる姿勢が悪くて、馬の機嫌を損ねてしまったのだ。


「ごめんってば。走ってー!」


 草原にぽつんと取り残されたセイレンとは裏腹に、武人たちは器用に馬を走らせて遠ざかっていく。


 セイレンは馬のたてがみを撫でてやりながら、懸命に馬の機嫌をとった。


「もうちょっとだけ走ってくれないか? せめて稽古をさせてよ。ねえ」


 荒籠たちを手伝うのは馬術に長けた男たちに任せるとしても、せっかくここまできたのだ。すこしくらい上達したいというものだ。


「ねえ、歩いて――あ、そうだ。水を飲みにいこうよ。向こうに小川があるよ。おいしいよ。ねえ――」


 どうにか動いてもらおうと声をかけていると、隣で動きをとめた別の馬がいた。鞍にまたがっているのは、雄日子だ。


 馬上にいる同士で、目が合った。


「こんなところで、どうしたの」


「――進まなくなった。はじめて乗る馬で、まだ動きを読み間違える」


 雄日子は、草原に出た一行の長。着ているものも髪飾りも極上で、ここら一帯にいる者のなかでは一番の身分をもつ男だと、一目でわかる身なりをしている。


 その、見るからに立派な姿をした男が、馬を操りきれずに、草原でぽつんと取り残されていた。


 セイレンの身体の奥底から、ふつふつと笑いがつきのぼった。


 顔がにやにやとゆるんで、こらえきれずに声まで漏れた。


「――く」


 雄日子は、苦笑した。


「そんなに嬉しそうに笑うな。僕がしくじったのがそんなに楽しいのか」


「だって……」


 結局、こみあげた笑いがとまらなくて、あっはっはと声が出た。笑い過ぎて目じりに涙も浮かんでしまった。


「いっつも偉そうにしてるのに、馬にうまく乗れないなんて。あなたにも苦手なことってあるんだね!」


「悔しいが、言い返せなさそうだ。こうなってしまったのだからな」


 雄日子もセイレンと同じように馬の頸を撫でて、馬の機嫌をとっていた。でも、そのうち手をとめて手綱をとった。


「ただ、僕は、慣れるのが人より早いほうだ」


 そして、馬の腹を蹴り、馬に声をかけて駆けだしていく。


 セイレンは、はっとした。


「待て。ずるいぞ! わたしだって―――」


 置いていかれたのだ。慌ててセイレンも馬の腹を蹴る。


 先をいく雄日子は、追いかけてくるセイレンを振り返って笑っている。


 ――また、人をからかうような真似をして――!


 なぜだろう? その男からそんなふうに笑われると、苛立つ癖がついたようだ。


 いらっとして目の色を変えると、セイレンも雄日子の馬を追いかけて草原を駆けさせた。


 だんだん雄日子の馬に追いついていって、ついには並ぶ。


 横一列に並ぶと、セイレンは首をのばして、雄日子の顔を覗きこんだ。


「これでどうだよ。わたしだって、慣れるのが早いって荒籠様にいわれたんだ」


 にやっと笑ってみせるものの、雄日子は、いつもの調子だ。


「あまり急がせると、ばてるぞ」


「なあ、わたし、さっき話しかけたんだけど。きいてたか?」


 速さを競い合うように、馬を走らせた。


 彼方まで続く広大な草原の中では、風は気ままに育ち、西から東から、いろんな方角から吹いてくる。


 疾走しながら自分の頬で切り分けていく風と、彼方の山や海の方角からそよいでくる爽やかな風の中を、二騎で並んで走り続けた。


 やがて、行く手に川の水辺が見えてくる。太陽の光を浴びて、水面は光の粉をまぶしたように輝いている。まるで、緑の野を貫いてゆるやかに横たわる銀色の光の帯だ。


 河の向こうで影になる山々。銀の川も緑の野もこえて、青空を飛んでゆく鳥の影――。


「きれいだねえ――わたし、この眺めが好きだ」


 雄日子と駆けながら、セイレンは川辺の景色に目を細めた。


「すごく、きれいだ。一緒に走るのがあなたでも、こんなに感動するんだものね」


「ひどいな」


 雄日子が苦笑する。


 セイレンも、はっと気づいて詫びた。


「ほんとだ。ひどい言い方をしたね。うっかり本音が――」


 雄日子は「もっとひどい」とさらに笑った。


「本当に、僕にそんなことをいうのは、おまえくらいだ」





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【書籍情報】

10月23日に、書籍版『雲神様の箱』の2巻が角川文庫から刊行されました。

1巻に引き続き、web版との違いをお手元でお楽しみいただければ嬉しいです。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000361/


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最新情報はTwitterにて!

円堂 豆子:@endo5151 (https://twitter.com/endo5151)

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