風霊の辻 (3)

 日鷹ひたかは、飽きたら一気に興味をなくすほうだ。


 セイレンをからかって満足したのか、日鷹は寝た。


 横になっていびきをかきはじめた日鷹に、セイレンはぶつぶつと文句をいう。


「日鷹が、こんなにいやな奴だとは思わなかった」


「そうかな。意外に合ってるんじゃない?」


 日鷹もセイレンも、子どものような気性だ。どちらかといえば似た者同士じゃないか?と、藍十は笑った。


 奇妙な風はまだ吹いていた。くすくす……という笑い声やささやき声も、まだ途切れない。


 ただ、慣れてきた。そのせいで、眠気もじわじわと感じるようになってきた。周りを見渡しても、起きている奴が減っていた。


 見上げれば、月も夜の星も、かなり動いてる。もう夜半を過ぎただろう。


 夜風もすこし冷えた。


 暖をとるようにセイレンは火の前で膝をかかえて、「ふわあ」と大きなあくびをした。


「おまえも寝なよ。おれが起きてるから、怖くないよ」


「藍十はいつ寝るの?」


「そろそろ先に寝た奴が起きるから、その後で寝るよ。べつに、寝ずの番の後役をやるのとかわらねえよ。慣れてる」


「ふうん。でもなあ――なんとなく、まだ眠れない」


 そういいつつ、セイレンの目はとろんとして、まぶたが半分おりている。眠いのに眠れないと駄々をこねる幼子おさなごのようだった。


「なら、眠くなるように話でもしてやろうか。――昔むかし、あるところに、小さな狐がいました」


 子守歌を歌うような話し方をしたせいか、セイレンは怒った。


「ばかにしてんのか?」


 でも、子どもから「子ども扱いをするな」と文句をいわれても、微笑ましいと笑みがこぼれるだけだ。


 「わかった、わかった」とこたえて、話を続けた。


「その小さな狐は、しっぽが二股にわかれていました。そのような尾をもつなど、災いをもたらす魔物に違いないと、小さな狐は、里を追いだされてしまったのでした」


「――眠くなる」


 セイレンがうとうとしはじめて、「ちょっと横になるよ」と、火のそばで寝転んだ。


 だから、続けた。焚き火に小枝を足しながら、眠りを誘う子守歌を歌うように、ゆっくり、のんびりと。


「二股のしっぽをもった小さな狐は、仕方なく、旅にでることにしました。そして、あるところで、立派な姿をした若い王から、声をかけられたのでした。『そのように美しい尾をもった獣ははじめてみた。どうだ、ここで、僕のことを助けてくれないか』――。でも、小さな狐は、迷いました。これまでさんざんばかにされてきた自分のしっぽを、美しいと思ったことなど、一度もなかったからです。でも……」


 ――寝たかな。


 知らんぷりをしつつセイレンの様子を眺めていたが、ある時から、華奢な肩がすう、すうと上下するようになった。


 日鷹が寝て、セイレンも寝入った。薪にまとわりついた炎が焦げる音だけが、ぱちぱちと不規則に鳴り響く、夜中の静寂がやってきた。


 うしろから、足音が近づいてくる。気配があるほうを振り返ると、ひときわ頑丈な身体を誇る武人が近づいてきていた。護衛軍の長、守り人の長をつとめる赤大あかおおだった。


「なんだ、いまの話は」


「きいてたの? それっぽくつくったんだよ。セイレンが喜ぶかと思ってさ」


「二股にわかれたしっぽをもつ小さな狐――この子の身の上話か」


 赤大は藍十の隣にやってきて腰をおろすと、セイレンの寝姿を見やった。


 火の熱がほどよく届く暗がりで、セイレンはくるんと胴をまるめて眠っている。


 赤大は、笑った。


「寝姿は、狐だ」


 赤大の手には焚き木があって、たずさえてきた小枝の一本を、火にくべた。


「藍十、おまえも眠ったらどうだ。私もひと眠りしたところだ。火の番をかわってやろう」


「早いね」


 夜空を見上げた。たしかに、もう遅い。いまから眠れば、夜明けまで、ある程度は休めるだろうか。


「なら、頼むよ。――おやすみ」





 眠るのも役目だ。


 眠れる時にさっと眠って、いざという時に働けないと、話にならない。


 だから、藍十は眠ろうと思えばすぐに眠れるほうだった。


 でも、その晩は奇妙だった。やたらと眠りが浅い。


 眠っているのか、起きているのか――。まどろみの時間を長く過ごしていて、眠ったまま起きているような、曖昧な気分だった。


 眠りの奥で、ひゅう、びょおお……と、風が唸っている。ふしぎなことに、くすくす……という笑い声や、話しかけてくるようなささやき声は、眠りについた後もずっと続いていた。


 ただ、目の前に浮かんだ景色は、眠る前に見たものとは違っていた。


 旅先の景色よりも、もうすこし目に馴染みのいい山の景色を見ていて、時も、真夜中ではなく日暮れ間際。沈みかけた夕日が、山の端にぽたりと落ちゆくのを待つ真っ赤なしずくのように、西の空の果てにいた。


 眠る前にも赤大がそばにいた気がしたけれど、いまも、藍十のそばには赤大がいた。


 赤大は二十歳を過ぎたあたりの青年の姿をしていて、赤大を見上げる自分は、十くらいだった。


 ――あれ? たしか、肩を並べられるくらいまで背が伸びたはずだったのに。


 赤大の顔を見上げている自分にすこし驚いたけれど、そのうち、驚いていることに驚いた。


 ――なにをいってるんだ? 赤大はおれよりもずっと年上だ。

 ――早く追いついてやる。背丈も、力も。


 まずは身体が、しだいに心も、藍十はだんだん、子どもに戻っていった。


 赤大は、藍十の師匠でもある。子どもの頃からずっと背中を追ってきた相手だ。


 稽古で打たれて、殴られて、蹴られても、ああそうだ、この痛み。そうかよ、こいつが殴ってくるところはここか、打ち方はこうかよ!――と、師匠の技を盗んでやると、痛みを身体に刻んできた。


 赤大が大きなけがをさせないように気をつけていたのは藍十にもわかったし、戦い方を習うのだから、痛いのは当たり前だ。


 けがをした時に早く治す方法を教えてくれたのも赤大だったし、稽古のほかのことでも、親身になって話をきいてくれるいい兄貴分だった。


 強くて頼もしくて気遣いもできる、最高の兄貴を見つけたと、藍十は赤大を尊敬していたけれど、赤大のことが恐ろしいと思った時が、一度だけあった。


「赤大、帰ってきたんだろ。稽古をつけてよ!」


 赤大も藍十も、王に仕える武人の血筋だ。


 藍十が十になる頃には、赤大は王の守り人として、遠くへ旅に出ることもあった。


 旅先では、野盗と争うことも多いのだという。森の陰から問答無用で襲いかかってくる賊の襲撃をはねのけて、その身を盾にして王を守る勇ましい役目を与えられるのが、王に仕える武人――藍十はそうきいていたので、早く自分もその役目につきたいと、憧れていた。


 稽古をかねて、赤大と二人で山にこもったある夕べ、くつろいでいると、突然草陰から、襲いかかってきた奴がいた。


 野盗だった。旅に出るとよく出くわすという力自慢の大男が、赤大と藍十のもちものを奪おうと、茂みから飛び出してきたのだ。


 その時だった。


 赤大は息を吸うように剣を抜いて、息を吐くように野盗の腹を刺した。その男が悲鳴を漏らして倒れていき、目を見開いたままその場に倒れて、息を引き取っていくのも、赤大は穏やかに見ていた。まるで、剣の切れ味を試すかのようで、男の死に様よりも、血にまみれた剣の刃のほうを気にしているようにも見えた。


 人は、病でも、けがでも、刑でも、それなりによく死んだ。


 藍十も、殺される人を見たことがないわけでもなかった。


 でも、ほかでもない赤大が、こんなふうに誰かの命を奪うのを見たのが、恐ろしかった。こんなふうにはしない男だと思っていた。


 がくがくと震えていると、赤大がぎくりとして、振り向いた。


「そうか……旅のあいだはこの暮らしがふつうだったから――そうだな、私はいま、おかしいことをしたな」


 赤大は、寂しそうにいった。


 だから、藍十はうそを口走った。


「おれ、なにも見てない」


 見てはいけないものを見た気がして、大丈夫だよ、赤大――と慰めたかった。


 でも、赤大は、「見たほうがいい」と苦笑した。


 その晩のことだ。


 子どものむじなを狩ってふたりで平らげて、そろそろ寝ようかと支度をしていると、とつとつと、小さな獣が歩いてくる物音がした。


 森の奥から近づいてくる足音は、やたらと寂しそうだった。


 やってきたのは、むじなだ。その晩の夕餉に食べた子どもの貉よりも、一回り大きい身体をしていた。


 すぐに、気づいた。きっと、うまい、うまいと食らっていた貉の子の親だ。


 むじなは、ちらちらとくゆる炎をじっと見て、ぎぎぎと低い声で鳴いた。


 火の底には、食らった後の白い骨が、一緒になって燃えている。


 ――ごめん。おまえの大切な奴を、ごめん――。


 真っ青になった藍十の顔を、そのむじなは夜闇越しに尾ではたくようにして、背を向けた。


 草を踏み分けていく物音が森の奥に遠ざかってからも、藍十はしばらく呆然としていた。


 隣で、赤大が苦笑した。


「めそめそするな。飢えたおまえがもう一人いたら、私なら、親のほうもまとめて狩って、いまごろこの炎で炙っていた」


 火に炙られて、ぱちん、ぱちんと木が鳴っている。


 赤大は淡々と手を動かして、すこし小さくなった火に、さらに燃えろと小枝をくべた。


「さっきの男もだ。おまえが殺されるくらいなら、私はためらいなく人を殺す。むじなも同じだ。おまえが飢えるよりは、私はあの貉の親子を食うほうを迷わず選ぶ。――いいか、藍十。剣をもった奴が生きのびるというのは、そういうことだ。だが、いまおまえが感じているものは、決して失ってはいけない大切なものだ。おまえは優しい子だ。そのまま育ちなさい」


 その後、藍十はしばらく無言で泣き続けた。


 そうか。剣をもって戦うっていうことは、かっこいいっていうだけじゃなくて、とんでもない極悪人になるっていうことでもあるんだ――それに、おれはなるんだ。おれは、そういう奴になりたいんだ――。ううん、そうなら、なりたくない。でも、なりたい。でも、いやだ――。


 たぶん、そういうことを考えた初めの時だった。炎や、炎の底に沈んだ白い骨や、人を殺したばかりの赤大の剣を、幼い目でひたすらじっと見続けた。どうあれ、これが真実なんだと、身に沁みこませていく気分だった。



 ――涙がとまらなくてほとんど寝つけず、やたらと夜が長かった。それは、よく覚えていた。

 でも、はるか昔の出来事だ。

 どうしていまごろ、こんなに鮮やかに思い出す?

 


 ――おかしいぞ。妙だ。起きろ。

 悪夢から逃げ出すように、藍十は無理やり目を覚ました。


 ふしぎな世界に溶けかかっていた意識を力づくで引きはがすように、思い切り起きあがる。


 すると、周りの気配が一気にかわった。


 やっぱり、夢だった。咄嗟にそう思えるほど、ぱっと目に入った夜闇は色濃く、頬や首を這っていく風も刺すように涼しい。


 見渡せば、谷底の隙間に点々と焚き火が燃えていて、その火を囲むように仲間が眠っている。


 起きている奴は、数えるほどしかいなかった。ほとんどの連中が、寝転んだりうつむいたりして寝入っている。


 話し声もなくしずかだったけれど、びょおお……と、崖と崖の隙間を通り過ぎていく風は、まだそこにいた。寝入る男たちを上のほうから眺めて面白がるような、くすくす……という笑い声も、まだ真上から降っている。


「おやっさん?」


 ふと見れば、赤大の顎がうつらうつらと揺れている。


 赤大が居眠りをするなど、めずらしいことだ。


 声をかけると、赤大のまぶたがぴくりと揺れた。


「――妙な夢をみた」


「おれもだ。なんだか、おかしくないか?」


 頭上をあおいだ。


 罪人とがびとを探すように見上げたからか。


 通り過ぎていく風の気配が、すこしかわった。いたずらを見破られた子どもがさっと遠ざかって、離れたところから「やあい、ひっかかった」とはやしたててくるような、そんな気配だ。


牙王がおうにきこう」


 二人で立ちあがって、主に仕える邪術師を探した。


 牙王は、雄日子のそばでうとうととしていた。


 雄日子はといえば、宵とかわらずしずかに眠っている。


 主を起こさないようにと、牙王の肩をそっと揺さぶって、「きてくれ」と歩きはじめた頃には、牙王も事情を察したらしい。あたりを見回しはじめた。


「なにやら、妙なものが増えていますな」



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【書籍情報】

書籍版『雲神様の箱』2巻(角川文庫から10/23刊行)の書影が公開されました。

装画のご担当は苗村さとみ様! 感動的な美しさです。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000361/


ご予約オススメです!

書店で表紙買いされる方が絶対にいらっしゃると思われる上、新人作品なので、入荷数が少ない書店も多いはずなので…


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円堂 豆子:@endo5151 (https://twitter.com/endo5151)

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