風霊の辻 (2)

 日鷹がいいだした妙な勝負で負けることになったのは、セイレンだった。


 負けた奴に課せられる罰は、なにか面白い話をして、勝った奴の退屈をまぎらわすこと。


「面白い話なんか、ないよ!」


 セイレンから睨まれても、日鷹はいつもの調子だ。にやっと笑ってけしかけた。


「なら、方法を教えてやるよ。これまでで一番恥ずかしかった思い出を話せばいいだけだ。簡単だろ?」


 ――そうそう。こいつは、そういう奴だ。


 面白い話といってもいろいろとあるだろうに、なにをしていいかわからないと焦る真面目な新米を相手に、世話を焼くふりをしつつ、当人が一番話したくないはずの話を聞きだそうとして、からかっているだけ。


 男所帯ではよくあることで、入ってきたばかりの新米がまず目の当たりにする受難というやつだ。


 セイレンは素直な奴だ。いまも、いいことを聞いたとばかりにじっくりと悩みはじめた。


「なるほど。面白い話っていうのは、恥ずかしい話のことなのか。教えてくれてありがとう、日鷹。そうだな、恥ずかしいこと、恥ずかしい……」


 いやいや――そうじゃないんだ、セイレン――。


 はっきりいって、今のはありがたい教えなどでは絶対にない。


 右も左もわかっていない新入りにわざと恐ろしい話をして、震えあがらせたりするのと同じ類だ。種明かしをされた後で「よくも騙しましたね!」と憤る少年を、これまで何度見てきたことか。


 しかも、いまそういう目に遭っているのはセイレン――娘なのだ。男を相手にするのと同じようにからかうのは、まずいんじゃ――。


「日鷹、あんまり……」


 釘をさしておこう。と、藍十はいいかけたが、当のセイレンは首を傾げたり、腕組みをしたりしながら、ああでもない、こうでもないと頭をひねっている。


 ――楽しそうだし、まあ、いいか。


 熱中しているようだったので、ひとまずは待つことにした。


 護衛軍に入って、この子が男所帯で暮らしていくなら、場数を踏むのも大事なことだ。痛い目も、すこしくらいなら見たほうがいい。――よほどまずい話をはじめたら止めてやろう。うん。


「あった、恥ずかしい話」


 ぱっと、セイレンの顔があがった。


 目が勝ち誇ったようにきらきらとしていた。


「じゃあ、面白い話を話すぞ」


 「いくぞ、いくぞ――本当にいくからな!」と誰よりもまず自分にいいきかせるような前置きをして、セイレンは話をはじめた。






 ――去年のことだ。


 久々に、罠に獣がかかった。しかも、まるまる太った仔猪!


 土雲の里では狩りをして暮らしていたんだけど、里では、家ごとに罠を仕掛けていい場所が決まっていて、わたしが仕掛けていいところは、ほとんど獲物がかからない狩場の端だったんだ。だから、久々の獲物に、わたしはとても喜んだ。


 あんまり嬉しくて、吹き矢を吹いて仕留めてから、獲物をかつぐ道具をとりに家まで駆け戻って、「すごいのがかかった、あつものの支度をして!」って、フナツに――わたしの育ての親なんだけどね――知らせにいったんだ。


 今日はごちそうだ。脂がたっぷり乗った仔猪!


 飛び跳ねながら、罠の在り処まで戻った。


 そうして戻ってみたら――罠の中は、からっぽだった。いったいどこで罠にかかった仔猪の幻をみたのか、罠が働いた気配もなくて、捕まえたと思ったのも気のせいだった。吹いたはずの木矢が、ぽつんと落ちていた。


 あーあぁとがっくりしていたら、罠の真横に、ぽつんとなにかが落ちていた。覗きこんでみたら、どんぐりの実だった。


 これをやるから我慢しろと、幻の仔猪に馬鹿にされた気がした。






 セイレンの口がとじた。


 藍十も日鷹もじっと耳を傾けていたので、周りは静かだ。


 炎をまとった焚き木が、静寂のなかでぱちん、ぱちんと音を立てた。


「それで?」


「それで――終わりだ」


 セイレンは、ふしぎそうに真顔をしている。


 頬杖をついて寝転んでいた日鷹が、くくっと笑った。


「恥ずかしい話でもなんでもねえし、面白い話でもねえ」


「ええ?」


 セイレンが文句をいったなりのことだ。


 頭上を吹き抜けていた風が、ブオンと唸った。


 護衛軍が野営にした谷底が、風の神やら霊やらが好んで集まる妙な場所だったということで、夜が更けてからというもの、野営を吹き抜けていく風には、くすくす……というささやき声や笑い声が乗っていた。でもいま、きゅうに風の気配が変わった。


 目にはみえないなにかから一斉に見下ろされたような錯覚をして、そのうえ、風にまじる物音がブオン――とそろった。


『……それで終わりか、なんと』


 と、拍子抜けした時のため息に似ていた。


 日鷹がふきだして、頭上を指でさす。


「ほら、連中もいってるよ。面白くなかったってさ」


「連中って、風か?」


「ああ、面白いどころか、野暮ったい話だった」


「えええ?」


 ぶうっとセイレンが頬を膨らませる。


 すると、頭上を通りぬける風だけではなく、三人の周りにいた男連中もどっと笑った。


 いつのまにか、客が増えていたらしい。しょげたセイレンを見やって、護衛軍の武人たちはくすくす笑っていた。


「なんだよ、おまえら。勝手にきいてたくせに笑うな! いまの話のなにが野暮ったいんだよ!」


 セイレンは周りにも文句をいったけれど、藍十にはわかった。周りの連中の、セイレンをみる目は優しかった。


 野営の眠れぬ晩に、先達の男にからかわれるのは、ある意味、通過儀礼のようなものだ。


 なかば無理やりであれ、みんながそいつのことで笑ったなら、すこし仲が深まるものだ。


 周りの連中は、セイレンを仲間として迎え入れようとしていた。主の雄日子に惚れこまれて、突然男の集団に交じることになった娘のことを、みんなが興味をもってみていた。


 でも、そんなふうに眺められるのは、何度もそういうものを見てきた年長者だけだ。たいてい当の本人は、からかわれると腹を立てる。


「知るかよ。わたしはおまえらみたいになあ、大勢で話したことなんかないんだよ。そんなに笑うなら、つぎはおまえが面白い話をしろよ」


 さあどうだよ、手本を見せてみろよ。と、セイレンは鼻息荒く日鷹につっかかっている。


 一枚上手の兄貴にじゃれつく弟のようで、なんだかんだ、馬が合っているように見えた。






「んーまあ、面白い話というわけではないかもしれないけど、なら、あの話をしようかな。こういう寂しい夜になると思い出す話だ」


 セイレンにさんざんせっつかれるので、今度は日鷹が話す番になった。


「俺は、海辺の生まれだ」


 こんな話だ――と、日鷹が話しはじめた。






 ――俺の家は代々船乗りで、生まれた里の近くには大きな港があった。


 あとから知った話なんだが、異国の船が多く寄りつく水辺の街では、流行り病がよく広がるんだそうだ。


 十の頃にも、妙な病がはやった時があって、熱がさがらずに死んでしまう人がたくさん出た。


 流行り病は、水神の祟りだ。だから、怒りを鎮めてもらえるように、水神に里の娘を嫁がせようという話になった。


 つれていかれた娘は、水神が棲む淵に捧げられる――つまり、そこで殺される。その娘に選ばれたのは、俺の姉だった。


 俺の姉が選ばれたのは、里で一番美しかったからだ。弟の俺から見ても姉はかなりの美人で、優しい人だった。


 病におかされた奴にも死んだ奴にも知り合いが大勢いて、みんなが病に脅えて、悲しんでいた。病の広がりが本当に水神の祟りによるものなら、水神の怒りが大きければ大きいほど、祟りを鎮めるには、より美しい娘が要る。


 俺の姉が美しいことも、誰の目からみても明らかだった。反対できる奴はいなかった。仕方のないことだった。


 姉がいなくなってしまうのは悲しかったけれど、そういうものなのかと、俺も堪えるしかなかった。姉が里にはびこった苦しみをすべて救う存在になるなら、神様になるようなことだ。やはり姉はすごい女なのだと、誇らしくも思った。


 でも、ある時、長老のばあちゃんがぼそりといったのをきいた。


 ――昔は、こういう人身御供に選ばれるのは、王の娘だったんだけどねえ。

 ――ただの美しい娘よりも、王の血をひく美しい媛のほうが、値打ちが高いだろう?

 ――神様に差し出すのは一番いい宝だ。だから、かつて水神に嫁いだのは、王の娘だった。

 ――でも、いつのまにか、王の娘でもなんでもない、ただの美しい娘を差し出すようになったのさ。自分の娘を捧げるのを王がもったいなく思って、渋るようになったんだ。


 なんだそりゃ。と、俺は腹が立った。


 水神の妻にと姉が選ばれたのは、一番美しい娘だったからだ。


 だれかがこの流行り病を止めなくちゃいけないから、姉も、俺の家族も泣く泣く受け入れたんだ。


 崇高だと信じていた姉がいなくなる理由が、俺のなかで一気に揺らいだ。


 偉い男が渋ったから、やりたくもない役目が偉くない男の娘に回ってきたってことか?


 偉くない男にとってもその娘にとっても、とんだ迷惑じゃないかよ!


 いてもたってもたまらず、俺は、水神に直談判をしにいくことにしたんだ。


 誰もいない夜中をみはからって、水神の淵に出かけた。


「水神様におたずね申しあげる。俺の姉は、美しい女だ。姉がにこっと笑ったら、偉い男もいい人ぶって、食べきれないくらいの土産を置いていく。姉を妻に迎えたいという男も何人もいる。あなたは本当に、姉を手に入れたら、怒りを鎮めてくれるのか。かならず病をしずめてみせると誓うなら、この人形ひとがたを水の底に沈めてみせろ。この淵で明日殺される姉を迷わせることなく水神の宮へ連れていき、あなたのもとに迎え入れると、明かしてみろ」


 用意したのは、木のかけらでつくった人形ひとがた――人の形に削った呪いの道具だった。


 宵のあいだに夢中でつくって、たしか、十個くらいあったと思う。


 それを、淵にどんどん投げ入れた。


 放り込まれた時こそ、ぱしゃんと水音が鳴ってわずかに沈むけれど、人形ひとがたはすぐに浮きあがって、水面は人の顔を描いた木のかけらでいっぱいになった。


 淵の水面を埋め尽くすように浮かんだ人形ひとがたを眺めて、俺は、ほっとしていた。


 木は水に浮く。この人形ひとがたが沈むなど、考えられない。この淵にたとえもし本当に水神が棲んでいたとしても、木のかけらひとつ沈めることができないなど、力の弱い神だ。そのような神に、流行り病に苦しむ里を救うなど、できるはずがないのだ。


 俺はほっとして、家に帰ろうとした。


 どうせここには力が弱い神しかいないから、姉を捧げるのは考え直すべきだと、持ちかけるためだ。


 よかった。これで姉を助けられると、水面から目をはなしかけた時――。


 波ひとつなかった水面に、ふわりと、輪っかの形が浮いた。


 満月に近い、明るい夜だった。水面には円い月がくっきりと映っていたけれど、その月は、水面のあちこちで生まれた波紋で揺れて、水の上で、粉々にくだけていった。


 波紋ができたところでは、ひとつ、またひとつと、人形ひとがたが沈んでいった。


 まるで、水の底からつめたい指がそうっとあがってきて、人形ひとがたをつまんで、しずかに水底にかえっていくような――水音すら響かせずに、水神は、俺の目の前で、水に浮くはずの木の人形ひとがたを、ひとつ残らず、水の底に沈めてみせた。


 淵の底は深くて、夜闇より深い暗い色になっている。沈んだ人形ひとがたがどこへ消えたかも、やがて、見えなくなった。


 俺は、膝が震えて、その場にしゃがみこんだ。それから、泣いた。この淵には間違いなく神がいる。もうだめだ、姉を助けられないんだと、泣きじゃくった。人には勝てない相手がいると知った恐ろしさに、打ちのめされた。一度は勝てると思いこんだ相手にこてんぱんに負かされたのも、悔しくてたまらなかった。


 だから、いまだに――。


 あの時と似た月夜がくるたびに、胸の痛みを思い出す。助けられなかった姉のことも――。






「ちょうど、こんな夜だったよ。満月になるかならないかの、月の光が明るい夜だった」


 と、日鷹は、頭上にあがった月をふりあおいだ。


「それからだよ、俺が武人を目指したのは。祟りを追い払うには鉄気かなけがきく。鉄気かなけといえば剣、武人のもちものだ。水神に頼らなくても、病も、なにもかもを追い払うには、それしかないと思った。あの得体の知れないものにも、もう二度と負けたくなかった。――おしまい」


 日鷹は頬杖をついて、火のそばに寝転んでいた。


 話していたあいだもいまも、柔らかい微笑を浮かべていた。


 日鷹の頬は、ちらちらと揺れる火明かりを浴びている。


 セイレンは、同じ色の火の光を小さな身体にまといながら、隣でじっと聞き入っていた。そして、息を吹き返したようなため息をついた。


「日鷹って、大変な目にあってきたんだなぁ。いつもへらへらしてるけど、そんなに悲しいことが――」


 セイレンの声を遮るように、日鷹が笑う。


「うそだよ。――信じた?」


「は?」


「ぜんぶ作り話だよ。セイレンって、騙すのが楽だな」


「はあ?」


「面白かっただろ? これで本当のおしまいだ。『うその話を信じこむセイレンの話』だよ」


 その時だ。頭上を吹いていた風が、勢いよく渦を巻いた。けらけらけらと、笑っているような音も鳴った。


 日鷹も、げらげら笑った。


「ほら、及第だ。連中も笑ってる。面白かったってさ」


「連中って、風か? それに――いまのは、おまえの話じゃなくて、おまえにいいように騙されたわたしのことを嗤ったんだ!」


「あぁ、わかった。なら、面白かったのはセイレンだ。面白い、面白い」


 セイレンが、唸るようにいった。


「いま、ばかにしたな……」



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【書籍情報】

10月23日に、書籍版『雲神様の箱』の2巻が角川文庫から刊行されます。

そろそろ書影が公開されるのかな??(とっても美麗です…!)


1巻に引き続き、web版との違いをお手元でお楽しみいただければ嬉しいです。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000361/


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最新情報はTwitterにて!

円堂 豆子:@endo5151 (https://twitter.com/endo5151)

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