風霊の辻 (1)

セイレンたちが、書籍版『雲神様の箱』1巻の後(カクヨム版ではだいたい1話「箱使いの娘」の後)に秋の夜を過ごしたら――という、もしかしたらの物語です。2巻発売までのあいだ、しばらくお付き合いいただければ嬉しいです。

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「やれ、騒がしい場所だ」


 まじない師の牙王がおうが見上げたのは、崖の上。


 百人からなる雄日子の護衛軍が、山奥で夜を過ごすために選んだのは、崖と崖に囲まれた谷底のような場所だった。


 すでに日は落ち、寝支度を進める頃合いだ。火に集まる虫も、夜更けを好む虫にかわっていた。


 虫や鳥の声は静かだが、ごおお……ひょおお……と、風の音が響いている。


 不気味で、奇妙な風だった。そのうち、火を囲んだ男たちを取り囲むように、ざわざわ、くすくすと、人や、人でないものの気配や笑い声が、風の音に混じるようになる。――人ではないものが、集まりはじめていた。


「そういえば、道案内をした爺が『あの谷に近づく者はそういない』といっていたが、こういうことだったのか――出るんだ……化け物が――」


 顔を青くして、武人たちが噂話をはじめる。


 霊や呪いの類とあれば、頼られるのは、呪い師として主に仕える牙王がおうという男だ。


「どうだ。場を移ったほうがよいのか」


 武人のおさ赤大あかおおから尋ねられたものの、牙王がおうはのんきだった。


「山奥ではよくあることでしょう。もともと山は、人ではないものの棲みかですから」


「ここで休んでも害はないのだな?」


「獣も夜になったら出歩きますし、霊も動くのです。めずらしいことじゃありませんよ。――おや」


 牙王が、顎を傾ける。


 ひょお――ひょう……と、風の音がすこし甲高くなっていた。


「どうした、様子がおかしいのか」


風霊かぜだまが通りぬけているのです。大丈夫ですよ、赤大様。ここを通りたがっているだけです。悪さはしません」


 赤大あかおおにこたえたのは、うしろからやってきた斯馬しばという男。牙王とはべつに、あたらしくまじることになった呪い師だ。


 弟子の柚袁ゆえんをともなってやってきた斯馬は、牙王が眺めるのと同じ、崖の上あたりを見て、笑った。


「霊が集まると、風が吹くのですよ。水が狭い場所を通る時に流れを強めるのと同じです」


 「それにしても、賑やかな場所ですね」と、牙王がおう斯馬しば柚袁ゆえんと、集まった三人のまじない師は、そろって苦笑を浮かべている。


 その顔の一つ一つを見渡して、赤大あかおおは渋々うなずいた。


「呪いやふしぎに詳しいあなた方が害はないと口を揃えるなら、焦る必要はないのでしょうな。――ただ、みなが怖がっている。みながしっかり休めるように、すこし大人しくさせることはできないでしょうか」


 そこで、二人の呪い師、牙王と斯馬は、ともに崖の上を眺めることになった。


人霊ひとだまも集まっておりますが、騒がしいのは風の霊のようです。これは、妙なものがいると面白がられましたかな」


「妙なもの――我々ですか」


 雨が降りそうですねと、空の話をするような和やかさで、牙王と斯馬は談笑を続けた。


 牙王がおうは、雄日子に仕えてきた邪術師。


 斯馬しばは、やまと大王おおきみに仕えてきた呪い師の長だ。


 仕えてきた主も、祈り方も、二人はそれぞれ異なる。牙王も斯馬も、互いの技に興味津々というふうだった。


「牙王様なら、どうなさいますか」


「話しますかな」


「話す?」


「ええ。風の霊に付き合って、一晩中話します。私に気を取られているあいだに、みなが休めばよい。人身御供というわけです。斯馬様、あなたならどうなさいますかな」


「私なら、潔斎きよめの囲いを張りますかな」


潔斎きよめの――それは?」


「ここから内側には入ってくれるなと頼む、霊威の壁をつくるのです。人のための斎庭ゆにわをつくるのですよ」


「ほう、霊威の壁――人のための斎庭ゆにわ――。では、お手並み拝見といきましょうか」


「そうなりますか」


 うしろから、柚袁ゆえんが口をはさんだ。


「そのような――斯馬様のお力を試すような物言いは、失礼ではございませんか」


「いいのだよ、柚袁。私はもはやみやの長ではなくなり、雄日子様のもとでは、ただの新入りだ。――と、いうわけです、牙王様。あなたに従うほかないようですな」


 斯馬は、遊びを楽しむふうに牙王と目を合わせた。






 土地にしずまる神は、場所によって変わるものだ。


 その地に縁のない新参者がやってくると、面白がって暴れる神も、いやがって追い払おうとする神もある。


 大王おおきみ一族の屯倉みやけをあらたな地に広げていく時には、その地に住まう地の神の御霊みたまを鎮めるものだが、それは、みやの主な役目のひとつだった。斯馬にとっても、慣れたものだ。


「この地に鎮まる偉大なる地の神、風の神に、わが願いを聞こし召せと、かしこみ畏みもうす。地鎮とこしずめの御祭みまつりにかえて、今宵ひと時の宿をかし与え給えと、乞い祈りもうす――」


 人払いをした岩の上で、斯馬は姿勢よく座り、祈りを捧げた。


 やまとまじない師がめずらしいことをはじめたぞと、じろじろと見つめてくる武人たちの視線の中で、斯馬は祈り続ける。祝詞のりとの最後の言葉を終える頃には、崖に響いていた風の音も、ささやかなものに弱まっていた。


 野営につどう男たちが見上げた先で、夜空の星のまたたきがひとつ、またひとつと強くなる。空を隠していた強い風がおさまって、風に隠されていた満天の星空が姿をあらわしはじめたのだ。


 斯馬も岩の上から降りてきて、頭上にあらわれた星々の大河をふりあおいだ。


「いかがでしょう、牙王様。いくらかは鎮めたと思いますが」


 斯馬と同じように頭上をあおいだものの、牙王は、ふうむと腕組みをした。


「まだ、騒いでいるようですが」


 喚いたり飛びあがったりするような生き物じみた風は、おさまっていた。でも、くすくすという笑い声やささやき声は、ひそかに耳に届いている。


「ずいぶんおさまりましたよ。虫の羽ばたきや葉擦れの音と思える程度です」


 斯馬は、苦笑した。


「静けさも賑わいも、人が好むものだけを求めれば、いずれは霊も森も川も人に飼われて、自然ありのままの在り方を忘れてしまいましょう。人の思いどおりにならない時こそ、霊や森や川が自然ありのままに生きていると喜んでやるべきだと、私は思います」



 ◆  ◇    ◆  ◇ 



「と、まじない師のみなさまはおっしゃっておいでですが――」


 きこえてくる呪い師同士の話に耳を傾けながら、藍十あいとおは、火のそばで苦笑した。


「そんなことをいっても、これじゃ眠れないよな」


 風は、崖と崖の隙間で火を囲む武人たちの頭上を吹き抜けていく。


 しかも、ごおお……ひょう……と音を立てる時には、誰かがぶつぶつ喋っているような奇妙な物音が混じるのだ。人の言葉には聞こえないものの、そのぶん恐ろしい。


『……そこにいるのだな、待っておれ。今いくぞ』


 などと、恐ろしいものから狙われるような空耳をしようものなら、野営のそこらじゅうでびくりと頭があがり、「くるな――!」と悲鳴が漏れる。


 藍十あいとおと同じ火を囲んで寝転んでいた日鷹ひたかも、呆れて笑った。


「だよなあ。俺たちの頭はまともなんだよ。はっきりいおうか。化け物は怖い。人じゃないものの笑い声が降ってくる晩に、どうやって眠れっていうんだよ。怖くて、小便にも一人でいけないじゃねえかよ」


 ここにいるのは、湖国の若王の守りにと集められた少数精鋭の武人ばかりだ。


 とはいえ、相手が人ならともかく、風の神やら霊やら、正体がよくわからない奇妙なものが相手では、怖いものは怖いのだ。


「仕方あるまい。交代で眠ろうか」


 という話になった。


 頭上を通り過ぎていく風にくすくすと笑われながらでも眠りにつける図太い奴は、眠ればよいのだ。


 長く眠らないと困る奴、短い眠りでも休める奴、あっというまに眠りにつける奴など、眠りについての癖も人それぞれだ。だから、眠い奴から寝る。


「眠れる奴は先に休んで、後役をやってやれ。誰かが起きていると思えば、このような夜が苦手な奴も眠れるだろう」


 赤大あかおおの命令が順々に伝わっていくと、起きていることを選んだ連中は、夜長を楽しむ支度をはじめた。


 夜食がわりの塩漬けがふるまわれて、ひそかな宴がはじまった。


 焚き火の周りの土に、栗の実を埋める者もいた。火の熱でかたい殻が爆ぜるのを待てば、待っているだけで中の実をいただける。


 ただし、用心が要る。かたい殻がはじける時に、勢いあまって実が宙を飛んでいくこともあるからだ。しかも、そういう時、木の実はかなり熱い。


「熱っ」


 日鷹ひたかが埋めた栗の実も、ぱしんと音を立てて土の中から飛びあがった。


 だから、日鷹は避けた。


 避けた先には、別の武人が休んでいる。こんがり灼けた木の実が飛びゆく先の的になった男は、悲鳴をあげた。


「あちっ! 日鷹、おまえ……!」


「悪い悪い。その実をやるから許してくれよ」


 日鷹の明るい声が響くと、周りの男たちがどっと笑う。


 日鷹は騒がしい奴で、態度もでかい。陽気な男で、なにをやっても周りの目をあつめては笑いを生む、奇特な奴だ。


 よくやらかすが、そのわりに本気で恨まれることがすくない。相手が日鷹だと、文句をいう奴すら楽しそうにいうのだから、ふしぎなものだ。


 いまも、「あぁあ、火傷したじゃないかよ――仕方ない奴だなあ」と、仲間はすぐに折れた。


 日鷹のほうも、過ちを引きずるような性質ではなかった。夜食にと回ってきたあけびに手をのばして、もうかじっていた。


 そうかと思えば、藍十に向かって手を差し伸べた。


「なあなあ、藍十。握手しようぜ」


 日鷹は、にやにやと笑っている。


 急になんだよ――と、差し出された日鷹の手に目をやると、理由がわかった。あけびの汁で、日鷹の手はべたべたに汚れていた。手を握り合ったついでに、相手の手で汁をぬぐおうという魂胆だ。


「――洗ってこい」


「あ、ばれた? やだよ、化け物が怖いもん」


 その後も、日鷹は「握手しようぜ、なあ、藍十」とせびりながら、げらげら笑う。


「すこしは黙ってろよ、鬱陶しい」


 いらいらと酷い言葉を投げつけても、「そういうなよ」と日鷹は笑っている。


 ああ、うるさい――と、日鷹から遠ざかるように姿勢を変えた時、ほうとため息をきいた。


 隣で火にあたっていたセイレンが、惚れ惚れというふうにこちらを見ていた。


「藍十と日鷹って、本当に仲がいいんだなあ」


「仲がいい? いまのが?」


 いまなら、本気で日鷹を罵倒していたのだが。


 セイレンは、日鷹や、日鷹が火傷を負わせた男も見回している。


「ここにいる奴らって、みんな仲がいいよな」


 どうも、さっきの焼き栗の騒動のことをいっているらしい。


 あれこそ、仲がいいというよりは、日鷹がやらかしただけだ。


「男所帯だから、うるさいだけだよ」


 藍十は答えたけれど、セイレンの目と目が合うと、それ以上いうのはやめておいた。


 ちらちらと揺れる火明かりを浴びて、セイレンの小さな頬は赤く輝いていた。目も、愉快な場所にいることをよろこぶように、きらきらとしていた。


 この子がそう感じたのなら、そうなのだろうな――そう思うことにした。






 びょおお……と、唸りながら、風は谷を吹き抜けていく。ひそやかに内緒話をするような怪しいささやき声も、まだ風に交じっていた。


 そのうえ、眠ることを諦めた連中が話に夢中になりはじめている。


 男所帯の悪いところだ。ほかへの遠慮など知らない奴、遠慮を知っていたところで気の遣い方が下手な奴がいて、時おり大声を出すので、結局騒がしい。


 セイレンが、あくびをひとつ。


「ふわあ……眠いけど、こんな場所じゃ眠れないよね」


 たしかに、この場で眠れる奴のほうがすごい。肝の据わり具合が半端ではないが、あっというまに眠れる奴も、いるにはいる。


 セイレンも、そのうちの一人に気づいた。崖ぎわの端で横になった主の姿だった。


雄日子おひこ、寝てるね――あの人はすごいね。どこでも寝られるよな」


 やがて、時が経ち、食べ物もなくなり、話の種も尽きてくる。でも、まだもうすこし、眠気は遠い。


「することがないから、遊ぼうか」


 同じ火を囲んだ藍十、日鷹、セイレンの三人で、土の山と棒を使った遊びをすることにした。小さな土の山をつくって、木の棒を刺す。


「一人ずつ順番に、手のひらで山を崩していくんだ。棒を倒した奴が負けだ。負けた奴は、罰な。なにか面白い話をして、勝った奴の退屈をまぎらわすこと」


 日鷹がいいだした妙な勝負をなんとなく受けることになって、三人で順番に、手のひらで土の山を掻くことになった。


「なんだよ、その勝負」


 セイレンは納得がいかないというふうに顔をしかめていたけれど、根が素直な奴だ。はじまってみれば、誰よりも真剣な顔をして土の山を睨んで、慎重に手のひらで掻きとっていく。


 でも、不器用だ。力が入りすぎてしまって、セイレンの番で土の山は大きく崩れて、棒も倒れた。


「あっ――――」


 土の上にころんと倒れゆく木の棒を見つめながら、セイレンは、この世の終わりをみるような顔をした。


 日鷹がにやりと笑った。


「じゃあ、セイレンに面白い話をしてもらおうか?」




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【書籍情報】

10月23日に、書籍版『雲神様の箱』の2巻が角川文庫から刊行されます。

1巻に引き続き、web版との違いをお手元でお楽しみいただければ嬉しいです。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000361/


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最新情報はTwitterにて!

円堂 豆子:@endo5151 (https://twitter.com/endo5151)

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