双子の約束 (2)
「山の下って、光があふれているね。まぶしいくらい。きれいねえ――」
うっとりと石媛はいい、それから、ぼそりと続けた。
「あのね、私、ばかにされたの。一人じゃ山の下にもおりられない奴が土雲媛になるのか――って。あのね……」
石媛がぽつぽつと話したのは、幼馴染がいっていたという陰口だ。
土雲の里では、
「だから『山の下を見たい』っていってたのか? あんたは本物のばかだな。そんな軽口に乗せられるなよ」
石媛が独り歩きをできないのは当然のことだ。いずれ
「たかがそんなことのために、こんなことになってるのかよ」
今度はセイレンが文句をいう番だ。「あのなあ」とつぎの文句を用意していたものの、石媛の目はすでにべつの方角を向いている。
「あれ、なんだろう」
野原を流れる川に沿うようにつくられた、立派な道が見えていた。山の上と下をつなげる一本道とは違って、人の手で平たく整えられた大きな道で、そのような道は土雲の里にはない。
その道をとおる行列があった。二十人くらいで列をつくっていて、大きなものを担いでいる。太陽の色と同じきらきらと輝く飾りがたくさんついた柱の隙間に人の姿が見えた。乗り物――
「ねえ、セイレン。すてきね。お祭りかな」
「さあね。偉い奴が、下っ端に自分を運ばせて移動してるだけかもよ?」
「偉い人?」
石媛のまぶたにふと力がこもった。石媛はじっと目を凝らすようにして、行列を見つめた。
「山の下の偉い人か……とても、きれいね」
まだ見ぬものに憧れるような言い方だった。
「ねえ、セイレン。あの御輿に乗っている人ってどんな人なのかしらね。婆様みたいな女の方かな。それとも、男の人かな。山の下じゃ、男の人が
「石媛?」
どうしてそんなに夢中になるのか、セイレンはよくわからなかった。それよりも気になったのは、周りの気配だ。はっと目を光らせて、幹の影に隠れた。
「人だ」
人の気配が、ふたりの居場所に近づいてきていた。ぼんやりとする石媛の腕を引いて、森の内側に身をひそめる。
森のきわをとおる細い道の向こう側から、人が歩いてきていた。肩に長い棒をかついでいる。それが稲田の世話をする道具だということは、セイレンはなんとなく覚えていた。
「畑の世話をしにきた人かな。こっちにくるよ。――帰ろう、石媛」
「でも――おねがい、もうちょっとだけ……」
石媛の目は、さっき見つけた行列にくぎ付けだ。太陽の光を浴びて、御輿はまだ金色に輝いていた。
セイレンはきつい言い方をした。
「いくよ。山の下の人は野蛮で、土雲の民を見つけたら捕まえて殺すって。わたしだけじゃあんたを守れないよ。わたしが逃げ切れたところで、あんたが攫われでもしたら――」
セイレンと石媛は、顔も姿も、そっくりな見掛けをしていた。同じ日に生まれた双子だからだ。
でも、大きく違うところがあった。
セイレンは「災いの子」で、石媛は「いずれ土雲媛になる聖なる娘」だ。石媛は、里中の人が大事に育てる、いずれ
石媛はまだ物足りなそうにしていたけれど、セイレンは「いくよ」と腕を引いて、森の奥へと引き返すことにした。
森の中を歩きながら、セイレンは、石媛の腕を握り続けていた。
そうしないと、石媛がふらっと戻りかねないと怖くなった。
日差しの光に満ちた山の下の世界――石媛の心はまだそちらを向いている。それが、セイレンにはありありとわかった。
いまだけではなくて、セイレンはいつも、なんとなく石媛のことがわかった。
双子の生まれとはいえ、わけあってふたりの縁は切れている。親と呼ぶべき人や家、暮らし方もまるで違ったけれど、ふしぎなことに、たいていいつもセイレンと石媛は同じことをしていた。
たとえば、セイレンと石媛は、水辺でよく会った。水が飲みたくなる時、水浴びをしたくなる時が、なぜか同じなのだ。
「いま、あいつが困っているな」と、感づくこともあった。セイレンにつらいことが起きた時に話をしたくなる相手も、石媛だった。
そういう時は、石媛がいる場所がなんとなくわかる。それも、ふしぎだった。
会いにでかけると「そろそろセイレンがくると思った」と石媛が笑うのも、ふしぎだった。
ふしぎだけど、当然のことでもあった。セイレンも同じだったからだ。「そろそろあいつがくるな」と、泣き顔の石媛を待ち受けたことは、これまでに何度となくあった。
双子の縁は切れたとされたけれど、ふたりのあいだで、その縁が切れたことは一度もなかったのだ。
山に戻るごとに、石媛の心は戻ってきていた。
さすがにもう一人で戻ろうとはしないだろう――と、腕から手を放して、またしばらくふたりで歩いていると、石媛がおもむろに高い声をだす。
「ああ、はるかなる境の
独り言のようにぶつぶついったあとで、石媛はしょんぼりと肩を落とした。
「この
「――いらいらしてるね」
朝から晩まで、狩りやら物作りやら、自分たちのぶんだけでなく、土雲媛やお偉いさま方のぶんまでの力仕事を命じられるセイレンと同じように、石媛にも、日々の役目があった。
歌を覚えて独り言を喋るだけで飯が食えるなんて楽でいいなぁと、セイレンは思っていたけれど。
「なんだよ。山の下にいきたがったのは気晴らしのためだったってこと?」
「――うん、それもある」
「だからって、あんたがこっそり館を抜け出したのがあのクソババアに見つかったら、もっとねちねち叱られると思うけど?」
「見つからなきゃ、大丈夫」
「――大地の神様は、すべてをお見通しなんじゃないの?」
大地の神の威霊は、土や砂粒など、土に因するもののすべてに宿るので、隠れて悪事をはたらこうがすべて神の知るところとなる――というのが、土雲の一族の教えだ。
――いずれ土雲媛になる奴のくせに、おまえが信じてないのかよ?
セイレンが呆れていうと、石媛は唇を噛んだ。
「でも、それなら、私がこうしてセイレンと会うのを、大地の神はお許しになっているってことだわ。あなたと会っちゃいけないって、あんなに婆様からも母様からもいわれているのに」
坂道をのぼり、山の上にる里へ戻ってくるにつれて、木々や草花の色合いがかわっていく。
葡萄色の小花を群れさせる鳥尾花が姿をみせはじめ、
花に負けじと緑の色も濃くなり、山の下ではあまり見かけない紫色の葉をつける木々も増える。どれも、山に染みた「毒」を吸いあげて浄める力を持つ、土雲の一族が種を運んで旅をする種類の草木だ。清めの力をあらわすように、山の下にある草花よりも色合いが強かった。
香りも違った。
山里を囲むように、土雲草という草が群れていた。
里の入り口あたりまで戻ってくると、石媛は照れくさそうにはにかんだ。
「土雲の里って、こんなにきれいだったんだね。山の下を見てきたからかな」
「あんたの目って都合がいいね。気分次第で景色まで変わるのかよ? わたしにはいつもと変わらないように見えるけど?」
文句をいうと、石媛は苦笑した。
「そうかな? そうなんだけど」
里の入り口にたどり着くと、セイレンはそこで立ち止まった。
「先に帰れよ。わたしはあとで戻る」
ただでさえ、ふたりで一緒にいると面倒なのだ。「会ってはならぬ」とくぎを刺す祖母や母だけでなく、『災いの子が聖なる媛に近づくなど――』と、里者もうるさい。それなのに、ふたりで山の下を見にいったなどとばれたら――。
「そうだね」
石媛は寂しそうに笑って、「じゃあ」と一歩を踏み出しかける。でも、足をとめて、振り返った。
「あのね、セイレン。私、ひとつ決めていることがあって。私が土雲媛になったら、セイレンは『災いの子』じゃなくすからね」
土雲の一族では、
セイレンは呆れて、天を仰いだ。
「その頃にゃ、わたしは『災いの子』じゃなくて『災いババア』になってるよ」
いまの長、土雲媛の役に就いているはふたりの祖母だが、祖母が死んだ後は、その役目は母が継ぐことになっている。石媛が土雲媛になるのは母が死んだ後、つまり、何十年かは先のことだ。
「期待してないよ。それに」
セイレンは、うつむいた。
石媛は、里の中でセイレンのことを「災いの子」と煙たがらない、数少ない人のうちの一人だ。でも、それがこの先何十年もずっと変わらないと、どうやって信じられるだろう?
セイレンはすこし怖くなった。
「先のことなんか口にするなよ。約束なんかきらいだ。あんたまで、いつか、やっぱり掟は曲げられない、わたしは一族の穢れだって言い出したら、心がつら過ぎる」
「セイレン、私は――」
石媛は文句をいいかけたけれど、黙った。
そして、いいかけた言葉の代わりに、そっと顔を近づけてくる。額をかたむけて、自分の額とセイレンの額をこつんと合わせると、ふふっと笑った。
「言葉じゃなきゃいいってことね。これで、伝えた。約束するね」
「はあ?」
つい、口喧嘩をはじめるような声が漏れた。
石媛は急げとばかりにするっと離れて、われ先にと、里へと続く道をたどっていった。
「じゃあ、先にいくね。またね、セイレン」
じゃれつくかわりのように里へ戻っていく石媛のうしろ姿に、やっぱりセイレンは呆れた。
「やっぱり、能天気な奴。頭がおめでたいし!」
でも、遠ざかっていくうしろ姿が見えなくなった後で、つい、そうっと額に指で触れた。
約束がまだ残っている――そんな気がした。
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久しぶりの『雲神様の箱』です。
本当は「双子の約束」ではなくて「二人の人魚」とタイトルを付けたかったのですが、本編を未読の方にはわかりづらいかな~とやめました。
(わかる方に「あぁ~」と思ってもらいたくて書いてます)
『雲神様の箱』の書籍版が発売されるまで、しばらく番外編を連載します。
いただいたリクエストによる番外編も準備ができましたので、来週からスタートします。
お題募集の企画にご参加くださった皆様、ありがとうございました!
『雲神様の箱』を通じてまた皆様とお近づきになれるのが、とても楽しみです。
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