俺の名は (2)

 そわそわしながら眠るくらいなら、なにかが起きてしまうほうが日鷹は好きだった。


 任されたのは、敵陣の窺見。守り人と呼ばれつつも実はなんでも屋で、主の身を守るだけでなく、なんでも器用にできないと務まらない。


 咄嗟の判断が必要になったり、見たことがない道具を使えといわれたり、稽古のしようがないこともよく任される。つまり、器用で図太くないと駄目なのだ。


 一人で動くほうが多いから、気弱な奴にも向かない。寝ずの番も独り、そのほかも独り。独りで動いて役に立てないと意味がない。


(俺はできるけどね)


 独りに慣れていたら、背後や死角など、目が届かないところまで注意がいきとどくようになる。慣れ過ぎて、二人、三人でいるほうが気が散るくらいだ。


 塀を乗り越えて外に出ると、森の暗がりに伏兵の気配がないのをたしかめる。真っ黒の影になった太い幹のそばを伝って、王門の方角へ進んだ。


 気配に敏くなると、勘も冴える。


 これは、いるな――。


 音で自分の居場所がばれてもつまらない。すばやく前に進むのは、風が吹いて木々が揺れた瞬間だ。風が鳴る時を狙って、足音を消す。


 しばらく進んで、木の影に身を隠す。大勢がいる気配を感じた。幹の影から目元を覗かせて、戻す。唇に笑みが浮かんだ。


 もう一度奥を覗く。つぎは、見るものの狙いを定める。知りたいのは、そこにいる人の数と、並び方、武装、指揮官の数と配置、そこから見出せる隊の規模。


 森に潜む男たちは、大和風の鎧を身につけていた。賀茂と飛鳥は遠く離れている。それなのに、なぜ連中がここにいるのか。


(あぁあー。これは)


 間違いない。賀茂の王の誘いそのものが罠だったのだ。


 でも、それも罠だ。おそらく、主の狙いどおりなのだ。こいつらは、雄日子という餌を狙って自分から火に飛び込んでくる蛾や羽虫で、これから炎に焼かれるのだ。その炎も、おそらくは主がつくらせるもの。


 ――あぁ、面白い。これだから、ここにいるのはやめられない。


 腰の物入れの狼煙のろし玉を探った。布と布がこすれる音を風の音にまぎれさせ、木の影の中央で、ここまで運んできた小灯籠の覆いをよける。


 その覆いは真っ黒に塗られていた。内側で灯る火の光をかき消すためだ。覆いをわずかによけるなり、火の明かりが暗がりを押しのけて、そこに添えた指を赤く照らし出す。


 火芯の周りで揺れる赤い炎に狼煙玉を近づけて、芯を焦がした。芯の端がよれていき、火が移る。その火が狼煙玉の奥にいきつけば、いまに天高くのぼる白煙を生む。


 こういう珍しい道具を扱うことも、守り人には多かった。主の雄日子が新しいものを好んだせいで、「試してみろ」という一言で預けられて、使い勝手を事前に試すのは一度か二度、実戦ではじめて使うこともしょっちゅうだ。


 でも、日鷹は器用で、そつなく使いこなせるほうだった。いちいち説明をきかなくても、道具をみれば使い方もわかる。


 布芯に火がついたのをたしかめて、小灯籠の火を吹き消す。幹の影から出て、木と木のあいだの地面に狼煙玉を置いた。ここなら、立ちのぼった煙が木の葉に邪魔されずに上がる。王宮のなかで合図を待つ赤大や藍十の目に届く。


 あとは、火芯が燃え尽きて煙が出はじめる前に、ここを去らねば。煙玉を置いた敵がいますと知らせるようなもので、追いかけっこになるのもつまらない。さて、逃げよう。と、足を速めた。


 そういえば――。


 こういう時、藍十は人が変わったように笑わなくなる。近寄ったら殺すぞと気配で威嚇するので、武人らしい奴だと憧れる半面、普段との変わりようが面白い。


 日鷹の場合は、こういう時、笑ってしまう。愉しくて、胸がわくわくと高鳴っていく。


 前に、藍十と話したことがあった。


「雄日子様が大王おおきみになられたら、世の中はもっと落ち着いて争いも減るだろうな」


 でも、日鷹は興味がなかった。「ふうん」と返すと、藍十は驚いた。


「争いがないほうがいいだろ?」


「どっちでも。戦がなくなったら俺たちの仕事がなくなっちまうだろ。俺にはおまえみたいな貴いこころざしがないしさ。それに、剣を使った争いがなくなったとしても、ほかの争いは生まれるだろうし、不幸せもなくなんねえよ。ほどほど楽しんでれば、どんな暮らしでもほどほど楽しいだろ」


「――けちをつけるわけじゃないけどさ、そんなふうに考えるのはおまえが雄日子様に気に入られて守り人になったからだろ。海と水上の戦に詳しいからだよ。おれは一つ一つのし上がってきたからさ、下っ端も見てるし、上に上がりたい、上がったらこうするんだって、守り人になる前によく考えてたからさ」


 日鷹が故郷を出て、高島という異国の若王に仕えることに決めたのは、そのほうが面白そうだったからだ。


 海民の出で水と船に慣れていたので、高島にいった後はするすると招かれて守り人になったようなもの。セイレンと同じで、妬まれたこともあった。


 でも、藍十にまで「おまえは特別だろ」といわれるのは腑に落ちない。


「なにを。おまえもいろいろ飛び越えて守り人になってるだろ。黒杜くろもりの弟なんだからさ」


「母違いだ」


 藍十の機嫌が悪くなる。


 藍十と黒杜は母違いの義兄弟で、藍十の母親は侍女で、父親の妾にあたる。黒杜の母親のほうが正妻なので、昔からよく揉め事が起きたらしい。


「小さい小さい。そんなことにこだわってると隙が生まれて、いつか大けがするぞ」


「知ってるっつうの」


 藍十の声が苛立った。


 でも、ほうっておいた。いつも真面目にいい人ぶっているから、たまには怒ったほうがいいのだ。


 にやにや笑っていると、舌打ちをされる。


「なんだ、その顔」


 いつも温厚ぶっているこの男が不機嫌になった顔を見るのは、たまらなく愉しい。舌を出して変な顔をしてやると、藍十は無言で睨んで、背を向けた。






 野宿をする晩は、一番気を尖らせて主を守る。


 守りに適したところが選ばれるが、それほど土地勘もなく、防御の壁も壕もない夜天のもとでは、当然、寝ずの番が増える。守り人は必ず誰かが起きているし、そのほかも交代で眠った。


 だからみんな、戦をやり過ごした賀茂を抜けて、山背やましろの離宮に着くのを心待ちにしていた。


 山背の離宮の主は、水無瀬みなせはた王。高島とは古くから付き合いをもつ商いの王で、黒杜くろもりが先だって向かい、手を組む約束を取りつけてあったから、ほぼ友国。


 主の雄日子は客人としてもてなされるし、秦王を守る水無瀬の軍もいる。高島を発ってからようやく、ほっと息をつける夜がきた。


「セイレンが前役に入る。後役は藍十に頼む」


 赤大から役目を振り分けられる。その晩、日鷹は非番になった。


(よっしゃ、遊びにいける)


 主はセイレンのことを宴の場を去る口実にするようになっていて、その晩も気に入りの采女うねめをつれて愉しむふりをして、早々に寝所に戻った。


 まあ、つまり、主はそこまで宴が好きではないのだ。というより、ひとつのことに長い時間をかけようとしないところがあって、宴は互いの繋がりをたしかめる場だが、酒を三、四杯も飲めば関わりは築ける、それ以上は無用と考えている節がある。


 だから、その晩の宴もさっさとおひらきになるはずだった。


 宴の席で酒を注いでまわっていた侍女のなかに、美しい娘がいた。齢の頃は十五か十六、年頃だ。細面の艶っぽい顔立ちをしていて、うつむいているだけでも、そこはかとない色気がただよう娘だった。


 旅先でのひと夜の恋は、最高の楽しみのひとつ。


 その他大勢の武人よりもいくらか立派な剣をさげ、主のすぐ背後を守る役を担っていれば、目立ちもする。話しかけて、「あぁ、あなたは雄日子様の……」と顔を覚えられていれば、話も早い。


(あの子、どこにいったかな。ほかにも目をつけてる奴がいたかもしれねえし)


 異国の宮をさすらっていると、庭の奥の暗がりに人影を見つける。首の上で結わえた黒髪に、細い首筋――あの娘だ、と近寄ろうとしたが、奥に背の高い影を見つけて、ぎくりと足が止まった。


 癖のように物影を探して、もう一度様子をうかがうと、ちょうど背の高い影がその娘をつれて立ち去るところだ。その影には見覚えがある。主の側近、角鹿つぬがだ。


 守り人としての暮らしは愉しいし、それなりに目立つせいで女に苦労することもない。腰を据えて落ち着くような暮らしはできないが、満足していた。


 だが、たった一つの不満がこれ。どうも、角鹿と好みの娘が似通っているらしいのだ。


 ああ美人だ、と誘いにいった先で鉢合わせることが何度もあったし、そのうえ、向こうのほうが速く動くし、位も上だ。


 またやられた――。もてるはずなのに、もっと女を自由にできる男を相手にしなければいけないなんて、不幸せ極まりない――。


 翌朝、庭の隅にしゃがみ込んでいると、寝ずの番を終えて帰ってきた藍十に笑われる。


「どうした、ぼうっとして」


「なー、雄日子様の好みってどんな娘かなぁ」


 なんとなく、周りにいる男のなかで一番女を自由にできる男のことを想像したい気分だった。


 角鹿様の好みの娘は自分と似ている。藍十や帆矛太ほむたの好みもなんとなく知っている。なら、雄日子様は?


「さあ。あまりきかないな。あの方に女の好みとかあるのかな」


「ないかもしれんなあ。人って感じしないもんな」


 主の雄日子は、とても冷静な男だ。いつも微笑んでいる印象があるが、腹でなにを考えているかはろくに読めない。


 主のことを一言でいうと、蜘蛛の巣。罠の塊だ。


 物腰が穏やかで、相手が誰だろうが話をされれば耳を傾けるので、「主にじかに話をしたい」と願う仲間もいた。「あの方はしっかり話をきいてくださるし、正しい答えもくださる」と。


 でも、日鷹は危険だと思っていた。


 話しかけるのに選んだ言葉や、抑揚、沈黙の長さ、表情や仕草、服の汚れ、髪の収まり具合、すべてを見られる印象で、話をしながら調べられてしまうからだ。


 話してすべてがうまく回るようになることもあるし、悪いことも起きる。調べられた結果「この男は考えが浅い。使えない」と断じられてしまえば、願いをかなえてもらうどころか、罷免される。


「俺、雄日子様と話すのがちょっと怖いもん。賢すぎるんだよなぁ」


「そういう奴もいるよな。――あぁ、あの子だ」


 藍十が顔をあげて笑った。目の先に、異国の庭を、華やかな色の裳を振り散らして駆ける侍女がいる。髪も椿油をつけて艶やかに結いあげられているが、セイレンだ。


 セイレンが追いかける先には主がいる。角鹿と赤大もそばにいた。


 セイレンの声は無遠慮で、こちらまで届いてくる。


「雄日子、見つけた! 雄日子!」


 思わず、笑いが漏れた。


「俺が話しかけるのを躊躇する方々ばっかりなのに。すごい子だよな」


「あの子以外にあんな真似をできる奴はいないよ」


 セイレンに気づいたようで、主は足を止めてその場で待っていた。主の目は、走ってくるセイレンを迎え入れている。苦笑していたが、楽しそうだ。


「雄日子様があの子を気に入るのもわからなくもないよ。新鮮だろうな」


「さっきの話だけど――もしかしたら、雄日子様の好みってセイレンみたいな子なのかもね」


「あの子?」


 藍十が笑う。


「そんなに意外だった?」


「……雄日子様には不釣り合いじゃない? あの子はいつも汚れてるだろ。いっちゃ悪いが、武人なんか砂まみれになるもんでさ、王宮務めの侍女とか、お姫様とか、着飾った美女を見慣れてる雄日子様には――」


「さあ。でも、楽しそうだ」


「まあ――。俺なら、とっておきの美女に仕えさせるけどなぁ」


 藍十は「それはおまえの好みでさ」と笑った。




 

 ある朝、藍十からセイレンの稽古を任されることになった。


「用事ができてさ。あの子を見てやってくんない?」


「ああ、いいよ」


 守り人は朝餉の支度に加わらなくてもいい身分なので、寝ずの番にあたっていれば、出発までひと眠りするのが普通だ。


 でも、セイレンは違って、寝ずの番の後だろうが非番だろうが、夜が明けると外に出て、馬術の稽古をするのが日課。その朝は、弓の稽古をすることになった。


「赤大がさ、そろそろ馬上での戦い方を教えろってさ」


 そういうわけで、セイレンは大弓を握っていたが、背の低い娘の手にはなかなか馴染まない大きさで、弦を引く力もまだない。


 セイレンは見よう見まねで弓を構えていたが、指の置き方は粗だらけ。矢もうまくつがえられないので、矢羽から手をはなしても、矢はちょっと宙を跳ねて地面へと落ちるだけだ。


 ぽとりと転がる矢を目で追って、セイレンは唇を噛んでいた。


「へたくそー」


 やじを飛ばすと、睨まれる。でも、文句はなかった。無言で地面に落ちた矢を拾うと、もう一度つがえた。


 藍十からは、こんなふうに聞いていた。


「ずたぼろにけなしても大丈夫だよ。芯が強いから簡単に折れないし、むしろ、かばわれるほうが『なめてんのか』って拗ねるから、叱る時は思いきり叱ってよし」


 それは、赤大あかおおにも伝わっている。当然だが、人を育てるというのは幾重にも人が関わっているものだ。


「持ち方がおかしいんだよ。こうだ」


 セイレンの背後に回って手を取ってやる。曲がっていた背中を押して、姿勢も正す。持ち方を正すと、小さな手のひらを上から包んで一緒に弓を引いてやった。


「けっこう力が要るだろ? 腕と背中を鍛えなくちゃ駄目だ」


 朝の稽古を終える頃には、セイレンの指の肌が赤くなっていた。硬い弦をずっとつまんでいたせいだ。


「いたぁ」


「肌がなってないんだよ。毎日やんな。毎日触っていれば、だんだん肌も弓に合っていくよ」


 「そろそろ集まる時間だ。出発前にすこし休もう」と誘いかけたが、セイレンは大弓をはなそうとしない。まとにしていた木の幹のほかを見ようともしなかった。


 細い肘が動き、きりきりと弦が鳴る。ひゅんと風がしなって、つがえていた矢が飛んだ。幹には届かなかったが、さっきよりは遠くまで飛んだ。


「また駄目だ。くそ、くそ、くそ。いたぁ……」


 思いどおりに飛ばない矢にセイレンは怒っていたが、日鷹は呆れた。


 なんで怒ってるんだ? 兵になった男や狩人が何日もかけて習得するような技を、このわずかな時間で覚える気だったのか。


 背後で人が動きはじめている。セイレンは一度ちらりとそれを見たが、弓を手放す気配はない。最後の最後、ぎりぎりまで稽古を続ける気だ。


「あの――疲れない?」


 寝ずの番の後の昼寝も、そういえばこの子はしない。時間があればいつも藍十と馬に乗っていた。


 すこしくらい休んだらいいのに。忠告する気で声をかけたが、セイレンは大きく口をあけて睨んだ。


「はあ?」


 目が、きらきらしていた。


 大粒の黒眼で睨まれただけだが、セイレンは身体中で喚いていた。



 うまくできるように、なりたいの! 早く役に立てるように、なりたいの!



 ひゅん、と弦がしなる。弓を扱う手さばきが、稽古をはじめる前よりは明らかにうまくなっていた。


 でも、セイレンは悔しそうに、地面に落ちた矢を睨んでいる。


「くそ。いたぁ……」


(なんだかんだと楽しくて仕方ないんだろうな。――ん? この子、ちょっと俺と似てる?)


 この子は器用だし、わりと図太い。目の前にあるものを夢中で楽しむところは、真面目な藍十よりはたぶん自分と似ている。そう思うと、藍十に「悪いな」と、にやけてしまう。


「まあがんばれ。楽しかろう?」


「楽しくなんか――」


「なあ、俺の名前は?」


「はあ? 日鷹だろ?」


 いまさら何をきくんだとセイレンは怒るようだった。何度も名前を忘れていたくせに、悪びれもしない。


 大勢から世話を焼かれているのにも、この子はきっと気づいていない。藍十も赤大も自分も、たぶん主までが必死にこの子を気にかけているのに。


 この子は幸せ者だな。――俺もか。藍十や赤大や黒杜や、面倒見がいい奴らから、気づかないうちに世話を焼いてもらっているんだろうな。――ありがたいな。


「がんばれがんばれ。楽しんだもん勝ちだからな」


 自分にできることは「楽しめ」と声をかけることくらいだ。でも、見守ってやりたい。


 ふと、視線を感じた。


 目を向けると、馬の鞍にまたがった主がこちらを眺めていた。雄日子は、まぶしいものに目を細めるようにして微笑んでいる。それに、楽しそうだ。


 あの人のあんな顔、はじめて見た――。人の気配がしない、人を見張ってばかりの男だと思っていたのに。


 いつのまにか、いろんな男を味方につけて――。この子は凄い子だ。娘の守り手か、と、肩をすくめた。





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お題「セイレンがいない頃の男所帯の守り人さん達の適度に爛れた頃の生活のお話」「まだ慣れていない頃の野良猫みたいなセイレン」「日鷹と藍十のからみ!!」「藍十と日鷹が絡むほのぼの話」「藍十ってなんで黒杜が苦手?なのか」にて、書かせていただきました。

リクエストを下さった方、ありがとうございました!


※今回登場した道具類は私の想像のものでフィクションです。軍の編成や、本編に登場した歌や伝達方法などにも私の想像が混じっております。ご了承ください。

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