俺の名は (1)
1話「箱使いの娘」の「血の契り」(1)前後の、セイレンが守り人になった日、「雲神様の箱」(2)からの、賀茂宮での寝ずの番と襲撃、2話「名もなき王の進軍」の「罠」(2)前後の、セイレンが初めて侍女の格好をしたあたりなど、初期のエピソードを日鷹目線で語る話です。
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「なあ、守り人ってどうやったらなれるんだ?」
日鷹に尋ねたのは、
十人の兵からなる十人組を従えるのが「十人長」、十人組が十集まった百人団を従えるのが「百人長」、百人団が十集まった千人団を従えるのが「千人長」だから、その役につく男は高島には数人しかいない。いわゆる「高位」と呼ばれる武人のなかでも、指折りだ。
日鷹は目をまるくした。
「槙埜も守り人になりたいの?」
槙埜は「おれじゃない。おれは軍が合ってる」といって、続けた。
「部下によくきかれるからさ。百人長くらいになると、千人長を目指すかどうかって気になるんだろう。守り人って服も武具もおれらとは違うし、一騎で動くことが多いだろう。憧れなんだってよ。なあ、そっちで見極めの儀があるっていう話をきかないのか」
「うーん……そのうちあるんじゃねえ? 人が足りないもん」
守り人は六人いるが、
「赤大も人を欲しがってると思うよ。交渉役は足りてるから、戦い手の若手をとくにさ。俺も増えてほしいよ。寝ずの番を藍十と二人で回すのは、正直しんどいわ。ふわあ――」
「毎晩の寝ずの番はきついな。休むところだったんだろう。話しこんで悪かった。出るよ」
「いやぁ、高島にいるうちは番兵も多いから、夜はたいてい非番だよ」
「なら、いまのは高島の外に出たらの話か? 位があがっても毎晩寝ずのお役目があるっていうのもきびしいな」
「そうそう。夜遊びにいけないだろ?」
館の外に出ようとした槙埜が振り返って、目をまるくした。
「夜遊び? おまえの問題はそれなのか」
「だって、守り人やってるともてるもん。なぜ利用しない」
槙埜が肩をふるわせて笑う。
「軍の千人長もなかなかもてるぞ」
「だが、守り人の俺らと違って『その他大勢』と見られがちだ」
「黙ってろ」
笑った槙埜が腕を振りあげて殴るふりをするので、日鷹はよける真似をする。けらけら笑うと、槙埜は苦笑して戸に手をかけた。
「まあ、いくよ。守り人と違っておれには口うるさい上官がいるからな、そう好き勝手にできないんだ。――ん? 外が騒がしいな」
戸をあけた槙埜が外を覗きこむ。振り返って、呼んだ。
「藍十だ。なにかあったらしいぞ」
「藍十?」
その男が関わるなら、騒ぎの管轄は守り人だ。お役目か――と槙埜のそばに駆け寄って外を覗くと、藍十はすぐそばまできていた。
うしろに番兵が三人ついていて、一人の背中になにかが乗っている。誰かが背負われていて、男の肩から細腕がぐったり垂れていた。
「悪いけど、ここ、しばらく使うから」
先にやってきた藍十は手早く寝床の支度をして、「ここに下ろしてくれ」と、背負われた小さな身体を横たえるようにいう。寝かせられたのは、奇妙な格好をした娘だった。
「新しい守り人だってさ」
「守り人?」
「ああ、セイレンっていうらしいよ」
その日、高島の宮にやってきたのは、とある隠れ里に暮らす土雲という一族の娘だった。
その娘をなつかせるのに必要なのは、食事ではなかったらしい。
「おーい、メシだぞ」と椀を運んでやっても、焼いた肉を渡してやっても、その娘は無言で受け取るだけ。日が経つにつれて「ありがとう……」という小声をきくようにはなったが、愛想のなさは変わらなかった。
年頃の娘なのに、もったいない。
守り人を任じられるからには、娘とはいえ男の集団に入ることになる。十五の若さの娘なら、にこっと笑ってさえいれば、見た目がどんなでもちやほやされるだろうに。
その娘は、人の娘というよりは野山にいる小さな獣。人に好かれるとか人を好くとかに興味がなさそうで、物覚えもいまひとつだった。
「なあ、セイレン。こいつの名前は覚えた?」
藍十から尋ねられると、その娘は眉をひそめた。
「……日とんび?」
「日、とんび、だぁ?」
違う、鳥違いだ。
「そんな名前あるかよ。日鷹だ、日鷹」
「知るかよ、おまえらにとってのまともな名前がどれとか」
娘の名は、セイレン。へんな名前だ。
でも、その子にとっては「日鷹」や「藍十」のほうが妙な名に感じるのだろう。
「まあまあ、日となにか鳥の名前ってことは覚えたみたいだし」
「そのうち覚えるよ」と、藍十が取りなす。それを、じとっと横目で見つめた。
「おまえはいいよなぁ、名前覚えてもらって」
「そりゃあ、世話役だからな」
セイレンという娘は、ふいっと横顔を向けて遠ざかっていった。藍十と二人で話しはじめたので、「もう用は済んだろ」と言いたげだ。
セイレンが向かった先は藍十の愛馬、
「やっぱり小さいなぁ。あれでも若い女の子だし、男所帯に花が咲いたみたいで楽しいよなぁ。そういえば、前に共乗りをするのに抱きあげた時も軽かったし、身体も柔らかかったもんなぁ。――おまえ、いいなあ。赤大はなんで俺に世話役を任せなかったんだろうな」
藍十が吹き出した。
「自分でわかるだろ。――ごめん、ちょっとおれ、セイレンのところにいってくるわ」
「なんだよ、あてつけか?」
「違うって。さっきからおれのほうを見てるんだ。たぶん、なにかを教えてほしいんだと思う」
藍十は人の世話を焼くのがうまい。つまり、他人の小さな変化に気づくのがほかの奴よりも早いのだ。
藍十が気づいたとおり、セイレンは近づいてくる藍十を馬上からじっと見ていた。話しかける支度をしているようにも見える。
あ――と、日鷹は気づいた。
セイレンが藍十を見る目は、慣れた相手へ向けたものだ。愛想がないのは変わらないが、セイレンは藍十に気を許している。そばに寄ってもいい相手と認めていた。
だんだん藍十が、無愛想な妹に寄り添う兄貴に見えてくる。時おり、セイレンの唇がゆるむのも見つけた。藍十が冗談をいったのか、思わず込み上げたというふうに笑っていた。
「いいなあ、藍十」
俺もあの子からあんな顔で見られたい。と、思ってみるが、まあ無理だろうと早々に諦めた。藍十ほどは他人に興味がないからだ。
大津を出て、難波を目指しはじめて二日目の朝のこと。
旅立ちを控えて隊が集まりはじめていたが、セイレンの姿がない。探すと、野営地の端にしゃがみ込んだ小さな身体が、懸命に脚や背中を伸ばしているのを見つけた。
そりゃそうだよな――と、うなずいた。
きっと、疲れが溜まっているのだ。
高島の宮に突然やってきて、旅に出ることになった。しかも、旅慣れた男と同じ速さの山歩きだ。でも、その子は音をあげることも文句をいうこともなく、それどころか、ほかの男が休んでいる合間には馬術の稽古をして、夜には寝ずの番も任された。
まだ見習いなので、寝ずの番は藍十と一緒だ。師匠役のほうが苦労するものだが、藍十もセイレンに手こずっているように見えない。
(性根がすわった子だよなあ)
か細い身体をした十五の娘のくせに、なかなかやるな。
そういえば、よく見ればきれいな顔をしているかもしれない。磨いて着飾ったら、もしかしたら――。
「もう集まったほうがいいぞ」と声をかけようと近づいていくと、はっと勢いよく振り向かれる。
セイレンは警戒していた。大粒の瞳でじっと睨み上げて、ぼそりといった。
「なに? ――日サギ、だっけ」
また、鳥違いだ。ちょっと近くなった気もするが。
「惜しい。日鷹だ」
山道を抜けると、
藍十は「危険だ」と進言していたが、日鷹も同じ意見だ。
「賀茂の都に寄るの? 遠回りじゃねえ?」
休息をとった時に話しかけると、藍十も首をかしげた。
「雄日子様になにかお考えがあるんだろう」
「だろうな」
すこし話すうちに、セイレンの話になった。
「あの子、頑張ってるみたいだな。あの小さな身体でよくついてくるよな」
藍十は「いまさら」と笑う。
「それだけあの子がうまくやってるってことだろ。素直だし、話せばすぐに理解するし、賢いし、向いてると思うよ。おれもやりやすいし」
「ふうん」
人の名前を覚えるのは苦手でも、頭が弱いわけではなさそうだ。もしそうなら、役目を外すことも考えられたはずだ。教える藍十が手間をとられてしまう。
主はセイレンを手元に置きたがっていた。土雲という奇妙な一族の出の上、高島の宮にきた日に番兵を三人倒したという武勇伝も、あの娘の姿で――とすっかり広まっている。とはいえ。
「でもさ、なんであの子だったんだろうな。守り人になりたい奴なんかはいてすてるほどいるのに」
護衛軍に選ばれた百人の武人のなかにも、守り人を目指す奴はいるだろう。少なからずセイレンはそいつらから嫉妬されている。それは日鷹も感じたので、なにか起きないように、セイレンからは目を放さないでおこう、守ってやろうと気を張っていた。
藍十は苦笑した。
「でも、娘の志願者は一人もいないだろ」
「まあ、そういうことだよな」
その娘を取り巻く思惑には、主も気づいているに違いなかった。わざわざそばに呼んでみたり、無礼を許してみたり、「その娘は特別だ」と周りに知らしめているのはそのせいだ。それくらい、その娘は主にとって必要なのだろう。
賀茂の宮にたどりつくと、一晩の宿を借りる。
主は客人用の館を寝所に借りたが、従者にも小屋を一つあてがわれた。でも、百人で小屋一つは小さすぎた。
屋根の下で眠れるのはありがたいと、詰められるだけ詰まって寝ることになったが、隙間なく詰まるのは当然のこと、後からきた奴がさらに隙間に入ってくるので、押しつぶされる上に、乗られていく。
汗臭いし、暑いし、こういう場合はさっさと寝つくに限る。寝た者勝ちだ。
でも、夜中には必ず起こされる。守りの交代を告げられるのだ。
「夜半だ。後役の者は起きよ」
時を告げる男の声がする。隣でごそごそと起きる男もいた。藍十だ。
「あれ、おまえ、いたの? セイレンは?」
「前役やってるよ。おれ、後役――」
藍十がここにいるとは思わなかったので驚いたが、さらに驚いた。
セイレンは賀茂王との宴席で今夜の寝ずの番を命じられたらしい。と、それは聞いていたが、まだ見習いの身だから藍十が一緒にいるものだと思っていた。
「あの子、もう独り立ち?」
首筋の汗を指でぬぐいながら、藍十はあくびをした。
「
「たいしたもんだねえ。じゃあ、寝所にはあの子と雄日子様の二人っきりだったのか。なあ……雄日子様とあの子、どうなってるかな」
「――どうって?」
「だって、宴の場からあの子をつれていく時に『夜伽をしろ』っておっしゃったんだろ。言葉どおりだったらどうするんだよ」
暗闇のなかにある藍十の顔が引きつっていく。
それが面白くて、息をつまらせて笑った。
「なに、その顔。あの子が食われてたら食われてたでいいだろ。大丈夫だよ。雄日子様はそんなことをなさらないだろ。ここは敵陣みたいなもんだ」
主の太子はとても用心深い男だ。情や欲に流される方でもない。それは日鷹も藍十もよく知っていた。
藍十は青ざめたものの、怒りはじめた。
「そうだな、そうだよ……。馬鹿野郎。おまえが余計なこというから――。どんな顔して入っていけばいいかわかんなくなったじゃねえかよ」
「そっちこそ、面白くて目が冴えたじゃねえかよ」
そうか、今からこいつは、動揺でガチガチになりながら雄日子様の寝所を目指すのか。――と想像すると楽しくて、肩を震わせていると、蹴られた。
「あいて」
「うるせえんだよ。寝てろ」
前役はセイレン、後役は藍十。だから、日鷹は非番になる。
そのまま朝まで寝て、翌日の寝ずの番に備えるべきだったが、すぐに起こされた。出ていったはずの藍十が戻ってきていた。
「日鷹、起きろ。窺見を頼む。――みんなも起きろ。敵襲かもしれない。静かに支度を」
あっというまに目が冴えた。出番がきた、そう思った。
「セイレンが正門の向こうが匂うといってるんだ。いわれてみたら気配が妙な気もする」
たしかめる役を任されたのだ。「あいよ」と、跳ね起きた。
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