新米侍女、音々の日々 (2)


 毎日慌ただしかったけれど、しだいに慣れていくものだ。軍が戻ってきてから数日も経つと、お役目とお役目の合間を縫って、侍女の控えの間にはお喋りの声が響くようになる。


 一番よくきいたのが、「守り人」の話だった。


「さっきね、藍十あいとお様と角でぶつかってしまったの。背が高いし、たくましいし――身体の鍛え方なんか、そのへんの下男とはくらべものにならないのよ。ぶつかった後はこう、肩を支えてくれてね、にこっと笑って、『あ、悪い』ですって」


 「いいなあ!」という歓声が館中から起きるので、隣にいた侍女にきいてみた。


佳枝かえさん、藍十様という方は人気なのですね」


「気さくな方だからね」


 その向こうにいた侍女も話に乗ってきた。


「守り人の中じゃだんとつよ。話しかけやすいし、優しいけれど、なかなか誘ってくれないのよねぇ。身持ちがかたいというか――そこがいいんだけど」


日鷹ひたか様も話しかけやすいんだけど……」


「あ、わたし、日鷹様に声をかけられたことがあるわよ」


「えっ、あんたも? 実は、わたしも――」


 隣に座る佳枝かえという名の娘は、話の輪にみずから入っていくほうではなかった。音々より三つ年上で、ひときわ落ち着いた雰囲気があって、いまも子どものお喋りをかわいがるように耳を傾けている。


「佳枝さん、守り人っていうのは――」


「高位の武人よ。雄日子様のおそばの守りをいいつけられた方々で、藍十様と、日鷹様と、帆矛太ほむた様と――」


 と、べつの人の名があがると、話の輪がまた広がる。


「ねえ、知ってる? 帆矛太様の好みの娘は背が小さくて小柄で、ちょっとぼんやりした子なんだって」


「出雲の方なんでしょう? 顔つきが違うものね。目尻がすっきりしてて、きれいだと思うけどなぁ」


「あなたは帆矛太様派だものね。私は赤大あかおお様。お父様くらい齢が違うけど、渋いからいいの」


「赤大様? つうねえ」


 守り人というのは何人かいて、侍女のあいだでは誰が一番好みかをいい合うものらしい。


 右から左、さらに奥から、つぎつぎと飛び交うお喋り声にきょろきょろしていると、佳枝が笑った。


「赤大様っていうのは守り人のおさで、軍の長でもあるの。もう一人、黒杜くろもり様という方がいて、赤大様を助けていらっしゃるんだけど、このお二人を好きっていうと、『つうねえ』っていわれちゃうのよ。よく知ってますね、事情通で詳しいわねっていう意味でね。一番人気が藍十様、つぎが日鷹様、ほかは好みよね」


「そうなんですか。守り人って、何人いるんですか」


「六人よ。すくないでしょ」


「七人でしょ? 一人増えたじゃない」


 佳枝にそういった娘は、目の前に煙たいものでもあるように目を細めた。


「ほら、あの子。セイレンが入って、七人になったでしょう」


 その名は、きいたことがあった。


「あの、その方って、わたしと同い年くらいの娘さんですよね。侍女の稽古をされていたって――」


「稽古っていうか、ねえ――」


「いい服を着て、立ったり座ったりしてただけよ。侍女の司様がご苦労なさっていたわ」


「いやなことがあったらすぐに口悪く文句をいうし、品もないし、覚えも悪いし、男みたいよ。それなのにあの子、弧月の宴でさしばをもったのよ? そのせいで佳枝さんが役をはずされたんだから!」


「みんな雄日子様の道楽だったっていう話よ。あの子って雄日子様のお気に入りでしょう? 飽きられたらそのうち宮を追い出されるわよ」


「雄日子様って――」


 音々によみがえったのは、王宮の化け物のような青年だった。時が経って記憶が塗り変わっていて、今ではもう人にもみえない神々しい姿が思い浮かんでしまう。


「雄日子様は、若王様よ。凄みがあってね、なかなかの男前よ」


「そうなんですか? わたしが目が合った時は怖くて、お顔もろくにみられませんでした……」


「あるある。そういう子もいるわよね。半年くらい経ったらみられるようになるわよ」


「はあ」


 なかなかの男前――ここで半年も務めあげたら、あの神宝の化け物のような方をそんなふうに呼べるようになるのだろうか。


(その前に、半年もここに置いてもらえるのかな)


 人知れず肩を落としているあいだも、話はたゆむことなく続いていく。


「雄日子様はセイレンを着飾って遊びたいのよね? きっと、山猿がいい服をきて人の娘にみえるようになるのが面白いのよ」


「でも、あの子の服って本当に上等なのよ。もったいないわよね」


 セイレンという娘のことが、侍女たちは気に食わないらしい。「あの時は……」「この時なんか……」と、その子がどう頭が悪くて品がないかが、あちらこちらで語られていく。


 よく知らない娘の陰口をきいているのが苦しくなって、ぼんやりしていると、佳枝がそっと顔を寄せてきて、耳元でいった。


「愛想笑いをしておけばいいわよ」


「――えっ?」


「気に食わないならね。誰かを嫌いだっていう話で盛り上がると、仲がよくなった気がするだけだから」


 佳枝は、いたずらをするように目を細めている。「女所帯じゃよくあることよね? 気にしないの」といった。


 館の入口に、高貴な身なりをした男が顔を出す。館衆として貴人に仕える男だった。


「佳枝、きなさい。角鹿つぬが様がお呼びだよ。酒をお持ちしてくれ。ああ、そうだ――赤大様とご一緒だから」


「かしこまりました」


 男が出ていくのを待って、音々はたずねた。


「角鹿様って……」


「雄日子様の片腕よ。私は角鹿様付きの上侍女かみまかたちなの」


「上侍女って、たしか――」


「ええ、そう。膳の上げ下げをするの。この宮に仕える女のなかで、高貴な方の一番おそば近くではたらく女よ」


 向こうでは、侍女たちのお喋りが絶え間なく続いている。女たちは、セイレンという名の娘のことをまだ悪くいっていた。


 佳枝はちらりと見やって、もう一度音々の耳に唇を寄せた。


「この子たちや侍女の司に従っていれば、仕事がはかどるわよ。でも、この子たちよりは目立てないし、偉くもなれないから。仕事を覚えたら、もっと熱心に励みなさい。そのうち誰かの目にとまって、仕事が増えるわよ」


 耳打ちされた言葉にも驚いたけれど、ひそめた小声の色っぽいこと。ぽかんとして、あらためて見つめると、佳枝は涙ぼくろが艶やかな美しい顔立ちをしていた。その整った顔で、赤い唇の端をにっとつり上げて、勝気に笑う。


 「じゃあ」と、佳枝は腰を上げて、館を出ていった。侍女の最高位の上侍女として、その、角鹿という主のもとへ出向くのだ。



 


 上侍女に選ばれるのは佳枝のような人――誰かを嫌いだっていう話で盛り上がると仲がよくなった気になる――。なんとなく、侍女の暮らしがぼんやりわかってきた。


 時には笑顔が表向きのもので、裏の顔があるということもわかった。


 たとえば、侍女たちは侍女の司に遠慮していたけれど、嫌ってもいた。セイレンという名の娘でなければ、侍女の司の名を出して文句をつらねた。


「侍女の司様がまだ侍女をやっていらっしゃるのは、どなたからも妻問いをされてないからよ。ああはなりたくないわ」


「ほんとね。藍十様だの守り人だのと高望みをしていちゃいけないのよ。位の高い武人の方々は大勢いるんだから、はやくどなたかに見染められて妻になるのが、正真正銘の侍女の最高位なのよ」


「ほどよく位が高い武人が狙い目よね。あまり位が高すぎると、いい血筋の姫君が妻になるから、側女そばめでしかいられなくなっちゃう」


 ああいえばこう、こういえばああ。きっと、頭の回りがとてもいいのだ。明け方に鳴きつらねる雀のように、侍女たちはよく喋った。


「あっ、守り人よ。藍十様がいる!」


「ほら、音々。あれが藍十様。隣にいるのが日鷹様よ。帆矛太ほむた様もご一緒ね」


 侍女たちは、ちらちらと目を向けてそれとなく知らせてくるが、音々はよくわからなかった。


 視線がしめす先に三人いるのはわかる。三人並んで通りを歩いているところで、どの青年も背が高く、立派な剣を腰に佩き、よく鍛えられた身体をしていたが。


「えっと、藍十様は……」


「真ん中よ。右が帆矛太様、左が日鷹様」


「ねえ、音々はどの方が一番だと思う?」


 興味津々に顔を覗き込まれるが、三人とも顔が違うということくらいしか、いまはわからない。


「すみません、みなさん強そうだなとしか――。あと、服が立派です……」


 しどろもどろになると、先輩侍女が苦笑する。


「服か。服はわかりやすいわよね。高位のすてきな殿方を探したかったら、いい服を着た男を探すといいわよ」


「はい……」


 的がずれている気もしたけれど、きっと冗談でもないのだ。


 佳枝のような上侍女を目指すのとはべつに、いい人に見染められて妻になるというのも侍女の行方のひとつで、音々の世話を任された先輩侍女たちが目指すのはそちらなのだ。とはいえ。


(どっちにしろわたしには――まずは仕事を覚えなくちゃ)


 音々はここで暮らしはじめたばかりの新米で、すてきな殿方が――と浮かれるような心の余裕は、まだなかった。


「あの、次はなにをしましょうか。あ――そうだ、昼間に洗っておいた染め紐がもう乾いていると思うんです。わたし、とりこんできます」


「音々は気が利くわね」


 先輩侍女は笑って、「じゃあ、お願い」といった。





 侍女のなかにもいろんな娘がいて、目指すものもばらばらだ。


 同じ宮ではたらく男にも、館衆と武人、下男がいて、女も、侍女のほかに下女が大勢いる。侍女は、炊ぎ屋につとめる下女のことを格下と蔑んでいたけれど、下女のほうも侍女との間に隔たりを感じているらしい。


「侍女なんか、いい服をきて澄ましてる連中だろう? こっちは時間に追われてる。何百人もの腹を支えてるのは私たちだろう!」


 下女の控えの間から、そういう威勢のいい声をきいたこともあった。


(そっか……ここじゃ、みんなが一生懸命はたらいているんだなぁ。きっとみんな自分のお役目のことが大好きで、誇りに思ってるんだ。なら、みんなが悪くいってるセイレンっていう方も、もしかしたら――)


 侍女の司のことは世話焼きのうまいいい主だと尊敬していたし、佳枝のことも、美しくて賢いすてきな姉分だと憧れていた。


 夫になる相手を探すという、先輩侍女たちの言い分もわかる。なら――と、まだ見ぬふしぎな名をした娘のことを想像しながら、洗いものをかかえて道を戻った。


 ちょうど、林のそばをとおりかかった時だ。


 馬屋や炊ぎ屋とも離れていて、人の気配があまりないあたりだったけれど、すこし向こうを歩く人影をみつける。若い男と、自分と同じ齢くらいの娘の二人連れで、どちらも立派な身なりをしていた。


 どなただろう。きっと位が高い方だから、道の端に寄って頭をさげなければ――と、二人の顔を覗くうちに、息が詰まりかけた。


 二人のうちの若い男のほうは、この宮の若王、お館様と呼ばれる太子。雄日子という名の貴人だ。


 隣にいる娘は、男のような袴を佩き、腰から剣をさげている。胸元に南天のような真っ赤な石飾りを垂らしていて、同じ色の宝玉が両耳の下にも揺れている。


 血の色に似た濃い赤色を、その娘ほどうまく身に馴染ませる人を、音々はほかに知らなかった。


 年相応のあどけなさと、娘らしい艶やかさが合わさった顔立ちをしているのに、娘たちがこぞって憧れる守り人と同じ、凛とした気配も身にまとっている。


 その娘の顔を覗き込んで、雄日子という太子がなにか話しかけている。


 すると娘は、苦笑して唇をひらく。


 息をするのもためらうような若王のそばで、その娘は自然に息をして、笑っていた。


 音々の足は、いつのまにか止まっていた。その娘に見惚れて、ぽかんと口をひらいていた。娘でもない、男でもない、侍女でもない、武人でもない、人でもない、花でもない、風でもない。この人は、なんなのだろう――。


 ひゅっと、風が吹いた。


 ぼんやりしていて、腕にかかえた染め紐が舞い上がるのをとめられなかった。


「あっ」


 我に返る。


 いま運んでいるのは、年上の侍女の髪に飾る結い紐で、とても上等なものだ。風にさらわれて失くしてしまったら、今度はどれだけ叱られてしまうか。


 青ざめて駆け出したその先で、雄日子の隣にいた娘が、ぽんと飛び上がった。


 手を上にあげていて、指の先には、風に煽られて舞い上がった絹の染め紐がある。


 あまりにも軽々と飛ぶので、呆気にとられる。その娘がじつは天女で、もともと空を思いどおりに飛べるのではないか――そんな幻をおもうほど、その娘は身軽で、仕草が凛としていた。


 その娘が、音々を向いて笑っている。まっすぐ歩み寄ってきて、手を差し出した。


「はい、どうぞ」


 差し出された手の上には、染め紐がある。震える手で受け取りながら、音々は、その娘の笑顔から目が離せなくなった。強くて、清らかで、少年のようで、麗しい娘のようで。胸が締めつけられた気がして、苦しいほどだ。


「あなた、新しい侍女? わたしはセイレンっていうんだ。たまにそっちにいくからさ、また会ったらよろしくね」


「わたしは、音々……音々です」


「音々ね?」


 その娘は笑って、「また訊いたらごめんね。わたし、人の名前を覚えるのが苦手なんだ」といって、もとの場所へと戻っていく。


 その娘がそばに戻るのを、雄日子という名の若王は待ちわびているようだった。



 


 好きにすればいいよ。大丈夫。どうにかなるよ。


 セイレンという名の娘の笑顔にそういわれた気分で、やたら胸がはずんで、帰り道をいく足までが浮き出しそうになった。


(なんてきれいに笑う方なんだろう……それに、あの神宝の化け物のような若王様にあんな顔をさせる方なんだ。それに、男の人みたいに剣をもって……娘の守り人さんか――)


 この宮には、すてきなものも贅沢なものも、おもしろいものもたくさんある。ここで暮らそう、ここで頑張ろうと、胸がむずむずする。それが、とても楽しかった。


 控えの間に戻ると、佳枝かえがひとりでくつろいでいた。


「あぁ、染め紐を洗ってくれたの。私の分、あるかしら。濃い黄色なんだけど」


 腕にかかえた染め紐の束のなかから、そうそう、これこれ――と探しあてながら、佳枝が、様子をうかがうように話しかけてくる。


「どう、暮らしには慣れた? あなたは誰とでもうまくつきあえそうだから、大丈夫かしら? でも、なにかつらいことがあったらいつでもお言いね」


「ありがとうございます」


 佳枝の気遣いが嬉しかったし、この方になら話せる、話したいと、胸が高鳴っていった。


「じつは、さっき、セイレン様に会ったんです」


「あぁ――どうだった?」


「はい」


 音々は、うなずいた。幸せで仕方なくて、顔に笑みが溢れていく。艶やかに微笑む佳枝の目をまっすぐ見つめて、満面の笑みを浮かべた。


「とてもきれいな方でした。わたしは、守り人のなかではセイレン様が一番すてきだと思います」


 佳枝は肩を揺らして笑った。


つうねえ」





*****************************

お題「『雲神様の箱』主要キャラクターを一侍女の立場から見るとどういう風に映るのか」にて、書かせていただきました。目線がぐっと低くなって、書いていてとても新鮮で楽しかったです。

リクエストを下さった方、ありがとうございました!

(ちなみに、話の中に登場したお化け(?)は、「王宮の化け物」が雄日子、「神殿の化け物」が角鹿、「鎧の化け物」が赤大でした)

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