新米侍女、音々の日々 (1)

樟葉に出かけていた雄日子たちが高島に戻る前後の設定で、本編には登場しなかった新米侍女が主人公のお話です。

※若干設定変更しました。

改稿版4話の冒頭まで読んでいただいていれば分かる内容にしてあります。

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「それで、いつまでだまりこんでるつもり? あいさつは? 名乗りもしない気なの」


 きつい声を耳にするなり青ざめて、娘は、はっと顔をあげた。


「はい、もうしわけございません……あの、わたしは、音々ねねともうします。その、お世話になります……」


 ここは、高島王の居ます宮。高島を治める老王の王宮で、その血をひく雄日子という名の太子の住まいでもある。おそれ多くも、音々はこの宮に仕えることになったのだが、水辺の小さな里で育った音々に、この宮は豪奢すぎた。


 ぱん、と手を打つ女がいた。齢は四十近く、侍女のつかさと呼ばれていて、宮に仕える女を取りまとめているのだとか。


「この子が今日からお仕えすることになった新しい侍女で、名は音々。みんな、よく世話をしておやり」


 その女が口をひらくと、館に集まった娘たちがそろって頭を下げていく。


「では、音々。教えてあげますから、よくお聞き。まず、ここが侍女の控えの間で――」


 いまいる場所がどこで、おまえの世話役につくのはこの娘で――と、ひととおり話した後で、その女は姿勢を正した。


「音々、はっきりいっておきます。侍女とは、血筋や家柄よりも、見た目の美しさや、とっさの気遣いを重んじます。器量さえあれば、高坏たかつきの上げ下げを任される上侍女かみまかたちにものぼりつめることができましょう」


 お聞き、といわれたものの、侍女の司の言葉はわからないことばかりだ。


「あの、高坏というのは――」


「高坏も知らないのかい? お館様方がお召しになられる食べ物をたてまつる器のことですよ」


「あの、お館様方?」


「高島王と、太子の雄日子様のことですよ。軽々しく呼んでよい御名ではないから、ふだんはお館様とお呼びしているのです」


「では、あの、上侍女かみまかたちというのは……」


「上侍女は、おそれ多くも高島王や若王様が召しあがる高坏をもち、参上して、給仕をする役です。高島で一番の――いいえ、高島どころではありませんね、いまやこの世で一番の贅を尽くした高島の宮の、あちらに屋根を覗かせる大館おおたちに足を踏み入れることを許された、最高位の侍女のことです」


 侍女の司の指は、木窓のむこうを指していた。


 ぽっかりと空いた隙間の奥に、ひときわ大きな建物が覗いている。


「おまえも、よく励んで上侍女を目指しなさい。おまえはきれいな顔をしているし、仕事さえ覚えればどうにかなりましょう。逆をいえば、礼儀、作法、とっさの機転、これが身につかない女は侍女の役をはずされ、下女に格下げされますから。よく覚えておいで」


 はじめてきいた言葉よりもきっと、脅しをかけてくるような侍女の司の目がすべてを物語っていると、音々は思った。まわりにいる先輩侍女の視線もちくちくとしていて、さほど歓迎されている気もしない。「よく世話をしておやり」といわれていたはずなのに。


(わたし、ここでやっていけるのかしら)


 本音をいえば、とっとと家に帰りたかった。けれど、ここを追い出されてしまえば、父や母が里長からなんと小言をいわれるかわからないし――と、音々は、ため息をついた。





「音々、これも運んでおいて」


「はい!」


「音々、炊ぎ屋にお支度を急いでって伝えてきて。さぼらずに走るのよ」


「はい!」


 いわれるまま従って数日過ごすうちに、世話役を任された年上の娘たちはきつい顔をしなくなった。


「この子、音々っていうの。いい子よ」


 ほかの侍女に引きあわされることも増えたし、お役目とはかかわりのない話をするようにもなった。


「どう、慣れた?」


「すこしずつ――みなさんのおかげです」


「まあね。でも、これくらいで手間取っていたら話にならないわ。忙しくなるのはこれからなんだもの」


「そうそう、まもなく雄日子様の軍が戻られるという話だものね」


「雄日子様というのは……あの、お館様の――」


「ええ、高島王の孫にあたる方でね、いま、お偉い様方を引きつれて異国にお出かけなのよ」


 その侍女は背伸びをするように笑って、「戦よ」といった。


「戦――」


「樟葉というところへお出かけだったの。それで、そろそろお戻りになるの」


 太子が一人戻ってくるだけで、そんなに忙しくなるものなのだろうか。


(いまもじゅうぶん忙しいし、この方はわたしを奮い立たせようとして、大げさにいっていらっしゃるのかも)


 そんなふうにも思った。けれど、そうではなかった。


 ある日、王宮のなかを伝令兵が走り回った。それからというもの、宮の気配は一変することになる。


「雄日子様が大津に着かれた。明日の夜にはここにお着きになる。みな、出迎えの支度を!」


「たいへん」


 世話役の侍女はさっと目つきを変えたし、侍女の司の顔つきも険しくなった。


「お出迎え用の衣を出しておきなさい。膳を磨きなさい。調度の並びをたしかめにいきなさい」


 そこからは、目が回る忙しさだ。侍女だけでなく、炊ぎ屋につとめる下女も、下男も、剣をもった兵たちも、王宮に出入りをする人はみんな慌ただしく動くようになった。


 人が動くはやさが倍になった気がするし、人の数そのものが増えた気もする。炊ぎ屋からたちのぼる煙などは、三本か四本だったものが二十、三十には増えた。


 眠っていた王宮が目覚めて動きだしたようで、変わりように焦っていると、侍女の司から目ざとく叱られる。


「音々! せわしないからといって早口になってはなりません。走るなどもってのほか。姿勢もくずれていますよ。つねに落ち着いて、品のある仕草をこころがけなさい。おまえは侍女で、下女とは違うのです!」


 



 翌日になると、早馬が何度となく王門をくぐった。「雄日子様はいまこのあたりにいらっしゃる」と伝えにきているようで、侍女の司は、時を告げる鐘をきくように耳を澄ませていた。


「もうまもなくお着きになります。みな、お出迎えの支度を」


 いつもよりいい服を身につけて、御舘の前に総出で並んだ。侍女だけでなく、下女も下男も、留守をあずかっていた館衆たちもみんなつどって、館の入口のきざはしにつながる道をかこむ。


 しばらくして、えもいえぬ気配が近づいてきた。それが、途方もない数の人の気配だとわかったのは、王門に人影があらわれてからだ。


 先頭で旗をもつ武人や、その後ろに続く馬、馬、馬。人はもっと多かった。行列は次から次へと続くので、王宮のなかがいまに人で溢れてしまうのではと心配になるほどだ。


 先輩の侍女にならって頭を下げていたが、ふと、行列が動きをとめる。列のなかにいた青年が、足を止めたからだ。その青年は背が高く、まわりを囲む男たちのなかでもきわだって豪奢な身なりをしている。


「祖父君はどこにいらっしゃる」


 青年が尋ねた相手は、王宮の留守を預かる館衆だ。


「お館にてお帰りをお待ちです」


「わかった」


 館衆の男は深く頭をさげている。あのように偉い男がそんな態度をとるなど――と、音々の膝が震えた。


(雄日子様は、あの方だ)


 この国の太子で、御名を呼んでは無礼だから「お館様」と呼ばれるその男が足を止めたのは、わずかなあいだ。ふたたび歩き出すと、そばにいた数人だけがついてきて、そのほかは見送りをするようにその場で頭を下げた。


 頭を下げる下男の前を悠々とおりすぎ、音々たち、侍女の列の前にさしかかると、示し合わせたように数人が動いた。侍女の司や、とくに位の高い侍女で、歩き続ける雄日子の後を追うようにうしろについた。


 その男がまさに目の前をとおりすぎようという時、音々ははっと怖くなった。先輩の侍女から叱られた時のことを思い出した。


『それで、いつまでだまりこんでるつもり? あいさつは? 名乗りもしない気なの』


(そうだ、わたし、この方にまだごあいさつをしていない)


 失礼があってはならない。音々は、懸命に声を出した。


「あの……」


 「お館様」と呼ばれるその男は、音々の小声を聞きつけたらしい。目の前で立ち止まって、見下ろした。


 その男は、耳元で結った髪にも首にも金飾りをつけていて、真っ黒な襲布おすいを肩から垂らしていた。黒布の縁は色糸でこまかな飾りがほどこされていて、内側にのぞく服も、上等な絹のもの。腰に留めた帯金具には毛皮があしらわれていて、その男が身につけるあらゆるものが、音々が見たこともない極上品ばかりだ。


 顔をのぞきあげて、さらに驚いた。


 その男は、身につけた宝の数々を自分の身になじませていた。顔を見上げると、極上の宝玉や金飾りにうっかり近づいてしまったようで、気が遠のく。その男と目が合っていることにもぞっとして、頭のなかが真っ白になった。


 目の前にいるのが人ではなくて、なにかべつのものだと思った。


(王宮だ、王宮のお化けだ)


 頭がくらくらとして、目もちかちかとする。その男の耳元の飾りも、首を飾る金細工も、太陽をみあげてしまった時のように音々の目をくらませた。


(すごい、里の社にしまってある神様の神具よりもずっとぴかぴかしてる)


 よけいなことも思い出した。そういえば、故郷の里の神宝倉に忍びこんで、百叩きの罰をうけた人がいた。巫女様しか触ってはいけない神宝を触るなんて、ひどい真似をしたからだ。


 わたしもそんなことをしてはだめだ。この男の顔を見てはいけない、見たら罰せられる、失礼をしては――と、目を逸らそうとするが、頭が真っ白でうまくいかない。


「わ、わわわわわわたしは、」


 その男の両隣にいた男も、じろっと睨んでくる。一人は雄日子という太子と似た格好をしているが、目が細くて顔立ちに冷淡な印象がある。


(神殿のお化けだ)


 もう一人は身体が大きく、鎧を身につけている。


(鎧のお化けだ)


 もう、王宮の化け物と、神殿の化け物と、鎧の化け物が並んでいるようにしか見えない。


 その三人に見下ろされると、自分が暮らすのとはまったくべつの神様の里にうっかり足を踏み入れてしまったようで、膝はがくがくと震えるし、歯もがちがちと鳴るし。


「音々、わたしは、音々と………」


 名乗ろうとしたけれど、口が震えて言葉にならない。そのうち、ぐいっと背中が引っ張られて列のうしろに倒された。古参の侍女が睨んでいた。


「おまえはいったいなにを――」


 雄日子の背後に控えていた侍女の司が、一歩進み出て頭をさげた。


「もうしわけございません。十日前にはいったばかりの娘で、まだ勝手がわかっておりません」


 雄日子という名の太子は「わかった」といって、そのまま前へ進んでいった。





 両の頬を、ひっぱたかれた。


「なんという無礼な真似を――。今夜は外で寝なさい。夕餉も抜きです」


 「声をかけてお館様の歩みを止めるなんて」「お館様がおまえの名などを知りたいと思うものですか。とんでもない馬鹿ね」と、口々にいわれたが、考えてみたらそのとおりだ。


(なんて馬鹿だ、わたしは、なんて――)


 涙が止まらなくて、夜風のもとの暗がりにうずくまって泣き続けた。


 夜が更けて、侍女が寝泊りをする控えの館が寝静まった後だった。近づいてくる足音がするので、顔をあげると、侍女の司がいた。手に、大きな布のかたまりをかかえている。


「どうだい、懲りたかい」


 泣きはらした目元をこすって「もうしわけありませんでした」と、地面に額がつくほど頭を下げると、侍女の司は、手にした布を差し出してくる。


「ほら、これにくるまりなさい。春の夜はまだ寒いわ」


 自分を責めて責めて、大嫌いになったあとに優しくされるのは、たまらなく切ない。堰をきったように涙があふれて、泣きじゃくった。


 「もうしわけありません、もうしわけありません」とくり返していると、侍女の司はほっとしたように笑った。


「罰を与えるのは、正しいことをわかってほしいからです。わかってくれればいいのです。世の中にはなにをやっても懲りない娘もいますからね。本当、あの娘ときたら――」


 侍女の司はため息をついて、べつの誰かの話をはじめた。


「話をきく気もない娘を相手に、なにをどう教えろというのか。あの娘がその気になるまで根気強く待てとでも? 本当に、雄日子様の気まぐれには困ったものです」


 いったい、誰の話だろう。ぽかんとしていると、侍女の司はやりきれないというふうに頭を横に振った。


「へんな娘がいたんですよ。おまえのように侍女の見習いになったのですが、なにも知らないくせに偉ぶって、この世の道理がわからない子猿のような娘で、名前からして妙な――セイレンとかいう、魔物の呼び名のようだわ」


「セイレン、ですか……」


「品もなければ、作法の覚えも悪い、出来の悪い子でした。行儀も口も悪いのに、雄日子様のお目どおりだけはいい……思い出すだけでもいまいましいわ。――音々、いいこと? おまえは、その娘のようになってはいけませんよ」


(魔物? 侍女の司様の話をきかない。悪い子。子猿。行儀も口も悪い――セイレン)


 王宮ではたらくすべての女を従える侍女の司にたてつくなど、並みの娘にはできないだろうに、そんな娘がいるのか――もしもいるなら、たしかに魔物のような娘だ。


 呆気にとられつつも、音々は「はい……」と返事をした。


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