番外、白昼夢 (2)

「すまない、もう一度いってくれ」


 斯馬しばは、微笑んだ。


「どうやらお疲れのご様子です。今日はからの半島の国々の戦の話をしようかと思っておりましたが、趣向を変えてみましょうか」


 斯馬はしばらく考えるように黙った後で、やはり笑顔を浮かべた。


「あるところに、うまいと評判の楽団がありました。しかし、その楽団の楽師を一人ひとり吹かせてみたら、とんでもなく下手でした。その楽団には三百人もおりましたので、大人数での合奏でごまかしていたのです。さて、この楽団のまずいところはなんでしょうか。また、どうすればよりよくなるでしょうか」


「なるほど、僕への問いというわけか」


 雄日子は笑って、「そうだな」とすこしの間黙った。


「そもそも、特に技に長けた者を大勢集めるのは難しいことだ。だから、もしもよい楽師を集めきれない時によい音楽を奏でさせろといわれたら、僕でも、いくら下手だろうが三百人の楽師を集めて合奏をさせて、人の耳をごまかすよ。つまり、この場合まずいのは、一人ひとりが下手なことではなく、その場しのぎの方法に長く甘んじていることだ」


「なるほど――。それでは、本当に三百人のうまい楽師が必要になった場合はどうなさいますか」


「集めるのが難しいなら、育てるほかないだろうな。――そうだな、なら、僕が楽師の稽古をはじめようか。僕に負けるような楽師は要らないといえば、みな寝るのを惜しんで稽古に励むだろう」


「しかし、あなたは忙しいご身分です。楽師の稽古に時間をとれるでしょうか」


「では、僕ではなく、もうすこし暇な誰か――童がいいかな。この童より下手な楽師はやめさせるといえばいい。童には、もしも誰か一人よりうまくなれば褒美をやるといえばいい。技を高め合う一番は競い合うことだ。僕はなにもしなくてよい」


「君子はなにもしないといいます、それでよろしいでしょう」


 斯馬はにこりと笑んで、次に角鹿つぬがの顔を覗いた。


「角鹿様ならどうなさいますか」


「私ですか――ここは、雄日子様とは別の案を出さねばいけないところですね」


 角鹿もくすりと笑って、もともと細い目を細めた。


「競わせるのが主たる案なら、私が考えなければいけないのは絡め手――。一人、買収しましょうか。もう楽師をやめてもいいと思っている男を探して、わざと下手な演奏をさせて、みなの目の前で罰します。ああはなりたくないと恐怖が混じれば、技は伸びましょう」


 斯馬は苦笑した。


「面白い。では、赤大あかおおどのは」


 自分にまで回ってくるとは思わなかったのか、赤大は肩をすくめるような仕草をした。


「私もですか。――私なら、一人ひとりに話を聞きますかな。どんな者にも得手不得手があるから、一度見て、おまえの得手はこれ、不得手はこれと教えてやれば、いくらかはうまくなりましょう。それに、人というのは面白いもので、一度話をするだけで急にやる気を出したりするものです」


「しかし、三百人ですぞ。三百人と向き合うには、赤大どのも時間が足りますまい」


「なら、世話役を定めましょうか。人の世話がうまいやつを十人ほど選んで、楽器なり集まりごとに三百人を三十人ずつに分けます。そのうえで世話役に話を聞かせればよいでしょう。集まりごとに競わせてもよいでしょう」


 雄日子は、ははと笑った。


「赤大、それが一番いい。僕はおまえに嫉妬したぞ」


 冗談のような雄日子の物言いに、斯馬は微笑んだ。


「雄日子様、一切のものがないところに最初の決まりごとを生むのが、君子の役目でございますよ。あなたが君子足れば、あなたの周りにはそれを助けようとする人が集まりますから、いまのように話は膨らみ、勝手にうまくいくようになるのです。重ねてになりますが、君子はなにもしないものです」


「しかし、斯馬。僕しかできる者がいないことをする場合はどうなるのだろうか」


「君子のお役目であればあなたがやらねばなりません。しかし、わずかでも誰かにできそうなお役目であれば、そのお役目にふさわしい人を探したほうがよいでしょう。あなたがなさるべきは、まだ誰も気づいていない物事に気づいて、新たな問いを投げかけることです」


「――まずいな。僕の苦手かもしれない。僕はなんでも自分の目で見たがるほうだ」


「問題ありません。ですが、あなたがみずから出向くのであれば、ほかの誰も気づかないことに必ず気づいてお帰りにならなければいけません」


「そうか――」と雄日子は一度唇を閉じてから、おもむろに斯馬を向いた。


「斯馬、訊きたいことがある」 


「はい。なんなりと」


「まつろわぬ民のことを、おまえはどう聞いている」


 斯馬はうつむき、言葉を紡ぐ支度をするようにしばらく黙った。


「まつろわぬ民というのは、大王おおきみの一族に仇を為すといわれる異族のことです。大王たる方は、異族を滅ぼして従えていくのだと、私はし宮に入った折に伝えきいております」


「そうか――。僕もかつて、まつろわぬ民は滅ぼせと聞いたのだ。だがいま、楽師の問題で三つの策があったように、滅ぼすしか方法が決められていなかったのはおかしいと思った。たとえば、先日の土雲の件では、あの里を焼いたのは、そのほうがいいと判断したからだが、もしもそうでなかったらどうすべきだったのか。その時は最良の策だと思ったが、もしも僕がほかの策を見つけられていたらと、思い悩んでしまった」


 斯馬は、落ち着きはらった笑顔を雄日子に向けた。


「雄日子様、従えるということには、二通りの結果が考えられます。滅亡と、併合でございます。たとえば、大陸の歴史書に、『漢書』と『史記』というものがございます。ひとつは、敵を敵とみなした歴史書です。ひとつは、敵ながら高潔な奴と書かれた歴史書です。どちらも正しい歴史書です。つまり、異族を敵とみなすか、敬意を表すべき相手とみなすかで、相対する方法は変わりますし、どちらも正しいのです。――しかしながら、滅亡と、併合は、たいへん似ているのでございます。攻め手側が相手を根絶やしにしたいと思うか、攻められる側が思想をみずから滅ぼしても生き残りたいと思うか――大きくは人の思いに左右されるだけで、どちらの場合でも、もともとそこにあったものは形を変えますから、滅亡と併合というふうに違った見かけになるとしても、なにかは必ず滅んでいるのです。血を流して滅びるか、笑顔を保ったままで滅びるかの違いでございます」


「おまえのいうようであれば、僕は樟葉くずはを残したが、あそこもすでに滅んだということだな。――そうか。なら、土雲もどちらにせよ滅んでいた」


 雄日子は苦笑した。





 館を出るとちょうど夕時で、空は真っ赤になっていた。


 一緒に外に出た角鹿が、ちらりと庭の端を気にした。


「おや、息長おきながの姫がいらしていますね。そういえばもうじき弧月の知らせの日――使いが集まる日ですか。あなたがあまりにもあの姫の離宮を訪れないから、痺れを切らして、ご使者について高島にお出ましになったのかも」


 角鹿はもう目を逸らして背を向けていたが、その背後には娘が三人立っていた。揃って大陸風の艶姿をしていたので、茜の光のなかに佇む姿は、赤塗り板に描かれた女官のように見える。三人のうち一人は息長一族の姫で、雄日子が少年の頃からの付き合いになる娘だった。


「お疲れのようですし、会っていらっしゃってはどうです。女人と他愛のない話をすれば、いい気晴らしになりましょう」


 雄日子は角鹿からも背後からも目をそむけて、横を向いた。


「なにか喋るたびにすべて父親に伝えられるやり取りが、どう気晴らしになるのだ。父親と話すより疲れるよ。気晴らしに話すならセイレンのほうがいい」


「では、呼びましょうか」


 角鹿はふふっと笑って、息長の姫から遠ざかるように進んだ雄日子の後を追った。


「ずいぶん気に入っていらっしゃるようですし、もうあなたのものになさったらいいのではないですか」


「あの娘なら、はじめから僕の所有だよ」


「かたくなですね。愛妾くらいつくったらよいのです。いつ休むのですか」


「おまえに皮肉をいっている時かな」


「――おや」


 角鹿は笑って、「では存分にどうぞ」といった。


 二人で肩を並べて歩きながら、雄日子は真顔になって話を続けた。


「いまのは、そう嘘でもない。僕はおまえを見下げて、蔑んでいたいのだ。おまえは僕にとって、否応なしに僕のいやな姿を映してくる濁った鏡だからだ。おまえを見ていると自分が恐ろしくみじめに感じる時があるが、不思議なことに、そう嫌ではないのだ」


 角鹿は「それは休むとはいいませんね」と断ってから、いった。


「それなら、あなたは私にとって、こうなりたいと頭にえがいた理想の自分の姿を写す美しい飾り鏡です。眺めていると惚れ惚れします」


「この、狸が」


 鼻で笑いつついってから、雄日子は角鹿と目を合わせた。


「ほら、胸がすっとした」




 


 しばらくして、途中に出会った侍女に呼びにいかせたセイレンが、雄日子と角鹿が歩む先に現れた。


 セイレンは侍女の格好をするようになっていたが、特別な用があるときだけで毎日ではない。いまも、男のように袴をはいて武人の姿になっていた。男装ではあるものの、娘の背格好に合うように小さめに仕立てられていたし、襟や胴周りに縫い付けられた飾り模様も、高島風のものながら顔つきに合う色づかいと形につくらせてある。男ものの衣装を無理やり着たわけではないので、凛々しい身なりをした特別な娘という印象があった。


 雄日子の行く手でセイレンは足をとめて、頭を下げている。近づくと、顔をあげて言った。


「雄日子様、お呼びでしょうか」


 雄日子は苦笑した。


「似合っているな」


「ああ、侍女の服よりこっちのほうがずっと動きやす……」


 そこまでいってから、セイレンはびくりとして後ろを向いた。セイレンには礼儀作法を教える世話役に古参の侍女をつけさせていたが、いまもその女が後ろにいて、蛇のような目つきで睨んでいたからだ。


「もうしわけありません……でも、こういうときってなんていえばいい……よいのでしょうか」


「おまえが着けることを許されたその衣装は若王様からいただいたものですから、おまえが似合っているのではなく、若王様がおまえに合うものをつくるようにと機織り人に命じてくださったのです。ですから、『ありがとうございます』と頭を下げるのが正しい筋でございます」


 古参の侍女からちくちくといわれると、セイレンはぎくしゃくとした動きで頭を下げた。


「ありがとうございます――」


 雄日子はもう一度苦笑した。


 セイレンは雄日子の守り人として生きるのだといって、雄日子のことを「雄日子様」と呼んだり、喋る前には一礼をして許しを得たり、ほかの者に倣うようになっていた。でも、実のところはまだまだで、いまのように思うままにふるまうこともある。でも、そのたびに叱られている姿をここしばらくの間によく目にしたので、雄日子は寂しく思った。


 べつに前のままでもかまわないのに、直さなければいけないものなのだろうか。


 僕がこの宮に連れてきてしまったせいだろうか。守り人になどしなければよかったか。


 それとも、珊瑚の髪飾りなどつけさせなければよかったのだろうか。


 この子は気丈にふるまっているけれど、本当に僕のことを恨んでいないのだろうか。僕はこの子の育った里も親も仲間もすべて滅ぼしたし、なにからなにまで奪い尽くしてしまったというのに。


(僕なら恨む。けっして忘れないし、自分を陥れようと考えつくような奴など、二度と信用しない)


 ふっと蘇ったのは、角鹿の顔だ。幼い頃に何度も叫んだ時のことも思い出した。


『どうして? 角鹿つぬが、おまえ、どうして僕に邪術なんかを使ったんだ!』


 だから、深く息を吐いて胸を宥めた。


(僕はまだあいつから「押し付けられた」と思っているのだな。時も経って状況も変わっているのに)


 他人の運命を変えるというのは恐ろしいことだと、身をもって覚えたはずだった。


 とはいえ、セイレンが侍女のふりをするなら行儀作法は身につけなければいけないだろうと、そこにいる侍女に世話役を命じたのは雄日子だったし、この子に似合うものをつくれと機織りの里の者に命じたのも雄日子だった。


 やるべきだと思うことと、自分が求めることは真逆に近いのだ。それに気づくのも、気づいたうえで傍観しているのも、とても奇妙な気分だった。


 ふと、セイレンの顔を見ているうちに物足りないと感じるので、そばに寄ってセイレンの黒髪を手でいじりつつ、侍女に命じた。


「髪をもっとこう――、この服とこの子の顔立ちなら、まるめて結いあげたほうが似合うのではないか」


 侍女は雄日子の手元を覗き込んで、すぐに頭を下げる。


「かしこまりました」


 うなずかれて、我に返った。


 前のままの荒削りのままの姿を見ていたいと胸は寂しがっているのに、いつのまにか雄日子は「さらに変えろ」という命令を下していて、気づくのはその後だ。


 ひそかにため息をつきながら、セイレンの背中に手を置いて、前に進ませた。


「おいで。頭が疲れたから、寝つくまで話し相手になってくれ」


 セイレンはすぐに顔をしかめた。


「話し相手? そんなのがお役目? またあなたは、自分勝手に人を使おうとす……」


 でも、唇がかたまる。後ろからひどい形相で睨む侍女の目を気にして、いい直した。


「はい、雄日子様。かしこまりました」


 もう一度、雄日子の唇に笑みが込み上げた。唇からこぼれたのは、自分の意図とは関わりなく腹の底で勝手に生まれて、喉を突きのぼってきた笑みだった。


「いいよ。いこう」


 セイレンの背中を押しながら、雄日子は思った。


 館が近づいたら、侍女は遠ざけてしまおう。


 この子が変わっていくのを止められなくても、すこしでも長く、前のこの子が残ればいい――。







***********************************************

《雄略武王について 追記》

雄略武王は、雄略天皇をイメージした人物です。

この話の中で、雄略武王と雄日子(モデルは継体天皇)は会っていますが、記紀などの文献にあった出来事ではなく、完全に私の妄想です。二人が生きた時間が重なっているかどうかも定かではありません。

『日本書紀』と『古事記』は神代からの歴史を語っていますが、実際に書かれたのは奈良時代です。また、私は、『日本書紀』には偽りがあるかもしれないという考えでこの話を書いていますので、天皇の生没年や、皇位継承順などについては、記紀の通りに書いていない部分もあります。継体即位の影には武力衝突があったかもしれない、という(おそらく)少数派の説を『雲神様の箱』ではベースにしていますが、あくまで説で、確証はありませんので、この話の中で雄日子と争う大王も、架空の存在のつもりです。ストーリーを楽しむファンタジーとして楽しんでいただければ嬉しいです。

また、「雄略」「仁徳」などは諡号であり、それぞれの天皇がその名で呼ばれるようになったのは、奈良時代以降とする説が有力です。でも、この話の中では、分かりやすさを求めて使っています。

言葉といえば、「クニ」という言葉が初めて登場するのも奈良時代以降だと書かれた本を読みました。現代と当時に共通する言葉があったとしても、発音までが同じという確証もありません。

おそらく、この時代のことを本当に正確に再現しようとすると、現代のわれわれにはほぼ理解できない文になるはずです。ですので、私は、この頃の世界の物語を現代語訳で綴る、というスタンスで書いています。

フィクションとノンフィクションは分けて考えていますので、どうかご容赦ください。

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