番外、飛んだ小鳥 (1)

 藍十あいとおが企てを知ったのは、かなり早いうちだった。


 雄日子の館に呼ばれて事の次第を聞かされるなり、訊き返した。


「えっ――土雲の里を、焼く……」


 藍十が尋ねた相手は正面に座る雄日子だったが、こたえたのは、そばに控える角鹿つぬが


「ああ、そうだ。それが雄日子様のかねてからの――」


 雄日子と角鹿が藍十に告げたのは、ここ数日のうちに土雲の里を焼きに出向くということと、向こうの出方次第では誰一人生き残らなくてもよいと考えていること、そして、山ごと焼き尽くしてもかまわないということ。


 しかし――と、藍十は角鹿の隣に座る赤大あかおおの顔色を探ったが、同じ話を聞いた赤大に驚いた様子はなく、目が合った後も目を逸らしはしなかった。


「雄日子様、セイレンには――」


「あの子には、黙っておくつもりだよ」


「しかし――セイレンはあなたを信じています。あなたが育ての親を助ける手伝いをしようといってくださったと、あいつは喜んでいました。故郷の奴らとは違う、ありがたいと――。あいつは故郷の者に命を狙われたと話していましたが、あなたにまで裏切られたと知ったらどうなるか。あいつはやっとここに馴染んできたところで、これからなんです。もうすこしで――」


「もうすこしで、なんだ。どうなる?」


 雄日子の笑顔は、はじめから変わらなかった。館の奥の暗がりで火皿の明かりに炙られていたせいで、鼻や頬には陰影が落ち、ほの暗い影を帯びている。


「僕が退けたいのは土雲という名の古の異族で、これから先、僕が高島の外に出ることが増えれば、決して無視できない存在だ。高島は僕の足場であり、土台だ。その土台が、よくわからん一族に巣食われているかもしれんと思えば、思うままに遠くの戦に出られないだろう? 逆もまたしかりで、セイレンの存在を知った大和や敵国の誰かに土雲の一族の居場所をかぎつけられて、手を組まれたらとんでもないことになる。その脅威を取り除くのと、セイレンという守り人見習いを一人育てるのとだったら、僕がどちらを選ぶべきだと思う?」


「しかし――」


「藍十……わからないかな。僕は相談しているのではないよ。命令しているのだ」


 雄日子の顔にあった微笑は、ぴくりとも動かなかった。ちらちらと瞬く炎の灯かりがつくる暗い影も、絶えずそこにある。藍十はうつむいた。


「もうしわけありません」


「おまえに命じる。しばらくのあいだセイレンを見張れ。なにかあれば僕のところへ知らせにこい」


「なにかというと――」


「なんでもかまわない。先に一人で里に戻ろうとしたとか、一族の者とまた出くわしたとか、なんでもだ。企てに関わりそうなことはすべて知らせろ。セイレンが関わるだけで、いつもと同じだろう?」


 「セイレンの育ての親を助けにいくため」という名目で軍議がひらかれたのは、その三日後のことだった。


 おおまかなことを伝えきると、藍十とセイレンは雄日子とともに先に軍議の場を去ることになったが、その後も、雄日子は藍十にセイレンを追いかけるようにいった。セイレンが、一緒にいく全員のための守り布というものをつくりたいと頼んだからだ。


「藍十、セイレンが兵舎に近づかないように遠ざけろ。いま、あそこでは赤大が、おまえとセイレン以外の者がすべきことを伝えているのだからな。あそこに集った百人だけでなく、後を追う千人の兵とともに山を囲んで、炎で包み、必要があればあの山に住むすべての者の息の根を止めろと話しているのだ。セイレンに聞かせてはいけない」


「はい――」


「あの子は宮の外に薬草を探しにいくといっていたから、好都合だ。ついていって、あの子の手仕事が終わるまで一緒にいろ。赤大やほかの武人に近づけさせるな。なにかあると気づかせるな」


「御意――」




 


 主から直々にいいつかった命令なのだから、従わざるをえなかった。


 とはいえ、仲間を騙すというのはなかなかきついものがある。しかも、相手はしばらく世話を焼いていたセイレンだ。


 出会ったばかりの頃のセイレンは毛を逆立てた獣のようで、人と接するのが得意ではなさそうだった。それが、すこしずつ警戒を解いていって、いまは背中を預けて戦える相手だと互いに信用し合っていたし、薬の知識だとか〈雲神様の箱〉という名の妙な箱とか、吹き矢とか、セイレンならではの得手に頼ることも増えた。せっかくなついた子飼いの獣にもう一度縄をうてと命じられたようで、気は進まなかったが、どうしようもなかった。


 戦の日に藍十がすべきことも、セイレンの見張りだった。


 軍と離れてセイレンの育ての親を救い出しにいくというのは建前で、本当の狙いは、セイレンを本軍から離すこと。興奮して寝返られても、暴れられても困る――と、角鹿は淡々と藍十に説明した。


 でも、藍十は、最後の最後でそれを放棄した。


「雄日子が〈箱〉で襲われるかもしれない。どうしよう――」


「いいから落ち着け、な?」


「落ち着けないよ。いまそいつが運んでたやつは、ひと吹きで百人殺せる薬だよ。いくら雄日子でもあんなものを吹かれたら生きていられないし……藍十だって、地下に入り込んだ時はすこし息を吸っただけで倒れたじゃないかよ!」


「落ち着け、いいから!」


 その時も、与えられた役目に従ってセイレンを止めるべきだった。「それでも守り人か。主がやれといったことをしろ」と叱る支度もあった。でも、いえなかった。


 その時のセイレンは心の底から主の雄日子の身を心配していたし、あの状況では、留めるほうが不自然だったはずだ。


「じゃあ、いけ。雄日子様を守ってくれ。頼んだ」


 結局藍十はセイレンを送り出したが、それは、責められるべき失態だ。






 土雲の里での戦が終わって、しばらく経ったある日。高島の宮の庭を歩いていると、すこし離れた場所にいた雄日子と目が合った。


 主の目が「こっちへおいで」といっていたので、呼ばれるままに近づいていったが、どんな用件かということは、目が合って微笑まれた時にもうわかっていた。


 雄日子は館の軒先で待っていた。大屋根の影が落ちる場所で、夏とはいえ、涼しい湿った風が吹く。そばに寄って同じ影の下に入ると、雄日子はささやくような小声でいった。


「呼んだのは、一度はじかに話したほうがいいと思ったからで、叱るためではないよ」


「はい――」


「土雲の山でおまえにセイレンの見張りを命じたのは、あの子の故郷を攻めるところを見せて混乱されると困ると思ったからで、結果、セイレンは暴れなかったし、かえって僕に従うほうを選んでくれた。あとからみれば、おまえがセイレンを僕のほうにこさせたほうがうまく回った。だから、とくに咎めないが、これは結果がよかったからの話だ」


「はい――」


「次にまた勝手な真似をすれば、信頼できない者として扱う。それをわきまえておきなさい」


「はい――」






 雄日子と二人で話していたのを、日鷹ひたかは見ていたらしい。


 話が済んで主が去っていくのを見届けると、そろそろと寄ってきて耳打ちした。


「お叱りか? 大丈夫?」


 企てのことも藍十が主からなにを任されていたかも、日鷹は知っていた。というより、セイレンのほかはみんな知っていたのだ。


「ああ。雄日子様は懐が広いから、いちいち腹を立てないよ。ただ、次はやるなよって」


「二度目は許さないってことか」


 日鷹は苦笑して、ぽんと肩を叩いてきた。


「まあがんばれ。奥の庭でセイレンがお待ちかねだよ。剣の稽古をするんだって?」


「そうだった……」


 失態の沙汰を下されるのに緊張したせいでそれ以前の記憶が飛んでいたが、たしかに藍十は、剣の扱い方を覚えたいから手伝ってくれと頼まれていた。


 「なあ、頼むよ藍十」と、まっすぐに見上げてくるセイレンの目を思い出すと、ため息が出る。


「剣かぁ――なんだかんだあいつは無邪気だよなあ。っていうか、女はいいよなぁ。セイレンは、雄日子様からおれらみたいに叱られたり脅されたりしないもんなあ」


「叱られたり脅されたりはしてないかもしれないけど、邪術で縛められたり、故郷と一族が滅ぼされたりしてるけどな」


 日鷹が冗談をいうように笑う。藍十の口から「いや」と乾いた笑いが出た。


「おれやおまえの故郷と一族がもしも雄日子様にとっての脅威だったら、しっかり滅ぼされてるよ。――まあいいや。かわいいもんなあ、セイレンは。なつきそうにないのがなついてくると、ほんとにもう――まあいいや、いこう」


 藍十はかしかしと耳の上を掻いて、稽古場にした庭に向かって足を浮かせた。






 その庭は、高島の宮の奥庭、裏に広がる桃の林と館の間にある。林のそばにあるせいでほどよく涼しい風が吹き、雄日子や高島王の館のそばにある庭ほどは丁寧に手入れがされないので、少々草も伸びていた。


 そこにセイレンは一人で立っていたが、藍十は目をしばたかせた。身にまとう衣装がいつもと違っていたのだ。


 セイレンは、足首まであるを着けていた。裳は身動きをするたびにふわりと揺れる絹地で、風にふわりとなびくたびに陽光を浴びて、品よく輝く。帯も、大陸の女官が身にまとうような色の濃いもの。紫の地色に黄色の飾り紐が結わえられていて、胴周りを包むのも華やかな花の色の飾り着。髪も大陸風に結いあげて、紐飾りを結わえている。顔の化粧はなかったものの、セイレンは、どこぞの姫か、王に仕える高位の侍女を思わせる姿に化けていた。


「なんだ、その格好」


 呆気にとられて尋ねると、セイレンは唇を小さくひらいてにこっと笑った。




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