番外、飛んだ小鳥 (2)

「さっき、きぬ合わせがあったんだ」


「衣合わせ――あぁ、侍女のふりをするための服をつくったっていう――」


 そういえば、「新しい服をつくってもらうことになったんだ」と、そんな話もされたなと記憶を探っているうちに、セイレンは満足げに笑って、上衣の裏に手を差し入れてもぞもぞといじった。


「それで、この服を前に着た時にさ、動きにくくてたまらないって話をしたら縫い直してくれてね――ほら、簡単に外れるようにしてもらったんだ」


 セイレンの指が腰のあたりから離れるやいなや、はらり――と裳がめくれていって、布地の影から陽に焼けた脛や膝小僧が覗いた。


 絹製の裳が、風を丸くはらみながらふわりと地面に落ちていく。残ったのは腿から下があらわになった素脚で、セイレンは裳の下にはかまのようなものを穿いていたが、腿が見えるほどで、かなり丈が短い。


「はっ――?」


 藍十は思わずうつむいて、目を逸らした。見てはいけないものを見た気にもなる。


「おい、なんで脱いでんだ――」


「脱いだっていうか、外れるようにしてもらったんだって」


 セイレンは得意げで、今度は帯の端を両手でいじっている。


「ちょっと待て、なにしてんだおまえ」


 裳だったものが布地に戻って、土の上に落ちた後だ。次に起こることに予想がついて、声が上ずる。


 藍十と日鷹の目の前で、セイレンの腰から帯がはらりと解けて、外れた。


「おいおい――」


「上もすぐ脱げる。まだ慣れないから時間がかかってるけど、たぶん慣れたら三つ四つ数えるくらいで――」


 セイレンの胴周りを覆う花の色の飾り着には結び目が三つあって、セイレンの指が紐の端を引くたびに、一つ、また一つと解けていく。首元の襟がゆるんで、胸元がはだけていくのに、セイレンの指は当たり前のように腹のあたりにある最後の結び目に伸びていた。


「ちょっと待て、そっちも脱ぐのかよ」


「外す稽古だよ。こんなの着てたら戦えないだろ? よっと――」


 いうが早いか、藍十の目の前で麗しい飾り着だったものがくたりとよれて、肩からずり落ちていった。


「おいおいおい……」


 赤面して直視できないが、視界の隅に映ったセイレンの胸元にはまだ布があった。


 どうにか目を戻してみるものの、目に入るなりうつむいて額をおさえた。セイレンの胴にあったのは胸元からへその上までを覆った心衣しんいだけで、ほかにはなにもなかった。心衣が隠すのは胸元だけなので、脇のあたりからは肌が見えている。背中側には、心衣を胴にくくりつける細い紐しかないはずだ。その下にあるのも、腿から下があらわになった丈の短い袴だけ。


 髪を大陸風に結いあげて、顔から上はどこぞの姫か侍女かという容貌かおになっているくせに、首から下はえらく無防備なので、あられもない姿と呼ぶしかない。


「なんなんだよ、その着付けの真っ最中みたいな中途半端な格好は!」


「なにって、侍女の格好をした後でも戦える格好になれただろ? ここまで身軽になれれば動きやすいよ」


「身軽って――あのなあ」


 ほとんど裸じゃねえかよ。そういいたいのを押しこらえているうちにも、セイレンはその格好のまま構えの姿勢をとって、呼んだ。


「支度ができたから稽古をつけてよ。――こい!」


「いけねえよ!」


「どうして。じゃあこっちからいくよ?」


「そういう問題じゃねえっつうの!」


「なら、どういう問題だよ」


 セイレンはつむじを曲げて、手にしていた木の刀の先でかつかつと地面を叩いている。


 仕草も表情も「さっさとはじめようよ」と訴えているのだが、この姿のセイレンと一戦交える気は、わずかたりとも生まれない。


「あのなあ、とりあえずその格好をやめてくれないか……」


 まっすぐに姿を見るのは恥ずかしいので、目を逸らしながら頼んだ、その時。セイレンの胸元を覆う心衣しんいの細紐がくたりと歪んで、紐の端がほどけた。


 それが外れたら、さすがにもう、なにも身につけていないはずだ。


 肌が……肌が見える……!


 藍十は絶叫した。 


「あーーーーーー!」


 胸元が弛んだのに気づいて、セイレンの手がさっとそこに伸びる。


 外れかけた紐の端っこを掴んで結び直しながら、藍十に文句をいった。


「なんだよ。そんなに騒ぐことかよ」



 騒ぐことだよ、違うのかよ。なんでおまえは騒がねえんだよ!

 年頃の若い娘がほとんど裸の状態で男二人の前にいて、そのうえ、しかも、胸が……胸が――!



 と、いいたいのだが、言葉にならずに、口をふるわせるしかできなかった。


 後ろのほうから、笑い声がきこえた。


 いつのまにかここにやって来て、様子を覗いていた男がいたらしい。その男は後ろから近づいてきて、顔を真っ赤にさせた藍十の肩をぽんと叩いた。


「おまえじゃ役不足になったかな。私がやろうか」


 赤大あかおおだった。




 


「とりあえず上は着ろ。動くのに邪魔なのは裳だけだろう」


 赤大はセイレンに飾り着を身につけるようにいって、自分は剣をもち、セイレンには小刀をもたせた。そして、その小刀で自分の剣を奪ってみせろといった。


「もしもその姿の時におまえが剣を使うなら、相手なり敵なりの剣を奪った後だ。その姿の時に身に隠せるのはせいぜい小刀と吹き矢だろう。その小さな武具で、相手の武具を奪うところからはじめろ」


「はい」


「奪った後は、その剣をふるえなくてはならん。子ども用の小さな剣をもっている賊などいないから、大剣を扱う稽古をしろ。剣は重いぞ。小刀の十倍以上ある。腕を鍛えろ。足もだ。まあ、おまえはもともと細いから、すこしくらいたくましくなっても大丈夫だろう」


 剣も小刀も鞘に入ったままだった。二人の武具がぶつかるたびに、がっと重い音が鈍く響く。


 赤大は、自分の手の甲を狙えと繰り返した。


「懐に踏み込める一瞬を探して骨の上を打て。痺れれば剣を落とすし、肌に傷がつけばなおよい。相手の男が武具を失ったら、おまえの武具が小刀だろうが吹き矢だろうがおまえのほうが有利だ。まず、相手の技を断て」


 赤大がセイレンをけしかけて、剣をぶつけ合ったり、細かく地面を踏んで打ち合ったり――その様子を、藍十と日鷹はぽかんと見ていた。気が抜けて立つ気も失せて、二人で庭の端にしゃがみ込んだ。


 遠目から見ると、赤大がなにをしたがっているのかが見えてくる。日鷹もそれに気づいて、隣で笑った。


「俺たちの動きと違うな。赤大はセイレン用の型をつくってるんだな。セイレンのためだけの武術をつくってんだ」


 日鷹のいうとおりで、赤大は「姿勢が悪い」とか、「懐に踏み込むのが早すぎる。こっちの動きを見ろ」とか、こまかなことを教えていたが、言葉に従ってセイレンが背筋を伸ばしたり、膝を曲げたりするたびに、剣舞を見ていると錯覚するような艶やかな姿勢になる。セイレンの動き方がすこしずつ変わって、それまでとは別のものが仕上がっていくのが二人の目にも見えた。


「あれは女用の武術の型で、基本の姿勢だ。赤大すげえなあ。俺だったらつい脚見ちゃうな」


 日鷹は稽古に夢中になっていたが、藍十は一度目を逸らした。ため息をつきたい気分だった。あぐらをかいた片足を引き寄せて、膝をかかえた。


「まただ。また小鳥が飛んでった――」


「あ?」


「土雲の一件以来、セイレンが大人になっちまってさぁ。なんかこう……セイレンが足りないんだよ。かわいいかわいいセイレンが、じわじわ消えてくんだよ。頭をぐしゃぐしゃできねえ雰囲気になったんだよ。なんかこう、もうあいつ、女なんだよ。しかもいい女なんだよ。いまにこっちが頭撫でられそうなんだよ。もうちょっとしたら、頭撫でて欲しくてついしゃがんでしまいそうなんだよ」


 日鷹は「なんだそれ」といいつつ、はははと笑った。


「すこしわかるな。あいつ、順調に紅一点の道を歩んでるよな。もうすこししたら『踏まれてえ』って思うようになるのかなぁ」


 藍十がしばらく黙ったせいか、日鷹はちらっと顔を覗き込むような仕草をした。


「どうした。惚れたかな?」


「さあな。でも、こんな男所帯じゃ、セイレンみたいな若い娘が一人前に戦ってたら目立って仕方ねえし、みんな惚れるだろ」


「まあ、それが紅一点だ。でも、やめとけ。雄日子様が怖いから。――気づいてた? おいでだよ」


「おいでって?」


 日鷹が後ろを気にするので、わずかに目を動かして背後を見やるが、日鷹が見ろといったものに気づくやいなや顔を前に戻した。庭に面した道には背の高い男が二人立っていた。そこにいたのは、雄日子と角鹿つぬがだ。


「お二人でここを通りかかったのかな。寂しそうに見ておられるね。俺はいまのセイレンのほうがいいと思うけどなぁ。かわいいし――違うな、美しいわ。戦える娘か、いいねぇ――」


 日鷹は稽古を眺めてのんびり笑っていた。


「セイレンはなぁ、女ってのがなぁ、やっぱり俺たちとはどこか違うよな。まあ、箔がつくよな。早く一列に並びてえもん。セイレンが真ん中かな」


「なんの話だ?」


「ほら、たまに雄日子様の後ろに並ぶだろ。セイレンがきれいな格好して立ってたらすげえサマになると思うんだよね。俺がかすむわ。おまえもかな。雄日子様を守り隊の一番は赤大だろ、二番が黒杜くろもり、いまのセイレンなら見た目が豪華だから三番目にはくるかな」


「雄日子様を守り隊ってなんだよ」


 日鷹の冗談に小さく笑いつつ、ようやく藍十もかかえていた足を投げ出した。


 ふと、絶え間なく腕や足を動かしていた赤大とセイレンの動きがとまった。


 赤大が雄日子に気づいたようで、一度稽古をやめて、雄日子を向いて礼をしたのだ。隣にいたセイレンも、同じように頭を下げる。息が切れているようで肩は細かく上下していたが、赤大に倣ったせいか仕草は凛としていて、礼儀を叩きこまれた武人に見えた。


 日鷹が、待ちかまえるように後方を振り返る。


 藍十もつられて振り返ると、雄日子が苦笑したのが見えた。雄日子はわずかに眉を寄せて笑ったが、藍十の目にも寂しそうだと見えた。雄日子はそのまま横顔を向けて、止めていた足を浮かせる。角鹿をともなって、二人で庭を通り過ぎていった。


 主が去ってしまうと日鷹は顔を前に戻して、ふたたび稽古をはじめた赤大とセイレンのほうを向いた。


「あの方も前のセイレンが足りないのかな? 物足りなそうだ」


 くくっと愉快げに笑う日鷹の声をきいてから、藍十はすこし愚痴をいった。


「――あの方、変わったよな。セイレンから『雄日子様』って呼ばれはじめたのがお気に召さないんだろうけど、おれにも結構効いたなぁ。雄日子様さ、セイレンの里を滅ぼした時も、それこそ鉄の意志――みたいに、顔色ひとつお変えにならなかっただろ? あそこまで冷静になさる方なら、なにがなんでもついていくしかないって敬服したけど、セイレンが大人しくなった途端にころっと――ちょっと変わったよな……」


 日鷹はにやっと笑った。


「なるほどね、おまえは雄日子様にも惚れてたんだな。そりゃあ苦しいわな。惚れてたセイレンも雄日子様も遠ざかっちまったら、物足りないって思うんだろうな」


「え――そういうこと?」


「ていうか、おまえは赤大にも帆矛太ほむたにも俺にも惚れてるだろ? 人好きだもんな」


 日鷹は「そのうち慣れるよ」といって軽く笑った。


「それより、俺はこの後のことのほうが気になるけどなぁ。荒籠あらこ様がもうすぐお戻りになるんだぞ? あの方はまた変わるかもね? 荒れるぞー」


「そうだなぁ」


 藍十もその時のことを頭に思い描いて、苦笑した。




.........end




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心衣しんいは、中国の「三国志」の時代の女性用下着の呼称ですが、この時代の日本に存在したかは定かではありません。

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