番外、火の原の涙 (2)

「用は済んだんだよね、帰ろうか。――それよりさ、また稽古をつけてよ。剣の使い方も習いたいんだ。弓矢も習わなきゃ。赤大にきいたんだけど、馬に乗って戦う時は弓矢に慣れてないといけないんでしょ?」


「わかったわかった。なら、このあとやろうか? まだ昼間だし――」


「あ、昼間はだめなんだ。きぬ合わせがあるからさ、昼には宮に戻れっていわれてるんだ」


きぬ合わせ?」


「うん。侍女のふりをする時用の服を仕立てるから、わたしの身体の大きさを測るんだって」


「侍女のふり?」


「ああ。雄日子に服が欲しいって頼んだら、いろいろつくるっていってくれてさ」


「それで、侍女――」


「侍女だけじゃなくていろいろつくるって。ほかにもあったほうがいいだろうって――」


「それってつまり――おまえは雄日子様好みにされるのか……あの方は鬼だな」


 藍十が額をおさえてうなだれる。


「鬼って?」


「だって、おまえは里も一族もあの方に奪われたのに、そのうえ見かけまであの方の好きにかえられてしまうのか……ううん、なんていうか――雄日子様って、おまえのことを気に入ってるよなあ――」


 最後には、はあ……と、ため息をついた。





 火の原にいた時は涙がとまらなかったけれど、終わってしまえば、湯浴みをしたあとのように、セイレンの胸はすっきりしていた。

 

 高島の宮に戻る途中、里の煮炊き場からたちのぼる煙が目に入ったけれど、その下にあるのが炎だと思っても怖くなかったし、もしもこれから怖いと感じることがあったとしても、火の原で「もう怖くない」と念じながら火をつけた時のことを思い出せば、もう大丈夫――と、笑みも浮かんだ。


 だから、セイレンは、宮へ戻るまでずっと笑っていた。


 隣で馬を駆る藍十のほうが気をつかって、ため息を吐いていた。




  ◆  ◇    ◆  ◇ 




 宮の門をくぐるセイレンと藍十の姿を遠くに見つけて、雄日子が足を止めた。


 馬上で、セイレンは前を向いてさわやかに笑っていて、藍十のほうはうつむきがちで渋面をしている。


 足を止めた主に従って、供をしていた角鹿つぬがも歩みを止めた。


「ああ、あの娘ですか。二人して、身体中灰だらけですね。そういえば――牧をつくるのに藍十に焼き畑をつくるように頼んだので、二人で様子をみてきたのでしょうね」


「焼き畑――火の原からの帰りか。――あれからまだ日も浅いのに……笑っているな」


 先へ進まなくなった雄日子の顔を横から覗き込んで、角鹿が小さく吹き出した。


「さっきの藍十のような顔になっていますね」


 角鹿はふたたび歩き出そうとした。


「いいことですよ。あなたが自分の里を滅ぼしたことなど、もうあの娘は気にしていないのでしょう。当然でしょうね、あの娘はあなたに仕える守り人なのですから――。さあ、いきましょう。きぬ合わせに、はた織りの里の者が待ちくたびれておりましょう」


 せっつかれて足を浮かせたものの、雄日子の足取りは重かった。長い沈黙のあとで、尋ねた。


「角鹿――昨日息長おきながから送られた使いは、まだ高島にいるな」


「はい、いますよ。淡海あわうみを回った荒籠あらこが息長一族の都にたどりつき、息長の地で牧をつくりはじめたことと、すでに美濃みのへと旅立ったことを、あなたに伝えにやってきた使者ですね。でも、もうまもなく戻りましょう。ただ知らせにまいっただけですから」


「その使者と一緒に、誰かを息長の都へいかせろ」


「こちらからの使者ですね。御意。それで、用向きは――」


「荒籠を追って美濃にいかせろ。荒籠に、高島へ戻れと伝えさせろ」


「荒籠に、戻れと?」


「ああ。僕はあいつに、いけそうなら尾治おわりまでいけと命じたが、尾治には別の者をいかせることにして、荒籠には高島へ来るように伝えさせたい」


 角鹿は一度唇を結んだ。そして、小さく笑った。


「雄日子様――それは、なぜです。尾治おわりは縁遠いながら、大きな力をもつ地。こちらからも使者を遣わせておりますが、尾治王と深いつながりのある荒籠に足を運ばせれば、荒籠みずからの言葉であなたのことを語らせることができます。あの男があなたに手を貸していることも、飛鳥とあなたの関わりや、樟葉くずは難波なにわの様子や、現状も、荒籠の口から伝えさせられます。それをあきらめてまで荒籠を高島へ戻す理由は、いったいなんでしょうか」


「飛鳥からの使者だ。あの二人は、荒籠と親しいと話していた」


 それは、土雲の里を焼いた三日後のことだった。


 高島の門前に立派な身なりをした若者が二人やってきて、大伴おおとも氏と物部もののべ氏という飛鳥の豪族の嫡子だと名乗った。


 雄日子のもとに残っていた馬飼うまかいがその二人の顔を覚えていたので、「ええ、たしかに金村かなむら様と麁鹿火あらかび様です。麁鹿火様は荒籠様と親しく、よく酒を酌み交わしておられました」と、雄日子に教えたし、雄日子のほうも、荒籠から「物部氏の嫡男は友人だ」と話されたことがあったので、話の辻褄は合っていた。


 でも、なぜその二人が飛鳥を出て高島にやってきたかは、よくわかっていない。


「なるほど、たしかに。荒籠の力が必要かもしれませんね。では、使者を遣わす命令を昨晩なさらなかったのはなぜです。息長からの使者が着いたのは、昨日のことですが」


 角鹿の話し方ははじめからずっとかわらない。薄笑いが似合う小声で淡々と喋る。


 雄日子は鼻で笑って、苛々といった。


「白々しいな。はっきり問えばどうだ。あの、飛鳥からきたという使者がここに着いた時から、僕は荒籠をここへ戻すべきかどうかと迷っていた。でも、決め手になったのは、いまあの娘の顔が目に入ったからだ。おまえが考えているとおりだ。僕は、あの娘の顔色を気にしているんだ」


「はあ、顔色――しかも、あんな娘の。たったそれだけのことが、荒籠を呼び戻す決め手になるものですか」


「僕はあの娘に負い目があるのだ。だから、ここにつなぎ止めておくすべが考えきれない――僕だけでは足りないのだ」


「はあ――負い目。では、荒籠を呼び戻すのはあの娘をここに留まらせるため、つまり、あの娘のために荒籠を呼び戻すのですか」


「何度もいうな。あの娘は土雲の民の生き残りだぞ? 僕の身を守るのにも助かる」


「まあ、それは――そんな娘が手元にいれば面白いでしょうけれど。しかし、雄日子様――それは余興、道楽と同じたぐいですよ。尾治王との交渉とはくらべものになりません。それをおわかりですか」


「飛鳥の二人がきてから、荒籠はもともと呼び戻すつもりでいた。その決め手になっただけだ」


「しかし、呼び戻してどうなさるつもりなんですか。あの娘をここに留め置くのが狙いなら、あの娘を荒籠の妻として与えでもするつもりですか」


「荒籠の妻?」


「それはそうです。誰かを留め置くために妻や子をもたせるのは定石でしょう?」


 雄日子の口調がしだいに荒くなり、だんだん言い争いのような早口になる。


 先に折れたのは角鹿のほうだった。ふふっと笑って、話を続けた。


「あの娘に家族をもたせるのが目的だとしても、相手は藍十でも日鷹でも、そのへんにいる誰かでもいいことですし、なにもわざわざ荒籠を――と、私は反対ですが……あなたが決めておられるのだから、論じても仕方のないことのようです。――わかりました。あなたがきぬ合わせにいっておられるあいだに、荒籠のもとへ遣る使者を探しておきましょう。ただ……」


 角鹿が話しているあいだ、雄日子は唇を閉じてじっとしていた。


 無言のまま真顔をしていたが、角鹿には、普段とちがう表情だとわかった。だから、くすりと笑った。


「そう拗ねないでください。もういいませんから。ただ、荒籠が戻ったら、あなたはいま以上に拗ねてしまいそうな気がしますけどね」


「は? 拗ねる? 僕がか」


「いえ、こっちの話です」


 角鹿はくすくすと笑って、話を終わらせた。それから、よく晴れた青空と宮門に目を向ける。遠景を眺めて、ぽつりとこぼした。


「火の原……ですか。そういえば、火が魔性をもつという話をご存じですか」


「――いや」


「火を見ていると人の心も燃えるのだそうですよ。だから、夜襲には火を使うのです。祭りにもです。心を煽るためです。――火に煽られぬよう、ご注意なさいませ」


「おまえが僕に忠告か」


 雄日子は顔をしかめた。


「無用だ。僕は冷静だ」


「そうでしょう。あなたは、なにかを燃やすとしても静かな炎であるべきです。それをお忘れなく」


「口を閉じろ。聞きたくもない。――息長に使者を送っておけ」


 その言葉を最後に、雄日子は顔をそむける。背を向けて早足になるので、話は終わり、角鹿はそこで雄日子の後ろ姿を見送ることになった。



 やれやれ、やっぱり拗ねておられる――。



 普段どおりにみえるものの、いつもよりやや大きな歩幅で遠ざかっていく主の後ろ姿を目で追いつつ、苦笑した。


「あれは、自分でわかっておられる顔だ。聞きたくもないのは耳が痛いからでしょう?」


 小声でいってくすりと笑う。


「息長への使者――ですか。でも、いまは荒籠が戻ってこないほうがいいと私は思いますがね。実際には送らずに送ったことにしてしまうという手もあるが……さて、どうするか」


 「やれやれ、この忙しい時に困ったことだ」と、角鹿は苦笑して、その場を後にした。息長の都に向かわせる使者に話をつけにいくためだ。


「誰か、馬飼の千樹ちきはどこだ。頼みたいことがあるのだが」






.........end

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