六合(くに)の王 (1)

 

「これは、なんと――」


 樟葉くずはの都の変わりようは、二十日ぶりに王宮に招かれた樟葉王が、雄日子を睨むのも忘れて目をまるくするほどだった。


 建物は増え、周りの森は拓かれ、都の端には砦が築かれ、ふもとを流れる川には湊がつくられ――。湊につながれた船のなかには、対岸まで馬を載せて運ぶことができる平船もあった。


 高島から人がやってきて働き手が増え、領内くにではかつてない賑わいも見せている。


 雄日子が、都の外れに追いやっていた茨田まったの王族を呼び寄せたのは、ひととおりのものを直しきった都を見せるためだった。


 しかし、樟葉王は不機嫌だ。


 招かれたとはいえ、いまは雄日子の臣下という形をとらされている。


 雄日子の護衛をつとめるすべての武人に威圧されながら地べたに平伏するのは、二十日前に受けた辱めをくり返すようなもの。様変わりした都の様子に目を見張るものの、樟葉王の顔は屈辱に耐えるように歪んでいた。


 樟葉王と、共にやってきた男たちをひざまずかせて、雄日子はその正面に立っている。そばには、茨田の王族でただ一人王宮に残っていた姫――雄日子の妃として差し出された、樟葉王の娘がいた。


「都はどうだ。かなり変えてしまったが、気に入ったか」


「どうだと、いわれましても」


 樟葉王はわずかに顔を上げ、目を細める。


 樟葉王の目は、娘の肩を抱く雄日子の手を睨んでいた。樟葉王からすれば、雄日子は、自分の持ち物を力づくで奪いとった相手だ――娘も、くにも。


「気に入らないか? まあいい。それで、おまえは僕に仕える気があるか。大和に寝返らないと誓うか」


「誓う――」


 樟葉王の目元が歪む。この期におよんでまだ辱める気か、と。


「ああ、そうだ。おまえが僕に仕えると誓えば、この都を返してやろうと思ってな」


「はい――?」


「誓えば、この都はもとどおりおまえのくにだ。おまえは王宮に住まいを戻せるし、館衆やかたしゅうも堂々と暮らせる。どうだ」


 樟葉王は、なんのことだかわからないとばかりに目を白黒させる。


 雄日子は態度を変えなかった。


「僕はおまえに、この都を大和の手から守ってほしいのだ。僕は、大和よりも十分なものをおまえに与えることができる。そうは思わないか?」


 しばらく沈黙が流れて――やがて、意味を解して、樟葉王が「はい……」とうなずいた。


「そうか」


 雄日子は微笑んで、腰をかがめて姿勢を落としていく。


 雄日子の片膝が地面につくと、二人の目の高さは同じになった。


 ほんのわずか前まで横柄に自分を見下ろしていた異国の若王が真正面に片膝をついた――そう思ったら、その若王は、手を伸ばして自分の腕に触れてくる。


 いったいなにが起きているのかと、樟葉王の瞳は揺れた。


 その、瞳にあらわれた動揺を宥めるように、雄日子の両目は、まっすぐに樟葉王を向いていた。


「立ってください。僕の支配はこれで終わりました。いまから、僕とあなたはひとしく国の王と王。遠慮は無用です。僕の妻と、この国を守ってください」


 雄日子の手で立たせられるものの、樟葉王は、立ちあがっていくあいだも、立った後もぽかんとしている。


「剣を」


 雄日子が、背後に呼びかける。そこにいた角鹿つぬがが一歩前に出て、ひと振りの剣を差し出した。


 金色をした大陸風の飾り剣で、柄にも鞘にもこまかな細工がほどこされている。


 うやうやしく掲げられた飾り剣を掴むと、雄日子はまず、両手で抱えるように持ち替えた。両手を使って手渡すことで、相手への敬意を表すためだ。


「これを。あなたと僕の友朋ともがらの証です」


 大陸風の見るからに豪奢な剣を、凛とした仕草で手渡されることになり、樟葉王はもはや、腕をふるえさせた。


「しかし――あなたはこの都を襲い、奪い取ってしまわれたのでは……」


「はい。でも、すべてあなたに返すといっているのです。僕はただ、大和よりも僕のほうが、あなたの役に立てると明かしたかっただけです。建物に湊に、畑に、守りの軍――あなたが大和に誓いを立てたとして、飛鳥にいる大王おおきみはあなたに、僕が渡したものと同じものを与えてくれますか? きっと、そうではないと思う。それをわかっていただきたかったのです」


「それは、よくわかりました。しかし、なぜです。なぜこのような真似を――」


 樟葉王の目が、すがりつくように変わった。


 くすっと笑って、雄日子は話を続けた。


「僕は――五年ほど前に、淡海あわうみの周りの国々をまとめました。十七の時です。海から淡海まで続く大きなくにができて、ひとつにまとまったことで、小さな諍いも減り、富が増えゆくとばかり思っていました。でも、大和が、富が増えたなら増えた分を捧げろといってきたのです。僕にはそれが腹立たしかった。大和はなにも生まないし、辺境の国に暮らす人を助けることもないのに、ただ、大王――天の一族に従えといって、蓄えを奪っていったのです。人が苦労をして一歩先に進んだなら、見合うものが戻ってくるべきだと、僕は思っています。そうでなかったら、人はどうやって先に進みたいと思えるのか。――でも、ご安心なさい。僕は大王に戦をしかけようなどと、たいそうなことは考えていません。大王になりたいとも思いません。ただ、僕の手が届くところに住む人は、できるかぎり守りたいのです。大和という国がいくら大王の名を出してこようが、無駄に奪わせはしません。大王が、本当に敬い従うべき存在ならば、ここまで足を運んで、威を示せばいいのだ。それができない口先だけの奴からは――僕が、あなたがたを守りたいのです」


 樟葉王は、目をみひらいていた。


 剣を持つ手はふるえ、唇もひらきっぱなし。


 微笑をたたえた雄日子の目をじっと見つめて、ふるえ声でつぶやいた。


「このようにお若いのに――あなた様は、とんでもないお方だ……。私は、あなたに従います。我が娘を妃として差し出したことを、誇りに思います」


「ありがとう。感謝します」


 雄日子はにこりと笑った。






 セイレンの隣に立っていた日鷹が、肩を揺らして笑った。


「みろよ、樟葉王の顔。雄日子様は人たらしだ」


 人たらし――。


 その言葉の意味はよくわからなかったけれど、雄日子を見る樟葉側の人たちの目が、はじめとまるっきり変わったことは、セイレンもわかった。


 雄日子と樟葉王が話をはじめる前は、憎いものを睨みつけるようだったのに、いまは誇らしげにはにかんでいる。


 日鷹は次に、にやにやと笑う。目は、雄日子の隣に立つ娘の顔を覗き見ていた。


「なんだ、意外にかわいい。初夜に逃げておられたから、てっきり見た目があんまりなのかと――」


「儀礼の最中だぞ。無駄口をやめろ」


 藍十から叱られて、口を閉じたが。


 セイレンは、雄日子の背後に、守り人として並ぶよう命じられていた。


 中央に赤大あかおおがいて、横一列に六人が並び、同じ姿勢で立つ。


 雄日子を守るためというよりは、雄日子を飾る役を担っているようなものだ。守り人の背後には、二百人の武人が武具をつけて並ぶ。


 樟葉の宮の大庭でおこなわれたのはたしかに儀礼で、そのわずかな時のあいだに、雄日子と樟葉王は仲たがいを正し、友朋の誓いをかわしたように見えた。


 すくなくとも、セイレンにはそう見えた。


 ばらばらを向いていがみあっていた心が、一つにまとまった。その真ん中にいるのは雄日子で、そこにいたすべての人は、目でも心でも雄日子のほうを向いていた。


 セイレンは前から、雄日子の周りには見えない川が流れているみたいだと思っていた。雄日子がつくる見えない川に、守り人も武人もみんなで一緒に入っていて、同じ場所へ向かって流れている――と。


 いまも同じものが見えた気がして、目をしばたかせた。しかも、その見えない川は、前よりも広く、大きくなっていた。いく筋もの流れが集まって、一つの大河をつくりあげるように――。


 見回せば、たくさんのものがあった。


 雄日子の護衛をつとめる二百人近い数の男たちと、雄日子の前で返礼をする樟葉王と、その守りを務める武人たち。輪の外側には河内の馬飼がいて、遠巻きに様子を見守っている。それに、わずか二十日のあいだに変貌を遂げた立派な宮や、砦や、湊や、畑や、川に、野に山――。


 雄日子の周りにはたくさんのものがあって、そのいたるところにまで雄日子の手が伸びているような、そういう幻を見た気もした。


(そっか……この人は、とんでもないものを守ってるんだ)


 守り人として従軍して、雄日子を守っているつもりだったけれど、きっと自分も、ほかの連中と同じように、この男に守られていたのかもしれない――そんなふうにも思う。


 時が経って、雄日子と樟葉王のあいだでかわされる話が進んでいく。


 雄日子は、この地を樟葉王に託して、高島へ去るつもりだと伝えた。


 すると、樟葉王が慌てはじめた。


「しかし、あなたはおそらく、その……飛鳥の大王から狙われていらっしゃる。あなたが去った後で、もしもここに軍勢を遣わされたら――」


「安心しなさい。あなたは僕の友人です。もちろん、あなたの身を守らせる軍は置いていきます」


 やんわりと樟葉王をなぐさめた後で、雄日子はみずからの護衛軍に命じた。


「高島の勇ましき武人たち、ここを守れ。この都の繁栄を助けて、そなたらの妻と子とともに力を尽くせ。さらに勇ましき武人たち、僕を守り、ここを発つ支度をせよ。樟葉、水無瀬みなせをさらに富ませる旅に出ようぞ」


「はっ」


 男たちの声が揃って、頭が下がる。


 いまは、セイレンも同じように頭を下げた。




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