六合(くに)の王 (2)

 儀礼が終わり、雄日子が数人を連れて館に引き揚げてしまうと、セイレンは藍十と宮を出ることになった。


「ひまだろ? 一緒にこいよ」


 どうせ今日は赤大と角鹿つぬが様がつきっきりで雄日子様のおそばにつくから、おれたちに出番はないよ――と、藍十はいった。


「どこにいくの」


「畑だよ。三日後には樟葉くずはを出て高島に向かうからさ。せっかく整えた畑がちゃんとこのままいい畑でいられるか、みにいくんだよ」


 樟葉の宮に建物がつくられたり、砦が建てられたり、川湊が整えられたりしているあいだ、藍十は里に下りて、畑を整える手伝いをしていた。


 宮門から里へと続く道は、しばらくいくと細くなり、森の中を下る坂道になる。


 のどかな午後の陽ざしのもと、二人で並んで歩きながら、いろいろと話した。


 守り人にはそれぞれ武術以外にも得意なことがあって、藍十の場合はそれが畑の造り方なのだとか。


 といっても、はじめから得意だったわけじゃなくて、そこしか空いてなかったからすこしずつ覚えたんだ――と、藍十は話した。


日鷹ひたかは、木の国っていうところの海人あま族の出だから、船の扱い方とか水の流れ方とかに詳しいんだよ。船の戦も得意だしな。黒杜くろもりは一番土木に強いし、帆矛ほむもまあまあだ。だから、おれがちゃんと役に立つには、畑のことを覚えるしかなかったんだよね。まあ、やってみたらわりに性に合ってたんだけど」


 そこまでいうと、セイレンを見下ろして笑う。


「セイレンは薬だよな。もともとなにか特別な能をもってるって、いいよな」


「そうなのかな」


「そうだろ。ちゃんと威張れよ?」


 藍十はわざと押しつけがましいいい方をしたので、思わず笑った。


「藍十なら戦ったり畑仕事をしたりしなくても、ちゃんと特別な能があると思うよ」


「へえ、どんな」


「どんな人でも守ろうとするからさ。どう守るとか、そういうのも咄嗟に判断するんだもん。すごいと思う」


「買いかぶりすぎだろ」


 ははは、と藍十は笑った。


 藍十は本気にしなかったけれど、セイレンは藍十に出会ってからずっとそうだと思っていた。


「ううん、藍十は誰かを守るのがとてもうまいと思う。どうして守るのかって理由がなくても守ろうとするし、わたしも見習わなきゃって思うよ」


「へえ? おまえがおれを褒めるなんて、はじめてだな。いわれるほどすごいことはやってないと思うけど、まあ、ありがたく受け取っておくよ」


 藍十はにんまり笑ってみせた。


 守る――と声に出していうと、もう一つ話したかったことを思い出す。雄日子のことだった。


「今日、儀礼の時に思ったんだ。わたしたちは守り人っていわれてさ、雄日子のことを昼も夜も守っているけど、雄日子のほうも、昼も夜もかけてとてもたくさんのものを守っているんだと思ってさ。なんていうか、『守り』の種類って、思ったよりもたくさんあるんだなあって――。雄日子は、人とか国とか、ほかにもいろいろなものを守り続けているんだから、意外にいい奴なんじゃないかなあ、とか――」


 隣で肩を並べて歩く藍十が、ぷっと吹き出した。


「素直じゃないな。前は『大嫌いだ』っていって渋々ついてきてたのが、そうでもなくなってきたってことだろ。いや、いまも渋々いってんだから、やっぱり素直なのか」


くっくっく。藍十は声を殺してしばらく笑った。


「おれは前にいったろ? 雄日子様は上に立つ方だから、優しかろうがそうでなかろうがどちらでもかまわないし、興味もないって。いい人なのかどうかも、たぶんおれは興味がないな。ただ、上に立つべき方だよ」


「そうだね……うん、わかる」


 自分でも、ふしぎな気分だった。


 雄日子のことを、優しくない、腹でなにを考えているかわからない、いやな男だと思っていた頃があった。


 でも、今日のように、あの男が大勢の前に立って大きなものを動かしているところを目の当たりにすると、優しくないとか、考えていることがわからないとか、そういうことがどうでもよくなってくる。


「ねえ、藍十――わたし、雄日子のところにつれてこられたばかりの時は、守り人になんかなりたくないって思ってたんだ。そんなのはどうでもいいから、さっさと追い出して里に返してくれって。でも、いまはね、守り人でいるのが楽しいんだ。雄日子みたいな、大きなものを守っている奴をそばで守れって頼まれてることが、なんていうのか、誇らしくて……うれしいんだ」


 戸惑いを言葉に代えていくように、ゆっくり口にした。そのあいだ、藍十はセイレンを見下ろして耳を澄ましていたが、聞き終わると、笑った。


「なら、おれと同じだ」


 セイレンも笑った。


 藍十と同じものを自分がもっていると思うのも、うれしかった。






 高台に建てられた宮から坂道をくだって里におりると、丘や小山の裾を埋め尽くすように土が掘り起こされていて、稲や芋や豆の小さな芽が土の上に点々とつらなっている。


 作物の世話をする農婦がいたるところにいて、藍十がやってきたのを見つけると、手を振ってきたり、かるく頭を下げたり。


 いるのは女ばかりで、畑の土のうえで鋤をふるって、畑の周りにめぐらされた畔や水路をととのえていた。


「男の人がいないね」


「砦やら小屋やらを建てるのに出払ってるからな。残った女子どもががんばってるよ。ほら、もうすぐ雨の季節がくるからさ。雨の恵みをちゃんと受けて、雨が強すぎる時には耐えられるようにって、ああやって土手をつくってるんだよ」


 農婦たちからの藍十の人気はかなりのもので、田畑の隙間をつらぬく畔を歩いていると、そこかしこから手を振られたり、声をかけられたり。


「藍十様、こんにちは」


「もう高島へ旅立ってしまうとか――たいへんお世話になりました」


 それに藍十は気前よくこたえていたが、そんなふうに大勢の人から笑顔で出迎えられているのが、この男には似合うなあと、セイレンは笑った。


「畑の造り方を教えて回るのが藍十なのは、合ってるね」


 そういうと、「だろ?」と、藍十はまんざらでもなさそうに笑う。


 今年の作物が育ちはじめた畑は、生き物の気配に充ちている。


 縦横無尽にはりめぐらされた畔をとおって里をぐるりと回り、まもなく宮へ戻る道にいきつく、という頃。


 たまたまとおりかかった畑から異様な匂いがするので、セイレンはつい鼻をつまんだ。


「なに、この匂い。鼻が――」


 見れば、畑のなかにいる農婦が、土の上に向かってなにやら黒い土をまいている。


 顔をしかめて鼻をつまむセイレンを、藍十は笑って見ていた。


「あぁ、そうか。おまえは鼻が鋭いんだっけ。あれは、獣の糞をまいてるんだよ。獣の糞をまいておくと苗が元気に育つからさ」


「獣の糞? 糞って、あの糞?」


 驚いて声が大きくなったせいか、藍十がくっくっと笑う。


「そんなに糞糞いうなよ。そうだよ、あの糞だよ。ここだけじゃなくて高島でも高向でも畑には糞を使うよ。大陸でもそうだってさ。へえ、土雲は使わないんだ?」


「使わなかったね……灰なら播いてたけど」


「ああ、灰か。おれたちも灰を使うこともあるよ。でも、糞は結構使うよ。畑仕事だけじゃなくて、狼煙のろしをあげるのに使うのも狼の糞だしな」


 狼煙というのは、煙を使った知らせだ。


 前に、潜んだ敵がどこにいるかを知らせるのに日鷹が使ったのを見たが、まさかその煙が、生き物の糞を燃やしてつくられたものだとは、思いもしなかった。


「ってことは……狼の糞を持ち歩いてんの!」


 目をまるくすると、藍十がさらに笑う。


「乾かしたら臭いはましになるし、毛を使うこともあるよ。おまえは鼻が効くから扱いづらいかもしれないけどな。獣の糞は、灰と一緒で肥やしっていって、すこしくらいにおっても畑にとっては欠かせないものなんだ。土も、道具みたいに、使い続けたら痩せていくからさ」


「土が、痩せる?」


「米や麦や豆や……草や木が育つ時は、地面の中のなにかを使って大きくなるらしいんだけど、作物を育てて、刈り取って、また次の作物をつくってって、まったく同じことを続けていくと、土のなかがすかすかになって駄目になるんだ。だから、土がもとどおりのいい土に肥えるように、肥やしを播くんだ。よく耕して、土のなかに風を送り込んで、息もさせる。肥やしとして飯も食わせる。土も生きてるからなあ、育てなくちゃだめなんだ。なんていうか、土は日ごとに滅んで、日ごとに生まれ変わるっていうか――生き物を飼うのとあんまり変わらないんだよ?」




 土も生きている、育てなくてはいけない――。




 藍十がいった言葉をふしぎがるような、妙に納得するような。


 草が育つ時には地面のなかのなにかを吸い上げる、というのには納得できた。それを操るのが、土雲の技だからだ。


 土雲の一族は、普通の人が住めない〈待っている山〉にたどり着くと、持ち運んだ種をまいて、山に生えている草木を変えてしまう。


 毒のきつい水源のそばには浄めの力が強い土雲草や雲柳の木を群れさせて、まずは水を清めて、その水が染みていく土も清める。


 そして、土に根づく草を思うように変えていくことで、その山に棲む虫や、獣の身体までを変えていく。


 そうして、およそ三十年の時をかけると、〈待っている山〉は清められて、山の下と同じ景観になるのだ。


「そういえば――土雲は三十年ごとに住む山を変えるから、土が痩せるっていう感覚がなかったのかもしれない。山の下には――ここには、畑がたくさんあるけど、わたしが暮らしてた山には畑そのものもそう多くなくてね」


「へえ……なら、土を肥やしていくっていうのは、山の下で畑をつくって暮らす奴らの知恵なんだな。まあ、そうか。山は落ち葉がたくさん積もるから、土が痩せることはないもんな。わざわざ糞を集めてまかなくても、もともと生き物だらけだから、土はいつも肥えてるわけだし。そっか、面白いな」


 藍十は興味深そうにうなずいて、笑っている。


 「本当だね、面白いな」と、セイレンもつられて笑ったけれど、胸の奥底に、ぎくりとして戸惑っている自分がいることにも気づいた。


(同じことを繰り返していたら土はすかすかになって、痩せていく――)


 大切なことをきいた気がして、ぽかんと呆けた。

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