土雲の招き (1)


 雄日子が樟葉くずはを旅立つ日、護衛軍はまたすこし増えていた。


 加わったのは、樟葉の武人たち。雄日子に仕えたいと志願した兵を、樟葉王が許したのだ。


「僕の護衛軍は少数精鋭です。無理を頼むことも多いので、ついてこられるなら。よければ、高島にしばらく住まうといい」


 雄日子はそれほどいい顔をしなかったが、樟葉育ちの武人を高島に招いて学ばせる旅、という理由に落ちつくと、話が決まった。


 二百人を超えたので群れは膨らんだが、動きは早い。


 春が過ぎて、雨が多い季節にさしかかっていたので、晴れ間が続くうちにと空を見上げつつ、一番近い道をたどった。


 川沿いをいく高島への道は、大雨が降れば川の水かさが増えて、すぐに水に浸かる。そうなると何日も足止めを食らうことになり、そのあいだのぶんの食糧がかさむのだ。


 早足で進んだおかげで、一行は、樟葉を出て三日後には淡海あわうみのほとりにある都、大津にたどりついた。






 宿になるのは、湊の里に建つ離宮。たどり着いて一晩を過ごしたのち、藍十はセイレンを連れて宮の外に出た。


大津おおつははじめてだろ? 道を教えるから、ついてこい」


 大津の里は、湖のほとりにあった。その湖はとても広かったので、対岸の陸やその向こうにある山々が、すこし遠くに見えている。


 ふと、水の上をいきかう小舟のうち一つを見つけて、藍十は目の上に手でひさしをつくった。


 藍十が見つけた舟はほかの舟よりも小ぎれいで、色鮮やかなものが宙に浮いて見えている。大きな布張り笠で、その舟に乗った人を日射しから守るために、従者がさしているらしい。


息長おきなが一族の長だ。雄日子様が戻ってきたから、挨拶にきたんだな」


「息長一族?」


「対岸で暮らす豪族だ。もとは大和の大王おおきみの血筋の末だから威張ってるんだが、雄日子様が湖の周りを統べるようになってからは、雄日子様びいきなんだ。今回は荒籠あらこ様もご一緒だし、宴がひらかれるかもな。あいかわらず雄日子様はお忙しいなぁ。荒籠様もだけど」


 藍十は腕組みをしてうんうんとうなずき、「おれたちも忙しくなりそうだから、さっさと出かけて早めに帰ろうか」といった。


 大津という都は湊の里で、魚をとって暮らす漁師いさしと荷運びの船乗りが多く暮らしているのだとか。


 岸には大きな倉が十以上建ち並び、戸がひらかれて、中に荷物を運び入れたり、外へ出したりと、荷担ぎがひっきりなしに出入りをしている。運ばれているものは、大きな甕だったり、布だったり、塩漬けにされた大型の魚だったり、物の形も色もさまざまだ。


 きょろきょろとしていると、藍十がいった。


「珍しいものが多いだろ? 大津は海の道と川の道がつながるところだからさ。高島もだけど――。湊を抜けるよ。森までいくから、道と地形を覚えろ」


 湖と山がどれくらい離れているかや、湖の対岸の山々の見え方や、人里に建つ家の形や数や、そこで人が使っている道具や、生業なりわい。藍十は、景色をまるごと覚えるようにいった。


「大津の景色を覚え込め。そうしたら、なにかが起きて自分の居場所を見失った時に、まともな判断がしやすくなるからさ」


「ああ」


「あとで絵図でも教えてやるから、まず景色を覚えろ。――次は森だ」


 家々が建つ里を抜けてしまうと、人が行き来をしていた広い道はたちまち狭くなり、両側に木が茂るようになる。


 藍十はここでも、森の木や草の種類、地面のぬかるみ具合を覚えるようにいった。


「いい蔓草が生えてる……そうだ、草文字も教えなきゃな」


「草文字って、あれか。結び目でなにかを知らせ合うやつか」


「そう。ほかにもいろいろあるんだけど、まずは草文字かな」


「覚えることが多いんだね――」


 すこし憂鬱になって声が暗くなると、藍十が笑った。


「まあな。すこしずつ覚えろ。何度でも教えてやるからさ、忘れたら訊け」


 森を一回りしたら帰ろう――と、道を逸れて、二人で草木をかきわけながらしばらく進んだ後のことだった。


 ぴくりと、頬がふるえた。


 ふっと目が覚めた気分で、脅えや戸惑い、怒りに似たものが、腹の底からわき上がる。


 いったいなんだ――。


 森の景色を睨むように見回してみるが、きわだって珍しいものは目に入らない。


 木々はぶなばかりだが、蔓草がよく生い茂ってその幹を覆っていたので、大津の森は、地面から樹冠までがほとんど緑色をしている。


 けんけん……と、低い音で鳴く鳥の声がきこえている。耳元を飛びまわる虫の羽音もした。


 でも、セイレンの気を引いたものは音でも景色でもなくて、匂いだった。森のなかに、ふしぎな匂いが混じっていた。甘い葡萄のような、干したばかりの薬草のような――。


(〈待っている山〉? 違うな、もっと人くさい。なんだ)


 故郷の山の上にある湖の匂いに似ていたが、すこし違う。なんだ――と頭のなかで算していると、はっとひらめいた。


(土雲の匂いだ。誰かが近くにいるんだ)


「ごめん、藍十。ちょっと一人になってきていいか」


「え、ああ。悪い悪い! 終わったら呼べ」


 藍十はなにか別のことを考えたらしいが、すぐに了承した。






 藍十を残して、森に分け入った。この近くに土雲の誰かがいると、勘がそういったからだ。


(誰だ。誰かがいる)


 行く手をふさぐようにほうぼうへ伸びる枝葉をかき分けて進んでいくと、背後から藍十の声に呼ばれる。


「セイレン、あんまり奥へはいるなよ。覗かないからさ」


(そんなんじゃないよ。すっとぼけた心配しやがって)


 のんびりとした心配をする藍十の声が、いまは耳触りだと感じる。それくらいぴりぴりと緊張していくのが、自分でもわかった。もしも自分が獣だったら、縄張りにはいってきた敵の気配を感じて、総毛を立てていくような気分だ。


(わたしが気づいたってことは、向こうもわたしに気づいてる? 武具を……)


 思わず手が、腰からさげた吹き矢に伸びる。


 近くにいるのが故郷の山から下りてきた奴だとして、懐かしいとか、会いたいと寂しがったりするような想いは、わずかたりともない。いったいなにをしに来たのだと、警戒した。


(匂いが強くなってる。近い)


 空耳を思わせる懐かしい匂いに、鼻が敏くなっている。


 かさり――と、すこし先でなにか大きなものが動く音がした。


 近くにいる……と、音がしたほうを葉の隙間から覗いてみると、人がいるのを見つけた。


 少年だった。顔には見覚えがある。自分よりひとつ年上の幼馴染で、名をカワセリといった。


 カワセリはセイレンに背を向けて歩いていて、どこかへいこうとしていた。


 匂いを頼りにカワセリを探し当てた自分とは違って、カワセリは、背後で様子を窺うセイレンに気づいていないように見える。


(どうして――。もしかして、わたしにこの匂いはない? しばらく〈待っている山〉を離れてたせいかな)


 自分の匂いのことなど、ふだんは興味をもたなかったが、もしかしたら、自分にももとはこの匂いがあって、いつのまにか薄れていたのかもしれない。そう思うと、寂しいような、ざまあみろと腹がすくような。


 カワセリは一人だった。周りにほかの人の姿がないのをたしかめつつ、セイレンはわざと音を立てて木をゆすってやった。


「ここでなにしてんだ、でくのぼう」


 「ひっ」と、カワセリは飛び跳ねるようにして足を止める。


 背後に現れたのがセイレンだと気づくと、カワセリは、肉づきのいい肩をまるめてほうと息をついた。


「セイレン……よかった、見つけた」


 安堵されるので、むっとした。


「わたしを探してたのか? でも、わたしはおまえになんか会いたくなかったし、会えてうれしくもない。なにしにきたんだ。ぶん殴られにでもきたのか。わたしはまだ、上の湖であんたに殺されかけた時のことをよく覚えてるけど?」


 カワセリは、前にセイレンを罠にかけて殺す手伝いをしたうちの一人だ。


 思い出すと、込み上げる怒りで、目のきわが引きつっていくのが自分でもわかる。


 睨まれると、カワセリは縮みあがった。


「おれは、おれじゃ……おれは――」


 セイレンの手には吹き矢筒が握られていたので、カワセリは一度視線を落としてそれを見て、さらに青ざめた。


 がさり……と葉が揺れる音がする。カワセリが向かおうとしていた方角から、こちらへとやってくる男の姿もあった。


 その男の顔も、よく覚えていた。故郷の里では〈土雲の口〉という役目をつとめる男で、名をハルフという。カワセリの父親だ。


「一人じゃないとは思っていたけど――ハルフ? 腹黒やろうも一緒かよ」


 鼻で笑って、吹き矢筒を口もとにかまえる。


 ハルフもセイレンを探していたのか、慌てて戻ってくるというふうだったが、セイレンが吹き矢筒をかまえているのを見つけると、気色ばんで、すこし離れた場所で足をとめた。


「違う、セイレン。武具をおさめろ」


「なにが違うんだよ。わたしはあんたのことが大嫌いだって前にいったろ。なにしにきたんだ」


 武具をおさめてやる気など、いっさいなかった。


 今回はこっちのほうが狙うのが早かった。


 妙な真似をしたらすぐに殺してやるからな――と、吹き矢の先をハルフの額に向けて、狙いをさだめる。


 ハルフは、自分の額を狙う筒の先をじっと見ていたが、そのままゆっくりかがんでいって、地面に膝をついていく。そして、平伏した。土雲の一族で、最も相手を重んじる時の姿勢だった。


「この前のことは、俺が悪かった。おまえをその……山魚様に捧げようとしたのは、土雲媛の命令で仕方なかった。許してくれ」


「はあ?」


 いまさらなにをいわれようが、あの時のことを忘れるはずもない。


 妙なことをいいやがって――と、思いっきり顔をしかめてやった。


 ハルフは地面に両手をついたまま、じわりと顔をあげた。


「じつは、おまえに知らせたいことがあるのだ。――石媛がまずいことになったのだ」


「石媛が?」


「――囚われた」


「囚われた? 誰に」


「――神? 俺は話をきいただけでじかに見ていないからわからないが……土雲媛は……」


 周りの目を気にするようにちらちらと森の景色に目を向けた後で、ハルフは小声でいった。


「魔物ではないかと――」


「魔物? 石媛が、魔物に囚われたぁ?」


「しっ」


 ハルフはやはり、なにかを気にするように周りの様子を探っていた。


「実は、石媛はある男に嫁ぐことになったのだ」


 そこまで話が進むと、セイレンの頭がすこしずつ冷えていく。


 石媛がどこぞの男に嫁いだという話は、ほかできいたことがあったからだ。


(知ってる、大地の神……土雲媛が神の土穴で祈ってる相手だろ)


 その話をきいたのは、前に紛れこんだ地面の底にあった、土蜘蛛の里。


 でもそれを、わざわざハルフに教えてやろうとは思わない。


 吹き矢でハルフの額を狙ったまま黙っていると、ハルフはぼそぼそと話を続けた。


「じつは、石媛が嫁いだその男がすこし厄介で――石媛を神の土穴に閉じ込めるように、土雲媛に命じてしまったのだ。それで、土雲媛はその……その男が、我が里によくない存在ではないかと」


 ふうん――と、気の入らないあいづちを打った。


「それで、それをわたしに知らせてどうしたいわけ」


 ハルフの丸い目が、セイレンを見上げた。


「石媛を助けたいのだ」


「どうやって」


「その、おまえは石媛と見た目がそっくりだろう? 入れ替わって、一度石媛を神の土穴から連れ出したいのだ。そのうちに魔物を追い払って――」


 セイレンの口から、乾いた笑いが出ていった。


「嘘がへただね。わたしを石媛の身代わりにしたいっていえばどうだよ? 山の上の湖にわたしを連れだした時みたいにさ、いつか土雲媛になる石媛は死んだら困るけど、わたしは死んでもかまわないし、その魔物って奴に囚われても、殺されてもかまわないからって、そういえばいいだろう」


 セイレンにうなずいてやる気がないのに、ハルフも気づいたらしい。


 しだいに口調が荒くなっていく。


「石媛が囚われたのはおまえのせいでもあるのだぞ」


「わたしのため? なんで」


「おまえが、新しい山魚様を見つけたからだ。山を下りて、天の御子に仕えている分際で、新しい山で山魚様を呼び出して、山開きの儀をやってしまったからだ。だから、そこに居合わせた大地の神がお怒りになったのだ。お怒りになった大地の神は、新しい〈待っている山〉の在り処を教えてはくださらない。おまえが、天の御子と一緒に山開きの儀をおこなったことにもお怒りで、それで、石媛を閉じ込めなさったのだ」


 ふうん――と、セイレンは息を吐いた。


 ハルフのことを、やっぱり嫌いだと思った。


 ハルフの表情に、本心を覗いた気がしたからだ。


 ハルフはセイレンのことを怒っていた。「災いの子などが土雲の儀式に関わるからだ」――と。




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