序、霊獣の森 (2)

「できることなら、もう一度あいつと戦ってみたい。あの武人があんなふうに命を賭けたのが、一人の男を守るためだったというのなら、雄日子様という男にも一度会ってみたい。荒籠あらこまでが命を差し出した相手だ」


「若――」


 火輪ひのわの声が、不安げに揺れる。


 麁鹿火あらかびは笑って、振り向いた。


「平気だ。心配するな。――帰ろう。次の戦にそなえて鍛え直さなければ」


 さあ、宮に戻ろう。いつもどおりのことをいつもどおりにやって、腕を磨こう。


 気を取り直すように笑顔をつくって、宮の庭を歩いていた時だった。


 宮の端のほうから、駆け寄ってくる武人がいる。部下の一人だ。


 その武人は、麁鹿火のそばで立ち止まって頭を下げると、いった。


「若、朗報です。たった今、難波なにわから早馬が着きました。百済くだらに出かけられていた金村かなむら様が、難波にお帰りとのこと」


「金村?」


 金村というのは、麁鹿火の幼馴染だ。


 物部氏と対をなす大伴氏の嫡男で、同じく武家の裔。いずれは、ともに手を携えて大和を守る男になる――そのはずだ。でも、麁鹿火はその男が苦手だった。


「なにが朗報だ。あんな大陸かぶれ――よけいな奴が戻ってきて、よけいに都が混乱するじゃねえかよ」






 御使いとして百済を訪れていた金村が、列城宮なみきのみやに戻ったらしい。


 そういう噂はそこかしこで耳にしたが、麁鹿火は、「ふうん、だから?」としか思わない。もともと興味がない男がなにをしようが、どうでもよかった。


 しかし、ある日、その金村は自分のもとを訪れた。


 それも、麁鹿火が兵舎にいる時で、部下たちに厳しい稽古をさせてぴりぴりとしているところだったので、「金村様がお着きです」との知らせを受けても、つのるものは苛立ちばかり。


「いま忙しいんだが? あいつは本当に間が悪い」


 とはいえ、金村は大伴氏の嫡男。追い返すわけには――と部下にいわれるので、渋々支度をしていると、金村は自分のほうから麁鹿火を探してやってきた。


 金村は麁鹿火より一つ年上で、背格好はそう変わらないが、身なりがほかとは違っている。


 髪やら首、腕、帯……飾りものを多く身につけていて、しかも、そのほとんどが異国づくり。


 大陸でつくられる飾り物は、難波や飛鳥でつくられるものよりも細工が細かいので、陽の光を浴びるとぎらぎらと目立つほど輝く。そういう細工は、たいてい紫や赤の色も鮮やかなので、金村の姿は遠くからでもよく目立って見えていた。


「あぁ、我が友、麁鹿火。お久しぶりです」


 金村は、慣れ慣れしく手を振って、稽古に励む武人たちの隙間をずいずいとわけ入ってくる。


 だから、麁鹿火は胸の中で毒づいた。


(誰が友だ――ただの腐れ縁だ。この、大陸かぶれが)


 




 金村は調子よく笑って、女のようにお喋りに興じた。


「麁鹿火、あなたは相変わらず熱心ですねえ、武家の嫡子として稽古に励んでおられるようで、精が出ますねえ。今日は天気もいいし、稽古をするにはうってつけの日和で……」


 武家の嫡男が武術の稽古をするのは当然のことだし、天気がよかろうが悪かろうが、どうでもいい。


 話のネタまで女みたいだな――と、麁鹿火は舌打ちをした。


暢気のんきなものだな。飛鳥はいまや――」


「雄日子様でしょう? 聞きましたよ。高島の若王が、騎馬軍を引きつれて恐れ多くも列城宮なみきのみやの近くまでやってきて、ぶしつけにも騎馬を並べて、様子を窺ったとか――ふうん」


 その話を、金村はすでに聞き知っていたようだ。


「まあ、立ち話もなんです。座りましょうか」


 金村はそういって、兵舎の隅へと麁鹿火を連れていこうとする。


「すこしは遠慮しろよ。ここはおまえの宮じゃないだろうが。おまえは客だよ。慎ましくしろよ」


 咎めても、金村は「いいから、いいから」と笑うだけだ。


 結局、金村は大庭の隅に立った桂の木の下に麁鹿火を誘った。


 その桂は大樹だったので、よく育った太い枝は遠いところまで伸びている。


 麁鹿火と金村の部下は、その木の下には入ろうとせず、すこし離れた場所で見守ったので、二人の周りには人がいなくなった。


「いま、父たちは窺見うかみ探しに躍起になっているようですね」


「ああ。次に戦を仕掛ける時のために、支度をしなければいけないからな」


 仕方なく幹に寄りかかってやったが、二人で並ぶなり、金村は麁鹿火の顔を覗き込んで、目配せを送ってくる。


 

 この木の下にきたのは、人払いをするためですよ――。

 実は、内緒の相談があるんです――。



 金村の細い目は、麁鹿火にそういっていた。


「実は……その話をきいて、高島の若王というのにとても興味が出たのでね、私が、その窺見になろうかと思ったのです。それで、あなたにもご一報しようと」


「――は? 窺見? おまえが?」


 麁鹿火は耳を疑った。この大事な時に、なんの血迷いごとをいうんだと、怒りすら込み上げる。


「へたな冗談かな。俺のきき間違いかもしれないから、もう一回いってくれるか」


「きこえてたくせに。本気ですよ」


 金村は薄く笑って肩をすくめてみせるが、納得がいくはずもない。


「だって――おまえが窺見に? 武術の稽古もさぼりがちのくせに?」


「おやひどい。疑うなら、ここで剣技の腕を試しますか」


 金村はにやっと笑って、自分の剣に手をかけるふりをした。


 金村の腰にさがったその剣も、金村が身にまとう数多くのものと同じように異国づくりだった。


 剣の鞘は金色で、細かなうろこを幾重にも重ねるような細工がなされているので、天からの陽光を浴びるときらきらと輝いて見える。難波や飛鳥でつくられるものとは違うと一目でわかる、異国の品だ。


「この、大陸かぶれが」


 麁鹿火は、新しいときけばその都度手を伸ばす金村のことを、八方美人や、尻軽女のように感じていた。


 ちゃらちゃらと軽々しい真似をしやがって――。


 眉をひそめて睨むと、金村は微笑んで、麁鹿火の苛立ちをなだめようとする。


「なにをいってるんです。雄日子様もそうで、大陸かぶれですよ。知りませんか? 高向たかむくの都は、いまや難波よりも大陸の都に近いはずです。飛鳥なんて、くらべようもない」


「なんだと? きさま、飛鳥を愚弄する気か」


「なぜ怒るんですか。あなたこそ、飛鳥が劣っていると考えているのではないですか。いにしえの風情あふれる飛鳥の都に大陸らしさは不要のもの、そうでしょう?」


 くっ――と、麁鹿火は言葉を飲み込んだ。


 この男が苦手なのは、こういうところがあるからだ。


 とぼけたふりをしているくせに、いざ話をすると人を食ったような顔をして、うまいこと切り返してくる。


 ああいえばこういう――と、口ごたえをしてもかなわない類の男なのだ。


 金村は、小さく笑っていた。


「昨晩、父とすこし話したんですが、あの人はどうにもこうにも頭がかたくてね。腕のいい窺見を探すのだとばかり繰り返していたんですが、話をききながら私は、なにも腕のいい窺見にこだわらずともいいのになあと、思ったわけなんですよ。でも、父は私の話をきこうともしない。だから、自分でやろうかなあと思ったわけなんです」


「――どういうことだ」


「つまり――なにも真っ向から勝負を挑まなくてもいいんですよ。雄日子様と同じことをすればいいんです」


「――」


「無理に隠れずとも、逃げ切れればいいのです。先日、騎馬で飛鳥に入りこまれた時はそうだったのでしょう? 雄日子様は数百頭の馬を連れて、隠れもせずに街道をとおってやってきて、同じ街道をとおって逃げのびた。つまり、こういうことです。逃げる算段が先にあれば、人の目につこうが逃げられる。窺見になるのも同じで、堂々と宮門をくぐって、あなたの味方です、お世話になりますといってやればよいのです」


 そこまで話が進むと、ようやく金村の本意が見えてくる。


 つまり、相手を欺いて内側へ入り込もうというのだ。


「しかし――」


 あまりにことが大きい。大伴一族の嫡男の金村が、みずから敵陣に入り込むなど――。


 大きくひらかれていく麁鹿火の目を見やって、金村はくすりと笑う。


「騙し合いは戦の常、そうでしょう? そういうわけで、私は高島に向かいます。ここにきたのは、我が友へのお別れの挨拶と、念のための、お誘いに」


「お誘い――」


 なんの話かわからなかった。


 いや、もちろんわかるが――ことが大きすぎるのだ。


 唇をあけて黙った麁鹿火に、金村が向き直る。ひょうひょうとした笑顔の奥で、金村の目は麁鹿火を睨みつけていた。


「きいておきます。麁鹿火、あなたも私といきますか」


 つまり、一緒に高島へいき、敵陣に乗り込むかと、そういっているのだ。


 思わず、唇が閉じる。頭にふっと浮かんだ男の顔があった。


 長年の友人――河内かわちという場所で馬の牧を営む馬飼うまかい荒籠あらこの顔だった。いや、もう荒籠は河内にはいない。大王おおきみに逆らった荒籠は、逆賊に従って河内から去ってしまったのだ。高島へ――。


「しかし……」


「いやならいいのです。あなたのほうが私より腕がたつだろうから、一応誘いにきたのです。べつに私は一人でもかまわないし、数がすくないほうが身軽です」


 金村に無理に誘う様子はなかった。


 だから、麁鹿火はつい「ちょっと待ってくれ」と思った。


 頭の中が急にせわしくなり、ここ数日の間に思いめぐらしたことの数々が入れ替わり立ち替わり流れていく。



 街道で飛鳥の兵をたった一人で待ち受けたあの武人は、どんな奴なんだろうか。

 あの武人や、荒籠までが命を賭ける雄日子という若王は、いったいどれほどの男なのか。

 それに、荒籠はいま、なにを考えてその若王に仕えているのか。

 自分や、これまでひいきにしていた物部一族を裏切るような真似をしてまで――。



 金村は軽く頭を下げて、桂の木陰から出ていこうとした。


「それでは、お元気で。無事に帰ってこられたらまた会いましょう。さっきの話は、くれぐれも内密に――」


「待て、金村」


 つい、引きとめていた。


「俺もいく」


 金村は笑った。


「そうこなくては。では、旅立ちは今夜、日が暮れてからにしましょう。それまでに旅の支度をしてください」


「父に許しは――」


「信頼できる者を一人残して、明日知らせさせなさい。私もそうします。いえば、私とあなたの父は必ず止めますから」


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