番外、恋せよ乙女 (2)
「実は――雄日子様を討とうとした追手……おまえが戦った連中だな、そいつらの中には俺の友人がいたんだ。あの軍を率いていたのは俺が良く知っている男で、そいつも、俺が雄日子様のそばにいることをわかって襲いかかったはずだ」
「――友達なのに? 裏切られたの? ……ひどいね」
「いいや、ひどくないよ」
「でも、その人とあなたは仲がよかったんでしょう? それに、また今度争うことになったらどうするの? たとえばここにその人が軍を連れて攻め込んできたら? 悔しいじゃない。ひどいって思うじゃない」
「悔しくもならないし、ひどくもないよ」
荒籠は顎を天に向けた。よく晴れた空は青く、白い雲がなびいていた。
「自分でもふしぎだが――もしその男と一騎打ちをすることになっても、たぶん俺は戦えると思うんだ。そいつも手加減せずに挑んでくると思う。もしもそいつが剣を置いて、話し合おうといってくれたら、俺は喜んで武具を捨てると思うけれど――。哀しいのは、俺が思い違いをしていたことだ。先に手を打ってその男に話をしていたら、そいつも俺と戦おうとは思わなかったかもしれないし、もっとしっかり覚悟をつけて俺の敵に回ることを選べたはずだ。それなのに、そいつの立場をわかってやれていなかった。俺が未熟だったんだ」
荒籠はにこりと笑った。
でも、セイレンは荒籠が笑った理由がわからなかった。
「――そんなに大切な相手なのに、どうして戦うの?」
「どうして――か。そうだなあ。ちょっと嫌になったからといってやめられないことを、はじめてしまったからなあ。雄日子様が進んでいくのに、俺がやめられないよ」
「――雄日子が?」
「俺はね、あの方にお仕えできるのがとても楽しいんだ。たぶん俺の友人も同じで、家のため、
荒籠は、ははっと軽快な笑い声を上げる。
「おまえと話したらすっきりしたよ。なんだろう、草原で独り言をいったような気分だ」
「――独り言? わたし、ここにいるけど?」
「そういうな。褒めたつもりだった。――話をきいてくれてありがとう」
荒籠はくすりと笑って、セイレンを見下ろした。
背の高い荒籠の顔は、セイレンから見上げると青空の中にある。
爽やかな薄青の空を背景に、自分だけをじっと見つめて笑う荒籠の顔を見上げているうちに、急に胸が高鳴った。
きれいな人――。
それは、荒籠を見かけるたびに思い浮かぶ言葉だが、いまもそう思う。
ああ、本当にそうだ。きれいな人だ――。
ひしひしと思うと胸がどきどきして、返事ができなくなるくらい、唇がこわばった。
荒籠が笑うのをやめた。
「どうした。――つまらないか。引きとめて悪かった。――話をきいてくれてありがとう。助かったよ」
「ちが……! つまらないわけじゃなくて、ただ――ただ……なんていうか、あなたといると、その、緊張するんです……」
もごもごというと、荒籠は首をかしげる。
「緊張? それはつまり、俺のことが怖いということか?」
セイレンも首をかしげた。そういわれると、いま自分にあるのは「怖い」という気持ちに近い気もした。
「怖い? のかなあ……でも――」
「そうか。だから、俺にだけはそんなふうにかしこまった話し方をするのかな? おまえを怖がらせたつもりはなかったんだが、すまないな。――身体が大きいせいかな? それとも、近寄りすぎたか? すこし離れようか――」
荒籠は壊れやすいものから逃げるように、セイレンから一歩遠ざかってみせる。
荒籠の影がかかるほど、セイレンと荒籠は近い場所に並んでいたが、その影ごと荒籠が離れてしまうと、急に寂しくなった。
「そういうわけじゃ――」
引き留めようとしたセイレンの声は、荒籠の耳には届かなかった。
荒籠は顔を上げて、雑踏の奥に目を凝らしている。
「あ、雄日子様」
「え?」
二人はせわしなく行き来をする人の流れからはずれた場所にいたが、雄日子の姿は雑踏の向こう側にあった。
荒籠の気配に雄日子も気づいたようで、こっちに目を向けた。隣にいるセイレンにも気づいた。
荒籠も雄日子のほうを向いて、軽く頭を下げた。
「セイレン、俺は雄日子様に挨拶をしてくる。おまえはなにか用事があるか? 一緒にいこう」
セイレンはうなずけなかった。
自分がこの宮に残っているのは、藍十や日鷹たちに代わって、もしもの時に雄日子を守るためだ。だから、雄日子のそばにいくのはなんの不都合もない。
ただ、恥ずかしかった。
荒籠が雄日子を見つけてからというもの、セイレンは胸の底で「もう終わりか……」と残念がっていた。
荒籠のそばにいるのは妙に怖くて、早く離れてしまいたいと思っていたけれど、いざ荒籠が離れようとすると、「いかないで――」と寂しくなる。
引きとめる理由などないし、なぜ引きとめたいと思うのかもわからない。
なんの意味もないのに、この忙しそうな男に、もっとここにいてくれとねだろうとしたことが恥ずかしくなって、申し訳なくなって――とうとう逃げたくなった。
「ううん、わたし、もういくから……またね」
結局、別れの挨拶もそこそこに、目を合わせないまま走り去ってしまった。
足早に離れゆくセイレンの後ろ姿をぽかんと見送っていたものの、雄日子が近づいてくるので、荒籠は主に向きなおった。
頭を下げて無言の挨拶を終えると、雄日子が尋ねてくる。
「セイレンはどうしたんだ」
「それが……」と、荒籠は肩をすくめてみせた。
「俺のことが怖いんだそうです。脅かした覚えはないんですが――。あの娘は、あなたにも他の連中にも物怖じせずに思ったままをいう怖いもの知らずだと思っていたんですが、こう、自分だけが他人行儀な扱いをされると、すこし寂しいものですね」
雄日子は、荒籠と小さくなりゆくセイレンの後ろ姿を見比べて、苦笑した。
「怖い? いや、あれは……違うだろう。――なるほど、おまえは意外に鈍いんだな」
「はい?」
「あの娘は、僕と一緒にいる時はあんなふうにならないよ。おまえが特別なんだ。羨ましいよ」
「はい?」
「――まあいい、おまえを探していたんだ。話をしよう。まずは、樟葉に置く守りのことで……」
雄日子がしたのは、
樟葉の都を整えるのは飛鳥を牽制するため。もしくは、飛鳥に攻め込まれた時に守るためだ。長居をするためではない。
次はどうする。樟葉を手中におさめた後は――?
「俺は、いったん美濃にいくべきだと思います。よい木材がとれる国なので、都を整えていくならこれからも木材が必要になるかと。ただ、淡海から美濃までをつなぐ大きな川はありませんから、陸路も必要になるかもしれません。もろもろの先に牧をつくっておくのも一つの手かと――」
「これが終わったら次、次が終わったらその次、などというのんびりした真似をしていたら、ほかに追いつかれてしまうだろう。同時に進めるべきだ。牧も馬場もすぐにつくりはじめよう。それで、まずは美濃に使いを送り――」
雄日子と荒籠が二人で話している時、たとえそばにいても角鹿も赤大も口をはさもうとはしない。
それだけ、二人の話の速さが揃っていたからだ。次々と新しい策が考え出されて、すぐさまその善し悪しが語られる。
ひとつの策が良さそうだということに決まると、雄日子はすぐに進めさせた。
「その方法だと、何日でできる?」
「三日あれば」
「わかった。なら、その後は僕が手を回そう。角鹿に話しておく」
「はっ」
面白いほど気が合う仲間か、もしくは水鏡に映った自分とかけ合いをするようで、荒籠は雄日子と話すのがとても好きだった。
さっき、セイレンと友人――
俺は、誇りをもって
だから、頼む、俺を許してくれ。おめでとうと祝ってくれ、と――。
「雄日子様。俺は、あなたにこうしてお仕えすることができて幸せです」
正直に口にすると、雄日子は吹き出して、ははっと笑った。
「改まってなにをいうかと思えば――。そういうのは、一生を終える時にいえ。まだ早いよ」
一方、セイレンは闇雲に駆けていた。
宮の外れまでいくと、ほっと胸が安堵する立ち姿を見つけたので一直線に駆け寄った。そこにいたのは、畑帰りの藍十。衣が泥だらけになっていた。
「ああ、セイレン。どした……」
挨拶も交わさないうちから、どん、とぶつかった。
目と目を合わせる余裕もなくて、ただすがりつきたかったのだ。
前にも同じことがあったので、藍十は事情を察したらしい。
「またかよ――荒籠様になんかいわれたのか?」
「いま、二人でちょっと話してたんだけど――わたし、やっぱり駄目だ。荒籠様のそばにいくと緊張して、頭がくらくらするんだ」
「だから、恋だって。おまえは恋に落ちたんだってば」
「恋ってなに? 怖かったり緊張したりするもの?」
知っているなら教えてくれと、藍十の胴を掴んだまま顔を上げる。
すると、藍十の頬が赤らんで、しどろもどろになった。
「そういうことも、もしかしたらあるんじゃないかと思うけど……ていうか、おまえ、目が……すげえきらきらしてるぞ。――恋する乙女がかわいいってのは、こういうことか」
藍十は照れくさそうに目を逸らして、「よしよし」とセイレンの髪をぐしゃりと撫でた。
「――馬鹿にした?」
「してねえよ。褒めたんだよ。おれにかわいいなあと思わせたんだから、年頃の娘って認めてやるよ。――しかし、相手は荒籠様かあ。さすがに死なないよなあ」
藍十はぼそぼそといって「まさか、ないない」と笑った。
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