番外、恋せよ乙女 (1)

「なぜ樟葉くずはを落とすのに、わざわざ百艘の船を連れてきたと思う? ここに思いどおりの都をつくるためだよ」


 ある日、雄日子は樟葉の宮に兵を集めてそういったが、セイレンにその言葉の意味がわかったのは、それからさらに三日経ってからだった。


 川を下ってやってきた船の中には、丸太を軽く組んだだけの筏もあった。


 つまり、木材だ。ばらばらにされた船は順番に陸の上に運ばれて、新しい建物の柱になった。


 水際で船をばらばらにしている一方で、宮が建つ高台では柱を埋め込む穴が掘られる。穴を掘るのも、そこに柱が立てられるのも、どれも手際がよくて、樟葉の宮には毎日新しい小屋が建って、景色は様変わりする。


「すごい……」


 セイレンは、ため息をつくしかなかった。


 小屋の形はどれも似ていて、もともとあった小屋がそっくり同じ形の子どもの小屋を生むようで、毎日整然と並んでいく。


 小屋は高島からやってきた兵たちの休み場になり、中に寝床がつくられる。棟と棟の間の庭には石が積み上げられて、かまどができる。


 小屋が六棟も仕上がった頃には、竈のそばで飯炊きをする女の姿も見かけるようになった。


 高島からやってきた女なのか、樟葉の里から呼ばれた女なのかはわからなかったけれど、樟葉の宮に出入りする人は間違いなく増えていた。








 藍十は、二日ほど前から宮を空けていた。


「今日から里に下りて手伝ってくるよ。畑をつくり直すんだって。いまやらないと、秋の実りを増やせねえからな」


「ふうん――日鷹も一緒? 最近姿を見ないんだけど――」


「あいつは川べりの船着き場につきっきりだよ。日鷹は船の匠みたいなもんだからな。あ、そうか。知らないよな? あいつは海人あま族の出なんだ」


「海人族……?」


「船に詳しい一族の出ってことだ。あいつは雄日子様から湊の整備を任されたんだよ。おれは畑。セイレンは宮にいてよ。帆矛太ほむた黒杜くろもりも出払ってるし、なにかあった時に雄日子様のそばにいる奴も要るからさ」


 だから、雄日子様から呼ばれた時にはすぐに駆けつけられるようにしておいて。あと、昼寝もしておけよ。たぶん、しばらくの間寝ずの番は毎晩おまえに当たると思うし――と、セイレンに指示をして、藍十も宮を去っていった。


 


 


 帆矛太と黒杜の姿は、樟葉の宮で時たま見かけた。


 二人とも忙しなく働いていて、なんに使うのかよくわからない木製の道具をもっていたり、大勢の匠や兵を引きつれていたりで、いつも誰かとなにかを話していた。


「小屋をあと四棟建てたら次は森を拓くから、斧を揃えておけ。それから――」


「木材を西に回せ。砦の工事は館より急ぐのだぞ。もうすぐ高島から人が来るから、それまでの辛抱だ。あとは太縄と……」


 帆矛太と黒杜は、宮の建築に関わることを任せられているようだ。


 二人と同じように、日鷹は水際で、藍十は農地で、人足を取りまとめる役目を負っているのかもしれない。


(わたし、なんにもできないな……)


 もしもの時のために宮で留守番をしたり、忙しい藍十たちに代わって寝ずの番を引き受けるのも、きっと大切な役目だ。


 でも、ほかのこともできるのと、それしかできないのとは大違いだ。


 昼寝をしておけといわれたことを思い出すと、昼寝をするのが役目かよ――と、なおさら情けなくなる。


 でも、実のところなにもできないのだから、反論もできないというもの。


(せめて、できることをしておこう……。土雲草を育てて、武術の稽古をして――)


 前に、セイレンは宮の中に土雲草の種を播いていた。土蜘蛛の里で手に入れた種で、うまく育てば、使い勝手のいい薬草をいつでも手に入れられるようになる。


 土雲草は軽い傷や病にならたいてい効くので、藍十たちとは別のことでみんなの役に立てるはずだから――。


 穴を掘るのや重い木材を運ぶのに、兵たちは声を揃えている。


 それを尻目に種まきをした場所へ向かっていると、ふと名を呼ばれた。


 振り返ると、荒籠がいた。


 背が高いので、大勢の男に紛れていても頭が飛び出ている。


「セイレン、ちょうどよかった。ちょっといいか?」


「はい――?」


 きょとんとして、足を止めた。






 荒籠は手招きをして、雑踏の外にセイレンを呼び寄せる。


 前からある館の壁際で、新しい館を建てているあたりと離れていたせいで、周りには人がおらず静かだった。


 背後に山桃の木が立っていて、風が吹くたびにざあと葉がなびく。


 二人が並んだのは、屋根の影が地面に落ちる涼しい場所だった。


「飛鳥では苦労をしたな。無事に帰ってこられてよかった。雄日子様も喜んでおられたよ。それに、樟葉を囲んだ時のおまえの仕事は見事だったな。ひと息ですべての兵をひれ伏せさせるなど、まさに神業だ。俺はおまえを甘く見ていたよ。雄日子様がおまえを大切にする理由もよくわかった。本当に、すごい……」


 荒籠は敬服したといわんばかりにセイレンを褒めたけれど、セイレンは素直に喜べなかった。


「そうですか?」


 そんなことより、もっとみんなみたいにできれば――と思った。


 荒籠はついと首を傾げた。


「えらく丁寧な話し方をして――気をつかってくれているのか? 藍十やほかの奴らにするのと同じように接してくれていいのだぞ? 雄日子様と同じでいいよ。――いや、それはそれで特別なのかな? まあ、好きなようにしてくれればいいか」


 荒籠は、藍十や雄日子よりも背が高かった。


 並んで壁にもたれていても話し声が降ってくる高さが違うので、妙な心地がする。


 雰囲気も、ほかの男とはすこし違っていた。


 荒籠には多少のことには動じない堂々としたところがあるので、からかい文句をいったりして一緒に騒ぎ合う藍十や日鷹とは違った。


 落ち着きはらった感じは雄日子と似ているけれど、すこし印象が違って、雄日子にある冷静さが目を疑うような美しさの静かな湖面だとしたら、荒籠にあるのは森や草原の気配。どっしり構えていて、頼もしい感じがする。


 壁に寄りかかって腕組みをして、荒籠は口火をきった。


「実は、おまえにききたいことがあるんだ。おまえは飛鳥へいった帰りに大和の軍と相対しただろう?」


「はい。藍十と一緒に――」


「ああ。待ち伏せしていたのは百人くらいで、馬に乗った奴も十人くらいいたとか――そいつらの中に、死んだ奴はいただろうか」


(死んだ奴?)


 いやな言葉だ。


 ぎっと奥歯を噛んで、首を振った。


「――わかりません。わたしと藍十は逃げ遅れたので、振り切るためにわたしは追手を眠らせたんです。樟葉を囲んだ時に使ったのと同じ技です。藍十は剣を抜いて戦っていたから、怪我をした人はいたと思います。藍十が斬りつけたのは見たから――でも、その後どうなったかまでは覚えていません」


「――そうか。おまえはどう思う。おまえが眠らせた大和兵は、後でちゃんと起きたと思うか?」


「たぶん――。同じ薬を藍十にも使ったんですが、藍十も、樟葉の兵も、毒の雲を浴びてしばらくしてから目を覚ましたので、たぶん大和の兵も――でも、わかりません。ちゃんと起きていてくれればいいとは思っています」


 大和の兵に〈雲神様の箱〉を使った時のことを思い出すと、セイレンには藍十の苦笑が思い浮かぶ。藍十の愛馬、疾風はやてを眠らせた時の表情だ。


 疾風にも、セイレンは毒の雲を吹きかけていた。


(疾風もちゃんと起きたかな。目が覚めた後はどうなったのかな。立派な馬だから、飛鳥の都に連れていかれちゃったかな。殺されては、ないよね……)


 疾風の目が覚めたとしても、あの場に置いていかれた後で藍十を探して野をさまよっているかもしれないし、大和の剣で腹いせに殺されてしまったかもしれない。


 いまとなってはうかがい知ることもできないけれど――そのぶん、いやな想像ばかりをしてしまう。


(どうしよう――ごめん、疾風。わたしが意気地なしだったから……)


 しゅんと肩を落としていると、驚いたような荒籠の声が降ってきた。


「……悪かった。いやなことを思い出させたか?」


「――いいえ。いやなことじゃ、ないと思うんです。なんていうのか、自分が情けなかったことっていうか、弱いなあって思い知るっていうか……わたしがもっと賢くて、ちゃんとしていれば起きなかったことが起きてしまったんです。わたしのせいで、藍十と、疾風――飛鳥に置いてきてしまった馬です……藍十と疾風を別れ別れにさせて、哀しませたんです」


 潤んだ目で虚空を向いて、風で乾かした。


 荒籠は壁によりかかっていて、自分も風を浴びるように頬を上げた。


「――すこしわかるな。実は、俺も似たようなことを考えていてな」


「荒籠様も?」


 見上げると、荒籠はなにかいいたげに口を閉じる。結局、なにもいわずに笑ったけれど。



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