番外、樟葉の夜 (1)

 樟葉くずはの都に雄日子の軍が入ってから二日が経った晩、セイレンはすべての役目を免れる非番となった。


 でも、それは奇妙なことだった。


 その晩の寝ずの番を任されたのが、本来任される必要がない男だったからだ。


「今晩の寝ずの番は赤大なの? なんで。わたしも藍十も日鷹も帆矛太ほむたもいるのに」


 赤大は護衛軍の長であり、守り人の長だ。軍の中では雄日子、角鹿つぬがに次いで高い地位をもっている。


 位が高い赤大には他の人にはできない役目がたくさんあって、寝ずの番どころではなく忙しい――と、いつのまにかセイレンは覚えていた。


 藍十も日鷹も帆矛太も――と、自分の名があがると、帆矛太が立ちあがる。


「俺はここを出ますよ。黒杜くろもりのところにいって、赤大の代わりに留守をつとめることになってます。ある意味、寝ずの番だね。角鹿様も今晩は外に出られることになったので――では、おやすみなさい」


 帆矛太の話は、よくわからなかった。


 赤大の代わりにいったいなんの留守をつとめるのか。角鹿が外に出ることがどう関わってくるのか。それに、よく知っている寝ずの番のほかにも「寝ずの番」があるのか。


 いったいなぜ? それはなに? と、頭をひねっているうちに、帆矛太は館の外に出ていってしまう。


 もともと都を治めていた茨田まったの王族は都の外れに追いやられて、それまで王族が暮らしていた宮には雄日子が寝泊りをするようになった。


 王族だけでなく、宮仕えの一族もほとんどが追い払われていて、都の中央に建つ館には高島の兵が居ついて、セイレンや藍十など、守り人の宿にされた館もあった。


 その館に残されたのは、セイレンと日鷹と藍十の三人。


 小さな館の中でくつろぐ仲間を見回すうちに、気づいたこともあった。


「ふーん、ここにいるのは下っ端ってことか」


 つぶやくと、藍十と日鷹がぎくりと固まったように動かなくなる。


 いいわけをしたのは、日鷹。


「おまえなあ、そういう身も蓋もないいい方をするなって。なんというか、つまり――人には向き不向きというものがあってだな。要は、守り人の中にも腕に自信があるほうと、頭に自信があるほうがいるというかだな。帆矛太はどっちかといえば細かいことを考えるのが得意なんだが、俺と藍十は武具を扱うほうが得意なんだ。だから、振られる役目が違うことはよくあるんだ。うんうん」


 日鷹の話も、わかるような、わからないような――。


「ふうん――? 赤大がいま寝ずの番にいったってことは、前役だよね。なら、後役は誰なの?」


「俺らは休めっていわれてるからなぁ。帆矛ほむでもないなら、黒杜くろもりかなあ」


「えっ、後役も偉い人がやるの?」


 雄日子の守り人は七人いるという話だが、その中でも黒杜という男が一目置かれた存在だということは、なんとなくわかってきた。


 いまに時が来たら赤大の代わりをつとめることになりそうな、そういう印象もある。


 黒杜の名が出ると、藍十がうつむいた。そんなふうに、黒杜の話になると藍十が不機嫌になるのも、しだいにわかってきた。藍十は自分から話そうとしないけれど――。


(黒杜って人と藍十との間でなにかがあるのかな? まあいいや。今度二人になったらきいてみよう)


 日鷹は、またいいわけをした。


「それはだなあ、なんつうか――今晩の寝ずの番は俺たちじゃ役不足だから、かな? ――いやいや、赤大もなにを心配してんだかな。どんな状況だろうが、やれっていわれたら俺らだってよそ見せずにちゃんと雄日子様をお守りするってのにな」


「よそ見?」


「――いやいやいや」


 藍十と日鷹が声を揃えて手を振った。


 日鷹は照れくさそうににやけてそれ以上話を続けなかったので、セイレンの質問に最後まで付き合ったのは、結局藍十になった。 


「こういうことは、たまにあるんだ。まあ、めったにない休みと思って寝ようぜ。ほら、掛け布」


「ふうん――いろいろとあるんだね」


 よくわからないなりにうなずいていると、藍十がきれいに畳まれた布を手渡してくる。


「しばらく野宿が続いたもんね。こんなしっかりした館の中で、風とか雨露の心配をしないで、雄日子の寝ずの番もしないでゆっくり眠れるなんて、幸せだねえ! 掛け布までもらえるの? ありがとう……」


 とはいえ。藍十から手渡された布を広げてみると、その布はかなりの粗織あらおりで、宙に広げると向こう側が透けて見えるくらいだ。


「なにこれ。薄っ」


「文句をいうな。あるだけましだ。風も露もない館の中でゆっくり眠れて幸せなんだろ?」


「でもこれ、掛けてもほとんど温まらないよ」


 広げた布を自分の身体に掛けてみても、粗織の糸の隙間からはすうすうと風が入ってくる。


 同じように布を広げて自分の身に掛けてみて、藍十と日鷹も同じことを思ったらしい。


「たしかに、これじゃ寒いな。――仕方ねえな、三人でくっついて寝るか。セイレン、寒いならおれたちの間に入るか?」


「あ、そうだね。藍十と日鷹に囲んでもらえるとあったかそうだ」


 床の上に三人並んで寝転んで、セイレンは二人の隙間に陣取ることになった。


 掛け布は薄くてろくに温まらないが、両隣りに藍十と日鷹が寝転ぶと、隙間風は二人の背中がさえぎってくれるし、二人の体温がほのかに伝わってきて温かいし、不便はすべてなくなった。


 でも、ふと心配になる。ここにいる三人の中で、セイレンは一番の下っ端だ。それなのに、一番いい寝場所をいただいてしまっていいものか、と。


「――ごめん、真ん中に寝るの、わたしでいいの? 藍十も日鷹も寒くない?」


「そりゃ、背中はすうすうするけど――どうせくっつくなら、藍十よりはセイレンのほうがいいもん。これでいいよ」


「こっちの台詞だっつうの。本当に寒い夜って誰かがそばにいるだけで助かるけど、男のそばであったまった後の朝って、やたら寝覚めが悪いんだよなぁ。セイレンが真ん中にいてよ」


「ふうん? 二人がいいなら、いいけど」


 セイレンは納得したが、その両隣りで、藍十と日鷹はまだ話を続けていた。


「――なんつうか。俺らって、男のそばはいやだとか、セイレンの横のほうがいいとか、こんなことをいってるから今日の番を外されるんだろうなぁ――」


「しみじみいうなよ。情けなくなるから。――おやすみ」




  ◆  ◇    ◆  ◇ 




 その晩は、雄日子の婚儀がおこなわれることになっていた。


 婚儀といってもかなりの略式で、雄日子と、その妻になる娘が臥所ふしどを共にするだけ。


 一通りが済むなり雄日子は臥所を出て、宮の中にある庭にいた。そこに井戸があるからだ。


 ひどく憂鬱で、月の光のもとでため息をつく。


 井戸からくみ上げた水で口をすすいでから、雄日子は背後に問いかける。そこには、一緒に臥所から出てきた角鹿と赤大がいた。


「湯殿は」


「用意してありますが」


「――いく」


 「では、私は黒杜のところへ――」と、赤大はべつの方角へ向かったので、樟葉くずはの宮の湯殿に向かったのは雄日子と角鹿の二人になった。


 夜の樟葉の宮は、そう暗くない。


 月は細く、夜空から落ちる光はわずかだったけれど、宮の中には寝ずの番をする番兵が大勢いて、あたりを見回せば暗闇の中に三つ、四つ、五つ……と、松明の灯かりがちらついている。


 湯殿へ向かう間、ひとことも発せずに早足で進んでいると、後ろから角鹿の声がした。


「どうなさいました。樟葉王の娘は、それほどまであなたの好みの娘ではありませんでしたか」


 わざわざ振りかえってやる気は起きないが、苦笑しているようないい方だった。


 雄日子は舌打ちをして、しばらく黙ったのちにこたえた。


「おまえも見ただろう? あの王の顔にそっくりな娘だよ。……いらいらする。勢い余っておまえを殺してしまいそうだ」


「――やはり、不機嫌ですね」


 ふふっと笑い声がきこえるので、さらに腹が立った。


「馬鹿にしてるのか?」


 まずい、いらいらしている――と、それは自分でもわかったし、落ち着かなければとも思う。


 でも、そばにいるのが角鹿だけだと思うと、その気も失せた。


 角鹿は雄日子にとって、自分をつくらずに接することができる相手だった。怒鳴りたい時には怒鳴るし、嫌味をいいたい時には好きにいう。


 いま、雄日子の中には愚痴や恨み言が膨れ上がっていた。どうにか吐き出してしまわなければ息苦しいと、自分で怖くなるくらいだ。


「なあ――こんなことをあの姫に子ができるまで続けなきゃならんのか。せめて、妻に差し出させるのは王の娘じゃなくて、樟葉一の美女とかにしろよ。そうしたら少しくらい――」


「いいえ――。美しい女は、樟葉一美しかろうが、樟葉で二番目に美しかろうが、値打ちはそれほど変わりませんが、王の長女はたった一人です。その国の王の血を引く娘との婚姻が、国と国の関わりをなにより強固にするということは、あなたもご存じのはず」


 ふんと、雄日子は鼻で笑った。


まつりごとのための妻なんか、どうせ臥所ふしどの中でしか会わないんだから、あの娘の相手をするのは僕の替え玉でも誰でもよかろうが。角鹿、おまえが僕の代わりをつとめろよ」


「将来、血の禍根を残します」


「そうやっておまえは、うまいこと僕にすべてを押し付けて――」


 咄嗟に、手が角鹿の胸倉に伸びていた。


 首元を掴み上げて角鹿を間近で睨んだが、角鹿は平然と笑っている。


 角鹿の細い目のきわには、月のやわらかな光が落ちていた。


「どうなさったのです。今宵はいつになく雄々しいですね。ときどきは今日のように艶っぽい夜でも過ごされたほうが、あなたの牙が研がれるのかもしれませんね」


 腹が立つことばかりだった。


 したくもないことを当然のようにやらされるのも癪だが、気に食わない相手から微笑まれて、無言のうちに「落ち着きなさい」と諭されるのも、ひどく腹が立つ。


 舌打ちをして、角鹿の胸倉から手を放すと、雄日子は深く息を吸った。


「――悪かった。……調子が悪いな。頭がうまく回らない」


「そのようですね。お湯で身体を温めて、お心をお休めなさいませ」


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