終章、媛の片恋 (2)

 石媛の様子を訝しげに見つつ、フナツもみずからの手のひらを見下ろしていた。

 

 フナツのその手も、床に落ちた石飾りを拾った時にそれに触れていた。


「セイレン様――」


 つぶやいたのは、その名。フナツが石飾りに触れた時、たしかにその石から、セイレンという名の娘の気配を感じ取った。


 それだけでなく、その石がどうやってここへ――土雲の里へ辿りついたかも、フナツは感じ取っていた。


 その石は静かだったが、指で触れると、「聞きたいかい?」とばかりにフナツをちらちらと気にするような気配があって、石に残ったセイレンの気配につられてフナツがうなずくと、これまでに起きたことをすこし教えてくれた。


 その石飾りは、もともとはセイレンが持っていたということ。


 それが、どこかに棲む奇妙な一族の少年の手に渡り、そのために少年が命を奪われたこと。少年の死を哀しんだ自分に似た存在や、それ以外のいろいろなものが、その出来事を誰かに知らせたがっていること。あれは神ではない。あれの正体はきっと――と。


 細かなことはわからなかった。でも、石が伝えてくることにうなずけるほど、フナツも同じ思いだった。


「異な――。あれは、神……? いいえ、あれは――」


 それにしても――。


 石を通してだが、赤子の時から育ててきた「娘」、セイレンの気配に触れたのは久しぶりのことだった。お元気そうだ、よかったと嬉しく思う半面、おかしなことになっていると眉を寄せたくなる不気味な心地もする。


 フナツが石飾りから感じ取ったのはセイレンの気配だったはずなのに、石媛の気配に触れた感覚もあった。まるで二人が重なっているような――いいや、そうではない。石媛が、セイレンがいる場所に近づこうとしているのだ。


 もしやと思い、ものを見ない目を閉じて感覚を研ぎ澄ませてみると、奇妙なものを見つけた気がした。そこにいる石媛の気配が、ここではない別の場所へ向かおうとどこかへ伸びているような――。


 ごくりと息を飲んだ。


「石媛様……あまり祈らないでください。あなたの祈りがまず伝わるのはセイレン様のような気がします。セイレン様が、あなたの代わりに動かされる気がします……」


「どういうこと?」


「――あなたがなにかを想えば想うほど、セイレン様があなたの代わりにそれをしようとなさるというか――たぶん、セイレン様は気づいていないと思いますが――」


「セイレンが? ……離れていてもやっぱり双子なのね。嬉しい」


 不思議に脅えるどころか、石媛はふふっと笑った。


「フナツ、私ね、あの方――雄日子様のことを考えていたの。あの方がご無事に過ごされますように、あの方がしたいことができるようにお助けしたいって――。セイレンは山を下りて、あの方を守るためにおそばにいるんだもの。私が祈らなくてもセイレンはあの方を守るわよ。離れていても私と同じように思って、同じことをするわ」


 そこまでいってから、石媛は青ざめて、はっと口元に指先を当てた。


「でも――もしも私とあの子が同じ時に同じことをしているなら――あの子、私と同じように雄日子様のことが好きになっていないかしら。もしそうだったら、私……」




  ◆  ◇    ◆  ◇ 




 雄日子の命を受けて黒杜くろもりが高島から率いてきた軍は、大きかった。


 兵の数や兵が身にまとう武具以上に目を見張るのは、戦船の数だった。淡海あわうみから平野に流れ出る川に乗って、樟葉くずはに向かった戦船の数は、百より多かった。


 賀茂を発った雄日子が、集合地に選んだのはとある川べりだったが、そこで待ち受けた戦船の群れは、川の上流からやってくるきらびやかな島に見える。


 セイレンは藍十のそばで合流の時を待っていたが、近づいてくるものを見ては何度も目をしばたかせた。


「あの大きな塊が、船――?」


 水面にはね返された陽の光を浴びて、船の群れはきらきらと輝いて見えた。


 大河とはいえ、そのあたりの川の水面を滑るのは、丸太を刳り抜いただけの小さな舟がほとんどだった。でも、雄日子の戦船は船の幅がその倍はあるし、なにより背が高い。どの戦船にも船乗りの背の倍以上の高さの帆柱が立っていて、船幅よりも大きな白い帆がかかっている。それが二百艘も集まっているので、大きな島影に見えていたのだ。


 雄日子の戦船と比べてしまうと、川の漁師が使っているらしい粗末な小舟は、船ではないべつのものに見えてしまう。


「すごいだろ? あの戦船は海用で、波を越えて遠くまで出かけて戻ってこられるやつなんだ。雄日子様が淡海を制したのは、高向の技を高島に持ち込んだからだ。ううん、違うか。海側の匠の技と富を、湖の周りの国々とつなげたんだ。その国が栄えていくと、周りの国も技と富を欲しがった。雄日子様は技と富を遠くまで届けるために、道を整えた――雄日子様のおかげで栄えた国とそこで暮らす人にとって、雄日子様はなくてはならない方なんだ」


 藍十は、恍惚としたいい方をした。


 船団と合流すると、賀茂から連れてきた軍勢とともに樟葉へ向かう。


 その道中で、雄日子はセイレンをそばに呼び寄せていった。「戦がはじまったら、雲を吹いてくれ」、と。


 前に一度頼まれていたので、セイレンは驚かなかった。ただ、不思議だった。わざわざ自分が手を貸さなくても、と。


「でも……藍十から聞いたけど、あなたの軍は強いんでしょう? わたしが土雲の技を使わなくたって勝てるんじゃ――」


「ああ、勝てるだろう。でも、僕が欲しいのはただの勝ちじゃなくて圧勝なんだ。刃を交えることなく、戦っても無駄だと思わせて降伏させたい。おまえがいやだというなら――」


 雄日子は、セイレンが断った場合のことも考えているようだった。


 セイレンは少し迷ったけれど、尋ねた。


「命を奪う雲を吹かなくても、眠らせる雲を吹くだけでもいいよね?」


「ああ、いいよ。そういうものがあると前に聞いていたから、そのつもりだった」


「なら、いいよ。そうだよね。わたしが雲を吹いたほうが人が傷つかなくて済むんだもんね。それに、迷ったら代償のほうが大きいってことも覚えたから、いいよ」


「――やたら従順じゃないか。実は、少しくらいごねられると思っていた」


 雄日子は驚いたようで苦笑している。その笑顔を見上げて、くすっと笑った。


「うん――。だって、あなたにはなんだかんだと世話になっているしなあ。世話になった分を返すよ。あなたの『戦』を手伝ってあげる。――それに、なんとなくあなたを助けなければいけない気がするんだ。あなたを助けたいって、胸の底のほうがむずむずするっていうか……実をいうと、ものすごくへんな気分なんだけど」


 正直に口にしたが、本当にそのとおりで、自分の身体の中にいるべつの誰かにそうしろといわれているようだった。


 


 この人を助けたい――。


 この人の想いを叶えたい――。




 守り人として従軍しているので、雄日子を守るのは日々のことだが、なんというか、助けたいという想いの質がこれまでとは違う気がする。


 戦を前にした雄々しい気配に酔ったにしては甘い気持ちで、自分ではない雄日子のことをとても好きな誰かが胸の底に居ついてしまったような――そんな気分だ。


「僕を助けたい? おまえの口からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。――嬉しいね」


 雄日子は目をまるくした後で、にこりと笑った。


 妙に明るい印象のある笑顔だったので、セイレンも驚いて目をまるくして、その後で二人で笑った。






 大陸のすぐれた技術を贅沢に取り入れた雄日子の軍と、樟葉の軍の差は明らかだった。兵が手にする剣や鎧だけをとっても、陽の光を浴びて輝くのは雄日子の軍で、豪奢な戦装束だけでなく、戦船と騎馬軍までを引きつれた雄日子軍は、樟葉軍と相対すると、太陽が小石に戦を挑んだような錯覚すら起こさせる。


 川と陸から囲まれると、樟葉の武人は王族を守ろうと戦陣を組んだが、軍勢の先頭に立ったセイレンが〈雲神様の箱〉で雲を吹くと、ことごとくその場で倒れていく。もはや為すすべもなく、戦ははじまってまもなく終わった。


 戦を制した雄日子は樟葉の王族を庭に引き出し、ひざまずかせて命じた。


「この地を僕に捧げて、臣下として仕えよ。また、服従の誓いの証として、王の娘を我が妃として差し出せ」


 樟葉の王は、渋々ながら承諾した。



 後日、雄日子が率いた高島軍のことは、畏怖をもって大和の地に伝わることになった。


 太陽のごとく煌びやかな大軍で、雄日子に刃を向けた樟葉の武人は、戦うこともできずにその場に伏した、と――。



.........3話に続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る