襲撃 (3)

 駆けに駆けてもう一度馬を替え、さらに駆けて、疲れも忘れるくらい駆けると、街道の周りに目につくものは野原と木立だけになる。


 奥の山際には粗末な集落がぽつぽつと見えていて、ところどころに干し草の山が積まれていたが、人がいる気配はない。


「かなり戻ってきたな。ここまでくれば……」


 隣を駆ける藍十あいとおが、ふうと息をついた。


 セイレンも同じ思いだった。こころなしか、駆け音もすこしゆるやかになったように思う。


「そうだね。もうすこしいったら進みはじめた場所に戻るかな――」


 その時。声が聞こえた。野原のほうから聞こえてきたので、騎馬軍の誰かのものではない。若い男のものだ。


「縄を張れ!」


 いったいなんだと、声がしたほうを見る。でも、そんなひまはなかった。前を走っていた馬の群れが、急に背が低くなる。地面に穴が空いていくようで、ぞろぞろと倒れていった。


 赤大あかおお荒籠あらこや、いろんな男の声が同じことを叫ぶ。


「罠だ。跳べ、跳べ! 縄を避けろ!」


「野に回れ! 敵襲だ」


「雄日子様を囲め!」


 いろんな声が、悲鳴や馬のいななきに混じって飛び交っている。


 馬が倒れはじめたのは、ちょうど人を乗せない馬の群れの後。馬飼の先駆隊あたりから隊列が崩れはじめて、そのすぐ後ろにいた雄日子の馬もすこし傾いた。


 雄日子の後方を守る日鷹はなにかを跳びこえるように馬を跳ねさせ、着地するなり藍十を振り返った。


「跳べ! 縄が張ってある。脚を取られると倒れるぞ!」


(縄?)


 でも、意味がわかるほど、セイレンは馬や戦に詳しくなかった。


 がくんと身体の位置が下がる。馬が倒れていて、地面に投げ出されていた。


「セイレン! ――人がいる、避けろ!」


 藍十の叫び声がする。いったいなにが起きたのだ――と、地面に膝をついていると、左右を馬の脚が駆け抜けていく。いや、跳んでいた。


 見れば、地面からすこし上、膝の高さに縄が一本横に張られていて、その縄に足をとられまいと、武人たちは馬を跳ねさせていた。セイレンが乗っていた馬は、この縄にひっかかって倒れたのだ。


「起き上がれる? 大丈夫?」


 馬のそばにうずくまって、胴のあたりに手を差し入れる。でも、馬の大きな身体はびくともしない。


 すぐそばを馬の脚がすり抜けていく。蹄に蹴られそうになるので、倒れた馬に覆いかぶるようにして頭を庇った。


 その手を、引っ張り上げられた。


「セイレン、乗れ!」


 藍十だった。戻ってきたのだ。


「でも、馬が……」


「そいつはもう走れない。脚が折れてる」


「え――?」


「倒れて骨が折れたんだ。いいから乗れ!」


 ぐいっと引っ張りあげられて、藍十の後ろに乗ると、駆け出した。


 すこし駆けて罠から遠ざかると、後ろからついてくる騎馬隊が馬を跳ねさせているのがよく見える。道の端には見慣れない格好をした武人がいて、両手で太い縄を構えている。


「逃がすな、雄日子様を追え!」


 揃いの武具をつけた武人が野原から駆けてくる。馬に乗った男も十人ほどいた。


「敵襲だ」


「弓を引け!」


 ひゅん、ひゅんと音がして矢が宙を飛ぶ。でも、そう長い間ではなかった。矢筒にあった矢はそう多くなく、すぐに尽きてしまったのだ。


「駆け抜けろ。雄日子様を囲め!」


 山に向かって細くなる道を、騎馬軍は細い列をつくって駆けていく。


 でも、藍十が駆る疾風はなかなか速く駆けられなかった。追い抜かれていき、とうとう一番後ろになる。このままでは軍に遅れをとって、追いかけてくる敵軍に追いつかれてしまう――。


 藍十は舌打ちをした。


疾風はやても疲れてるんだ。早駆けの後で二人も乗せちゃ――」


 セイレンは青ざめた。


「わたしが乗ってるせい? わたし、下りるよ。藍十は先にいって……」


「ばかやろう、おまえが一人で残ってどうすんだよ」


 藍十は怒った。そして、前方へ向かって大声を出した。


「ここは任せろ。先にいけえ! 雄日子様をお守りしろ!」


 赤大の声が答えた。


「すまん。死ぬな、藍十」


 声がしたのは、列の中央あたり。赤大は雄日子の真後ろにいて、藍十を振り返っていた。赤大の前で、雄日子が振り返っているのも見えた。一瞬だったが、目も合った。


 雄日子は驚いたように目をみひらいていた。


 でも、目が合ったのは一瞬だった。すぐに、ひしめき合って駆ける人の影に隠れて見えなくなる。


「セイレン、雲を吹け」


「えっ」


「雲を吹け、早く!」


「でも――」


「でもじゃねえんだよ。追いつかれる、早くしろ!」


 藍十は、セイレンが〈雲神様の箱〉を使うところをその目で見ている。〈箱〉を使ってひと息吹いた後で、二十人の追手を倒したことも知っている。


 後方には、追いかけてくる一団がいる。馬に乗った追手は十人ほどだが、その後ろには砂煙をあげてにじり寄る歩兵隊が見えていた。


 藍十は、いまここで前と同じことをしろというのだ。〈箱〉を使って、追いかけてくる敵兵をことごとく倒してしまえと――。


「でも……」


「早くしろ! 死ぬぞ! おまえもおれも!」


 藍十が怒鳴った。それでも、セイレンの手は震えてしまった。


 疾風の駆け音と、近づいてくる追手の駆け音をしばらくいらいらと聞いて、藍十は舌打ちをした。


「もういい。おまえはこのまま疾風に乗って先にいけ」


「えっ?」


「おれがここで時間をかせぐ。おまえがいても足手まといだ。気が散るから、それくらいなら先にいって、追手に備えるように赤大にいえ。いいな?」


「いいなって――」


「いけよ?」


 いうなり、藍十は鞍から飛び降りた。


 その場で剣を抜き、たった一人で騎馬隊を待ち受ける。


「藍十!」


 振り返って、叫んだ。その時にはもう騎馬兵に追いつかれていて、藍十の刃が馬の脚を斬りつけていた。馬が倒れて、武人も落ちてくる。その武人も剣を抜いて、二人で刃を合わせ――。


 刃が、藍十の頬や腕にかすっているのが見える。血が出ていた。


 頭の中が真っ白になって、夢中で手綱をとった。


「疾風、お願い、戻って! 藍十のところに戻って!」


 疾風の向きを変えさせて、武具帯に指を添え、薬包みを取り出した。胸元に垂れる〈箱〉の中にすばやく粉を入れて、口元に当てる。


 駆け戻りながら、叫んだ。


「藍十、息を止めろ。伏せろ!」


 藍十はむっと顔をしかめていた。でも、すぐにしゃがんでうずくまる。見届けるなり、セイレンはふうっと〈雲神様の箱〉に息を吹きいれた。


 うっすらと白い雲がそよがれて出ていく。雲は風に乗り、藍十と刃を交わしていた武人や、馬上で「なにごとか」と真顔をする武人や、その後ろに追いついた歩兵たちの鼻先を通り過ぎていく。


 そして、そのすぐ後のこと。一人、また一人と動きを止めて、その場に崩れていった。馬もだるそうに膝を曲げ、しゃがみ込んだ。


 しん、と静かになったその時、道の上には百人の男が倒れ伏していた。人だけではなく、馬も――。ある者は眠るようにまぶたを閉じて、ある者は白目をむいて、道の上に積み重なった。


 かつ、かつ、かつ――。疾風の蹄の音がゆっくりになり、止まる。馬上で、セイレンはひっくひっくと嗚咽を漏らして泣いた。


「ごめん、藍十、ごめん……」


 藍十はまだ地面にしゃがみこんでいた。ゆっくり立ち上がり、セイレンの後方まで移動してから、口をひらく。はあ、はあ……と、息を切らせていた。


 藍十が戦っていたのはほんの短い間だが、その間に、藍十の姿は様変わりしていた。頬や腕には切り傷ができていて、血が流れていた。砂まみれで、衣も汚れている。


 ぜえ、はあ……と、藍十はしばらく息を整えていた。それから、いった。


「こいつらは死んだのか」


「ううん。眠ってるだけだ。いま吹いたのは痺れ薬だから。息を吸ったり吐いたりがものすごく遅くなるから、ぱっと見死んでるように見えるけど……」


 馬上から崩れ落ちるように地面に下りて、セイレンはぽろぽろと涙をこぼした。


 「〈雲神様の箱〉で吹けるのは人を殺す薬だけじゃなくて、痺れ薬もあったのに――どうして思いつかなかったんだろう。さっきやっておけばよかったのに……。でも、土雲の里で獣の狩りに使われてる薬だから、山の下の人に使う量は知らないんだ。量は控えたけど、もしかしたら死んだかも――どうしよう」


 藍十は不機嫌だった。セイレンにこたえようともせず、無言で衣服をはたいて砂埃を払い落としていた。

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