襲撃 (4)

「――怪我、してるね。傷を見せて。――わたしのせいで、ごめん」


「おれの怪我ならおまえじゃなくて、そいつらにやられたんだ。おれもやり返してるから、怪我のことは気にするな」


「そうじゃなくて――」


「おまえがいいたいことくらい、わかってるよ」


 藍十あいとおはむっと顔をしかめて睨んだ。


「次は迷うなよ。痺れ薬だとか、甘いことも考えるな。すぐに死ぬ雲を吹け。この前と同じやつだ」


「でも……」


「命を助けたつもりでも、捕まえた後で、もしそいつらがもっとつらい死に方をすることになったら? もし、ここでおれがこいつらを殺したら? ほら、どうする」


 藍十はすたすたと歩いていくと、地べたに倒れる男のすぐそばで立ち止まり、剣を抜いた。剣の切っ先を男の首の真上に浮かせて、セイレンを振り返り、睨みつける。そのまま、柄を握っていた手をぱっとひらいた。


「――ほら、手がすべった」


 剣は藍十の手から落ちて、まっすぐ下へと落ちゆく。ちょうど男の首元へ――。


「あいと……!」


 喚いて駆け寄った。でも、その時にはもう剣の柄は藍十の手で掴まれて、また宙に浮いている。


「あ――」


 ひくりと喉が鳴った。藍十はその男を殺す気はなくて、殺そうとするところをセイレンに見せたかっただけだ。


 なんてひどいことをするんだ――。藍十を責めたのと同時に、とても苦しくなった。藍十がそんな真似をしたのは、セイレンに教えるためだからだ。いや、気づかせるためだ。


 いまみたいに、人が冗談のついでのように殺されることがあると、セイレンは知っていた。


 前に、自分もされたことがあった。


『湖に放り込む前に息の根を止めてやろう。――だが、その場所だと吹き矢が届かないのだ。五歩前に出ろ』


 そういって薄笑いを浮かべたのは、ハルフという名の男。


 セイレンはその男に殺されかけたが、直前に命が助かることになり、「なぜ殺さなかったんだ」と泣き喚いて暴れた――その時のことも思い出した。死ぬ覚悟はしていたのに、どうして――と。


 しゃん……と、金音が聞こえる。藍十が剣を鞘にしまっていた。


 藍十は唇を噛んでうつむいた。


「どうせ殺すなら、最後に無駄な希望を与えてやるな。なぶり殺しのほうがかわいそうだ……」


(なぶり殺し。そうだけど――)


 でも、いまのセイレンは、ハルフに殺されてしまわなくてよかったと思っている。生きていてよかった、と――。


 藍十は黙ったままセイレンの横をすり抜けて、愛馬のもとへ向かう。


 ふるっ、ふるっと鼻息を漏らす疾風はやてのそばに寄って、慣れた手つきで額を撫でた。すると、疾風が藍十にすり寄っていく。藍十は疾風のたてがみを力強く撫でたり頬を寄せたりして、たわむれるのを楽しんでいるように見えた。


 どうしてこんな時に、突然――。


 セイレンには、藍十が急に疾風にかまいはじめたのが不思議だった。でも――次に藍十がいった言葉は、セイレンの胸を冷たく凍らせる。


「セイレン、さっきの痺れ薬をさ、疾風にも使ってくれないか」


「え?」


「――おれたちは、雄日子様と同じ道をとおっては帰れないんだ。待ち伏せされていたら厄介だし、追手がきても、おれとおまえの二人じゃ切り抜けられない。ひそかに後をつけられて、雄日子様の居所を教えるわけにもいかない。だから、おれたちは隠れ道をとおって山背やましろへ向かうが、その道は山道だから馬を連れていけないんだ。つまり――疾風はここに置いていかなくちゃならない。――追ってこられると面倒だから、おれは、こういう場合は馬の脈か脚を切って動けなくしてから動けと教えられている。でも――おまえは、その箱を使えばこいつも眠らせることができるんだろう?」


 疾風のたてがみを撫でながら、藍十がセイレンを振り返る。さっきまでは苛立っていたけれど、いまはほのかに笑っていた。


「できれば苦しませたくない。頼む」


「それって――」


 藍十がいうのは、疾風をここに置いていくということだ。疾風は藍十と毎日一緒に過ごしていた相棒で、セイレンにとっても大切な仲間だ。


 ぽろぽろと涙がこぼれて、それ以上いえなくなった。


 沈黙が続くと、藍十が苦笑する。


「おまえができないなら、おれが剣でこいつの脈を切る。いまから十数えるから、数え終わるまでにやるかやらないか決めろ。――いち、に、さん……」


「――やるから……」


 涙声を絞り出した。でも、藍十は数を数えるのをやめなかった。


「し、ご、ろく……」


 藍十の手が剣の柄に触れる。しゃっと金音が鳴って、刃が引き出される。


「やるから、藍十!」


 藍十が数えるのをやめないのは、十数えきる前にやり終えてしまえということなのだ。


 じっくり深く考えたわけではなかった。


 でも、藍十に疾風を殺させるわけにはいかない――それしか考えられなかった。


 藍十がここにいるのは、自分のせいだ。乗っていた馬の脚が折れて茫然としていたところを助けに戻ってくれて、セイレンを乗せたせいで疾風はほかの馬のように速く駆けられなくなった。それに――〈箱〉を使えと頼まれた時に、怖がったからだ。〈箱〉を使うのが遅くなったせいで、藍十は一人で追手と戦うはめになった。それで、逃げ遅れてしまったのだ。


 全部、自分のせいだ。それなのに、藍十の手で疾風を傷つけさせるなんて、できるはずがなかった。


 これ以上藍十につらい思いをさせたくない。早くやらなくちゃ――。気が焦って、指が震えた。


「なな、はち……」


 武具帯から薬入れを出して、〈箱〉の中にすこし入れる。唇に当てて、ふうっと息を吹きこんだ。


 セイレンが〈箱〉を構えてから、藍十は疾風から離れていた。そして、よろよろと地面にうずくまっていく疾風の姿をじっと見ていた。


「じゅう……」


 藍十の声が小さく響く。その時にはもう疾風は目を閉じていて、ぴくりとも動かなかった。


 動かなくなった疾風のそばに歩み寄って、藍十は額のあたりを撫でた。疾風が好きな場所なんだと、前にセイレンに教えた場所だ。


「疾風、じゃあな。いつかまた会おう」


 疾風に頬で触れつつ、藍十は苦笑していた。藍十が笑っているのがどうしようもなくつらくて、セイレンはぽろぽろと涙をこぼした。


「ごめん、藍十、ごめん……」


 全部自分のせいなのだから、もっと怒って欲しかったし、もっと罵ってほしかった。


 それなのに、藍十は手のひらでセイレンの額に触れて、「よしよし」と髪をまぜるように撫でた。


「もう泣くな。これでわかったろ。迷ったら、代償のほうが大きいんだ。――ついてこい。隠れ道をとおって山背へ向かうから」


「うん――」


「走れ。遅れるなよ」


「うん――」


 手の甲で涙をぬぐった。藍十が「もう泣くな」といったからだ。


 野原の草を踏み分けて、懸命に足を動かした。藍十が「ついてこい」といったからだ。


 こうしてついていくことでしか、藍十から疾風を奪った償いができないと、胸が痛んだ。



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