襲撃 (2)
やがて、速さがゆるんでいき、騎馬隊の動きが止まる。
「二番目の馬に替えろ。急げ」
人を乗せて走るのと乗せないで走るのでは馬の疲れ方が違うのだそうで、こうして途中で進軍を止め、元気な馬に乗り替えて進むのだとか。
鞍の付け替えと馬の交替の仕方は、
その甲斐あって、隊列が乱れたのはわずかな間。すぐに同じ列に並び直して、何事もなかったように駆けだした。
駆けながら、
「大丈夫か」とか、「やっぱ騎馬軍ってすげえよなあ」とか、他愛もない話ばかりだったが、馬を替えてからというもの、いっさい喋らなくなる。
気になって、つい顔を覗き込んだくらいだ。
「あいと……」
声をかけようとして、口を閉じた。
藍十は前を睨みつけるような顔をしていた。敵襲を警戒している時の顔だ。
「ぴりぴりしてるね。飛鳥が近いの?」
「ああ、気を抜くなよ。――館が増えてきてる。どこから敵が出てきてもおかしくない。荒籠様は襲われにくい道を選んで進んでいるんだろうが――」
殺伐とした気配を帯びていたのは藍十だけではなかった。
すこし前で
「飛鳥か……」
周りの景色は変わってきていた。
飛鳥という地は平坦な場所が多くて、道の周りには遠くまで稲田が続いている。
大きな館がぽつぽつ建っていて、騎馬軍の駆け音に驚いた人が飛び出してくることもあった。剣や槍を手にした武人が出てくることもあったが、馬の群れを見て恐れをなしたのか、今のところ、飛び出したその場所からさらに駆け寄ってくることはない。
前に雄日子は「今回は早さが勝負」といっていたが、遅ければ追いつかれるだろうし、こちらの動きが読まれれば、先回りをして道をふさぐやつも出てくるだろう。
(驚いて呆気にとられている間に走り切るってことか――おっそろしい。よくこんなことをしようと思うよね)
雄日子は、そうまでして飛鳥を見たがっていた。
「いけません」と渋る荒籠と、「でも見たい」といい続けた雄日子のやり取りを思い出してみても、どうして飛鳥を見にいくことにあんなにこだわるのか、セイレンにはさっぱりわからない。
(ここ、敵の本拠地なんだよね。狼の巣に入ってるようなもので、ようは
藍十や赤大たちが緊張するのも無理ない状況だと思うのだが。
駆け音の中で、誰かがいった。
「見えました、
すぐに、「
「あれだ。あれです――」
騎馬軍が進む街道の周りには大きな館が増え、人の往来も増えていた。
後ろから近づいてくる軍影に驚いて逃げていったり、周りに建つ館の中から人が飛び出してきて大声をあげたり――大勢の人が暮らす、飛鳥の都に入っていた。
街道の先に、大きな館のかたまりが見える。
秦王の離宮や賀茂の宮、高島の宮など、これまでいくつかの都を見てきたが、目の前にあらわれた宮は、そのどれよりも大きく見えた。
大きな敷地はすべて塀で囲まれ、街道の先には大きな門が建っている。敷地の奥に三層建ての
ピーーイと指笛が鳴り、進軍が止まった。ちょうど街道の辻で、道が交差していて広くなった場所だ。
隊列が変わり、横に広がった。飛鳥の都に襲いかかる瞬間を待つように、全員で都を向くような格好になった。
「この先には護衛軍の宿があります。ここまでです」
荒籠の声だった。雄日子は隊列の真ん中にいて、飛鳥の都をじっと見つめていた。しばらく睨むように見ていたが、やがて顎を引き、引きつけを起こしたように笑う。肩も頬も震わせて、小刻みに息を吐きながら、奇妙な冷笑を浮かべた。
「これが飛鳥か、
くくく、と上半身を震わせながら、雄日子は一人で笑い声を上げていた。
「満足した。荒籠、帰ろう」
「はっ――」
いわれなくても――とばかりに、荒籠はすでに隊列の向きを変えるように部下に命じていた。
「全速で駆ける。追手を振り切れ!」
ピーイ、と指笛が鳴り、即座に馬の早駆けがはじまる。
来た道を戻るので、帰りの先導は人を乗せていない二百頭の馬で、武人が乗っている馬が後。騎馬兵は後方の守りをつとめることになった。
先駆の馬飼は歩くような速さから一気に駆け足を速め、それに追いつこうと後方の武人も馬を走らせる。
来る時には驚いて道に飛び出してきた人影も見かけたが、同じ道を駆け戻るいまは、動くものはほとんどない。騎馬軍から隠れるように物影に身をひそめていて、街道は静まり返っていた。
騎馬軍が駆ける速さは、一番の速さに達していた。
どどどっ、どどどっと馬の駆け音が轟く。ひゅん、ひゅん! と、矢が風を切る音も聞こえはじめた。
音がしたほうを見ると、後方。追いかけてくる馬影が三つほどあったが、すでに動きを止めていた。矢を撃ったのは、雄日子軍の後衛をつとめる武人たちだ。
「王宮から追っかけてきたのがたったの三騎かよ。稽古がなってない宮だな」
後ろを振り返って、藍十が嘲笑う。藍十はセイレンのことも気づかった。
「しっかりついてこいよ。おまえは走ることだけを考えろ。周りを見るのはおれたちがするから」
「わかった――」
役に立てないのは悔しいが、藍十がいうとおりだ。
騎馬軍の群れの中で、セイレンはひたすら行く手を向いて手綱を握り締めていた。
同じ道を二度もとおると、さすがにまったく敵がいないというわけでもない。
騎馬軍の後を追っていたのか、都の中央へ向かって走る歩兵の群れと出くわすことも何度かあった。
騎馬軍は、止まらなかった。
「突っ走れ。逃げないようなら踏み倒せ!」
赤大の号令が聞こえる。セイレンを気にかけて、藍十も大声を出した。
「いやなら目をつむれ。手綱だけは絶対に放すな!」
いわれなくても、セイレンにはなにもできなかった。
赤大の命令がなにを意味するのかはすぐに理解したし、赤大の声を聞いてから五つも数えないうちに、行く手に立ちふさがった武人たちは悲鳴をあげて散り散りになり、何人かは蹄の下敷きになった。
「速さを落とすな。駆けぬけろ!」
荒籠の声が聞こえる。人の大声と、悲鳴と、地響きのような駆け音と、風の音と、土埃の匂いと、血の匂いと、汗の匂いと、獣の匂い――。帰りの疾走はいろいろなものが入り混じっていて、なにが起きているのか頭では片づけにくく、めちゃくちゃだった。
道に沿って曲がったり、敵兵の悲鳴を聞いたりした後も、どどどっ、どどどっという駆け音は変わらず、同じように続いている。
周りに見える景色が早い時間に見ていたものへ戻っていき、時をさかのぼるような気もしたが、「とんでもない、たくさんのことをし終わった」と記憶に叱られるようで、気が遠くなっていく。
飛鳥という地の景色は、山々の背が低く稜線もなだらかで、のどかに見えていた。
でも、悲鳴を聞いたり、血の匂いを嗅いだりした後に同じものを見ると、のどかに見える風景がやたらと嘘くさくて、しらじらしくて、見かけと本当のちぐはぐさに胸騒ぎがした。
気づいたら、頬が濡れていた。知らないうちに涙が落ちていた。
雨が一粒地面に落ちるように、言葉がひとつ浮かんだ。
(これが、戦……)
そう思うなりぎくりとして、セイレンは濡れた頬を手の甲でぬぐった。
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