襲撃 (1)

 雄日子討伐の許しを得てから、三日後。麁鹿火あらかびは兵を従えて本拠地の宮を発ち、北上した。


 麁鹿火に与えられた兵は百人。馬に乗ったのは麁鹿火と火輪ひのわなど十人ほどで、残りは歩兵だった。


 目指すは、山背やましろ。そこに雄日子がいると、麁鹿火は疑っていなかった。男ばかりの歩みは早いので、休まずいけば昼過ぎには着く。もうすぐだ、もうすぐ――と、気は逸った。


「若、一度止まってください、若――」


 麁鹿火に合図を送って進軍を止めたのは、火輪ひのわ。手のひらを丸めて耳元で覆いをつくり、耳を澄ませている。


「妙な音がします。北のほう――山背の方角から……」


「山背?」


 自分も耳を澄ますと、たしかに重い音が響いている気がする。でも、とてもかすかだ。


「地震? それとも地崩れ――。天気はいいし、大水ではないだろうが――」


 別の武人が目の上に手で笠をつくった。


「若、遠くに砂煙が見えます」


「砂煙?」


 麁鹿火も目を凝らしてみた。のどかな野原の景色の中に、白くぼんやり見える部分がある。道幅より少し広いくらいの狭さだ。


「焚き場の煙か? 違うな、煙ならもうすこし白いか――」


 馬上で首を傾げつつ、遠くの景色に目を凝らす。目の上に笠をつくっていた火輪が、耳元に手を戻した。


「音も、まだ続いていますね」


「ふうん――いったいなんだろうな」


 しばらく考えたのち、はっと頭の中にひらめいた記憶があった。あれはたしか、荒籠あらこと酒を飲んで語り合った晩のことだ。


 月がきれいな夜で、庭に出てふたりで盃を交わした。


 麁鹿火は馬に乗るのが好きだったので、馬飼の荒籠のことは師のように思っていたし、荒籠が聞かせてくれる大陸の話も好きだった。


 馬飼の技は、もともと大陸の技だ。荒籠の一族は百年ほど前に百済くだらから海を渡ってやってきた一族の裔で、いまでも一族のうちの何人かは海を渡って大陸に技を学びにいくのだとか。


 それで、荒籠は大陸のことにも詳しかった。大陸では大和よりずっと馬がよく使われていて、馬に乗った武人の群れ、騎馬軍というものがあるのだと教えてくれたのも荒籠だった。




『大陸ではこういうらしいよ。もしも遠くに砂煙があがったら、砂煙の高さが高い時は騎馬軍が来る時で、砂煙が横に広がっている時は歩兵の大軍が来る時――』


『へえ、なにが来るかを砂煙の高さで見分けるのか。それにしても、騎馬軍か。俺もいつか従えてみたいな――』




 麁鹿火の中で、勘が騒ぐ。


(砂煙だと? 道幅より少し広く、高く上がった砂煙……騎馬軍だ)


 咄嗟に部下を振り返り、命じた。


「道から遠ざかれ! 野に伏せろ! 馬に乗っている奴は馬を隠せ! 隠れろ!」


 それから、まもなく。地響きがわっと大きくなり、細く上がった土煙が近づいてくる。地響きにはいつか、聞き覚えのあるものを聞き取れるようになった。馬の駆け音だ。


「馬だ、馬だ……!」


 野原に伏せる兵たちの声から、悲鳴ともつかない声が漏れる。近づいてきたのは、馬の大群。どどどっ、どどどっと駆け音を響かせて、道幅より少し広がって野原の草をなぎ倒しながら駆けてくる。


 先頭を駆ける馬の乗り手には、見覚えがあった。


「河内の馬飼、荒籠の部下だ」


 駆け音とともに、目の前を通り過ぎていく馬、馬、馬。


 先頭から何頭か後ろを進む馬の背にまたがる友人の顔も見つけた。


「荒籠がいる。ということは、そばにいるのが――」


 荒籠は雄日子という男のそばにいるはずだ。そいつの顔を見てやる、そう思ったが、馬はすばやく駆けていくので、目を凝らした時にはすでに通り過ぎていた。


 荒籠のそばで草に隠れた火輪が小声でいった。


「なんという数の馬だ――。若、我々もすぐに追いかけましょう。連中が向かっているのは飛鳥です。都です」


「いや――」


 どどどっ、どどどっ――。こころなしか、駆け音が軽くなった。顔を上げて草の影から様子をうかがうと、馬の群れの雰囲気が変わっていた。いま目の前を通り過ぎている馬の群れには鞍がついていなかった。人も乗っていない。


「――人が乗っていない馬のほうが多い。つまり、替え馬だ」


 替え馬という言葉を麁鹿火に教えたのも、荒籠だった。




『早馬を走らせる時には、途中で馬屋に寄って走り疲れた馬と元気な馬を替えたほうが長い間速く走らせられるだろう? 戦をする時も同じで、替え馬が役立つんだ。ただ、乗り手がいない馬を逃がさずに連れていくには腕のいい馬飼がいるし、馬そのものの稽古も欠かせない。馬は飼うのがとても難しい獣だけど、人に一番近い、仲間なんだ』




(替え馬がいるのは速さを保つためだ。速さを求める理由はなんだ。飛鳥に長居する気はないはずだ。それなら走らせずに歩かせるか、もっと目立たない場所に一旦陣を張る。飛鳥をとおり越して木の国に向かう? ――あれだけの馬を連れて山越えはありえない。違う)


 慎重に頭の中で算じて、麁鹿火は考えを口に出した。


「連中は、飛鳥を攻め入るつもりはないはずだ。あの数の馬で長旅はできない。奴らの本拠地に戻るしかないから、連中はもう一度ここをとおって道を戻るはずだ」


(ならば――)


 麁鹿火は、震えた。あいつらと一戦交えてやる――そう思うと、緊張で胸が鳴る。


 騎馬軍は通り過ぎていた。駆け音と砂煙が遠のいていて、静かになった野原にはちぎれた草の香りや、巻き上げられた土の匂いが充ちている。


 身を潜めていた草の中から立ち上がり、麁鹿火は部下に命じた。


「道の真上に罠を張れ。急げ。奴らが戻ってくる前に仕上げて、隠れて待つんだ。馬の歩みが止まった時を狙って、襲え。もしも俺の考えが間違いで、大王おおきみの御身になにかあれば――その時は俺が死んで詫びる。急げ!」


 命令に従って動きはじめた部下たちを遠目に見ながら、麁鹿火は人知れず苛立っていた。


 騎馬軍というものをはじめてその目で見て脅えたせいもあったし、怒りが込み上げたせいもあった。


(あの数の馬すべてに戦い手が乗っていたとしたら――。なぜだ、荒籠。こんなに恐ろしいものを、なぜ俺でなく雄日子様に渡した)


 自分が騎馬軍に憧れていたのを、荒籠は知っていたはずだ。それなのにどうして――と、友人を恨む想いも込み上げたし、同時に、雄日子という男に敗北感も抱いた。


 いいや、そうじゃない――。雄日子という男のほうが、自分よりも先に騎馬軍の恐ろしさに気づいたのだ、と。



  ◆  ◇    ◆  ◇ 




 三百頭の疾走がはじまったのは、秦王はたおうの離宮を出て一日歩き、夜を過ごした後だった。


「ここからなら飛鳥までいって戻ってこられる距離です。動きはじめたらここに戻るまで休息はとれません。おのおの気を引き締めてください」


 出発の合図をしたのは、荒籠。


 日鷹ひたか帆矛太ほむたも戻ってきたので、一緒にいくことになった。セイレンもだ。荒籠からのお墨付きももらえた。


「稽古も毎日していたし、乗り方もまあうまくなったし、いいだろう。実戦はなによりの稽古になるしな。ただ、無茶はいけない。まずは人の手を借りずに乗り続けてみなさい」


 馬飼の先導で、騎馬軍が駆け出す。


 はじめは歩くような速さで、だんだん速さが増していくのは前と同じだった。


 速さが増していく間は気が逸るが、しだいに落ち着いていく。


 どどどっ、どどどっと地響きのように響く三百頭の駆け音と、強い風の音、それに、振動。それは前と変わらないのに、馬に乗っている苦しさは感じなかった。稽古を続けるうちに、早駆けに少し身体が慣れていた。


 騎馬軍が進んだのは野原につくられた大きな道だったが、山に囲まれたのどかな場所で、周りに広がるのは、こころなしか優しい景色。山々の稜線もなだらかで、山の背も低い。


 場所が変われば、景色も変わるんだなあ――。隣を駆ける藍十あいとおの頭越しに景色を眺めてそんなふうに思ってから、セイレンは、気づいた。


(わたし、景色を眺めてた――)


 疾風にしがみつくだけだった前の早駆けの時には、できなかったことだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る