海薫る赤の石 (2)
「――似合うな。おまえは濃い赤が似合うよ。娘らしくなった」
セイレンは気味悪いものを見るように、横目で髪飾りを睨んでいる。
「ええー? やだよ。わたしは男っぽいほうがいい。これ、重いし」
「男っぽいほうがいい? どうして――」
「だって、ここは男ばかりじゃないかよ。男っぽいほうが仲良くなれるだろ?」
幼い考え方だ。雄日子は笑った。
「おまえはかわいいな。――大丈夫だ。娘らしいほうが男連中と仲良くなれる場合もあるよ。たぶん
「どうして荒籠の話になるんだよ?」
「おまえこそ、荒籠の名を出したくらいでどうして不機嫌になるんだ」
「だって、わたしをからかうような顔をしてるんだもん。あなただけじゃなくて、
セイレンは眉をひそめているが、それには吹き出すしかない。
(それはおまえが、いまのような反応をするから)
「なんだよ、にやにやして。それにさ、あなただって、もしもわたしが男でも、あなたの守り人にしたでしょう?」
「なんの話だ?」
「男っぽいのがいいか、女っぽいのがいいかの話だよ。わたしが男でも女でもどっちでもよかったでしょう? わたしを守り人にしたのは、男みたいに強かったからでしょう?」
「――そうだな」
「でしょ? わたしが男だったら、あなただってもっとよかったでしょう? たぶん今よりもっと強くて、もっとしっかりあなたを守れたよ」
「なにをそんなに拗ねているんだ。なにかあったのか? おまえも忙しいな」
ころころと表情が変わるセイレンを見ているだけで、笑いが込み上げる。
セイレンが拗ねていようが、渋い顔をしていようが、鬱陶しそうに睨まれようが、雄日子は気にならなかった。セイレンがまんざらではなく、苦しんでいるわけではないと感じたからだ。
「セイレン、ここの暮らしは楽しいか」
「楽しいけど――どうしてそんなこと聞くの?」
セイレンの目が急に陰って、警戒している時の顔に変わった。
雄日子にとっては見慣れた表情だが、耳元に赤い髪飾りをつけてその表情をされると、なぜかいつもより責められている気がした。
「それは……」
「あっ――そうだよね。わたしが楽しいと、わたしがあなたのそばにいるもんね。わたしが逃げられないように、あなたはわざわざそういう場をつくっているんだもんね」
たしかに、セイレンとそういう話をしたことがある。セイレンは心底それを信じているのか、仕返しをしてやるとばかりに睨んできた。
「――そうだな」
信用置けない相手をそばに置くのが、雄日子は嫌いだった。
自分が知らないうちにいいようにされると思うと、幼い日のこと――はじめて「裏切り」というものを知った瞬間の焦りや、愕然とする思い――そういうものを思い出してしまうからだ。
『どうして?
何度尋ねて、どれだけ説明されたところで、納得できないことがあることもその時に知った。
近くにいる奴が妙なことをしないかと見張るのに疲れるくらいなら、裏切られないようにはじめから仕組んでおく――それは、雄日子が十の頃から続けてきたことだ。
部下のほとんどは、雄日子を助けて恩を売りたいと願っている。主に恩を売れば、いずれ報償となって自分にかえるからだ。そういう部下のために必要なのは、絶えず主らしくあること。そして、誰がなにをしたかを把握することだ。それも、雄日子はこれまでずっと続けてきた。
でも、セイレンは報償を望まない類の部下だ。そういうやつを支配する時には恐怖を使うべきだと思っていた。
一度恐怖を味わった後で、その恐怖をなくしてやると、人は穏やかな場所にい続けたいと願うものだ。恐ろしい場所には二度と戻りたくないと、新しい恐怖が芽生えるのだ。その恐怖を利用して、忠誠を誓わせる。
セイレンにも同じようにして、それがうまく働いたはずだった。しかし――。
ふと、すこし前に見た光景がよみがえった。幼い姉と弟がぼろぼろと涙しながらひれ伏しているところだった。
『もうしわけございません、雄日子様。ごめんなさい……』
目の前でがたがたと震える姉弟に「なぜそんなことをするのか」と寂しくなった胸の痛さも、ふいに湧いた。
いつのまにか、セイレンに問いかけていた。
「なあ、セイレン、もしも僕が――」
「もしもあなたが?」
セイレンは首を傾げている。さっきまであった苛立ちはまるごと取っ払われて、ただ不思議そうにぽかんと口をあけているので、また、笑いがこみ上げた。
(この子の顔は本当にころころ変わるな)
セイレンをそばに置いておくのは、たぶん好きだった。
セイレンにある素朴さにつられて自分もそれを思い出すような気もしたし、自分のほかには誰もいない広大な野原をそばに囲っているような――そういう奇妙な感覚もあった。
「……なんだろうな。なにかを聞きたかったが、なにを聞きたかったのかよくわからなくなってしまった」
「なんだよ、それ。へんなの!」
「本当だ。へんだな。――日が暮れてきた。さあ、戻ろうか」
セイレンをともなって、集落へ戻ることにした。
緑の野には爽やかな風が吹き荒れている。
ここに来たのは、疲れた頭を癒したかったからだ。
商いに戦、規模と、順序と速さ――考えることは山積みだし、いち早く結論を出して、自分に期待を寄せる大勢に伝えてやらなければならなかった。気は焦るが、焦りに任せて見落としがあってはならず、慎重さも必要だ。
ここへ来るまで、頭の中には、扱いにくい熱のようなものがあった。熱の中には「なぜ自分がこんなことをしなければならないのだ」という怒りや憎しみのようなものも混じっていて、こういう熱が自分に生まれたら、自然の風に吹かれない限りなかなか冷ますことができないものだった。
でもいま、その熱は冷めていた。
◆ ◇ ◆ ◇
「
飛鳥の都から難波を訪れていた若い武人、
「私も心底そう思っておりますよ。私があの人の女遊びの尻ぬぐいなどを喜んでやっているとお思いですか!」
「そんなことをいわれてもだなあ――」
まずい、と麁鹿火は思った。
山辺の妻はきいきい声で喚いていて、こちらの不満などきいてくれそうにない。
女の愚痴ほど面倒なものはないなあ――。そもそも、妻にした女がこういう女だから、山辺も女遊びにかまけるようになったんじゃないのか?
俺も妻にする女を選ぶ時は、慎ましくて男を立てるしっかり者をちゃんと選ぼう、うん、そうしよう……。
つい上の空になって、まるで関係のないことばかりを考えてしまい、山辺の妻の話は右から左。ほとんど耳に入ってこなかった。
「ですから、麁鹿火様。あの人は私に隠すつもりで内緒で出ていったのでしょうが、いくらなんでも十日も戻ってこないのはひどすぎますよ! 河内の馬飼のところに話があるといっていましたが、ゆっくりいっても二日もあれば戻ってこられるでしょう? 私はですね――」
「わかったわかった! なら、俺が河内の牧までいって見てきてやるから。もしかしたら、まだ馬飼のところにいるかもしれねえよ?」
「馬飼の牧なんて色気のない場所に、あの人が十日も泊るなんて思いませんけどねえ?」
「いやいや、ほら、あいつは意外にお役目熱心だしさ。ま、いってみるよ。いまからいけば明るいうちに着くだろうし。というわけで、先を急ぐから、失礼!」
「待って、麁鹿火様――!」
早口で喚く女から逃げ出すように、若い武人、麁鹿火は連れていた馬に乗って難波津の門を目指した。
かかっ、かかっと蹄の音を響かせつつ難波津の街道を駆けるうちに、うしろから駆け音が追ってくる。飛鳥から共にやってきた部下だった。
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