海薫る赤の石 (3)
並走すると、部下の男は眉間にしわを寄せつつ文句をいった。
「
「ああ、だめ?」
「だめ……と申しますか――。あなたは
「おまえは頭がかたいねえ」
馬上で、麁鹿火はくっくっと笑った。
「俺は山辺の行方なんか知ったこっちゃねえし、あの女のいうことを真に受けたつもりもねえよ。ただ、河内にいくいい口実ができたから乗っただけだって」
「河内にいくいい口実?」
「河内の牧には
「荒籠といいますと、河内の
「ああ、あいつと話すのが俺は好きなんだ。年は近いし気も合うしさ、友達だよ」
「友達などと――あんな馬飼、あなたとは身分が違いすぎます……」
「んなことないって。親父が、飛鳥に騎馬軍をつくる話に乗り気なのは知ってるだろ? いずれ親父は荒籠を飛鳥に呼んで、騎馬軍の長にさせると思うよ。そうしたら荒籠の身分だってぐんと上がるよ。ていうか、俺が長になったら間違いなくあいつの身分は上げるね。――まあ、つまりは、俺はただ荒籠に会いたいんだよ」
草原を吹き抜ける風を頬で切りながら、麁鹿火は器用に馬を駆けさせた。
一行が進む道の果てに、河内の牧の集落が小さく見えている。集落の周りは一面が野原で、そこへ向かって続く道の周りにも牧が広がっている。しかし、その日に限って馬は一頭も姿が見えなかった。
「今日はやたら馬がすくないですね。天気もいいし、前はこのあたりまで馬が群れていて草を食んでいた気がするのですが……」
「うーん、荒籠のやつ、どこかに出かけてるのかな。――しまった……あいつが大和で一番捕まえづらい男だってのを思い出したわ。そこらじゅう出かけてるんだもんなぁ。馬の数もすくねえし、このぶんじゃ馬の群れを連れてどこかに出かけてんのかな……」
「――おやおや。せっかく来たのに無駄骨ですね? 結局あの女のいいように使われたじゃありませんか」
「うるせえなあ。行方不明の役人を探すのも武家の大事な仕事だろ? なんだよ、おまえは山辺がどうなってても興味ねえってわけ? 薄情なやつだな」
「さっきは山辺の行方なんて知ったこっちゃねえっていってたくせに――! あなたは本当に調子がいいんだから……」
「どうもすみませんねえ。――仕方ないだろ? ここまで来ちまったんだからいくしかないよ」
馬上で笑いまじりにやり取りをしつつ道を進むが、牧の集落に近づいていくにしたがって、麁鹿火の表情が曇っていった。
「様子がおかしいぞ――」
河内の集落にいたるまで、馬の姿は一頭もいなかった。馬どころか、人もいない。
集落の門が近づいても、その奥の風景の中に動くものは一つとしてなく、あるのは無人の館だけだ。馬と人だけでなく、物もなかった。米や果物を蓄える倉の中はからっぽで、馬具はおろか、桶や炊ぎ道具すらない。すべてが消えていた。
集落の中に入ると、麁鹿火も部下たちもぽかんと口をあけた。
「これは――いったいなにが起きたというのだ……」
「――あれは」
かつ――。麁鹿火がふたたび馬を進ませる。向かった先は集落の中央にある大庭。河内の長をつとめる荒籠の父親が暮らす大きな館のちょうど正面に、ぽっかりと空いた広場があった。
庭の土はきれいにならされていた。まるで、そこにあったなにかを隠すかのように――。その土の上に、麁鹿火は赤黒い染みを見つけた。はじめは小石かと思ったが、視線を落とすなり、ぞっと背筋が冷えた。
「これは……血か?」
小さな染みを目にした瞬間、頭の中でなにかが弾けた。突き動かされるように馬を走らせると、無人の集落を抜ける。
麁鹿火は、集落の裏にある広場を目指した。たしか、そのあたりに物を焼くのに使われた広場があったはず――。何度かここへ来た時のかすかな記憶を頼りに馬を駆けさせ、たどりつく。広場の中央には石を積んだ
馬から下りると、灰の中に手を入れる。黒くなった木片や、真っ白になった鳥の骨に、焼け残った小枝――。それに混じって、黒く塗られた木片のかけらを見つけた。
気になったのは、その黒色に見覚えがあったからだった。指でつまみ上げて見ても、それは記憶にあるのと同じ色をしていた。
「飛鳥の馬具だ。山辺のだ――」
なぜ馬飼の集落の奥で、灰の中から飛鳥産の馬具のかけらが出てくるのか。なぜ、山辺の足取りが途絶えたここで、山辺の馬具が燃やされていたのか?
考えたくはないが、理由は一つしか思い当たらなかった。
焼き場の周りに目を光らせる。すると、広場の隅、大きな
「――掘ってみろ。掘るんだ」
追いついてきた部下に命じながら、麁鹿火は目に涙がたまっていくのを自分で感じた。
結局、いてもたってもいられず、自分も手を泥だらけにして土を掘った。すると――土の中から出てきたのは、想像したとおりのもの。もう動くこともない山辺の亡骸だった。
「………」
麁鹿火の頬に涙が伝った。掘り起こされた穴のきわに立ちつくしているあいだ中、肩も頬もぶるぶると震えた。
涙の理由は、山辺の無残な死ではなかった。それよりも苦しかったのは、山辺が死んだのが、ここ――荒籠の牧だったということだ。
山辺の死には、荒籠とかかわりがあるということ。なにが起きたのかは知らないが、とにかく荒籠が飛鳥を裏切り、飛鳥の使者に手をかけたということだ。
「――これは、謀反か……。なんと、河内の馬飼が、恐れ多くも
袴も手も泥だらけにしつつ、部下たちも麁鹿火と同じものを見下ろして声を震わせる。
麁鹿火はついに立っていられなくなった。地面によろよろと膝をつき、声にならない声で悲鳴をあげた。
「――なぜだ、荒籠……なぜだ……!」
親しい友人が、突然敵になった。
それがどうしようもなく腹立たしく、哀しかった。
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