密談 (2)

 

 藍十あいとおは、荒籠あらこの友人ということになった。


「いいか。笑顔を絶やさず、別れ際には手を振って――。俺は使いが待つ館へ向かうから、俺と別れた後でおまえは雄日子おひこ様のもとへいってくれ」


「わかりました」


 広々とした野を横切って集落の方角へ向かうあいだ、荒籠と藍十は談笑する芝居を続けた。


 集落に入ると、馬飼うまかいやその妻の女たちが行き来をするようになる。


 雑踏の奥に門が見えて、そこに馬が二頭繋がれている。馬の手綱を持っているのは、荒籠の部下の馬飼。部下と目で合図を送り合った後で、荒籠がいった。


「使者はもう向かわれたようだ。一緒に館の前まできなさい。館の前にそいつらがいたら俺が気を引くから、その隙に雄日子様のもとへ――」


 段取りを決めて、連れだって歩く。


 集落の中央を通る道に沿って奥へ。やがて、周りにある中でひときわ大きな屋根をもつ建物が眼前に迫る。館の正面は広く空いていて、大勢が集まれる庭になっていたが、そこに、紫草染の衣装に身を包んだ男が二人立っていた。そばには馬飼の千樹ちきがいて、荒籠と藍十がやってくるのを見つけると、笑顔を浮かべて二人に頭を下げた。


「お頭に、藍十様」


 千樹も芝居に乗ったらしい。近づくと、荒籠は使いのうちの一人に軽く頭を下げた。


「これは、山辺やまべ様。お久しぶりでございます。いったい今日はなんのご用でしょうか」


 二人の男のうち、荒籠に威張っているのは片方だけだ。もう一人は下男だった。


 山辺という男は荒籠に会釈をしつつ、藍十をじろじろと見た。


「荒籠様、お久しぶりでございます。なにやら牧に馬が増えていますな。武人も増えているようですが――その男は?」


「彼ですか? 彼は藍十といいまして、秦王はたおうから預かっているのです。秦王が牧のおさになれる若者を育てたいとご所望で、このたび河内かわちへ――」


「藍十と申します」


 藍十も、その場で膝をついて深く頭を下げた。


「いまもちょうど馬の育て方について牧で話していたところです。――悪いが藍十、続きは後だ。俺は山辺様と大切なお話があるから――」


「はっ。山辺様、失礼いたします」


 荒籠がいった嘘に乗っかって、藍十は一礼をして背を向けた。


 藍十のうしろ姿を目で追いつつ、山辺という男はぶつぶついった。


「秦王が新しい牧の長を育てるなど、牧を増やすつもりでもあるのか? 秦王の領分は絹と船であって馬ではなかろうに。それに、いまの藍十という男、馬飼にしては身体が武人のようではないか」


「さあ――俺も詳しくは聞いておりませんが……まあ、館の中へ入りましょうか。父も待っておりましょう」


 荒籠の案内で長の館に入ったのち、山辺が二人にしたのは馬の話だった。


「実はな、ちょうど草香津くさかつにおったら、馬の大群が駆けていくのを見てな。あれほどの馬を走らせるのは河内の馬飼だろうと、なにがあったのか聞きにまいったのです」


「それは、お騒がせして申し訳なかった。秦王のところの雌馬はここで生まれた馬ばかりなので、一度里帰りをさせたんですよ。いい時期なのでね」


「しかし、いつもは走らずに歩いていかれるだろう」


「馬飼見習いを何人か預けたいといわれたので、せっかくなので駆けたのです。遠乗りは馬術の良い稽古になりますからね」


「馬飼を何人も預けたと? 秦王はいったいなにをお考えなのか。もしや――」


 山辺は苦虫を噛み潰したような渋面をしている。


 内心、荒籠はまずいと思った。


(秦王の名を出したのはまずかったか。秦王にも矛先が向いてしまう。秦王が難波津なにわつが使えずに困っていたことを話そうか。そうすれば、水運のほかに馬を欲しがっていると納得してもらえるだろう――いや、それはだめだ。陸の道を使うなら、その道は高島に通じる。雄日子様の存在に感づかれてしまう。この男ではなくとも、飛鳥にこの話を持ち帰れば誰かが疑う――)


 いまごろ赤大あかおおは雄日子に、大和の使者のことを尋ねているはずだ。この男の口を封じるべきかどうか――つまり、ここで殺してしまうべきかどうか。


 他愛のない話を続けてしばらく経った頃、山辺が帰るといい出した。


「秦王の馬が二百頭か――大陸の方は馬をよく使うときくが、さすがは百済くだらの方。馬がお好きなようだな。しかし、荒籠様。わかっているだろうが、ここで良い馬が生まれたらまずは大王おおきみに捧げるのだぞ。いくらその親が秦王の馬でもだ」


「もちろんでございます」


 館の外へと続くきざはしを下りながら、会話を続けた。


 すると、階の先――ちょうど庭の真ん中あたりに藍十の姿がある。藍十は道を塞ぐようにして立っていた。


 荒籠は雄日子の意図を悟った。


(わかりました。この男の口を封じろとご命令ですね)


 藍十も雄日子のもとへ向かっていたはずだ。つまり、藍十がここにいるのはなんらかの雄日子の意志によるもの。


 山辺は能天気に腹を立てている。


「おまえはさっきの馬飼見習いではないか。私の正面に立つなど無礼な――」


 叱声を浴びせる山辺を無視して、藍十はその背後にいた荒籠をじっと見つめている。そして、問いかけた。


「あなたの意見を聞きたい」


 問いかけは短かった。でも、荒籠は意味を解した。


 藍十がいうのは雄日子の言葉だ。


 自分はその者の口を封じたほうがいいと考えるが、自分より詳しくその男のことを知るおまえはどう思うかと、雄日子が尋ねているのだ。


 荒籠は答えた。


「仕方ありません」


「御意」


 その後は早かった。館の左右に武人が数人隠れていて、さっと姿を現す。藍十も剣を抜き、そのまま――山辺という男とその下男は、悲鳴をあげるまもなく息絶えた。








「後を頼む。馬も殺して肉にしろ。馬具も焼け。あの使者はここにはこなかった。――各々、そう思うように」


 始末を部下に任せると、荒籠は階を下りた足で隣の館へ向かった。そこは、雄日子の休み場になっている。


 館の中では雄日子が上座であぐらをかいていた。すぐそばに角鹿つぬがが控えている。


 荒籠が入っていくと、雄日子は微笑を浮かべて「こちらへ」といった。もちろんそのつもりだ。颯爽と歩いて雄日子の正面に向かうと、腰を下ろした。


「使者は死んだのか」


「ええ、仕方ありませんでした」


「使者の名は? 平群真鳥へぐりのまとりの使いときいたが」


「山辺と申します。供をしていた下男の名は、たしかスズだったかと――」


「地位は上か」


「それなりに――。難波津での赴任を任されています」


「なら、戻らなければ行方を詮索されるだろうな。――あまり時間がないな」


「――そうですね」


「角鹿、黒杜くろもりを呼んでくれ」


「はっ」


 一度館を出ていった角鹿が黒杜を連れて戻ってきた時、うしろには赤大が続いていた。黒杜と赤大が荒籠の隣に並んで座った後、雄日子は命じた。


「黒杜、高島に戻り、祖父に報せをしてほしい。軍を旅立たせる支度を頼んでくれ。行き先は、ひとまず河内。詳しい場所は早々に決めると、そう伝えてほしい」


 荒籠は聞き返した。


「軍を?」


 軍を旅立たせるということは、つまり、戦の支度だ。


 命じられた黒杜は、深く頭を下げている。隣であぐらをかく赤大と角鹿も動揺を見せることはなかった。


 戦の支度をせよという命令をきいても顔色一つ変えないということは――。


「雄日子様、もしや、あなたが高島を出たのは――」


 雄日子は微笑んでいた。でも、目は冷たい。その目と目を合わせると、すう――と、荒籠は長い息を吐いた。雄日子の狙いがようやくわかったと、そう思った。


「あなたが高島を出て難波なにわにいらっしゃったのは、商いのすべをたしかめるためだけじゃない。あなたがご覧になりたかったのは、地の利だ。どこからどう攻めてどう守るか――。あなたは攻め方を考えていらっしゃるのだ。――まさか、本当に飛鳥へ攻め入るおつもりですか」


 雄日子は荒籠をじっと見つめている。その唇の端があがった。


「僕が樟葉くずはを欲しがっていると、おまえは気づいていただろう?」

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