密談 (1)

 身を寄せた先の荒籠あらこまきで、武術の稽古が始まった。


「しばらく旅続きで身体がなまっているだろう。しっかり励めよ!」


 藍十あいとお日鷹ひたかに並んで、セイレンも男の列に混じる。


 拳を正面に突き出したり、宙を蹴りあげたり、地面に伏して腕のししを鍛えたり。隣に並んだ藍十の見よう見まねでやってみるが、男の鍛錬についていくのはさすがに骨が折れて、腕を突き出す速さが遅くなったり、身体を支える腕が曲がってしまったり、なかなかうまくいかない。目立っていたのか、稽古の見回りをしていた護衛軍のおさ赤大あかおおがそばまでやってくるほどだ。


「おまえは別の稽古のほうがよいのかもなあ。故郷の里ではどんな稽古をしていたんだ。それをやってみろ」


 結局、列の外に出されると、土雲の一族でやっていた武術の稽古を披露することになる。


 腕を突き出したり、足を蹴りあげたりという基本の動きの稽古が、土雲の一族にもあった。藍十たちがやっているのと似ているが、違うところもある。土雲の一族の基本の動きは、すばやくて細かかった。目立つのは、腕を曲げて肘で虚空を突く動きや、両腕を前で交差させる動き。


「なるほど。おまえの武具は小刀と吹き矢だものなあ。おまえの一族の動きは、間合いの近い武具で戦うものだ。相手に近づいて急所を狙う法か――」


「ううん、里の男はあなたたちみたいな動きもしていたんだ。でも、わたしに武術を教えてくれた師匠の爺が、わたしは身体が小さいから、力じゃなくて首筋とか背中とかを狙って外さない方法を覚えろって――」


「人を一撃で倒す武術を習ったというわけか」


「人じゃなくて獣だよ。わたしたちが戦う相手は狩りの獣だったもの」


「そうだった。失礼した」


 赤大は笑った。


「なら、セイレン。一度手合わせしようか」


「あなたと?」


「ああ、そうだ。こっちへ」


 勇ましく声を揃えて稽古に励む武人の列から離れると、赤大はセイレンに自分と向かい合って立つようにいった。そして、構えの姿勢をとる。


「私を倒してみろ。殺さない程度に手加減はしてくれよ」


「うん――」


 セイレンも腰を落として、構えの姿勢をとった。狩りたい獣を相手に手加減をした覚えはないが、武術の稽古の時に人と戦った覚えはある。どうにかなるだろう――そう思っているうちに、赤大が声を発した。


「はじめ」


 その声を合図に、赤大とセイレンが互いに動き出した。


 赤大は齢が三十半ばで、若者が多い護衛軍の中では年上のほうだ。男盛りのししに覆われた逞しい身体は、武人の長の名に恥じない。腰を落として一歩一歩近づいてくる赤大に向かって、セイレンもゆっくり近づいていった。


 セイレンの戦い方は、一撃必殺。できれば赤大の背後をとって首筋か背中に手刀か肘を打ち込みたい。じわじわと間合いを詰めてくる赤大に対して、セイレンは前後に跳ねるような動きで近づいていく。


 一瞬隙があれば、飛び跳ねて背後に回ってやる――。赤大はそれを読んでいるのか、ひゅっと背後に飛び跳ねようとすると、背中を庇うように身体の向きを変えてくる。


(背後には回れないか。なら――懐に入って腹を殴りつけるか……)


 セイレンよりずっと身体が大きい赤大は、背の高い肉厚の壁のように目の前に立ちふさがる。ならば――と、セイレンは飛び跳ねる向きを変える。赤大の胸の前にしゃがみ込んだ一瞬に腕を構えて、拳を上へと突き上げた。狙いは外さず、赤大の腹に拳が当たる。でも、ぎくりとして青くなった。


(手ごたえがない)


 思っていたより、赤大の腹はずっと硬かった。鍛えられた筋のせいだ。


 ここを殴っても勝てない――。焦って後ろへ退こうとした瞬間、身体が跳んだ。赤大に手首を捕まえられていて、両足が浮く。足を払われて身体が宙で横になっていた。


 一瞬のことに驚いて口をあけているあいだに、肩に痛みが走る。地べたに落ちていた。正面に見えた赤大の顔のうしろに青空が見えた。倒れ込んだセイレンを、赤大が上から見下ろしていた。


「私の勝ちだ。起きなさい」


 赤大はセイレンを立ち上がらせるなり構えの姿勢をとらせて、両肩を押さえつけてくる。


「姿勢を下げなさい。おまえの戦い方だと足腰が強くないといけないな。腰を落として、この姿勢で跳ねる稽古を毎日しなさい。それと、戦法がすくなすぎる。背後をとれなかったら正面突破しか手が思いつかないのでは、少々お粗末だ。藍十にいっておくから、あいつのやり方を学びなさい」


 手首の動きが甘いとか、腕の振りをもう少し大きくとか、赤大はほかにもことこまかに指示をした。手首をとられたり、姿勢を正すのに背中を押されたり、されるがままになりつつ、セイレンは目を見開いた。


「いま戦っただけで、そんなにわたしのことがわかったの?」


「私は護衛軍のおさ、守り人の長だぞ」


 赤大は笑って、セイレンの胸元を見下ろした。そこには胡桃ほどの大きさの石飾りが垂れている。


「吹き矢やその石を使ってこそおまえは男相手でも十分戦えるのだろうが、道具がなかったら、雄日子様の守り人としては務めを果たせまい。吹き矢も小刀もその石を使うのも結構だが、武術の稽古にもしっかり励まねばなるまいな」


「――わたし、弱かった?」


「弱くはないが、強くもないな。武具がなければ、藍十や日鷹、帆矛太ほむたにはまず勝てまい。もしかしたら雄日子様にも負かされるかもしれんな」


「雄日子に負けたら、守り人の意味がないじゃないか」


「命を投げ出して、その身を盾にすることはできるかな」


「盾に? やだよ、そんなの」


 ふくれっ面をすると、赤大はやれやれと苦笑する。


「馬上でおまえと相対したら、もっと早く負かせたと思うぞ。おまえは馬上での戦い方は知らんだろう? まあ、稽古に励みなさい」


「――」


「そう落ち込むな。知らないだけなのだから覚えればいい話だ。それに、女でここまでできれば上等だ。男と戦える女というだけで、守り人になれる素質はあるのだか……」


「女でここまでとか、そんなのは関係ないじゃないか。だって、戦う時に男か女かってことが必要か? 女だからって鹿や猪はわたしに手加減しないし、あなただって、敵に女がいて、そいつが雄日子を殺そうとしたら手加減しないだろ?」


「――そう思うなら稽古に励みなさい。今日の稽古はもう終わるがな。――おい、みんなご苦労。いったん終わろう。あとは各々で――」


 赤大は、稽古に励む武人の列を振り返る。


 今日の稽古はこれで終わり――声がかかると、男たちは頬に落ちる汗を上腕で拭ったり、むき出しの上半身をしまうように腕に袖を通したりと、終わりの支度をはじめた。ししのついた太い腕や肩、盛りあがった裸の胸のあたりが目に入ると、セイレンは悔しくてたまらなくなった。


 ふつう、娘は胸元を隠すものだ。そいつらのように衣を脱げない女の自分が悔しかった。素肌を晒したとしても、そいつらほど逞しい筋はセイレンにはない。


 思わず、逃げるように赤大に背を向けた。


「――赤大、稽古をつけてくれてありがとう。早駆けの稽古をしてくるよ」


 馬術も、セイレンはここにいる連中ほどうまくない。だから、手が空いたらいつでも稽古をするようにと、牧の馬を借りることを許されていた。


 牧の端に点々と建つ馬屋のひとつを目指して走りながら、唇を噛んだ。女であることが悔しかった。


 幼心に抱いた悔しい気持ちも、ふいに思い出す。そういえば、物心ついた時から、セイレンは男になりたかったのだ。


(男に生まれたかった。そうしたら石媛と比べられずに済んだのに――)



  ◆  ◇    ◆  ◇ 



 緑の野に消えていくセイレンのうしろ姿を目で追ってから、武人の列を振り返った時、赤大は同じものを見つめる藍十の姿を見つけた。


「あの子が気になるのか。おまえは面倒見がいいな」


「そりゃあ――。おれにセイレンの世話をさせてるのはおやっさんだろ?」


「ああ、おまえで適任だったな。――あの子に稽古をつけてやれ。山育ちの娘にしては戦えるのだろうが、雄日子様の守り人としてはまだまだだ。身が軽いが、姿勢がなってない。基礎がないからだ」


 すれ違いざまにぽんと肩をたたき、稽古場になっていた野から館へ戻ろうと、赤大が足を進めたその時。野の向こう側、ちょうど今から向かおうとしていたあたりから、急ぎ足でやってくる男の姿が目に入る。身なりからして、この野を本拠地にしている河内かわち馬飼うまかいだ。しかも――。


「あれは、荒籠あらこ様――なにかあったかな」


 駆け出そうとした赤大を、やってくる荒籠は平手を掲げて止めた。


「動くなとおっしゃっている。様子がへんだな。なにか起きたか――」


 合図に従ってその場で待っていると、荒籠は赤大のそばまでやってきて耳打ちをした。


「いますぐ雄日子様のもとへいってください。でも、けっして野にいるうちは走らないでください」


「野にいるうちは走るな、とは――」


 赤大の目が追った先は、野の向こう。館が集まっているあたりだ。そこには、荒籠やその父をはじめ、馬飼の一族が暮らす集落がある。


 館の連なりの向こうに、門が見える。門の奥は一族の集落の外で、広大な牧の中央につくられた一本道が見えている。その果て、ちょうど荒籠の牧の入口になった門のあたりに、馬に乗った男の姿があった。馬の影は二つあり、馬に乗っている男は両方とも大和風の衣装を身につけている。しかも、武人ではなく、宮仕えをする男が身にまとうものだ。


「あれは――」


「大和から難波津なにわつに派遣されている役人です。用があったとかで俺を訪ねてきました。ここに雄日子様がいると知られてはまずい相手です」


「――どなたの使いですか」


平群真鳥へぐりのまとり。飛鳥の大臣おとどです」


 平群真鳥。それは、飛鳥の都で最も大きな力を持ち、大臣として大王おおきみに仕える男の名だ。


 これまで何度となく雄日子の暗殺を命じたのも、その男。もしも雄日子が飛鳥に入れば、まず地位を脅かされるのがその男だからだ。


「たしかに。雄日子様が高島を出て河内に――いえ、あなたのもとにいると知られたら面倒ですな」


「謁見は父の館――雄日子様がお休みになっている館のすぐそばです。裏から回って雄日子様のもとへ向かってください。ですが、けっして目立たないよう。雄日子様の居場所を案内しているようなものです」


「わかりました。――藍十、おまえは荒籠様といけ」


 二手に分かれる話が済むと、別れ際に、荒籠は赤大の目をじっと見つめた。


「赤大どの。その使いは、飛鳥に戻ればなんらかを喋るでしょう。ここに秦王はたおうの二百頭の馬がいて、そのうえ見慣れない格好をした武人が百人も増えているのです。――雄日子様にお尋ねしてほしいのです。その使いの口を封じるべきかどうか、と」


 目配せをかわして、赤大は小さくうなずいた。


「――御意」


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