疾走 (3)

 セイレンが背中にしがみつくので、藍十あいとおはぶつぶついった。


「そんなに顔を押しつけるなって……おまえ、ちょっと――。なんか尻尾がついた気分だ――」


 でも、セイレンの耳には入ってこない。寝ながら起きているような気分で、なぜか顔を隠したかった。


「しかたねえなあ。いいからそのままついてこい」


 はじめこそ慌てていた藍十も、すぐに慣れる。右手で疾風の手綱を引きつつ、器用にセイレンの案内役をつとめた。


 藍十の足がいきついた先は、小さな館。草原に点々と建っていたうちの一つで、中には日鷹ひたかの姿がある。もう一人青年がいて、壁沿いに並んでくつろいでいた。


「セイレン、どうした。なにかあった?」


「恋に落ちたんだと」


「恋って? 風邪だって!」


「と、本人はもうしておりますが。たぶんだけど風邪ではないと思うな、うん。――ほら、セイレン。話ができる場所にきたぞ。いいから落ち着け。な?」


「へえー、相手は誰だよ。もしかして――」


「荒籠様だってさ」


「えっ――? なんだ、違ったか。俺はてっきり――」


 日鷹がにやにやと笑って、乗り出していた身をすこし引っ込めた。


 藍十はよく笑う男だったが、日鷹はもっとよく笑う男だ。いまも面白いおもちゃを見つけたとばかりににやけているので、セイレンは居心地が悪くなった。


「――なんだよ。どうしてそんなに楽しそうなの? わたし、なにかへんなことをしたか?」


「そりゃ、おもしれえよ。こういうのって旅の楽しみの一つだよな。――で、荒籠様となにがあったんだ?」


 気は引けたが、聞かれるままにセイレンは答えた。


「いい女だなっていわれたんだ。磨けば光るって。でも――なあ、『いい女』ってどういう意味?」


「女としてなかなかいい感じ、魅力的って意味だろ」


「女として? ふうん? じゃあ、磨けば光るは?」


「いまに途方もないくらいのいい女になるってことだろ。へえ、よかったなあ。すごく褒められてるぞ」


 日鷹はうんうんとうなずいたが、藍十は不安げな真顔になる。日鷹の隣に座っていた青年に相談を持ちかけた。


「なあ、帆矛太ほむた――これってさ、荒籠様が口説き文句を暴露されてるわけじゃないよな。もしそうだったら辱めだぞ。かわいそうだ――」


 藍十は荒籠を心配しているふうだったので、セイレンもわからないなりにはっと口に手を当てた。


「えっ、いっちゃ駄目だった?」


 日鷹は笑い飛ばした。


「いいよ、大丈夫。面白いから」


「――そうなの?」


 よくわからなかった。いまの話が面白いのかどうかもわからなかったし、面白ければ話してもいいという考え方も、よくわからない。


「へええ、相手は荒籠様かぁ。セイレンの好みはああいう男なのか。雄日子様はどうなさるかな。嫉妬されるかな」


 嫉妬という言葉なら前に聞いたことがあるけれど――と、セイレンは首を傾げた。


「嫉妬って、あれか。馬を取られて悔しいってやつか」


 藍十が小さくうなだれる。


「まあ――普通は、馬をとられてっていう意味には使わないんだけどな」


「で、セイレン、いつのまに荒籠様とそんな仲になったんだよ。どこで口説かれたんだ?」


「口説……? いまの話なら、さっきの早駆けで一緒に馬に乗せてもらった時に――」


「えっ、セイレン。共乗りで惚れたのかよ!」


「惚れ……?」


「えーっ、でもさ、俺だって前に乗せてやったじゃないかよ。ほら、高島の離宮に駆けつける時にさ、一緒に馬に乗ったろ? あの時も今みたいに赤くなったりした?」


「しないけど」


「だよなあ。知ってたけど悔しい。聞きたかっただけだけど、悔しい」


 日鷹は腹を抱えて笑っている。さすがに、むっと顔をしかめた。


「そこまで笑われることか?」


「だってさ、誰が誰に惚れたみたいな話は辛気臭い旅の途中じゃ癒しだよ。なあ、ほむほむ」


 日鷹が相槌を求めた相手は、日鷹の隣であぐらをかく青年。青年はむっと眉根をひそめた。


「――その呼び方はやめてくれないか」


「じゃあ、ほむ」


「――あまり変わらない」


「いいじゃないかよ。俺とおまえの仲だろ?」


「どんな仲だっけ?」


「いいから! なあ、荒籠様ってどんな方なんだ? 飛鳥まではるばる口説きにいってたのはおまえだろ?」


 「荒籠」という名が出ると、癖のように耳がぴくりと動く。目も「ほむ」と呼ばれた青年の顔を夢中になって追いかけた。


 その青年は、顔つきが藍十や日鷹とすこし違った。肌の色が白く、目尻がすっと上を向いていて涼しげな印象がある。


 セイレンの顔が向くと、青年も顔を上げてセイレンと目を合わせた。そして、几帳面にすこしうつむく。


「俺は、雄日子様の守り人の一人、帆矛太ほむたです。あなたのことは日鷹と藍十から聞いています。今後、どうぞよろしく」


「――セイレンです。よろしく」


 挨拶を終えると、帆矛太は日鷹に視線を戻して話を続けた。


「荒籠様ならすばらしい方だよ。雄日子様に仕えていなかったら俺はあの方についていったかもなあ」


「へえ。で、なにがすごいの。どんな感じがすばらしいの? 手っ取り早く説明してよ」


「真面目に聞く気あるのか?」


 せっつく日鷹に釘をさしつつ、結局帆矛太は日鷹に答えなかった。


「雄日子様のもとへ荒籠様を案内した後、荒籠様のおそばに呼ばれてさ。雄日子様に引き合わせてくれてありがとうって頭を下げられたんだ。その時におっしゃっていたのが、『男に惚れたのははじめてだ』だってさ。『しかも、一目惚れだ』だってさ。強い人が強い人に惹かれるっていうのはこういうことなんだろうなあって思ったよ。あのお二人が打ち解けるの、ものすごく早かったしね」


 セイレンは、これ以上はないというほどの渋面をした。


「ねえ、一目惚れってなに? 一目見て好きになるって意味? 荒籠様が、雄日子に?」


「セイレン、凄い顔になってるけど……。俺いま、いい話をしてたつもりだったんだけどなぁ……?」


 帆矛太は呆れ顔をした。日鷹は肩を震わせて笑っている。


「おまえ、もしかして雄日子様相手に妬いてない? そこだけやたら鋭いし。そうだ、絶対そうだ。おもしれえ、セイレンの恋敵は男かよ」


「恋敵?」


 ふくれっ面をするセイレンに帆矛太は苦笑して、肩をすくめてみせた。


「雄日子様から荒籠様を奪いたいなら、あなたはかなりの努力をしないとだめだろうね。しばらく高島を離れていたから、久しぶりに雄日子様に会ってあらためて思ったけれど、雄日子様ほど攻めの姿勢を崩さない方は、ほかにいないね」


 冗談の続きなのか本気なのか。帆矛太は淡々といった。


「穏やかに見えるけれど、あの方の目は、その先にあるなにかを常に攻め続けていらっしゃるよ。だから、荒籠様は、出会ったその時に仕えると決めたんだろうね。荒籠様も常に攻め続ける方だけれど、きっと、雄日子様はご自分以上だと思ったんだよ」



  ◆  ◇    ◆  ◇ 



(あの方が私の夫? 大地の神が――)


 いつか自分の夫になる男のためにつくり上げた宝珠を洞窟の暗闇に捧げてからというもの、石媛は、小さな館に閉じこもって過ごしていた。


 その宝珠を得て男の姿を得た神は、こういった。


「逢引の場はここだ。たびたび、ここへ会いに来い。よいな?」


 その声は、低い場所から吹きあげる湿った風のようだった。ふとした瞬間に耳が思い出すと、冷たい湿り気にぞっとして身体が震えてしまう。


 だから、それから十日後、石媛が籠った館に土雲媛がやってきて、その神に会いにいくようにいわれると、生きた心地がしなかった。


「大地の神がおまえをお呼びです。くれぐれも失礼のないよう――」


 土雲媛は石媛の祖母。血のつながった婆様とはいえ、土雲媛は厳しく、石媛を甘やかすことはほとんどなかった。でも、いま一番いきたくない場所へいけという祖母に、石媛はどうしても逆らいたかった。


「でも、お婆様――」


「口ごたえは許しません。フナツに供をさせますから悪いことは起きません。――それより」


 土雲媛は石媛に顔を近づけ、声をひそめた。


「おまえが禁を破って、授かった宝珠をあの若王に渡してしまったことは、決して悟られてはいけません。いいですね、石媛。神といえど、そして、おまえの夫となる方といえど、必ず騙し通しなさい」


 土雲媛がしたのは、いずれ土雲媛となる稚媛わかひめがもつ宝珠の話だった。


 石媛は、ある日にその宝珠を失くしていた。その日に出会った青年に渡してしまったせいだ。


 勘のいい祖母にはきっと感づかれているだろうと薄々思っていたが、こうもはっきりいわれると、いい返す言葉がない。唇を噛んでうつむいた。


「みずからが招いたことです。おまえは土雲の姫にあるまじきことをして、大地の神を裏切ったのです。こうなった以上、心から神にお仕えなさい。でも、決して真実を話してはいけない。神の怒りを買えば土雲は滅びるかもしれないし、おまえも生きていられないでしょう――」


「はい――」


 震える顎を引いて、うなずくしかなかった。

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