天の御柱、光の歩み (3)

 藍十あいとおの大声に気づいた一行は進むのをやめて、隊列を崩した。


 背後から風に乗って近づいてくる主の姿にも気づいたようで、「雄日子おひこ様だ」「雄日子様のご様子が――!」と、ざわめきも起きる。


牙王がおう、雄日子様の足を止めろ。赤大あかおお、雄日子様を守れ!」


 裏返るほどの大声を出して、藍十は前方にいる味方に伝えた。


 武人たちは、自分たちの身体で壁をつくって道をふさぎ、雄日子を先に行かせまいとした。


 しかし、雄日子の足はつむじ風に乗るようにすっと浮きあがり、武人たちの頭の上を進み始める。そして、あっというまに列の先頭を追い抜いてしまった。


「くそっ、なにしてんだよ!」


 藍十はがむしゃらに駆けて、どうにか列の後尾に追いついた。

 

「おれの馬を貸せ。どこだ!」


 藍十の愛馬、疾風はやてには、代わりに別の武人が乗っていた。その武人を突き飛ばすようによかせて、鞍に飛び乗る。


「聞け! 雄日子様の足に呪いがかかっていて、ご自分では止められないでいる。駆けられる奴は追って来い! 雄日子様を守れ! 追え!」


 馬上からいうと、すぐに馬の腹を足で蹴った。


 砂煙をあげて藍十が走り去っていくのを、セイレンは息を整えながら見送った。


 疲れ果てた足の代わりに、疾風を走らせる藍十が心底うらやましいと思った。馬というものがこれほど便利なのか、とも。


「わたしにも馬を貸してくれ」


 空いている馬はないかと列を見回してみるが、藍十に命じられて、どの騎兵もすでに駆ける支度を始めている。


 列の中に一頭だけ、からっぽの鞍を乗せた馬がいた。


 セイレンは駆け寄って、鞍に飛び乗った。しかし――。


「無礼者! この馬は雄日子様の馬だ。雄日子様の金鞍に座るなど、なんびとたりとも――」


 セイレンを叱りつけたのは、馬の手綱を引く武人。


 最後まで聞かなくても、意味はわかった。「こいつは馬鹿か」と腹が立った。


「うるさい! 雄日子の行方を追うのが先だろ! 雄日子がこのきんきら鞍に乗れなくなったら、おまえは責を負えんのかよ!」


 無理やり手綱を奪おうとしたが、その武人は手綱を握って放そうとしない。


 だから、馬の腹を蹴る前に、そいつの顔目がけて足で蹴りつけてやった。


「放せ! どけ! 来られる奴はみんな来い、雄日子を追え!」


 だん、と馬の腹を蹴る。それは、「進め」の合図だ。






 仲間の列をすり抜け、先をいく藍十の背中を追って馬を走らせる。行く手には、大きな山が近づいていた。道の景観もすこし変わってきて、豊かな原野から、岩や石が転がる斜面が目に入るようになっていく。


 しばらく思い切り馬を走らせると、しだいに藍十との距離がつまっていく。


 藍十は、雄日子のすこし後ろ側を馬で駆けていた。それ以上雄日子に追いつけないというよりは、わざとつかず離れずの距離をとって、様子をうかがっているというふうだ。


 セイレンが追いついて、横に並ぶと、藍十はセイレンに話しかけた。


「雄日子様は、きっと、あの山に向かっているんだ」


「あの山って――」


 藍十の目線の先にあるのは、街道の果て。背の高い山があって、鮮やかな緑に溢れた森の風景と比べると、黒々とした影になっている。


 へんな山だと、セイレンは顔をしかめた。


「なんだ、あの山――」


暗部山くらぶやまっていって、このあたりじゃ有名な霊山なんだ」


「霊山って?」


「土地神が棲む山だよ。人が入るのを拒んでよせつけない、荒神あらがみの居場所だ」


「人が入るのを拒んでよせつけない?」


「山に登ると災いが起きるらしいよ。道に迷わされたり、誰もいないはずの茂みから呼ばれたり、途中で足を踏み外して谷底に落ちたり、神や魔物に出くわしたり――」


「入っちゃいけない山ってことか?」


「ああ、そうだ。人が入ると神に拒まれる」


「じゃあ、雄日子を止めなきゃだめじゃないか。そんな危ない場所ならなおさら――」


「ああ。この先に、道が広くなっている場所がある。おれが合図をしたら、二人で早駆けをして雄日子様の前に回って、身体を掴もう。――ん?」


 ちらりと背後を振り返り、藍十はうなずいた。


「後続がきてる。赤大と日鷹ひたかもいる。牙王も――」


 背後に、砂煙があがっていた。馬も数頭いて、先頭で馬を駆るのは、がっしりとした身体つきをする武人、赤大。その後ろには、黒衣をまとう男の姿も見える。牙王だ。


 ほかにも十頭ほどが駆けていた。


「よかった――後ろと話してくるから、セイレンは雄日子様から目を放すな」


「わかった」


 藍十は馬脚をゆるめて、後ろからくる一団を待ちうけた。


 セイレンが一人でいたのはそれほど長い時間ではなく、ほどなく藍十は、赤大と牙王を含めた小勢をともなって追いついた。


 荒々しい蹄の音と砂煙の中、藍十はセイレンに話しかける。


「話をつけた。先に回るのはおれと日鷹と赤大でやる。セイレンは、ほかの連中と一緒に牙王をはさんで、雄日子様の後ろに回れ。おれたちが雄日子様の手を掴めたとしても、さっきの様子だと、たぶんすぐに振り払われるだろうから、一瞬だ。牙王が、そのあいだになんとかする」


「なんとかできるものなのか?」


 牙王はすぐ後ろでみずから手綱を操っていたが、渋い顔をしていた。


「さあ、どうだろうか。見る限りでは、雄日子様の足を動かしているあの術は、とても強い力をもっている。おそらく、あの術をかけたまじない師は、しろに自分の命を使ったのだろう」


「命?」


「ああ、そうだ。自分の命を呪いに入れて、その呪いを強くしたのだ。術をかけるうえで、もっとも強い力を与えられるものだ」


 道の向こうにそびえる山は、もう目の前に迫っている。雄日子の歩みは速かったし、馬が駆ける速さもかなりのものだった。


 山に近づくにつれて、道は傾斜が大きくなり、坂道になる。


 街道の周りに広がる景色も、山の様相に変わってきている。


 生える木の種類もかわり、柳のように枝を垂れさせる藤の木が目立つようになった。藤は花の盛りを迎えていて、艶やかな紫色の小花が山道を飾っている。


 田畑がぽつぽつと見えるようになり、家が並ぶ集落にいきついた。どどどっと地響きを上げながら集落を抜けた先に、道幅が広くなっている場所がある。


「ここはただすの森の果てで、このあたりに住んでる里者が山の神のための祭りを開く場所らしい。馬でいける道は、そこまでだ。一度でうまくいかなかったら、次はない。――いこう、赤大、日鷹。――頼むぞ、牙王。ほかの奴らは援護しろ!」


「わかった」


 藍十は馬の腹を蹴り、日鷹と赤大と目配せを交わして、三騎で速さを揃えた。先頭に日鷹、その後ろに藍十と赤大の馬が二頭並ぶ。三人とも鞍から腰を浮かせて姿勢を変えていき、「今だ、いけ!」と赤大が声をかけると、三頭の速さはぐんとあがった。


「私たちもいこう。早駆け始め。私を囲め」


 残された部隊に指示を出したのは、牙王。


 雄日子を追い抜かす役を負う藍十たちほどではないが、これまでよりも速く馬を駆けさせた。


 雄日子の真後ろまで追いつくと、藍十と赤大は掛け声をかけて左右に分かれていく。


「散れ! 用意!」


 赤大の声を合図に、三人は雄日子を左右から避けて追い抜き、三方から囲んでしまった。


 雄日子が進む速さと同じ速さで進みながら、囲いの形は寸分たりとも崩れない。そのうえ、藍十と赤大は手綱から手を放した。


 それを見て、「ああ……」とセイレンは思った。


 なぜ、雄日子の手を掴む役が、自分ではなく、日鷹と赤大に託されたのか。それは、二人ほどうまく馬を操れないからだ。


 手綱から手を放すどころか、早駆けをする牙王に追いつくのが精一杯だった。


 ぎりと奥歯を噛み、手綱を握り締めた。


(ぜったいにうまくなってやる。馬の扱い方も、戦い方も――。わたしも、こいつらみたいになってみたい)


 前のほうから、藍十が振り返って怒鳴った。


「牙王、支度しろ。おやっさん、いいか!」


「藍十、いけ。援護する」


「日鷹は!」


「いつでもいいよ。おまえの合図ではじめる」


「なら、いくぞ。雄日子様を止めろ、日鷹!」


 返事のかわりに、日鷹が馬の向きを変えて歩みを止める。日鷹は雄日子の真正面にいたので、雄日子の歩みがいったん止まり、風の上でつんのめるようによろけた。


 その隙に、藍十と赤大の手が雄日子の肩を掴む。二人の手に阻まれて前へ進めなくなったところで、日鷹は馬を下り、雄日子の胴にしがみついた。


「いまだ、牙王、早くしろ!」


 馬上で、牙王は両手を前に突き出していた。


「悪しきものよ、去れ!」


 手には、小さな円鏡がある。太陽の光を浴びて鏡面はきらりと光っていたが、牙王はその光を曲げて、雄日子の足を照らした。


 すると、ぱしんと音が鳴り、鏡にひびがはいった。


 一瞬の出来事だった。


 目に見えない力に吹き飛ばされるように、牙王が背後に飛んでいく。


「牙王様!」


 雄日子の進みが止まるなり藍十も赤大も馬を下り、日鷹と一緒に雄日子の腕や胴を押さえつけていた。


 でも、雄日子の足は動き続けていて止まらない。雄日子にしがみついた三人は、くつの先を地面に突き立てるようにしてその場にとどめようとしたが、雄日子の足は、三人をひきずって前へと進み始めた。


「――男三人の力でも、ものともしないか。それに、この術を解くのに、牙王では歯が立たないか」


 騒動のなかでつぶやかれた雄日子の声は、静かだった。


「みんな来い、雄日子様を囲め。これ以上進むのをお止めしろ!」


 赤大の叱声に呼ばれて、牙王の周りにいた武人たちがいっせいに駆けてくる。


 雄日子のもとでは、その土に、藍十たちが先へは進ませまいと足を踏ん張った痕が線を引いていった。しかも、その線が伸びる速さは、すこしずつ速まっている。


(このままじゃ、雄日子がどこかへ連れていかれちゃう)


 セイレンも、雄日子のもとに駆けた。そして、後ろから雄日子の背中に飛びついた。ちょうど背中におぶさるような形だ。


 雄日子が、呆気にとられたふうに振り返る。


「セイレンか……」


 そういって、苦笑した。


 そのときだった。雄日子の足の下に突風が生まれる。風に煽られて雄日子の身体は宙に舞い上がり、胴や腕を掴んでいた藍十と赤大の手が離れた。


「うわっ!」


 ふわりと浮いた雄日子の足は、男の頭の位置まで飛びあがってしまっている。背中におぶさった、セイレンごと――。


「しまった、雄日子様が――」


 赤大の声が、はるか足の下から聴こえた。


 セイレンも、目をしばたかせた。突然風を感じたと思ったら、あっというまに周りの景色がかわっていたのだから。


「もっとつかまれ。――落ちるな」


 首に巻き付いたセイレンの手をさらにからませるように、雄日子の手が触れる。


 そのあいだも、雄日子の身体は浮き上がり続けていた。広場の端に並んだ樫の大木を飛び越え、そのまま、その先に見えていた崖ぎわを登っていく。


 雄日子の背中におぶさったまま、セイレンは足元を見下ろした。赤大や藍十たちの頭は、すっかり小さく見えている。


 いや、見えなくなった。


 雄日子の足はまだ歩き続けていて、風でつくられた道を進むようにして崖ぎわを登り、山の奥へ入っていた。


 雄日子の背中に揺られていると、ふと、雄日子の片手がセイレンの腰を支えるように背中に回る。


「セイレン、そのまま僕におぶさっていろ。はじめは、僕にのしかかるなど一体なにをする気だと思ったが、そなたの判断が一番正しかったらしいな」


 雄日子の声は、いつもどおり。思い切り駆けたり馬を駆ったりして息が切れるわけでもなく、焦って早口になることもない。


「わたしの判断って?」


「僕におぶさっていれば、僕と一緒にいけるだろう? 腕や身体を掴むだけだったら、僕の足はそれを振り切った。セイレン、おまえはそのまま僕の背に乗って、僕と来い。そして、僕を守れ」


「わかった――」


 つまり、雄日子の守り人がセイレンただ一人になったということだ。赤大や藍十など、雄日子を守り慣れている男の手を借りることもできなくなった。


 ごくりと、セイレンは息を飲んだ。


「絶対にあなたを守ってみせるよ」


 両耳のそばできれいに結われた黒髪越しに、雄日子の笑顔が見えた。


「頼もしいな。セイレン、そなたが僕の守り人でよかった。――それにしても、この呪いは、僕をどこに連れていくつもりなのだろうな……」


 暗部山というその山には、糾の森に似た手つかずの森が広がっていた。


 天から降り注ぐ木漏れ日は淡く、森の中は薄暗い緑の色に染まっていた。


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