血の契り (4)

 かき分けていく笹の葉の鋭い葉先が、肌に痛い。


 でも、藍十あいとおはかまわず突き進んでいく。


日鷹ひたか、おれはここだ。どうしたんだ。なにがあった!」


 笹の茂みから出た先に、ちょうど待ちうけるように立つ青年がいた。


(あいつだ。前に、藍十と一緒にいたやつ――びとの一人だ)


 日鷹という青年は、そばに馬を引いていて手綱をもっている。


 ここまで乗りつけて、鞍から下りたばかりというふうだ。


「どうしたんだ! 雄日子様になにかあったのか」


 藍十の声は叫ぶようだった。その問いに、日鷹は苦笑でこたえる。


「賊が入った」


「賊?」


「安心しろ。もう仕留めた」


「仕留めた? 雄日子様は――」


「お怪我をされた」


「お怪我? どんなだ!」


「切り傷だ。擦り傷程度の――」


「そうか――」


 一度、藍十はほっと肩の力を抜く、それから、新しい敵を探すように日鷹を睨んだ。


「でも、なんで賊が入ったんだ。雄日子様は離宮の中にいたはずだろう? おまえも赤大あかおおも一緒だったのに――」


「藍十、実はな、賊ははじめからいたんだよ。それも、雄日子様が寝所につかった館の中に」


 日鷹の喋り方がゆっくりになる。藍十の口調も慎重になった。


「離宮にはじめからってことは……裏切り者が?」


「さあね。もう仕留めちまったからわからねえ。いま、牙王がおう魂語たまがたりをしてるから、うまくいけば聞きだせるかもしれねえが」


「魂語りって、あれか。死者の魂と話すってやつか――」


「厳密にいうと、今回は『死者』じゃねえんだけどな」


 そこまで話すと、日鷹はセイレンを向いて、見下ろした。


「悪いが、急ぐよ。セイレン、俺と来てくれ」


「わたし?」


 セイレンよりも、藍十のほうが驚いた。


「えっ――おまえが呼びにきたのは、おれじゃなくてセイレンなのか?」


「ああ、そうだ。雄日子様が、セイレンに傷を見てほしいそうだ」


「傷を? どうして牙王がみないんだよ。治癒ならあいつがするだろう。あいつは薬師くすしなんだから――」


「あいつは魂語りの最中で、敵を探すほうに忙しいから、かな? さあ、わからないけど、雄日子様がセイレンを呼んでるんだ。というわけで、乗って、セイレン」


 セイレンは、ぽかんと口を開けたまま。


「わたしが雄日子の傷をみる? どうして――」


「呼び方がおかしいぞ。雄日子様、だ」


 日鷹は釘をさした後で、背中を押して、引き寄せる。


「雄日子様は、おまえのことを薬師だっていっていたぞ? 土雲の一族は毒の使い手であるとともに、薬の使い手だって――。というわけで、乗ってくれ。乗るのに手間取るなら、抱き上げてやるし」


 セイレンがつっ立ったまま動かないのは、乗れといわれた馬の背が高い場所にあるからだと、日鷹は思ったらしい。


 さっそくセイレンの両脇に手を差し込んで身体ごと持ちあげようとするので、とっさに暴れた。


「さわるな!」


 でも、あっというまにセイレンの足は浮いていた。


 じたばたと動かしてもつま先が宙をかくだけで、どうにもならない。


 日鷹は軽々とセイレンを馬に乗せて、その後ろ目がけて自分もひらりと飛び乗った。


「やっぱり女の子って軽いな。というわけで、藍十。俺は先にいくから」


「ちょっと待て、日鷹。セイレンはいま……そうだ、鼻が――」


 藍十は、セイレンのことを気にしていた。


 鼻、ときいて、セイレンも思い出した。そして、青ざめた。


(雄日子の怪我をみるって、薬を選べってことだろう? むりだ。わたしに薬草は選べない。鼻がきかないんだった――)


 でも、日鷹は手綱を振り、馬を走らせてしまった。


「話は後できくって。藍十、おまえも早く来いよ」


 





 野宿をするのに集まっていた兵は、野原からほとんどいなくなっていた。


 どこへいったのだと思っていると、野から離宮へと続く道に、懸命に走る一団がいる。


 早駆けをする馬の揺れと音のあいまに、日鷹はセイレンに話しかけた。


「あいつらは、離宮の守りに呼んだんだ。守り人だけじゃ数が足りないからさ。藍十がいなかったしな。あいつさ、ああ見えて一人で十人分くらい戦えるんだ」


 「守り人」というのが、懸命に雄日子を守る連中なのだということはわかった。


 しかし――。どうしてもわからないことがあった。


「なあ。いったい、あなたたちは誰から雄日子を守っているんだ? さっきも、離宮に裏切り者がいたって話していたけど――」


「呼び方がおかしい。雄日子様、な。――雄日子様を狙うやつなら、そこらじゅうにいるよ」


「どうしてだよ。あいつはそんなに嫌われてるのか」


「ちがうちがう。雄日子様が素晴らしい方だからだよ。偉ぶってばかりの脳無したちが、雄日子様を怖がってるのさ。雄日子様が大王おおきみになったら、そういう連中は居場所を失うだろうから」


「あなたたちが戦ってる相手は、偉ぶっている脳無しなのか?」


「正しくいうと、その脳無しが雇っている腕の立つ連中と、かな。追手や刺客には、豪剣が得意なやつもいれば、妙な技を使うやつもいるし」


「妙な技を使うって、わたしに呪いをかけた牙王っていう男みたいな?」


「ああ、そうだ。――もう離宮につくよ、セイレン」


「えっ、もう?」


 前を向くと、目の前に太い木材が組み合わさった門が見えている。


 振り返ると、追い越した兵の一団などはとっくに遠ざかっていた。


 ダッ、ダダ! 


 セイレンと日鷹を乗せる馬の駆け音は重く、地面を蹴りつける揺れは身体を芯から震わせる。

 

 蹄は土の粒を舞い上げるので、つま先あたりはすでに砂まみれだ。馬が、それだけ速く走っていることの証だった。


「馬って、人が走るよりずっと早く走れるんだな。それに、利口なんだな。いうことをちゃんと聞くし」


 感動していると、日鷹がふふっと笑う。


「だろ? 守り人は馬の扱いがうまくないと駄目だ。セイレン、おまえもいまにこうやって駆けるんだからな」


「あなたも藍十と同じで、わたしを仲間扱いするんだな――。わたしはあなたに会ったばかりだし、話すのはいまが初めてだ。あなたはわたしのことを知らないだろう? それなのに、どうしてわたしをそんなに信用できるんだ」


「どうして? 雄日子様が、おまえを守り人にしたからだよ」


「雄日子が?」


「呼び方がおかしい。雄日子様、な。あの方が、おまえは味方だといったんだから、俺は従うよ。いまに背中を向け合って一緒に戦う同士なんだから、早いうちから仲良くしておくべきだろ? そんなにふしぎがることかよ」


 背後で、日鷹はけらけらと笑った。






 目の前に、門が迫る。門の両脇には槍をもって立つ番兵がいたが、馬を操る日鷹の姿を見つけると、交差させていた槍を縦向きにかまえ直して、道をあけた。


 その離宮は高島の宮よりずっと小さくて、敷地を囲う塀の内側には、大きな館がひとつだけ。ほかには、広い庭と、馬をつないでおける馬場と、炊ぎ屋がある。


 門をくぐった先に、二人ほど武人の姿があった。


「いま戻った。雄日子様のところへいく」


「奥でお待ちだ。頼んだぞ」


「あいよ」


 声をかけ合いながら、日鷹はそのまま、館の前まで馬を走らせた。


 すこし手前で馬をとめて、日鷹はひらりと飛び降りる。


「セイレン。下りられるか」


 それくらいならできそうだと、真似をして飛び降りる。


 その仕草を、日鷹は笑って褒めた。


「うまいうまい。おまえ、身が軽いな」


「これくらい、普通だ。山で狩りをするときは、もっと高い木の上から飛び降りたりするから――」


「へえ――武具もちがうもんなあ。戦い方もちがうんだろうな」


 日鷹は興味深そうに、セイレンの格好をじろじろと見た。


 手の甲から肘までを覆う武具帯や、腰から下がる吹き矢筒と、小刀。


 でも、それはわずかなあいだ。すぐに、正面に建つ館に顔を戻した。


「――雄日子様はこの中だ。案内するよ」


「ああ――」


 答えたものの、気は重かった。


(怪我をみたところで、わたしに薬が用意できるかどうか)


 くん、と鼻を動かして、ひそかにうなだれた。


(やっぱり、まだ鼻がきかない。……あの邪術のせいだ)






 日鷹の手であけられた薦の向こう側をのぞくと、中には雄日子おひこ角鹿つぬが赤大あかおおがいた。


 すぐに腰をあげたのは、赤大。


「日鷹、戻ったか。雄日子様、私は牙王のもとへいってまいります」


 日鷹と入れ替わるようにして赤大が館から出ていき、日鷹も、館の中へ入ろうとはしなかった。


「俺は館の前にいるよ。ならず者がまだいるかもしれないし」


 日鷹は、守り人の役目に徹することになったのだ。


(ええー?)


 内心、困った。


 セイレンにとって、藍十や日鷹は一緒にいても、まあまあ苦にならない相手だ。


 でも、角鹿と雄日子はそうではない。二人にはどこか近寄りがたい雰囲気があったし、だいいち嫌いだ。


 苦手なやつのそばに一人でいくと思うと、とたんに億劫になる。


 日鷹は、「どうぞ」と薦をあげて中への入口をつくっていたが、セイレンの足はそこで止まったまま動かない。


 入口でまごつくセイレンに、雄日子は微笑を向けてくる。


「中に入りなさい。さっそくだが、怪我をしてな。傷をみてほしい」


「はい――」


 仕方ない――。


 渋々と一歩を踏み出すと、すぐ後ろで薦が降り、布が擦れ合う軽い音が鳴る。


 いやな場所に閉じ込められた気がして、館の中に足を踏み入れたものの、やはりそれ以上は動こうとしなかった。 


 雄日子は、苦笑した。


「そばに来い。僕の世話をするのがそんなにいやか? しかめっ面をしているな」


「……しかめっ面?」


「いまは驚いた顔をしている。ああ、そうか。そなたは、すぐに顔に出るのだったな」


 雄日子は、前に自分で「上座」と呼んだ場所にあぐらをかいていた。


 上衣がはだけていて、いつもは飾り紐で結わえていた袖口がめくられている。手首よりすこし上あたりに、人差し指の長さほどの赤い筋があった。


「まあ、傷をみてくれ。そなたの見立てで、この傷を治す薬を支度してほしい」


「はい――」


 とりあえず、やってみるか――。


 渋々と雄日子のそばに寄ると、しゃがみ込んだ。


 雄日子の腕は、肘置きに乗せられていた。


 あらわになった肌の色は白かったが、ほどよくししがついている。


(しっかり鍛えたやつの腕だ。やっぱりこいつは、武芸の稽古をしているんだろう。――それでも、怪我をするんだ)


 傷をじっくり見てみると、小刀のような、刃渡りの狭い武具でかすったような痕だった。


 傷は浅く、血はもう止まっている。


 傷は水で洗われてきれいになっていたし、だいいち傷が浅いので、放っておいても治る怪我だ。


 つける薬といえば、血止めの薬草で済むだろう。土雲の力に頼らなくても、そこらに生えているのを摘んできて、傷を覆ってしまえば済む。


(この程度のかすり傷で、大げさな――)


 なぜわざわざ自分を呼ぶのだと、すこし腹が立った。そのとき。漂っていた血の匂いに、かすかに甘い香りを感じた。


(毒?)


 もしかして、傷をつけた刃に毒が塗られていたのだろうか。もしそうなら、大事だ。


「どうした。傷が深いのか」


 顔色を変えたせいか、雄日子が尋ねてくる。セイレンは首を横に振った。


「そうじゃないが……」


 たしかめようと、もう一度鼻から息を吸い込む。


 さっき感じた甘い香りは、感じなかった。いや、血の香りすらわからなくなった。


(やっぱり、鼻がおかしい――)


 これでは、もうなにもできない。


 セイレンはうつむいて、肩を落とした。


「いったいどうしたんだ」


 顔を上げると、雄日子と目が合った。


 雄日子は微笑んでいた。


 その瞬間、もういやだと思った。


 なぜだか、不吉だと罵られながら暮らしてきた日のことや、どうにか耐えようとして、男のように戦い方を習ったり、薬のことを学んだりした日々を思い出した。


 くたくたになって、「どうしてこんなことをしているんだろう――」とぼんやりしたときに、大勢の里者に囲まれて微笑む石媛を見かけたときの、どうしようもない苦しい気持ちも。


 思わず嗚咽がこみ上げて、背中をまるめた。


 雄日子が、目をまるくした。


「どうしたんだ、セイレン」


(どうした、じゃないよ。みんな、おまえのせいだ)


 ふいに、雄日子を罵りたくてたまらなくなった。


「どうしたもこうしたも……あなたがやらせた邪術のせいで、わたしの身体がおかしくなったんだ。鼻がきかなくなって、薬の匂いも血の匂いも嗅ぎ分けられない。いまも、なにかの匂いを感じた気がしたが、もう鼻がうんともすんともいわない。すまないが、わたしに、あなたの怪我をみることはできない」


「どういう意味だ」


「だから――」


 もう終わりなら、なにも気にすることはない。


 洗いざらい話してしまおう――そう思った。


「そこの男――角鹿に、外に出るようにいってほしい。わたしは、これからあなたに一族の秘密を話そうと思う。この秘密を、一族以外の人に話すのは掟破りだ。だからせめて、あなただけに話したい」

 

「貴様、自分がなにをいっているのかわかっているのか? 雄日子様と二人になりたいなどと、戯言を――」


「わたしと雄日子が二人になるのがまずいというなら、武具は雄日子に渡しておく。話をしているあいだ、それでわたしを狙っていてもいいよ。もともとわたしは、あの邪術のせいで雄日子に逆らえない身だ。わたしがなにをしようが、その前にわたしの動きは止まるんだろう?」


 腰から吹き矢筒と小刀、腕に巻いた武具帯を外して、雄日子の手もとの床に置いた。


「口のきき方をわきまえろ。雄日子様に向かって――」


 角鹿はききいれようとしなかったが、雄日子は、自分の指先に触れた武具を見下ろして、微笑んだ。


「よい、角鹿。セイレンのいうとおりにしよう」


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