血の契り (3)

「なあ、藍十あいとお。ききたいことがある。びとというのはなんだ。ここにいるやつらとはどうちがうんだ?」


「ああ。守り人は、兵の中でも雄日子様の身をおそばで守ることを許されたやつだよ。位は館衆やかたしゅうと同じで、兵の中では格段に高い」


「館衆って?」


「宮殿で王に仕えるお偉いさん方だよ。すごいだろ。おまえは雄日子様に見染められて、たった一日で、宮殿の貴人と同じくらい偉くなったんだぞ?」


「ふうん――」


「ふうん、って――もっと喜べよ。守り人になれるなんて身に余る栄誉だぞ」


「悪いが、わからないよ。わたしはこれまで、雄日子のことも、高島の宮のことも知らなかったんだ。急に、雄日子様を敬え、守り人になれることを喜べっていわれても、ぴんとこないよ」


「まあ、そうかもな」


「で、守り人っていうのは何人いるんだ」


「セイレンが入って七人かな。そんなに多くないよ。そのうち三人は人を探しにいっていてここにはいないから、いるのは、おれと、おやっさんと、日鷹ひたかと、セイレンだけだ」


「ふうん――」


「頼りない返事だな。土雲の一族に、雄日子様のような人はいないのか? 長はいるだろう? どんな人なんだ?」


「土雲の一族の長は、女だ。――わたしの祖母だ」


「女? 女系なんだ。それに、祖母?」


 藍十は目をしばたかせて、笑った。


「あっ、そうか。セイレンって、双子の姉上が姫君だっていってたもんな。そっか、セイレンって土雲の一族の王家の血筋なんだ。すごいじゃないか。なるほどね、それじゃあ、雄日子様のことを認めるのは難しいかもしれないな。そうか、姫君の血筋か。これまで失礼した」


 身分の高い相手に憧れる藍十の素直な目が、セイレンには気味が悪かった。


「――そうでもない。わたしは双子の妹だから……土雲の一族では、双子は不吉なんだ。だから、双子のうち後から生まれたほうは、家を追い出されて里子に出される。わたしは双子の妹だったから、王の血筋なんかじゃなくて、不吉な子――一族の厄介者だ」


 自分で口にしているうちに苛立ちがつのって、すこしうつむく。


 すると、ふいに頭の奥に痛みが走った。ぎりっと軋むような、なにかに噛みつかれたような、奇妙な痛みだ。


 目を閉じて頬を震わせたセイレンの仕草を、藍十は心配げに覗きこんでくる。


「どうした、セイレン。泣いてるのか?」


「は? 泣いてなんかない。なんで……」


「だって、双子の妹だって話をしているあいだ、なんか寂しそうだったから――」


「はあ? そんなのは、おまえの気のせいだ。頭が痛いんだ。あの妙な契りのせいで――息が、苦しい――」


 急に身体に力が入らなくなり、うずくまる。


 血の気が引いて、寒気がした。


 喉がつまったように深い呼吸ができなくなり、そうかと思えば、次は目が熱くなる。


 どれもこれも、身体の奥底から染みてくるような、これまで味わったことのないものだ。


「わたしの身体は、どうなったんだ……」


 泣き出したい気分だった。


 でも、藍十の前で泣いてたまるかと涙をこらえると、胸の合わせに手を入れて、服の裏側に忍ばせていた小袋を掴んだ。


「どうにかしなくちゃ――。湯が欲しい。煮炊き場を借りられないか」


「いいけど――歩けるか? 支えようか」


 そばに、影が落ちる。藍十がしゃがみこんで、セイレンの背中に腕を伸ばしていた。その腕を振り払って、よろけつつ立ち上がった。


「さわるな。一人で歩ける」






 藍十が案内したのは、野原の真ん中。


 山の形に積まれた石があり、内側で焚き木が燃えていた。


 ちょうど夕餉の粥を炊いているところで、まわりには兵がたくさんいて賑わっている。


「で、煮炊き場でなにをするんだ」


土露つちつゆをつくるんだ」


「土露?」


「土雲の薬だよ。軽い怪我や病になら、なんにでもきくんだ」


 煮炊き場に着くと、小袋の口をひらいた。


 中から取り出されたのは、からからに乾いた草。よく干してあったので砕けていたが、わずかに残る葉の形は笹の葉に似て細かった。


「それが薬草?」


「そう。土雲草っていうんだ。――煮炊きをしたいんだが、器を借りられないか」

 

「これじゃだめか。湯を分けてもらったけど」


 藍十は、沸かしたてのお湯を小さな土の器に汲んできていた。


 その器を受け取ると、粥を炊いているかまどのきわに置いて、火に近づける。


 底のほうから泡の玉がぷくりと浮かび上がり、しだいに二つ、三つと増えていく。


 そこまでたしかめてから、その湯に薬草の葉を落とした。


「薬湯をつくるのか? 噂じゃ、土雲の一族は薬草に詳しいってきいたけど」


「うん――」


 セイレンはぼんやり答えた。


 薬湯をつくるのに夢中になっていたので、実のところ、話しかけてくる藍十の声はほとんど耳に入って来なかった。


 器のなかでは、薬草が湯に浸っていくにつれて、湯に色がついていく。


 はじめは薄い茶色だったのが、しだいに紫色が混じっていき――。


 鮮やかな紫色になった薬草が、湯の中でぐらぐらと揺れている。


 その様子をじっと見つめながら、セイレンは背に冷たい汗をかいていた。


(土露の香りがしない――ううん、わたしの鼻がきいていないんだ)


 土露は、土雲の一族ではもっともよく使われる薬湯の一つで、病でも怪我でも、症状が軽ければたいていなんにでも効く。〈山魚やまうお様の儀〉など、強い薬や毒にあたるときにも、清めの薬として使われた。


 だから、土露という薬湯を、セイレンはこれまでに何度もつくったことがあった。


 その薬湯は、湯のなかで葉の色が鮮やかな紫色に変わってから、土雲草特有の澄んだ香りがしはじめるまで煮ると仕上がる。


 土の器の中でぐらぐらと揺れる葉は、すでに紫色に変わっている。


 嗅ぎ慣れた匂いが漂っているはずなのに――。


 土の器の縁を掴んで焚き火の上からずらすと、中のお湯を土に捨てた。


「どうしたんだ。薬湯をつくっていたんじゃないのか」


 セイレンは、泣き出したいのを懸命にこらえた。


「鼻が、きかないんだ。薬の出来がわからなかった。――あの邪術のせいだ」


「あの邪術って――」


「邪術っていったら、あの邪術じゃないかよ。あの、雄日子がした契りのせいで、わたしの身体がおかしくなってる。――なんていうか、土雲の身体じゃなくなってる。おまえたちと同じになってる……」


 話しているうちに、目の内側がきんと痛くなる。


 泣いてしまいそうだと怖くなると、持っていた土の器を地面に置いて、駆けだした。


「セイレン、どこへいくんだ」


 藍十が声をかけてくる。


 それには腹が立った。


(わたしがどこへいくか? こんなところまで連れてこられて、わたしにいける場所なんかあるはずがないじゃないか)


 駆けだしたのは、涙を見せたくなかったからだ。


 藍十が追いかけてくるのを、罵声で遠ざけた。


「来るな、藍十。来たら、おまえを殺す」


「殺すって、おまえ……」


 野営になった野原の周りは、笹と樫の森になっていた。垣根をつくるようにまるく広がる笹の葉を押しやって、樫の木の隙間を縫って、人の目から隠れられる場所を探す。


 そこにうずくまって、腕に巻かれた武具帯の紐を解いた。


 武具帯は、肘から手の甲までの大きさで、腕をぐるりと覆うように巻きつけられている。


 土雲の一族が狩りにでかけたり、遠出をしたりするときに使う道具で、布地の表側には鋭く尖った吹き矢が横一列に並んでおさまっていた。


 その裏は薬入れになっていて、光沢のある布で小さく丸められた薬草が十ばかり並んで入っている。


 包みをしまう順序は決まっているので、セイレンは、指でさわるだけでどの薬がなんの薬かを覚えていた。


 一番右側にしまってあった薬の包みを取り出して、封を解いてみる。中の匂いを嗅ごうと鼻を近づけてみるが――。茫然となり、目に涙を浮かべた。


 がさり、がさ……と、足音が背後からやってくる。藍十だった。


「セイレン、藍十だ。頼むから殺さないでくれよ。おれもさ、おまえを見張るって役目をまっとうしてるところだからさ、おまえのそばにいないといけないんだ。覗くなっていうなら覗かないからさ、ここにいさせてくれよ」


 まだ離れたところから、藍十の声が謝ってくる。


 藍十に泣き顔を見せたくなくて駆けてきたはずだったが、いまはなぜか、藍十が追ってきたことにほっとしていた。


「藍十――」


 広げた薬の包みを手早く片づけ、武具帯の裏に戻す。


 よろよろと立ちあがって、藍十の気配があるところへと近づいていった。


「セイレン、用は済んだのか? 戻ろう――」


 藍十は、樫の木を背にして待っていた。


 気配に気づいたのか、近づく前に振り向いたが、目が合うとぎょっと目を見ひらいた。


「セイレン、目からなにか出てるぞ。――えっ、もしかして、涙? 泣いてる? どうしたんだ」


 だれかに泣き顔を見せても構わないと思ったのは、久しぶりのことだった。


 いやだと思っていたが、もうどうにでもなれとやってみると、意外にすっきりするものだ。


 涙をふくこともなくそのまま藍十に向かって、うつむいた。 


「鼻が、きかないんだ」


「鼻? うーん。さっきも聞いたけど、それってそんなに大事なことなのか?」


「大事だよ! これまで覚えたことが、全部できなくなるくらい大事なことだ! いま、わたしはここで、一番強い薬の臭いを嗅いでみたんだ。それなのに、なんにも感じなかった。どうしてくれるんだよ! みんなあの邪術のせいだ!」


「いきなり怒るなよ。知らなかったんだよ。軽いいい方をして悪かったって。――ほら、こっちこいよ」


「そっちにいったら、なにか起きるのかよ」


「べつになんにも起きないけど、慰めてやるよ。――ほら。よしよし」


 おずおずと近づいていくと、藍十はセイレンに手のひらを差し出して、頭を撫でてくる。


 思わず、むっと睨みつけた。


「わたしは子どもじゃない」


「そう? ……いやいや、とりあえず、慌てるのって一番よくないからさ、落ち着いたほうがいいかなあと思って――」


 藍十は苦笑して、「よしよし」とまだセイレンの頭を撫でていた。


 ふざけているのだろうが、気恥ずかしくなって、そっぽを向いた。


「やめろって。それに、いまのはどういう意味だよ。わたしはそんなに子どもみたいか?」 


「それはさ――」


 藍十は笑って、話を続けようとした。――そのとき。


 藍十とセイレンがやってきた方角から、がさがさと茂みが揺れる音がした。藍十を呼ぶ声もする。


「藍十。藍十! どこだ!」


「日鷹だ。声がおかしいな。なにかあったのかも――いこう、セイレン」


 藍十はセイレンの頭から手を放し、踵を返して、セイレンの手首をがしりと掴んで引き寄せる。


 セイレンは振りほどこうと腕を振った。


「勝手にさわるなって――」


 藍十の態度が、がらりと変わった。


「無駄口を叩くな。来るんだ。いくよ」


 有無をいわせないふうに気配が鋭くなり、手首を掴む手つきも、それまでセイレンの頭を撫でていたときとはまるでちがうふうになる。


 振りほどくこともできないほど強く手首をつかんで、藍十はセイレンがよろけるのもかまわずに手を引いて、来た道を戻っていく。


 つんのめりそうになって歩きながら、セイレンはぎくりとして、頭のなかが真っ白になった。


(こいつ、こんなに力が強かったんだ。どうしよう、こいつは力づくじゃ勝てない相手なんだ。これじゃあ、なにかあっても抗えない。いまのわたしは、薬すら使えないのに――)


 藍十は、親切でいいやつだと思っていた。


 でも、急に藍十のことが怖くなった。

 

(ちがう、こいつのせいじゃない――)


 セイレンは唇を噛んでいた。


 すべては、雄日子が自分にした妙な邪術のせいだ。


 あの邪術のせいで、セイレンは、土雲の一族としてつちかってきた力を失いつつある。


 その力がなくなってしまえば、これまでのようには戦えないし、薬も選べないというのに。


 藍十に子どもだとからかわれたが、それよりももっと頼りない、たとえば、皮を剥がれて放り出された兎や鼠のような、小さくて、自分ではなにもできないみじめな生き物に無理やりされてしまったような――。


 そう思うと、「怖い」というほかはなにも考えられなくなった。

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