雄日子 (2)

 雄日子おひこは微笑んでいたが、それは、目が合うと背筋がぞくりとする冷たい笑みだ。


「――顔は、前に会った娘と似ているが、あの一族には同じ顔になるように変える呪いでもあるのか。――顔を探れ。身もあらためろ」


「はっ」


 セイレンに鞘を押し付けていた兵たちが、揃って手を伸ばしてくる。男たちの手が、髪や耳、頬、首に触れそうになると、ぞっとして、悲鳴をあげた。


「やめろ、触るな!」


「かまわない。続けろ」


 角鹿つぬがという名の青年は、雄日子よりもまだ淡々としたいい方をする。


 その声の冷たさと、知らない男たちの手で、よってたかって身をあらためられる不気味さで、夢中で腰に手を伸ばしていた。


 兵の隙をついて掴み取ったのは、腰から提げた小刀。


 抜き取るなり、宙を薙ぐ。兵は慌てて手をひっこめたが、三人のうち一人は運悪く刃先がかすって、手の甲に血をにじませる。


 兵は自分の肌をいたわるように胸に抱き、睨んだ。


「この、小娘――」


 警戒したのか、三人の兵は間合いを取り始めた。


 セイレンから遠ざかるためではなく、鞘に入れたままだった剣を抜くためだ。


 その瞬間を、セイレンは見逃さなかった。


 小刀をもったままの手で、首からさがる小さな石飾りをつまみ、唇の前にかまえる。土雲の一族に伝わる威嚇の仕草で、「いますぐにおまえを殺してやる」という、警告の意味をもっていた。


「いったいなんの真似だ」


 三人の兵は怪訝に眉をひそめる。その向こうで、雄日子と角鹿も真顔をしていた。


 五人の男を見渡して、威嚇する。


 最後に雄日子と目を合わせると、〈箱〉を口元にかまえたままでいった。


「わたしに触れるなと、こいつらに命じろ」


「僕に命じる気か」


 雄日子は苦笑した。


「しかし、僕は、おまえが信用ならない」


「信用って――」


「僕は、僕を救った娘をここへ呼んだのに、そなたはその娘ではないだろう? そなたはあの娘に似ているが、別人だ」


 なんとも、呆気なくばれてしまったものだ。


 いまの状況の理由は見えたものの、セイレンにも言い分はあった。


「そんなこといったって……わたしも、好きでここにいるわけじゃないんだ。わたしがここにいるのが嫌なら、里に戻ってそう伝える」


 いまこの宮にいるのは、双子の姉の身代わりになるためだ。


 里を追いだされるだけでなく、男に囲まれて脅されるなど、これ以上いやな思いをするのはまっぴらだ。


(また、あいつのせいだ。あいつのせいで――)


 苛立って睨みつけるが、雄日子はそれにこたえない。


「そなたは誰だ。なんの理由でここにいる」


「――わたしは、あなたを助けた土雲の姫の、双子の妹だ。姉姫は里を出ることができぬ身だから、代わりに、わたしが遣わされることになった」


「僕を欺く気だったのか? それが、そなたの一族の意志だと?」


「だから――気に食わないなら帰るってば。わたしはただ、いけといわれたんだ。わたしだって好きでここにいるわけじゃない」


「目的はなんだ」


「目的? だから、わたしは姉姫の代わりに――」


「それ以外は?」


「だから……」


 雄日子と言い合いを続けるうちに、頭のなかが熱くなって、朦朧としていった。


 ふいに、どす黒い膿のような気味の悪い想いが、胃の腑の底からこみあげる。


 気味悪い思いに翻弄されて、目頭も熱くなり、涙が浮かんだ。


 堰を切ったように、かっとなった。


「――わたしは、厄介払いをされたんだ。わたしの里では、双子の妹は影の存在で不吉なんだ。それで、最後くらい姉の役に立てと、姉の身代わりにされたんだ」


 姉の石媛は大切だから里の外に出せないが、妹のセイレンなら出せる。そんなふうにいわれて山を下り、ここにいた。


 ふつうなら、赤子が産まれたら祝われるのに、セイレンの場合は、なぜ生まれてきたのだと責められた。


 産湯に浸かる前に家を追い出されて、里親に渡されたのは、生まれてきてはいけなかった子だからだ。


 自分で、自分のみじめさを認めるのは、とても悲しいことだった。


 目を真っ赤にさせて睨みつけたが、雄日子の表情は変わらなかった。


「双子の妹か――なるほど。まあ、そのように双子の妹を差し出されることなど、よくあることか」


「――えっ?」


 目を丸くした。


 「そうか、よくあることなのか。そうだよな、その程度のことだ」と納得する思いと、「よくあることなのか?」と驚く思いが、同時に渦巻いて――。


 ぽかんと口をあけるセイレンを見下ろして、雄日子は苦笑した。


「兄妹というのは、厄介なものだな。血を分けていないと厄介だが、血を分けていると深く厄介だ。――まあいい。姉姫とそなた、どちらが技に長けている」


「技って――」


「そなたの姉姫は、まばたきをするくらいの間に僕を救ってみせた。そなたに、姉姫と同じ真似ができるか。たとえば――そうだな、ここで、こやつらを倒すことができるか」


 雄日子の目が見ていたのは、セイレンを剣で囲む三人の兵。その目線の先を、セイレンもちらりと見た。


「こやつらって――」


「ああ、こやつら。僕の守りを任されている番兵だ。そなたが僕の守り人となるなら、こやつらを追い払えないようでは困る」


「――こいつらは、あなたの部下だろう? こいつらをのしたら、どうせその後でわたしを捕まえるだろう」


「倒せるのか」


「さあ。獣を狩ったことはあるが、人と戦ったことなんかない」


「なら、やってみて、僕に見せろ」


 「はあ?」と、セイレンは顔をしかめた。


「こいつらに恨みなんかない。それに、あなたのいいなりになるのもいやだ」


「では、そなたが倒されろ。そなたがうんといわなければ、僕はこやつらに、そなたを縛めて牢屋へ籠めろと命じる」


「――めちゃくちゃだ」


 セイレンはちっと舌打ちをした。


 渋々と〈箱〉から手を放すと、手にしていた抜き身の小刀を腰にさげた鞘へ戻す。


 そのあいだ、雄日子も角鹿という青年も、三人の兵も、セイレンの指先をじっと見張っている。


(逃げ場は、ないか)


 つばと鞘が触れる軽い音が、ことんと響く。そのかすかな音がおさまってから、セイレンは雄日子に向き直った。


「力比べはどうやってやるんだ」


「向かい合って、僕が『始めよ』といったら動け。それまでは指一本動かさずにいろ」


「――わかった」


 うなずいてやると、雄日子は数歩後ろにさがる。


 セイレンと戦うように命じられた三人の兵は、不機嫌だった。


「雄日子様、そのおいいつけは本当でしょうか。年端もいかない小娘を相手に、三人がかりで戦うなど――」


 一人が不平をいうと、雄日子はくすっと笑い、それを諌める。


「この娘は、僕の守り人にしようとここへ呼んだのだ。守り人なら、たった一人で僕を守らなければいけないこともある。一人で三人くらい相手にできないようでは、役に立たない。――赤大あかおお藍十あいとおは、それができるだろう?」


「それは、そうですが……」


 兵は渋ったが、それ以上はいわなかった。


 セイレンと、三人の兵が向かい合ったのをたしかめたのち、雄日子は命じた。


「双方動くな。――始めろ」


 雄日子の声で、合図がかかる。


 その瞬間、三人の兵は抜き身の剣を振り上げた。


 同じとき、セイレンの指は、腕に巻かれた武具帯ぶぐたいに伸びている。そこには、吹き矢用の矢がしまってあった。吹き矢の筒は、小刀の隣で揺れている。針を仕込んで掴み上げ、口に当てると、次から次へと吹いていった。


 吹き矢筒から飛び出た細い矢は、いずれも兵の肩のあたりにあった鎧のつなぎ目に刺さり、矢が刺さった瞬間から、一人、また一人と兵は動きを止め、地面に膝をついていく。


 三本の矢を当てると、その矢筒を地面に転がして、首にかかった紐をたぐった。紐の先には、〈雲神様の箱〉がついている。はた目にはただの石飾りに見える道具だが、それは、土雲の一族が誇る武具だった。


 それを唇の前にかまえて、息を吹き込もうと唇をすぼめる。それは、一族に伝わる威嚇の仕草。「これ以上やるなら容赦しない」と、相手に伝える警告だ。


 風が吹き抜けたような、あっという間の出来事だった。


 遠巻きに様子を見ていた雄日子は、ほうと息を吐いた。


「――終わりか?」


「こいつらはしばらく動けない。あなたはこいつらを倒せといっていたが、べつに殺さなくてもいいだろう?」


「――殺せるのか」


「わたしがいま口に当てているものは〈雲神様の箱〉といって、一族の秘具だ。これを使えば、わたしは、この男たちをここで眠らせることができる。薬さえ選べば、殺せる」


「薬――。薬しだいで、眠らせることもできるのか」


「殺すほうが楽だが、できる」


「殺すほうが楽なのか」


「そいつが立てないほど弱るか、本当にくたばるかのぎりぎりを読んで手加減をするのは難しい。殺すのは、一番楽だ」


「なるほど、武芸もそうだ」


 雄日子はくっと笑って、角鹿に話しかけた。


「凄まじいな」


 角鹿はうなずき、目を伏せた。


 どさっと音がして、最後まで立っていた兵が、地面に崩れ落ちる。


 倒れ込んだ三人の肩には、まだ吹き矢が刺さっていた。


「吹き矢を抜き取ってもいいだろうか。あまり長いこと刺さっていると、傷のふさがりが遅くなる」


「よい、許す」


 そこで、セイレンは地面に倒れた兵のそばへ近づくと、しゃがみこんで、兵たちの肩から、細い針を丁寧に抜き取っていく。手慣れた仕草で腕に巻いた武具帯を広げて、抜き取った針を、一本一本しまった。


 雄日子は、セイレンの手さばきをじっと見ていたが、しばらくして、声をかけた。


「そなた、名はなんというのだ」


「――セイレン」


「セイレンか。不思議な響きの名だな。――いまの手合わせは見事だった。そなたは、姉に勝る猛者もさと見た。僕の守り人になることを許そう。僕の名は、雄日子だ。そして、僕のことは、雄日子太子おひこたいしではなく、雄日子と呼ぶことを許そう」


 内心、「なにを偉そうにいうのだ」と思った。


「ふうん、雄日子ね」


 吐き捨てるように呼んでやると、雄日子の隣に立っていた角鹿という青年が目くじらを立てる。


「雄日子様、だ。いい気になるな」


 角鹿の顔は、雄日子とすこし似ていた。その顔をじろじろと見て、渋々「雄日子様、ですね」とつけ加えた。


 角鹿はまだ不機嫌だったが、雄日子は笑っている。


「どうした、セイレン。まだ不機嫌はなおらないのか。そなたの技を褒めたのだから、喜んでくれてもいいと思うのだが」


 にこやかに笑う雄日子と目を合わせて、セイレンは呆れた。


「だって――べつにわたしは、あなたの守り人になりたかったわけじゃないんだ。守り人になっていいといわれるよりも、もういいから帰れっていわれるほうが、わたしにとってはよっぽど嬉しいよ」


「この娘、無礼な……」


「いいのだ、角鹿。この娘はかなり正直な性質たちで、素直に物事を口にするのだろうな。しかし、正直なのは悪くないが、僕に忠誠を尽くすと誓ってもらえなければ、僕はこの娘をそばに置けない。守り人になどなりたくなかった、などといわれると、なおさらどうにかせねばと思ってしまう」


 雄日子は小さく笑い、角鹿にいった。


「セイレンを僕の館へ連れていく。牙王がおうを呼んでこい」


「牙王を? 雄日子様、それはつまり――」


 角鹿の声が小さくなる。角鹿は、セイレンに話を聞かれるのを避けるように言葉を濁した。


 角鹿と目を合わせて、雄日子はにやっと笑った。


土雲つちぐもの姫を、僕はぜひ、僕の頼もしい守り人にしたいのだ。――いいな? 牙王に支度をさせておけ」


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