雄日子 (1)
むかし、セイレンと
顔も声も似ていたし、考え方も似ているところが多くて、セイレンが一緒にいて一番ほっとする相手は、石媛だった。
あるとき、幼馴染の誰かに、「見分けがつかないほど似ている!」と不思議がられたことがあって、それならば入れ替わってみようと、互いの衣装をとり変えてみたことがあった。
結果は面白いほどで、ほとんど誰も、二人が入れ替わったことに気づかなかった。
あるとき、とうとう母の
ただ館の中で大人しくしていればいいなんて――。
顔に青痣をつくったセイレンからみれば、それは、羨ましくて仕方のない罰だ。
そのときも、「同じことをしたのに、どうして怒られ方がちがうんだ」と腹が立ったが、もうすこし時が経って、里の者たちが決して口にしようとしない自分たちの出生の秘密に気づくと、ますます腹が立った。
フナツと二人でぼろ家に住むセイレンと、大勢の下男や下女に世話をされて暮らす石媛とは、なにもかもがちがっている。
住む場所も、暮らし方も、食べるものも、着るものも、怒られ方まで、なにもかもが、だ。
その理由が、同じ日に産まれた双子の、姉と妹だったことだと知った日、セイレンは憤って、苛立ちで眠れなかった。
そうか、すべては、わたしが双子の妹だからなのか。
たったそれだけのことで――と。
(
山道をくだって、若王とやらの使者と合流すると、セイレンはさらに山を下り、野原に出た。
そこには、平坦な地面がはるか遠くまで続いていて、小川が流れている。川に沿って土の囲いが連なっていて、その内側には、鮮やかな緑色をした稲が植わっている。
土雲の一族の集落は山の上にあるが、一族のなかには、ときおり山を下りる者がいる。
山の下の水や土、獣の様子を調べるためだが、セイレンもその使いを何度か任されたことがあった。
それで、山のふもとには、稲田という、水浸しにされた畑が広がっていることを知っていたし、稲田の周りにぽつぽつと建つ家の形が、土雲の一族がつくる家とはちがうことも知っていた。
だから、山を下りて、野道を歩いているあいだ、珍しい家や衣服を着た人が大勢いるなあとは思ったものの、驚きはしなかった。
でも、稲田の中央をつらぬく道の果てに、まっすぐに伐られた巨大な木が倒れているのが見えてくると、「あれはいったいなんだ」と首を傾げた。
やがて、それが倒れた巨木ではなくて、巨大な建物の屋根なのだと気づくと、言葉を失った。
「あれ、家か? なんて大きな――」
「
セイレンを案内した使者は、そういって微笑んだ。
「高島の宮? 高島って、このあたり一帯の地名なんだっけ。ってことは、あの大きな宮は、このあたりで一番偉いやつが住んでいる場所なのか?」
「はい。
「雄日子――わたしを守り人にしたいって男か……。ということは、わたしはあそこに連れていかれるのか」
尋ねると、使者の男は渋面をして文句をいった。
「雄日子様とお呼びしなさい。雄日子様は、高島だけでなく、海を越えた先の
「――へいへい」
きっと、山の下にも、土雲の一族にあるような上下の関係があるのだ。
偉い奴はふんぞり返っているが、偉くない奴はごみのように扱われる。
偉い奴はいい加減で、気位が高くて、たいしたことができないくせにわがままだから、機嫌を損ねると、下っ端がへまをしたせいだと、偉くない奴のせいにする。だから、偉い奴の機嫌は損ねないほうがいいのだ。
ふんぞり返って歩くハルフの姿を思い出すと、セイレンは鼻で笑った。
「――本当に、偉い奴っていうのは馬鹿ばっかりだな」
「なにかおっしゃいましたか?」
「独り言だ。気にするな」
「そうですか? ――それにしても、男勝りなお嬢さんですね。雄日子様からきいていたのと、だいぶん印象がちがうのですが――」
「へえ。なら、どんなふうにきいていたんだ」
「なんといいますか、幻のように神秘的で、ふしぎな姫君だと――」
「幻のように神秘的! ああ、そう」
腹を抱えて笑い転げたい気分だった。
その、雄日子という若王が実際に会ったのは、双子の姉の石媛のほうだ。
あの石媛を見て、そんなふうに思った男がいるのかと思うと、愉快だった。
「着きました。高島の宮です」
使者に付き添われて辿りついた「高島の宮」という場所は、近くで見るとますます立派で、とても大きかった。広さは土雲の集落くらいの大きさはありそうで、その広大な敷地は、周りにずらりと立てられた木の壁で囲われている。
内側に続く門も、その先に伸びる道も大きく、道の両側につくられた水路や、ところどころに見える広場も、どれも手入れが行き届いている。枝がのび放題の木も、膝が隠れるほど茂った草むらも、その宮の中にはなかった。
セイレンが案内された場所は、門から続く広い道をいった先。
大きな屋根がついた館が三つと、林に囲まれた広場だった。
「私は、雄日子様にあなたが着いたことをお知らせしてまいります。ひざまずいて、ここでお待ち下さい」
「ここで座って待っていろってこと?」
「ええ、そうです」
ここまで一緒に旅をした使者を見送りつつ、セイレンはその場で腰を下ろして、しゃがみこんだ。
歩き疲れた足を休めてくつろいでいると、突然、頭をなにか硬いものではたかれる。
「あたっ」
振り返ると、背後に、鎧を着た
その兵は、鞘がついたままの剣を手にしている。
「その座り方はなんだ。頭を下げろ。お呼びするのは、高島、ならびに高向の若王、雄日子様だぞ。失礼があってはならん」
ようは、姿勢が悪いといっているのだ。
内心、「そっちの正しい姿勢なんか知るかよ」と思ったが、口に出すのはやめておいた。
「悪かったよ。でも、わたしはあなたたちの正しい座り方を知らないんだ。どうすればいいんだ。このまま頭を下げていれば、失礼ではないのか?」
「まあ、よいだろう。いいか。両膝を土につけて、額に砂がつくまで頭を下げるのだ」
なにが、「まあ、よいだろう」なのか。
セイレンが
もっと頭を下げろという意味らしいので、「なぜおまえに頭を叩かれなければいけないんだ」と腹は立ったが、いわれるとおりに頭を低くしてやると、その兵は納得したらしい。
「そのまま動くな。所作よく、礼儀正しくしておれ」
最後にこつんと小突かれたのを最後に、兵はセイレンから遠ざかっていく。どこまでいくのだと思ったら、セイレンを見張るように広場の隅で足を止めた。
(いわれたとおりの格好をしていれば咎められないなんて、なんて馬鹿馬鹿しいんだ。腹のなかで馬鹿にしていればいい話だ。――やっぱりこの宮も、馬鹿ばっかりだ)
ひそかにため息をつきながら待っていると、しばらく経ってから、使者の男が戻ってくる。
その男は、セイレンの隣に腰を下ろして、同じようにひざまずいた。
「もういらっしゃるよ」
使者の男がそう告げてすぐに、すこし離れた場所から朗々とした声をきいた。
「雄日子太子、まもなくお出ましになります」
もうすぐやってくると、わざわざ声をかける役の人がいるようだ。
(雄日子太子ねえ――)
頭を下げたまま、セイレンは垂れた前髪の隙間から前のほうを覗き見ていた。
しばらくして、土の上を歩いてくる足が見える。
その足は、銀色の
(里の、偉いやつの格好だ。それはそうか。こんなに大きな宮に住んでるやつだもんな)
その男の足は、セイレンの真正面で止まり、ほどなくして、頭上から声がかかる。
「
その男の声には、とても柔らかな印象があった。
声をきくなり驚いて、セイレンが目をしばたかせたほどで、これまで会ったことのあるどの男とも、まるっきりちがう声をしていると思った。
いわれるままに、首があがっていく。
その男は、セイレンの真正面に立っていた。
男の顔を見上げると、その男と目が合う。その男も、セイレンを見下ろしていた。
その男は、二十歳をすこし過ぎたところだろうか。
黒髪は胸まであり、両耳のそばで結われて、髪飾りをつけていた。首を包む襟は白。袴も白だ。帯は紫と若葉の色の織物。
土雲の一族は染め具をつくるのが得意だったので、里にはさまざまな色をした布があふれていたが、織物は簡素なものしかなかった。その男が身にまとう衣や帯の布地は、セイレンがみたことのない織り方をされていた。
男の腰には、ひと振りの剣がさがっている。
剣は細くて長く、銀色の鞘に包まれている。土雲の一族で使う武具といえば、短刀と吹き矢、そして、首からさげておく〈
不思議な格好をする男だと見上げていると、その男は目を細めて笑い、セイレンに話しかけた。
「この前はありがとう。そなたのおかげで、僕は猪から逃れられた」
会話がはじまって、セイレンは「しまった」と思った。
石媛は、一族の山に迷い込んだこの男を助けたと聞いていたが、詳しい話を聞いてくるのを忘れたからだ。
(猪だったのか。――しかたない、こいつに合わせよう)
セイレンはもう一度頭をさげて、なるべくそれっぽくふるまうことにした。
「お役に立てたのであれば、よかったです」
「ああ、そなたは俊敏な鹿のようだった。そなたに会ったとき、僕は山の神を見たかと思ったよ」
正直なところ、石媛に武芸が得意な印象はなかったので、「そんな真似があの姉にできるのか」と奇妙に思った。
しかし、知らないのだから合わせるしかない。
「いいえ――ありがとうございます」
言葉すくなにうなずいて、ひとまずこの場を切り抜けようとした。
雄日子という名の男は微笑んで、セイレンに立つようにいった。
「そなたが、僕の頼みを聞き入れて、僕のもとに来てくれて嬉しく思う。まずは、あのときの礼をしなくてはならないな。休み場を案内しよう。こちらへ来なさい」
(休み場? 寝るところってことかな)
この男の守り人になれといわれているのだから、セイレンはこの宮で暮らすことになるだろう。
よくわからないが、雄日子という男はみずからセイレンを案内する気でいるようで、さっそく歩き始めている。
慌てて立ち上がって雄日子の背中を追いつつ、セイレンは首を傾げた。
(この男がみずからわたしの案内をする? こいつって、この大きな宮の長なんだろ。わたしの案内なんか、誰か別のやつにやらせて、偉そうにふんぞり返ってればいいのに。土雲媛やハルフだったらそうするのに――)
数歩先を颯爽と歩く雄日子の背中は、広かった。
衣服は上等で、染みひとつない。
肩幅が広くて上腕ががっしりしているので、身体はしっかり鍛えられているようだ。
(偉いやつが野良仕事をするわけないし、武芸を習ってるのかな。そういえば、土雲媛は、山の下の国は戦ばかりしているっていっていたっけ。こいつも、そういう剣と矢を使う男王だって――)
セイレンと雄日子の間には、もう一人別の男が並んで歩いていた。
その男は背格好が雄日子と似ていて、身にまとう衣装も同じくらい上等だ。
セイレンの後ろには、兵がついてきている。
さっきセイレンを鞘で小突いた兵と、もう二人いて、全部で三人いた。三人とも揃いの鎧を身にまとって、セイレンの後をついてくる。
(こいつらは雄日子を守ってる武人かな。例の守り人ってやつ? それにしても、たくさんいるなあ――)
周りを見渡せば、宮の中には、いたるところに同じ鎧姿の兵が見える。
これだけたくさんの兵がいるなら、自分の出番などない気がするのだが。
「こっちだ。まいられよ」
庭から続く大きな道を進んでいた雄日子は、途中で脇道に入り、さらに奥へ向かった。
土雲の一族が暮らした山里は坂ばかりで、平地はほとんどなく、これほど大きな道はなかった。
珍しくて、セイレンは歩きながら周りをきょろきょろとする。
道のつくり方も、建物の形も、この高島の宮では、なにもかもが土雲の里とはちがっている。
林に群れる木々や、幹と幹のあいだに茂る背の低い草も、土雲の一族が暮らす山にあるものとは別の種類だ。土の色や、香りすら――。
(ちがって当然か。ここは、普通の人にも住める清浄の地だものな。――
周りにある風景をぼんやりと目で追っているうちに、セイレンはあるとき、背中に強い痛みを感じた。
次に気づいたとき、セイレンは地面に膝をついていた。頬と首のそばには、硬いものが触れている。
(鞘?)
セイレンはいつのまにか地面に転がされて、剣の鞘で囲まれていた。そばには鎧をまとった男が壁のように立っていて、セイレンに暗い影を落としている。
はっと見上げると、剣の鞘でセイレンの身動きを封じた兵の肩越しに、雄日子と、もう一人の青年がセイレンを見下ろしているのが目に入った。
「どう思う、
「私は、若に同意でございます」
雄日子と、角鹿と呼ばれた若者の目は暗くて、見世物を見るようだった。
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